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黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第三章

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不思議な人

「平和だな。どこもかしこもぬるくて頭がおかしくなりそうだ」


 カフェのテラスでコーヒーをすすっていた青年がそうひとりごちると、彼の向かいに座っていた従者がわずかに眉をひそめた。


「めったな事をおっしゃらないでくださいよ。ウェストオース地方を二分する大国、アライベルとイストロアの戦争のせいで大陸中がどれだけ混乱したか。あの恐ろしい三年間を思えば、アライベルが安定していて困る事はないでしょうに」

「この国が平和ぼけしていれば、我々がアライベルを……ひいてはウェストオースの諸国を攻め落としやすくなるからか?」


 青年がくつくつと笑うと、話の通じない人だとでも言いたげに従者は盛大にため息をつく。「冗談だ」と青年は言い添えたが、どこまで本気かわからなかった。


「それはそれとして、こう退屈なのはいただけないな。私はもっと刺激的な事がしたいんだ」

「まだアライベルに来てから一週間も経っていないでしょうに……。そもそも、貴方の言う“刺激的”は十中八九私にとっての面倒事ですので、できればご遠慮していただきたいのですが?」


 気安く軽口を叩きながらも従者の男は呆れたような目つきで青年を睨む。青年は意に介さずコーヒーを口に運んだ。

 次に顔を上げた時、彼の視線は一点に固定される。青年は熱を帯びた眼差しでまっすぐに前を見つめた。


「……可憐だ」

「? なんですか、気持ち悪い」


 従者の男はきょとんとしつつ、気味悪げに両腕をさする。青年は「お前ではない」と言うが、その声に力はなくどこか上の空のようだった。青年の見ているものは自分ではない―もちろん最初からわかってはいたのだが―と、従者は後ろを振り返った。

 噴水を中心にした広場だ。いくつかのベンチがあるのだが、青年の視線の先であろう場所には一組の男女が腰掛けている。一人は金髪の中性的な美青年、もう一人は銀髪の美少女だ。かなり目立つ二人組なので、主人が今まで気づかなかったとは考えづらい。きっと今しがた来たばかりなのだろう。

 二人は何か話し込んでいる。その間にも主人は少女に熱視線を送り続けていた。主人の様子に鳥肌を立てつつ、従者はフロレンティーナを切り分ける。


「人のものに手を出すのはやめてくださいね?」 

「ふん。出逢う順番が前後しようと運命の赤い糸のほうが優先されるというのを知らないのか?」

「初めて聞きましたよ……」


 聞く耳を持たない主人に、さすがの従者も苛立ちを隠しきれない。そもそも彼は元来惚れっぽい男だ。今までいくつもの国を見て回ってきたが、主人は行く先々で多くの女性といい雰囲気になってきた。今回もそれだろう。

 従者も主人の女遊びのおこぼれにあずかっていい思いをした事がないわけではないため強くは言えないが、青年の奔放な振る舞いの尻拭いをするのは大体従者の役目だ。いい加減自重する事を覚えて欲しい。どうせその国に置いていく異国の令嬢など、手を出しても面倒なだけなのに。


「あの身なりなら、下級……よくて中級貴族といったところだろう。あの男が婚約者だろうと何だろうと、私が声をかければ引き下がるのはあちらになるさ」

「どうせ責任を取る気なんてないでしょう? 下手な事をすれば国際問題になりますよ。ほかの国でもやらかしているのを忘れたんですか?」

「なぁに、その時はまたお前がうまくやってくれるだろう?」

「はぁ……」


 従者は深くため息をついてもう一度振り返る。ちょうど少女達の侍女らしき女性が皿を器用に持ってきたところだった。侍女はそのまま少女達と同じベンチに座る。身分制度が緩いアライベルらしい光景だ。

 侍女の持ってきたパンをかじり、少女は幸せそうに顔を蕩けさせる。それは見る者も幸せにするような、甘くやわらかな笑顔だ。従者は慌てて青年のほうに向きなおったが、時すでに遅く青年は勢いよく立ち上がっていた。


