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黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第三章

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ミリリの持論

 アーニャがアライベルに来てからそろそろ一月が過ぎようとしていた。このころになると宮殿での暮らしも慣れてきたが、そうなると今度は新たな世界を求めたくなる。アーニャの興味は次第に宮殿の外に広がる街に向けられていった。


「あ、あの、今日は王都を回ってみても構いませんか?」


 朝食を食べ終え、アーニャはおずおずと切り出す。そう問われたリアレアは一瞬きょとんとしたものの、すぐに微笑を浮かべた。


「かしこまりました。ですが、外に行くというならばわたくし達もお連れくださいまし」


 アーニャが一人で宮殿の中を歩くのもすっかり慣れたらしいリアレアだが、さすがに外では一人にしてくれないらしい。アーニャとしても初めての街を一人で歩くのは不安なので、それについては構わないのだが。


「それは視察という形でしょうか?」

「ええと、そこまで大げさなものではなくて……その、少し散策したいんです」

「さようですか。では、あまり目立たないほうがよろしいですよね?」


 ミリリの問いに頷くと、手配をすると言ってアリカが部屋を出ていく。用意されたのは、質こそいいが装飾の控えめなドレスだった。目立つからと前髪を下ろされてエバに髪を結わえられる。金の瞳が隠れるように前髪が垂らされ、前髪が風に吹かれてもいいようにその上から髪飾りをつけられた。この手の飾りはクラウディスにいた時からよくつけていたので、さほど抵抗はない。

 土地勘のないエバとウィザーは留守番だそうだが、案内役を務めるミリリとリアレアは一緒に行ってくれるという。お忍びという事でリアレアが侍女服に着替えるのはわかるが、ミリリは何故かジュストコールを羽織りジレとキュロットを身につけていた。それらしい化粧をしているのか、中性的な美青年にしか見えない。


「あの、ミリリが男装するのには何か意味があるんですか?」

「アーニャ様に妙な虫がついては困りますから。こうしておけば、少しは牽制になるでしょう? 本物の男性が婚約者役として同行すれば、事情を知る者にいらぬ誤解を与えてしまいますし、相手も舞い上がってしまって仕事にならない事が考えられますが、私が男役を務めればその心配もございません。今日一日、私の事は……そうですね、ルークとでもお呼びください」


 偽名は弟の名から取ったのだろうか。真顔で言いきったミリリを前に、アーニャもそういうものなのかと納得せざるを得ない。リアレアは苦笑しながらも話をまとめた。


「物珍しさから街を散策する下級貴族の令嬢と婚約者、そしてそのお付きの侍女……という設定でいきましょう。これならばさほど無理なく演じきれるはずですの」

「わかりました。では、行きましょうか。……あっ、陛下の許可は……」

「いただいております。日の沈む前に帰ってこい、と仰せでしたわ」


 それほど遅くなるつもりはないが、その言い方からして子供扱いされている気がした。なんとなく釈然としないが、特に異議を唱える事のないままアーニャの意識は初めて歩く王都へと向かった。


*


 ミリリの言葉通り、彼女の存在は街の男達に対する大きな牽制になった。誰もがアーニャに目を奪われたが、その傍に立つミリリ(ルーク)に気づいて羨ましげに彼女(かれ)を見ながら残念そうに視線を戻す。もっとも、他人からの好意に疎いアーニャがそれに気づく事はなかったが。

 アライベルの王都、リークブルクは活気のある街だった。最初は馬車に乗っていたのだが、だんだん外の空気を直で浴びたくなって徒歩で回る事にしたほどだ。嫌な顔をされるかもしれないと怯えながらの提案ではあったが、リアレアやミリリはもちろん御者も快く受け入れてくれた。

 街中には貴族らしき者の姿もちらほらと見える。もしかすると、上流階級でも徒歩での移動はそう不思議な事ではなかったのかもしれない。アーニャはほっと胸を撫で下ろしながら、初めて歩く異国の街並みに頬を緩ませた。

 少し進むと、肉が焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。いつの間にか日はすっかり高くなっている。そろそろお昼時だろう。

 周囲をきょろきょろと見回すと、先にある広場に少し長い列ができている屋台があった。どうやら匂いはそこから漂ってくるらしい。アーニャの視線に気づいたのか、リアレアが尋ねる。


「ブラートヴルストの屋台ですわね。お召し上がりになりますか?」

「い、いえ、わたしは、」


 アーニャの声を遮るように、くぅと可愛らしい音が鳴った。アーニャは頬を羞恥に染めるが、リアレアは気にせずその場を離れて列に並ぶ。ミリリはすぐさまアーニャの手を取り、空いているベンチに誘導した。


「……はしたない、ですよね」

「そうですか?」


 クラウディスなら到底許されない振る舞いだ。しょんぼりと肩を落とすアーニャに、ミリリは目を丸くさせる。予想とは正反対の反応に、アーニャは思わず顔を上げた。


「私もよく買い食いをしますよ。ただでさえおいしい食べ物が、外で食べるともっと味わい深くなりますからね。あのおいしさには抗えません」


 そう言って、ミリリはどこか陶酔した面持ちで空を見上げた。初めて会った時は怖そうな女性だと思ったが、それが彼女の本質ではない事はアーニャも知っている。ミリリは表情こそ固いが、お茶目な一面も多いのだ。それはこの短いやり取りでも伝わってくる。本当に冷徹な女性なら、食べ物にここまで夢中になりはしないだろう。


