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ロゼルとリューハイル

 それからしばらく夜風に当たり、アーニャは複雑な気分のまま大広間に戻った。次々とやってくる客に笑顔で挨拶していると時間はあっという間に過ぎていき、気づけば客の流れも途絶えていた。これから舞踏会のための曲の演奏が始まるそうなので、そこでディウルスと一曲踊れば後はもう自由にしていていいらしい。

 夜は長い。一曲だけで大丈夫なのかと心配になったが、そもそもディウルスにそれ以上踊る気がないらしかった。ディウルスが乗り気でない以上、無理はしなくてもいいのだろう。アーニャも舞踏に自信があるわけではなかったので、ディウルスの采配はありがたくもあった。

 ミリリは傍にはおらず、代わりに彼女の副官だという礼服姿の騎士がいる。レイディズと名乗った彼は、真面目で誠実そうな青年だった。聞けばミリリは、少し離れたところから会場全体を監視するように見渡しているという。

 武装している騎士が多いと余計な威圧感を与えてしまい、招待客を不安がらせてしまう事から、騎士の多くは礼装のみにとどめているそうだ。武装するのは大抵が主人のすぐ傍に控える騎士だけらしく、アーニャの周りで甲冑を着ているのはウィザーだけだった。アーニャが気づいていないだけで、礼服姿の王妃付きの騎士達はレイディズ以外にも案外すぐ傍にいるのかもしれない。

 曲が終わると、ディウルスはすぐに異国の客人に囲まれてしまった。みな大陸の国の人間らしく、言葉がよくわからない。彼らはみな共通語を話しているのだが、その中にそれぞれの国の訛りが強く混じっているのだ。アライベルとその周辺諸国で使われている言語だけを付け焼刃で覚えたアーニャにはとても聞き取れなかった。

 ヴィンダールに一言断り、アーニャはすぐにその場を離れる。意地汚いと思われない程度に料理をつまみながら、アーニャは大広間を見渡した。煌びやかな空間に目がくらみそうだ。いっそ隅のほうで縮こまっていたいが、さすがにそれは許されないだろう。

 だが、何もせずに一人で立っているのも気まずい。ウィザーとレイディズはもちろんエバとリアレアも傍にいるが、それぞれ自分の仕事がある彼女達に雑談を持ちかけるのも悪いだろう。それに、エバはまるで招待客と交友を深めてくださいとでも言いたげで、視線による無言の圧力が痛い。早く何か行動を起こさなければ。

 その時、人ごみに紛れるようにしてロゼルの姿が見えた。アーニャはほっとしながら彼女に近づく。彼女の傍には護衛の騎士とルルクがいたが、どちらもアーニャに気づいていないようだ。


僕の可愛い人(マシェリ)、今日こそ僕と踊ってくれないかな?」

「お断りよ。何人もの女性に使っているような安い言葉に乗せられるほど、わたくしは馬鹿な女じゃないもの」

「はは、相変わらず手厳しいな。……今日もだめか。ここまで断られると、さすがの僕も自信がなくなりそうだよ。僕よりもっといい男でもいるのかい?」

「ええ、そうね! アンドレアスのほうが貴方よりよっぽど素敵よ!」

「へえ、アンドレアスが? 驚いた、あの堅物を手懐けたんだね。そっか、今の君のお気に入りはあいつだったのか……」


 ロゼルが得意げに胸を張ると、ルルクはわずかに顔を歪める。しかしそれは一瞬の事で、ルルクはすぐに呆れたような目でロゼルを見下ろした。


「でも、僕が聞きたいのはそういう事じゃないんだよ?」

「だったら何よ? ……あっ! アンドレアスに手を出したら、いくら貴方でも許さないんだから!」

「僕がそんな事をするように見えるかい? 安心してよ、僕の心はそこまで狭くないからさ。……それとも、嫉妬してほしかった?」

「ふっ、ふざけないでっ!」


 怒りか、あるいは羞恥か。ロゼルの顔はすっかり真っ赤だ。対するルルクは軽薄そうな笑みを浮かべているが、瞳にはわずかな諦めが宿っている。だが、ロゼルはそれに気づいていないようだ。