「ま、待ってくださいって! いくらなんでも急すぎます! 急に声をかけたら不審者扱いされますよ!」

「む……そうか……」


 従者が必死に押しとどめると、青年は渋々座り直した。従者がほっと息をついたのもつかの間、青年はにんまりと笑う。


「怪しくなければいいんだろう?」


*


 ブラートヴルストを食べ終え、アーニャ達はその場を離れる。ディウルスから伝えられた門限は夕暮れだが、日が沈むまではまだ時間がありそうだ。


「これからどうしましょうか」

「そうですわね……特に希望がないようでしたら、」

「ちょっといいか?」


 ベンチに座るアーニャ達に影が落ちる。リアレアの言葉を遮ったのは見知らぬ男達だった。


「何の用だ?」

「お坊ちゃんはすっこんでな。俺らはこっちの嬢ちゃん達に用事があるんだ」


 不審感をあらわにしたミリリが低い声で尋ねた。男達は下卑た笑みを浮かべ、アーニャとリアレアに向けて手を伸ばそうとする。だが、すぐにその顔が苦痛に歪んだ。

 ミリリがすかさずアーニャを庇うようにして立ち上がって男の腕をひねり、すまし顔のリアレアが自分の前に立つ別の男の足を踏んだからだ。反撃を食らった仲間の様子を見て、他の男達はひるんだように顔を見合わせた。


「な、なにぼさっとしてんだ! やっちまえ!」


 どうやらミリリが掴んでいる男が彼らのリーダー格らしい。男の怒声にはっとした手下達はミリリにとびかかる――――が、彼らは不可視の力で吹き飛ばされて石畳に叩きつけられた。それから彼らは微動だにしない。どうやら気絶しているようだ。


「……ごまかしていたようですけれど、ウェストオース人には見えませんでしたわね」


 ミリリに向けてリアレアが小さな声で囁くと、ミリリもわずかに頷いた。ウェストオース人というのは皇国領やアライベルを含めた旧皇国領の諸国の民の総称らしいが、それに該当しないという事はあの男達は遠い異国の地からはるばるアライベルに来たのだろうか。

 駆けつけた騎士は元からこっそりとアーニャについていた護衛だろう、彼らに向けて何か指示を出す。騎士達はすぐに男達を引きずっていった。騎士達が取り調べをすれば、彼らの素性もわかるだろう。


「特に希望がないようでしたら、お芝居を観に行きませんか?」

「お芝居、ですか?」

「ええ。ちょうど今、大劇場でとても素敵なお芝居をやっているそうですの」

「えっ、あ、はい!」

「大劇場に行くなら馬車を呼んだほうがいいですね。少々お待ちください、今御者を呼び戻します」


 何事もなかったように話を戻るリアレアに戸惑いながらも頷き、アーニャは立ち上がった。


*


「どうするんですか! 貴方が出るまでもなく連行されちゃいましたよ!? あいつらは異国の傭兵とはいえ、祖国から連れてきた大事な戦力なのに!」

「なに、案ずるな」


 慌てふためく従者とは対照的に、青年は余裕の表情でコーヒーをすする。少女達がベンチから離れて馬車に乗ったのを確認し、時を見計らって青年も立ち上がった。


「しかしあの男、ただの優男と思えばなかなか腕が立つようだな。侍女のほうも一筋縄ではいかないようだ。……少し手段を変えてみるか……」


 なんでこんな人に従ってるんだろう……という従者の嘆きは、彼が青年に仕えてから幾度となく繰り返されてきたものだ。半ば諦めの境地に達した従者は、ため息交じりに主人の後を追った。


*


「うふふ。アーニャ様、これで涙をお拭きになってくださいな」

「あ、ありがとうございます……」


 リアレアから受け取ったレースのハンカチで涙を拭き、アーニャは満面の笑みを見せる。芝居自体は悲劇だったが、出来はとてもよかったと思う。あまりにも内容が悲しすぎて思わず泣いてしまったが、それも含めて楽しかった。

 芝居を観るのは初めてなので比較対象はないが、リアレアとミリリも満足げだ。きっと他と比べても素晴らしい芝居だったのだろう。


「名残惜しいですが、そろそろ帰りましょうか。城に着くころにはちょうど日も落ちているかと」


 ミリリはそう言って立ち上がる。アーニャは不安げにミリリとリアレアを交互に見つめる。


「あ、あの、お化粧は崩れていませんか?」

「ええ、大丈夫ですわ」

「はい、問題ありません」


 二人がそう言ってくれるなら直す必要はないだろう。アーニャは安堵しながら席を立った。


「失礼ながら、お手をお借りしたく存じます。ここは人が多いですから」

「はい、お願いします」


 ミリリの手に掴まりながら人の波を越えていく。大劇場かつ有名な一座の人気の芝居という事で目が回りそうなほど観客がいたが、ミリリとリアレアの誘導のおかげで問題なく外に出る事ができた。

