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カナリア色の髪の少女

「エリザレーテ様!」


 少女を見てリアレアが目を丸くする。彼女がここにいるとはリアレアも思っていなかったのだろう。どうしてこちらに、とリアレアが尋ねると、少女は恥ずかしげに笑った。腰まで届きそうなカナリア色のふわふわの髪が夜の風にわずかに揺れる。


「リットは仕事があったから、一緒に来られなくてね。宮殿で落ち合う予定だったが、大広間は人が多いだろう? だからテラスで待っている事にしたんだ。そろそろ迎えに来てくれると思うんだが……」

「リット様、ですか?」


 少女が口にしたのは血のような赤黒い瞳をした宰相補佐官の名前だった。アーニャはぽかんと少女を見つめる。何故ここで彼の名前が出るのだろう。


「……ああ、挨拶が遅れてしまいましたね」


 少女ははっとしてアーニャを見上げる。そして自らが腰掛けている大きなソファの肘掛けを指先でトントンと叩いた。うぃん、と小さな音がしてくるりとソファが回転し、少女の身体ごとアーニャのほうへ向かう。初めて彼女を見た時は気づかなかったが、ソファを覆う高級そうな白い布の隙間からは大きな車輪のようなものが見えた。ただのソファではなさそうだ。


「リットの妻、エリザレーテでございます。私はこの通り身体が不自由で、何かとお見苦しいところをお見せしてしまうかもしれませんが、どうかお許しくださいませ」

「……え?」

「これは車椅子と言って、異国から特別に取り寄せた品なんです。歩く事も立つ事もできない身であるため、これがなければ何もできなくて。失礼かとは存じますが、座ったままお話しさせていただきたく存じます」


 エリザレーテは悲しげに顔を伏せる。だが、今は彼女の身体の事よりも重要な事がある――――今、彼女はなんと言った?


「エリザさん!」


 歓喜に満ちた声が背後から聞こえてきた。それと同時にエリザレーテの顔がぱっと明るくなる。やってきたのはリットだった。


「お待たせして申し訳ありません。ああ、手がこんなに冷たくなってしまって……」


 黒い笑みを浮かべながら、リットはエリザレーテに跪いて彼女の手を取る。エリザレーテは愛おしげに目を細めながら彼の頬に触れた。


「私の可愛い人は相変わらず心配性だな。私はこの程度で参るほどやわではないよ。それより貴方のほうが心配だ。貴方は少し働きすぎじゃないかい? せっかく貴方にエスコートしてもらえると思ったのに、屋敷にすら帰ってこれないなんて。……寂しかったんだからな」

「私だってつらかったんですよ? 貴方のその美しい姿をずっと見られなかったんですから。貴方と一緒に宮殿に来られないなんて、まるで身体が張り裂けるような思いでした。貴方に会えるこの時をどれだけ待ちわびていた事か……!」


 アーニャ達の事など目に入っていないかのように、リットとエリザレーテは互いに熱い愛の言葉を囁きだす。それはリアレアがわざとらしい咳払いをするまで続いていた。


「はっ!? こ、これはこれはアーニャ様。ご機嫌麗しゅう」


 リットは弾かれたように立ち上がり、今までの事などなかったかのようににたりと唇を歪めて目を細めた。……どうやら本当にアーニャ達に気づいていなかったらしい。

 エリザレーテも頬を赤らめて気まずげに俯く。この場にアーニャ達がいる事をすっかり忘れていたようだ。二人はもごもごと取って付けたような挨拶の言葉を口にする。エリザレーテの座ったソファには取っ手のようなものがついていて、リットはそれを押しながらエリザレーテとともにそそくさとテラスを立ち去った。


「……相変わらず情熱的な方々ですわね」


 そんな二人を見送りながら、リアレアは苦笑交じりに呟く。アーニャは呆然としながらリアレアを見た。


「あ、あの方は、リット様の奥方なのですか?」

「ええ。驚かれたでしょう? 四年前……ご結婚なさった時からずっと、お二人はあの調子なんですの。いえ、婚約なさる前から、と言ったほうが正しいでしょうか。ああいうところは兄君のアッシュ様そっくりで、さすがご兄妹と言いますか……」


