呪いの真偽
案内された王の執務室の前に立ち、ウィザーは深く息を吸った。隣のエバに目配せすると、エバは決意を秘めた眼差しでこちらを見て小さく頷く。二人の様子を見て心の準備ができたと悟ったのか、ドアの前に立っていた騎士は室内に向けてエバとウィザーの到着を告げた。
ドアはすぐに開く。中は思ったより片付いていた。ディウルスの執務机には綺麗に書類が積んであるが、ディウルスがそれに手をつけた様子はない。彼も今来たところだからだろう。執務室にはディウルスのほかにもアッシュとヴィンダールはもちろんリットまでいたが、彼はディウルスが来るより前にここにいたのかもしれない。
「早速本題に入ろう。お前達を呼んだのは、姫の事についてだ」
執務机についたディウルスが重々しく口を開く。ウィザーとエバは机の前まで歩み寄り、固唾を飲んで彼の次の言葉を待った。
「……とは言ったものの、どこから話すべきだろうな。言わねばならん事も訊かねばならん事もありすぎる」
ディウルスは目を閉じて数秒黙る。言いにくいというより、どう言えばいいのかわからないかのようだ。やがて考えがまとまったのか、彼は机の上で手を組んで話し始めた。
「まず、今日の様子についてだ。姫はやたらと金の事を気にしているようだったな。確かにラヴァンカー商会は安いとは言えない店だが、あの程度の買い物は王候貴族ならばためらうものではない。国は違えど、クラウディスでもそうだろう?」
王侯貴族が金を湯水のように使うのは、自身の見栄や経済力を誇示する以外にも経済を活性化させて国を富ませるという意味もある。王妃の地位につく以上、派手な浪費も一概に趣味とは言えず必要な行為に数えられていた。だからこそディウルスは疑問を持ったのだろう。
「……はい。おっしゃる通りでございます」
「ならば何故姫はためらう? 姫はドレスが好きではないのか?」
エバの絞り出すような返事に、ディウルスは質問を重ねた。唇を噛み締めるエバに代わり、ウィザーは決死の思いで口を開く。
「姫様は贅沢を……王族らしい暮らしってものを知らないっす。だからつい、萎縮してしまったんじゃないかと」
クラウディスにおいて、アーニャの扱いは驚くほど軽い。本当は自分のような身分の人間が王女付きの騎士に取り立てられる事だってありえなかった。それが通ってしまったのは、ひとえにアーニャが軽んじられているからだ。あんな気味の悪い娘には、平民上がりで十分だと。
剣の腕だけは誰にも負けない自負があるし、主君のためにこの身を盾にする覚悟もある。だが、クラウディスで出世するにあたって身分は大きな障害だった。たとえ力量が認められていても、卑しい血筋の身では騎士の位など与えられない。平民、それも貧民街出身のウィザーが叙勲されたのは、アーニャの希望と国王バルトロイの采配あっての事だった。
「姫様に与えられていた予算なんて、ほんの微々たるものでした。だから姫様にとっては、貴族のお嬢様が着るドレスなんて一着で一月の生活費に匹敵するぐらいなんすよ」
さすがにそれは言い過ぎかもしれない。だが、少なくともウィザーの目にはアーニャがそう思っているように見えていた。
ウィザーの言葉は、クラウディスの国力では王女一人ふさわしい装いをさせる事もできないと取られても仕方のないものだ。それは祖国を貶める発言ではあったが、主君を思えば黙っている事などできるはずもない。案の定エバは目を丸くしているが、ウィザーを止めようとはしない。きっと彼女も限界だったのだろう。
嫁ぎ先でアーニャの祖国での様子を打ち明ければ、体のいい厄介払いをされたのだと気づいてディウルスは怒るかもしれない。だが、もうそれでも構わなかった。たとえクラウディスがアライベルの機嫌を損ねる事になろうと、今まで散々アーニャを冷遇していたクラウディスの人間が悪いのだから。もしもアーニャまでディウルスの怒りをぶつけられる事になるのなら、その時はアーニャを連れてこの国から逃げるだけだ。
「クラウディスは長い間、姫様を王女として扱いませんでした。姫様はずっとお一人で、薄暗い牢屋みたいなところで生活していて――」
あの空間は一応普通の部屋の体裁をなしていたが、実質アーニャを隔離するための牢だったのだとウィザーは今も思っている。
部屋の前にはウィザーよりも腕の立つ騎士達が常に張りついていた。あそこは危険な呪いを内に秘めたアーニャを外界から切り離し、孤独にさせる忌まわしい場所だ。会いに来る者はほとんどいなかったし、外出もかなり制限されていた。たまに部屋の外に出れば悪意の混じった視線が突き刺さるから、たとえ制限されていなくてもアーニャは好んで外に出ようとはしなかっただろうが。
ウィザーの知る限り、アーニャに王族らしいものが与えられた事はなかった。食事も服も、教育も。王の娘として生まれていながら、町娘とそう変わらない……否。それよりもっと下、ともすれば奴隷のようにも見えるような環境で彼女は育てられていた。それはきっと、その外見と呪いから表舞台に出せないアーニャに贅沢は不要だと判断されていたからだろう。
それなのに急に王女の務めを果たせとばかりに政略結婚させられるなど、なんて都合のいい話だろうか。いくらそれで呪いが無効化できるとは言っても、その横暴さには辟易する。それでもアーニャは健気にその務めを果たそうとしていて、それがウィザーの胸を強く絞めつけていた。