「……おや、アーニャ様ではありませんか」


 声をかけようか迷っていると、ルルクと目が合った。ルルクはすぐにアーニャに向けて微笑みかける。


「ア、アーニャ様!?」


 ロゼルはあたふたと振り返る。ドレスの裾を握りしめ、赤い顔をしたロゼルは俯きがちになりながらもごもごとアーニャに挨拶をした。アーニャも微笑を浮かべながら一礼する。


「何のお話をなさっていたのですか?」

「ロゼル様をエスコートする名誉をいただけるよう、お願いしていたんですよ。残念ながらアンドレアスに負けてしまいましたが」


 ルルクが肩をすくめると、ロゼルはますます身体を縮こまらせる。そんな二人を見ながらロゼルの護衛騎士が苦く笑っていた。


「アンドレアス様というのはどなたなのでしょう?」

「え、えと、い、今はここにはいませんけど、わたくしの……その、お友達で……と、とってもいい子なんです」

「そうでしたか。ロゼル様がそうおっしゃるなら、きっと素敵な方なんでしょうね」


 ロゼルは赤い顔のまま小さく頷いた。そんな彼女の様子を見て、ルルクは深いため息をつく。


「アンドレアスは私の目から見ても凛々しい顔立ちをした、紳士的な奴ですよ。少し気難しくて真面目すぎるのが玉に瑕ですが、それぐらい誠実なほうがパートナーにはふさわしいかもしれませんね」


 ロゼルとそのアンドレアスはただの友人ではないのかもしれない。少なくとも友情を超えた親愛の情が二人の間にあるのは間違いないだろう。ただの友人を紹介するだけなら赤面する必要はないのだから。


「……っと、申し訳ありません。このように美しい方々を前に何もできないのは心苦しいのですが、私はそろそろ失礼させていただきます」


 何かに気づいたルルクが残念そうに顔をしかめた。視線の先には気難しそうな老爺がいる。その顔にはアーニャも見覚えがあった。挨拶に来た客の中にいた、ストレディス侯爵家の当主だ。年からしてルルクとミリリの祖父にあたるのだろう。

 アーニャ達に背を向ける間際、ルルクはロゼルの騎士に意味ありげな目配せをした。ルルクも騎士もどこか疲れたような顔をしていたが、その意味はアーニャにはわからない。


「……ラインホルト、ピウス、ぺトルス、アブラハムにアントーンときて次はアンドレアスか。あいつらのどこがいいんだよ。あいつらでいいなら僕だって……」


 苛立たしげな呟きは誰の耳にも届かないまま喧騒の中に消えた。ルルクはそのまま足早にその場を去っていく。そんな彼の背中を、ロゼルは遠い目をして見送っていた。


「ロゼル様?」

「あっ……な、なんでもありません!」


 アーニャが声をかけると、ロゼルははっとしてぎこちなく微笑む。菫色の瞳は切なげに揺れていた。


「ロゼル様はルルク様と仲がよろしいんですね」

「仲がいいなんて、そんな……。ただの腐れ縁ですよ。彼は昔からあの調子で、いつまでもわたくしの事をからかうんです」


 もうわたくしは子供じゃないのに。ロゼルはか細い声でそう呟いて唇を引き結んだが、すぐに表情を明るくさせてもう一度口を開く。だが、彼女が何か言うより早くアーニャの背後から青年の声がした。


「元気そうだな、アーニャ」


 アーニャははっとして振り向いたが、声の主は振り返らずともわかっている。

 ディウルスとともに挨拶をした時間は短く、その時は形式ばった言葉しかかけられなかったので、今日彼と私的な会話をするのは初めてだ。だが、彼がこうして声をかけてくるとは思わなかった。

 

「リューハイル……お兄様……」 


 思わず声が震える。自分を見据える父譲りの宵闇色の瞳は、とても冷たい色をしていた。


「?」


 ロゼルはきょとんとした顔でリューハイルを見上げる。リューハイルが微笑みかけると、ロゼルはきつく彼を睨みつけてぷいと目をそらした。

 リューハイルはわずかに頬を引きつらせるが、気にしていないとでも言いたげにすぐにアーニャに向き直った。俺の名を言ってやれと目が訴えてくる。アーニャは一度俯いたものの、すぐに顔を上げて笑顔を作った。


「ロゼル様。この方はわたしの兄の、リューハイル・クラウディスです」

「……そう。わたくしは……ロゼル・ラヴィ・ヘイシェルアール、と申します。アーニャ様とは……お友達……?」


 ロゼルは不安げな眼差しをアーニャに向ける。アーニャがこくこくと頷くと、ロゼルはそっけなく顔を背けてはしばみ色の髪を指でくるくるともてあそんだ。


「失礼ですがロゼル嬢、妹をお借りしても構いませんか?」

「……」


 リューハイルはあまり気が長いほうではない。今もアーニャの目には、リューハイルのこめかみに青筋が立っているように見えていた。顔を上げたロゼルは胡乱げにリューハイルを見つめたまま黙っているが、この間にもリューハイルの機嫌はどんどん低下している事だろう。

 ロゼルはちらりとアーニャを見る。アーニャに異論がないなら、ロゼルがリューハイルを引き止める事はないのだろう。リューハイルの怒りがロゼルに向かうのを恐れたアーニャは、自分は大丈夫だと言うように小さく頷いた。ロゼルは何か言いたそうにしたが、結局小さい声で「またお話ししましょうね」とだけ言った。それを聞くなりリューハイルはアーニャを連れてその場を去ろうとする。