「それに、そう思っているのは私だけではありません。あげていけばきりがないほど、買い食いが身に覚えのある貴族は性別を問わず多くいます。もちろん陛下もその中のお一人ですよ」

「そうだったんですか?」


 今度はアーニャが驚く番だった。そんなアーニャを見て、ミリリは少し考え込む素振りを見せる。


「……アーニャ様。“貴族らしさ”、あるいは“王族らしさ”とはなんだと思いますか?」

「それは……人の上に立つにふさわしいという事ですから……ええと……人の見本となるような振る舞いが自然とできる事、だと思います。人を正しい方向に導ける事もそれに含まれるのではないでしょうか」

「なるほど。ではもう一つお伺いしますが……食べたいものを食べるのは、それほど恥ずかしがる事なのですか?」

「え?」


 質問の意図と繋がりがわからず、アーニャは目をしばたかせる。ブラートヴルストの屋台を見つめながら、ミリリは滔々と語り出した。


「他国では、王侯貴族の買い食いははしたないとされる事もあるのでしょう。高貴な血が流れる者が、下々の者と同じものを同じ方法で食すなどありえないと。ですがそのような考えこそ、この国では異端とされるのです」

「そういうものなのですか?」

「あくまでアライベルでは、ですけどね。……王侯貴族がお墨付きを出せば、その店の食べ物はとてもおいしいという事が保証されるでしょう。当然その食べ物は人気になりますから、売り上げが上がったうえに自分の腕が認められた店主は喜びますし、安価でおいしいものを食べられる客も喜ぶはずです。日陰に隠れていたおいしいものをおいしいと世に知らしめる事は、決して間違った行いではございません」


 そう言われるとそんな気もしてきた。そもそもアーニャが食事について人の目を気にするのは、きちんとしたマナーを知らないからだ。だが、真面目な顔をしたミリリにこうして語られると、それでも構わないのかもしれないと思えてくる。

 ろくな教育も受けられなかったせいで王女としてはしたない振る舞いをしてしまい、後ろ指を指されてくすくす嗤われる。それがクラウディスで繰り返されてきた光景だった。王妃達や異母姉達の姿を真似する事で形だけは整えられるものの、正式な作法を知らないがゆえに何度も些細な失敗を犯してしまうのだ。

 そもそも人前に出る機会がほとんどないので、技術を盗む時間もさほどなかった。他国に嫁ぐという事で最低限の礼儀作法は詰め込まれたが、しょせんは付け焼刃だ。アーニャにとっての淑女としての振る舞いとは、記憶の中の王妃達や異母妹の立ち居振る舞いである印象が強かった。


「それに、王侯貴族が率先して列に並べば、民は我も我もと列に並ぶでしょう。それもまた、人を導いているという事になるのではないでしょうか」

「それは……」


 彼女達も街に赴く事はあったが、アーニャの知る限りでは屋台を見て馬車を止める事はなかったはずだ。それどころか食べ歩きをする民衆の事を蔑んだ目で嘲笑っていた気がする。

 自分も彼女達に意地汚いと笑われた事を思い出し、アーニャはぎゅっと眉根を寄せる。それに気づいているのかいないのか、ミリリは少し話題を変えた。


「アライベルは他の国々と比べて、王侯貴族と国民の距離が近いんです。そのせいで、他の国々からは奇異な目で見られる事も多いのですが……こうは考えられませんか? 国を支えて王を王たらしめている民がやっている事を、“卑しい”と断じて忌避する事は彼らに対する侮辱だと。そんな振る舞いをしておいて、彼らの上に立つ事が果たして許されるのでしょうか」


 その時、ちょうどリアレアが器用に三つの皿を持って帰ってきた。皿の上には細長い肉の塊が挟まった白いパンが載っている。これがブラートヴルストという料理なのだろう。自分達の前に差し出されたそれをアーニャはまじまじと見つめた。礼を言ってそれを受け取り、ミリリは再び喋り始める。


「アライベルはもともと、イストロア皇国の小さな領地でしかありませんでした。成り上がりの軍国と周辺諸国から蔑まれつつ大きくなった国です。宮廷作法など、これ以上侮られる事のないようにと他国から取り入れたものばかりなんですよ。だからこそ、アライベルの本来のあり方とは異なるんです」


 そこまで言って、ミリリはぱくりとブラートヴルストにかぶりついた。できたてのそれは熱そうだったが、ミリリは気にせず幸せそうに表情を蕩けさせた。


「――なんて、小難しい理屈を並べましたけどね。王侯貴族だって人間なんですよ。空腹は覚えますし、おいしいものを見たら食べたいと思うのも普通の事です」

「何のお話をなさっていたのですか?」


 リアレアは目を輝かせていそいそとベンチに腰掛けた。ブラートヴルストを両手に持ち、彼女は不思議そうに尋ねる。ミリリはふっと口角を吊り上げた。


「おいしいものを食べるのは幸せですね、という話ですよ」

「まあ。それには心の底から同意いたしますわ」


 左右で幸せそうにブラートヴルストをぱくつく二人に促されるように、アーニャもおずおずとそれを口元に持っていく。


「おいしいです!」


 白パンは表面がカリッとしていて香ばしい。香辛料と柑橘類で味付けされた肉は噛むと小気味いい音を立てて肉汁が溢れ出す。舌を焼く熱さもうまみを引き立たせる要素だ。

 気づいた時にはそう言っていた。それを聞いたミリリとリアレアも嬉しそうに顔を綻ばせている。大口を開けてはしたないとか買い食いだなんて意地汚いとか、そんな礼儀作法も今は少しだけ忘れる事にした。

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