 劇場に来た時と同じように、見慣れた馬車が少し離れた場所に停まっている。しかしアーニャが馬車に乗ろうとした刹那、ミリリが足を止めてアーニャを引き戻した。さすがにこの行動は予想外だったのか、リアレアも驚いたようにミリリを見ている。


「どうしたんですか?」

「この馬車は私の実家が所有しているもので、特徴的な装飾が一切なく一番お忍びに適しているものです。王家の馬車では、紋章を隠したところで目立ちますから。……要するにこの馬車は私にとって、何か異変があればすぐに気づける程度には馴染み深いものなんです」


 アーニャが目を白黒させて尋ねると、ミリリは小さな声でそう囁いた。彼女はアーニャをリアレアに預け、御者台に座る御者に厳しい口調で問いかける。


「お前は誰だ?」

「……」


 御者は何も言わなかった。しかし次の瞬間、扉が開いて三人の見知らぬ男達がアーニャに飛びかかってくる。彼らは即座に抜刀したミリリに切り伏せられたが、悔しげに顔を歪めてこちらを見つめる御者が先ほどまで一緒にいた彼とは別人だという事にアーニャは気づいた。

 それが勘違いでないと示すかのように、馬車の中には身ぐるみを剥がれた本物の御者が転がっている。きっと彼は突然このならず者達に襲われたのだろう。御者を襲った恐怖と、もしこの馬車に乗っていたらどうなっていたかを考えるだけで身がすくんだ。


*


「くっ、これも失敗か……!」

「あの、もうやめましょうよ」


 配下が扮した暴漢に襲われた少女を、通りすがりを装って颯爽と助けに行くという計画に続いて、配下をならず者の誘拐犯に仕立て上げて少女を攫わせ、偶然を装って颯爽と助けに行く……という青年が描いたお粗末な脚本はあっけなく失敗に終わってしまった。青年は落胆を隠せない。

 少女の婚約者らしき男が淡々と配下達を制圧する光景を物陰から眺めている青年と従者に、道行く人々は不審げな眼差しを向けてひそひそと言葉を交わし合っている。彼らが騎士団の詰め所に通報されるのも時間の問題かもしれない。


「そうだ、こんな絡め手に頼ったのが失敗だったのだ。最初から私が出ていればこんな事にはならなかっただろう」

「えぇ……?」


 なんだかんだで主人に押し切られてしまって最後まで付き合ってしまった従者は、せめてもの反抗と言わんばかりに疑心に満ちた眼差しを向ける。だが、青年はそれを煩わしげに振り払った。


「お前はそこで見ていろ。お前の助言は間違いだったと証明してやる」


 そう言って、青年はすたすたと少女達のほうに歩いていってしまう。

 主人の奇行を止められなかった。従者はがくりと肩を落とす。少女が青年を受け入れたときどんな面倒が我が身に降りかかっているのか、ついでに連行された傭兵部隊をどう回収すればいいのか、従者の悩みの種は尽きなかった。


「……そういえばあの人、遊び相手なら適当にあしらえるくせに、本命相手にはかなり残念な事になるんだよな。まさかあの子が本命って事はないだろうけど……いや、まさかな……」


 主人の行動原理とそれにかける情熱がおかしいのはいつもの事だ。従者は乾いた笑みを浮かべ、波風が立たないようなるべく内密に問題を解決する方法を考え始めた。


*


 事後処理のためにミリリがその場を離れ、アーニャとリアレアは馬車の中でしばらく待つ事になった。御者も命に別状はないとはいえ怪我をしてしまって、とても御者台に座れるような状態ではない。アーニャの嘆願もあり、御者もアーニャ達と一緒に馬車の中で待機だ。ミリリが代わりの御者を連れてきてくれるらしい。