「まっ、待ってくださいっ! どちらへ行かれるんすか!?」


 すかさずウィザーが声を張り上げる。エバとリアレア、そしてレイディズまでもが不安そうな顔をしていた。


「お前達はついてくるな。俺はアーニャと二人で話がしたい」

「ですが、」

「俺はアーニャの兄だぞ。剣の腕も立つほうだと自負している。お前達が心配するような事は何もないさ。……それともアライベルの宮殿は、四六時中供が張りついていなければならないほど危険な場所なのか?」


 そう言ったリューハイルは笑ってはいたが、口調には有無を言わせない迫力があった。

 リューハイルの発言を認めてしまえば、アライベルを貶める事に繋がってしまう。それは困る、とアーニャは慌てて四人に取りなしの言葉をかけた。エバ達は気まずげに目配せをしながらも、アーニャが何も言わないのであればと引き下がる。リューハイルは苛立たしげに鼻を鳴らし、そのままアーニャを連れてつかつかと歩いていった。


*


 テラスに人気はない。ぼんやりとではあるが、テラスからは明かりに照らされた庭園が見渡せる。しかしその景色を楽しむ余裕はなかった。


「ロゼルとかいう、あの態度の悪い娘も貴族か何かか?」


 二人きりになるなり、リューハイルは顔を歪めてそう吐き捨てる。アーニャは彼と目を合わせないよう深く俯いた。


「……ロゼル様は公爵家のご令嬢です。あの方は、」

「はっ、あれで公爵令嬢か。確かに見た目だけならそう見えるが、その肩書きに釣り合う教育を受けているようにはとても見えなかったな。まあ、あんな野獣のような男が王を気取るような野蛮な国だ。それも仕方あるまい。まったく、これだから歴史の浅い国は……」


 許されるなら耳を塞ぎたい。自分によくしてくれる者達の悪口など聞きたくない。そんなアーニャの気を知ってか知らずかリューハイルは喋り続けた。


「お前のような気味の悪い娘を王妃として迎えるなど、どんな男かと思ったが……案の定、向こうも向こうで化け物だったな。化け物同士お似合いじゃないか。……だが、調子に乗るなよ? どういうつもりでその呪われた目を晒しているのかは知らないが、お前が受け入れられる事なんてありえないんだからな」


 わたしの事はなんとでも言っていただいて構いませんが、陛下を馬鹿にするのはやめください――――小さな抗議の声はリューハイルの耳には届かない。


「知っているか、アーニャ。このアライベルという国はな、もともと皇国の辺境にある小領地に過ぎなかったらしい。それが二百年前に皇国へ剣を向け、それまで受けた恩を仇で返す形で一つの国家として成立したという。これほどお前にふさわしい嫁ぎ先もないだろう」


 この国の王の先祖が主君を裏切ったのと同じように、お前の母もまた主人を裏切ったのだから。そう言って、リューハイルは嘲るように口元を歪めた。


「この国の民には異教の蛮族の血もかなり混ざっているという。王侯貴族も例外ではないらしい。道理で宮殿の中すらも粗野な輩で溢れているわけだ。どこもかしこも低俗的でぞっとする。まあ、生まれからして卑しいお前には関係のない話だがな」


 クラウディス王国だって、歴史が長いという事以外に他国に誇れるような何かがあるわけではないのに。

 国土に豊富な資源が眠っていると言っても、いずれそれらは枯渇する。大して国土が広いわけでもない、たった一つの国から捻出できる量などたかが知れていた。

 荒れた海に囲まれた島国ゆえに他国から侵略された経験が少ないだけで、クラウディスそのものに国を存続させる大きな力があったわけではない。他国とクラウディスの間には、多くの兵士が安全に通れるようなルートが存在しないのだ。

 荒れ狂う海を超えられる航海者はめったにいない。国交や交易は主に国が管理している転移の魔法陣を使用して行われるが、それは許可のない者は通さないようになっている。もしそれ以外にクラウディスに行く手段があったなら、国土の資源を欲した他国がすぐにでも攻め入ってきただろう。

 運よく続いた平和を享受するだけのクラウディスの人間が、数多くの強国に囲まれながらも大国の地位を築いたアライベルの人間を馬鹿にするのはおかしい。ましてやリューハイルは父王の名代だ。未来の同盟国を侮辱するなどもってのほかだろう。そもそも他国を貶める事自体、あまり褒められるような行為ではない。

 だからアーニャは叫ぶ。これ以上黙ってにこにこ笑っているなんて、そんな事ができるはずがなかった。


「……この国を……この国の人々を侮辱するのはやめてくださいませっ!」

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