 アーニャの驚きはリアレアが想像しているものとは別のものだ。たった今見たエリザレーテの様子と、ディウルスの恋人という言葉が結びつかない。


(もしかしてわたしは、何かひどい勘違いをしてしまっていたんじゃ……)


 異国の宮廷では、国王の恋人は既婚者でなければならないという決まりがあるらしい。恋愛小説で聞きかじっただけの知識なので詳しい事はわからないが、その場合は本来の夫婦関係は冷え切っているというのがお約束だ。おまけに国王と愛を育んでいる間、国王の命令で夫は都から遠く離れた任地に飛ばされているという。

 しかしリットは宮殿勤めの宰相補佐官で、彼の姿は見ようと思えばいつでも見られる。ディウルスとの仲もいたって良好だったはずだ。そんなリットの妻とディウルスが密通しているなど考えられなかった。なにより、エリザレーテとリットの仲が冷めきっているようにはまったく見えないのだ。

 リットと一緒にいる時のエリザレーテと、ディウルスと一緒にいた時のエリザレーテの様子も違いすぎる。あの時は歓談するディウルスとエリザレーテしか知らなかったのでわからなかったが、今ならはっきりと言えた。エリザレーテが愛しているのはリットだと。

 この二週間、自分は一体何を悩んでいたのだろう。穴があったら入りたい。こんな事なら、もっと早くエリザレーテの事を誰かに訊いていればよかった。そうすれば、彼女はアーニャがこの国に来る前からリットと結婚していてディウルスとは何の関係もないのだと早々に気づく事ができたのに。


「アーニャ様? どうかなさいましたか?」

「なんでもありません……」


 早とちりに気づいてがくりとしながら、アーニャは力なく微笑んだ。けれど、これでよかったのだと思う。自分が引き裂いてしまった、不幸な恋人達はいなかったのだ。


(よく考えれば、あの時の陛下はただ女性とお話をしていただけでしたし……それだけでその女性と陛下の仲を疑うなど、早計すぎましたね。反省しなければ)


 今まで人とかかわった事などめったになかった。人の感情など、本で得た知識をもと推測する事しかできない。しかしそれにしたって、男女が楽しげに語らっていたから二人の間には愛情があるなんて、我ながら短絡的にもほどがある。冷静になって考えれば、他の可能性だって思いついたはずなのに。

 きっと、それだけ余裕がなくなっていたのだろう。ディウルスの傍にいる女性がすべて彼の恋人に見えてしまうぐらい、自分に自信がなかったのか。立場を奪われる事を警戒していたのか。誰かの心を踏み躙ってしまう事を恐れていたのか。それは自分にもわからないが、談笑するディウルスとエリザレーテの姿を見て焦りを覚えていたのは事実だ。

 エリザレーテがディウルスの恋人でもなんでもないとわかった今でも、あの時の光景を思い出すと心がざわめきだす。二人の間に男女の感情がなくても……いや、ないからこそ、あのように友好的な空気を醸し出せる事がうらやましい。いずれ自分もそうなれるのだろうか。ディウルスと自然に接する事ができるだろうか。


(……いえ、違いますね。“なれる”ではなく“なる”……できるようになってみせる、です)


「あれ? ちょっと待ってください。今、リット様とエリザレーテ様が結婚なさったのは四年前とおっしゃいましたよね?」

「ええ。それがどうかしましたか?」


 四年前といえばエリザレーテは八歳か九歳だろう。リットは二十代前半に見えるが、少なくとも四年前の時点で今のエリザレーテよりも年上だ。少年と青年のちょうど境に当たる年齢とはいえ、結婚相手が幼い少女となればそこはかとなく犯罪の匂いがしてしまう。それともそれぐらいの年齢での結婚はアライベルでは当たり前なのだろうか。


「この国は、一体いくつから結婚できるのですか?」


 アーニャの質問の意図を読み取り、リアレアは複雑そうに笑う。


「エリザレーテ様はリット様と同い年……陛下よりも年上ですよ。年上と言っても、一つ違うだけですが」


 アーニャがディウルスの恋人だと勘違いをしてしまっていた女性は、幼い少女ですらなかった。

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