 今回のアーニャは完全にお忍びで街に来ていたため、こっそりついてきた護衛騎士は少なかったという。まさか一日に二度も怪しい男達に遭遇するとは思わなかったし、護衛騎士は広場の男達を連行するためにほとんど城に帰ってしまったらしい。残っていた数名の騎士も、馬車を奪われたときにならず者に倒されてしまったそうだ。「訓練が足りないようですね」と剣呑な目つきをして呟いたミリリが城に帰って何をするのかは、あまり考えたくなかった。

 このまま気絶したならず者達を放置していくわけにもいかない。近くの詰め所から騎士を呼ぶより自分が直接詰め所まで行ったほうが早い、と判断したミリリは、拘束用の魔術具でならず者を拘束した後に詰め所に走っていった。


「少しいいだろうか?」


 ミリリが行って少し経ってからの事だ。馬車の外から男の声がした。

 声をかけてきたのは、軽くうねった紫の髪を後ろで一つにまとめた青年だった。褐色の肌は日焼けにも生来のもののようにも見える。窓越しに自分を見つめるエメラルドの瞳は自信にあふれていた。


(……まるで物語に出てくる、砂漠の国の王子様のように綺麗な人ですね)


 肌が黒く、どことなく異国の雰囲気を漂わせているからだろうか。実際に砂漠の国の王子とやらがどんな風体をしているのかは知らないが、アーニャが真っ先に連想したのはそれだった。


「なんでしょう?」


 アーニャが口を開くより早く、アーニャの向かいに座ったリアレアが窓を開ける。柔和に微笑んではいるが、目元は笑っていなかった。


「失礼。あまりにも美しい馬がいたので、声をかけずにはいられなかったんだが……まさか主もこれほど美しい方だったとは」


 青年の視線はアーニャに向けられたまま動かない。これはまさか自分に言っているのだろうか。不思議な人ですね、と思いつつ、アーニャは曖昧な微笑を浮かべた。

 馬の主がどうのと言われても、この馬車はストレディス侯爵家のものだ。当然ながら馬車と馬の所有権はアーニャにはない。どう返せばよいものか、いささか返答に困ってしまう。


「貴方についてもっと知りたいと思ってしまった私を許してくれ。どうだろう、あのカフェで私とコーヒーでも飲まないか? あそこのクーヘンは絶品なんだ」

「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」


 嫌な事ははっきりそう言え、とディウルスにも言われている。今がちょうどその時だろう。

 早く城に帰りたい。そして今日会った事をエバやウィザーに報告するのだ。ディウルスと夕食を摂る時の話題にもなるだろう。城で待つ面々の事を思えば、言い方は悪いがこの不思議(へん)な青年の事などどうでもよかった。それに、美味しい軽食につられて出会ったばかりの不思議な(あやしい)人に誘われてついていくほど自分は子供ではない。

 そもそも、ここでうかうかついていったら色々と不名誉な称号がついてくる気がする。それは嫌だ。そうなるくらいなら、見ず知らずの他人である青年からの心証が悪くなったほうがよほどましだった。


「な、」

「そろそろ門限ですから。そろそろ帰らないと、たくさんの人に心配をかけてしまいます」


 青年の自信に満ちた笑顔にわずかながらひびが入る。まさか、了承すると思われていたのだろうか。心外だ。いくら相手が異国の王子のような甘い外見をしていようと、見た目で心を動かされるほど自分は単純ではないというのに。


「な、なぁに、少しぐらいだいじょ、」

「門限がなくても、あなたの誘いはお断りさせていただくと思いますが……」


 ついでとばかりに本心からの一言を呟いた瞬間、リアレアが顔を伏せて肩を震わせる。青年は石のように固まってしまった。婚約者のいる身で誤解されるような振る舞いをしないという至極当然の貞操観念に従った発言だったのだが、何か間違っていただろうか。


「ただいま戻りまし……」


 ちょうどその時、ミリリが新しい御者を連れて戻ってきた。きょとんとした顔で窓から外を見下ろすアーニャと凍りついた青年を見比べてすべての事情を察したらしいミリリは、虫けらを見るような目で青年を一瞥するとさっさと馬車に乗り込んだ。

 新しい御者も何も言わずに御者台に行き、即座に馬車を走らせた。取り残された青年がどうなったのか、それはアーニャの知るところではない。

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