「それは……ううむ」
一通り話し終えると、ディウルスは渋い顔で唸り声を上げた。アーニャの価値がクラウディスにおいてどれだけ低いか知ったとき、彼はどうするのだろう。同盟締結の証とは、言葉を変えれば人質だ。しかしアーニャの事などクラウディス側が何とも思っていない以上、同盟でアライベルを油断させておいて背後から刺すという卑怯な事をクラウディスがしないとも限らない。アライベル側はそれを危惧する事だろう。
アーニャが他国に嫁ぐ事になった本当の理由は別にあるのだが、一度にそこまで打ち明けていいのかはわからなかった。いずれは伝えなければならないだろうが、アーニャ自身にかかわる事だ。時機を見たほうがいいかもしれない。
「リット。これもルルクの言っていたもののせいか?」
「恐らくは。いやはや、やはり精神操作系は理不尽で悪辣ですね。百歩譲って娘として愛せないのだとしても、せっかくの原石を磨かずに放っておくなど普通では考えられません。アーニャ様なら、クラウディスの強力な外交カードになったでしょうに」
そう言ってリットはくすくすと嗤う。冷たい血色の瞳は嘲るように細められていた。アーニャを物のように考えるその物言いは気に食わないが、確かに言っている事は間違ってはいない。ウィザーも言い返す事はできなかった。
「クラウディスの第四王女、アーニャ様。ええ、お名前とお噂は我々の元にも届いていましたよ? 吟遊詩人達がこぞって賛美する、可憐な姫君だと。けれど何故でしょう。その方は、どれだけ探ったところでそれ以上の情報が出てこない。美貌を讃えられているというのに、肖像画すら出回っていないのです」
「……何が言いたいんすか?」
ウィザーの返事などリットは気にも留めない。いや、最初から他人の言葉など彼は求めていなかったのだろう。まるで舞台の上に立つ役者のように、彼は朗々と喋り続けた。
「人の口に戸は立てられなかったのか、あるいは同盟の餌にするために詩人を使ってアーニャ様の宣伝をさせていたのかはわかりませんが、情報源となるのは旅の吟遊詩人しかいませんでした。いくらなんでも、これはおかしいでしょう。今までクラウディスが意図的にアーニャ様の存在を隠していたとしか思えません。……もしもクラウディスがアーニャ様を王女として大切に扱っていたのなら、もっと効率よくアーニャ様の価値を高められたでしょうに」
「リット、もっと簡潔に伝えてやらんか。茶会が終わるまでに二人を返さねば、アーニャ様が不思議がってしまうじゃろう。そなたのその回りくどい言い回しでは、伝わるころには夜になってしまうぞ」
流れるように言葉が出てくるリットを遮ったのはヴィンダールだった。まだ話し足りないのか、リットは不服そうな顔をしながらも咳払いをした。
「では、率直に申し上げましょう――我々は最初から、アーニャ様がクラウディスにとって使い捨ての駒である可能性を考えていましたよ。そのうえで我々は、陛下との婚約を打診したのです」
「その通りだ。俺はすべてを承知していた。そういうわけだから、お前達が気にする必要はないぞ。姫を国に送り返すとか、花嫁の交換を願うとか、そんな事をする気はないからな」
それはクラウディスが人質で油断させておいて牙をむこうとも叩き潰せるという強国の傲慢さか、あるいはクラウディスからやってきた姫君がどんな人物でどんな密命を背負っていようとも受け入れるという大国の寛容さか。どちらかはわからないが、少なくともクラウディスは許されたのだ。
ウィザーはしばらくぽかんとしてディウルスを見つめていたが、ディウルスはそれ以上何も言わない。代わりに口を開いたのはアッシュだった。
「しかし、疑問点が一つあるな。アーニャ様がそのような扱いを受けていたのならば、他国へ嫁がせる事は想定外だったんじゃないか? 私達がアライベルに対して出した花嫁への条件はたった一つ……“想い人がいない事”だ。他の姫君もその条件に合致していたはずだろう。それなのに何故、クラウディスはアーニャ様を選んだんだ? 仮にそれで得られる利益があったとして、それは王族としての教育を受けていない姫君が他国で粗相をする可能性という不利益を上回れるのか?」
「……それは、自分みたいな下っ端にはわからない事っすから」
「いいえ、ウィザー。この際だから、すべてを打ち明けてしまいましょう」
「!」
ウィザーが覚悟を決めたように、エバも腹をくくったらしい。ウィザーですら告げるのをためらったそれを、エバは苦しげな表情で語り出した。
「姫様は意味なく冷遇されていたわけではございません。すべては姫様に生まれながらにしてかけられていた呪いのせいでございます」
「呪い、か」
ディウルスはちらりとリットを見た。リットは小さく頷く。その反応を確認し、ディウルスは続きを促すようにエバへ視線を移した。
「はい。その呪いが故に姫様は恐れ疎まれ、王族の一人でありながら他の王族とは隔絶された暮らしを余儀なくされておりました。しかしつい最近、国外ならばその呪いは無効化できると判明したのです。そこで姫様の父君であるバルトロイ国王陛下は、姫様を他国へ嫁がせる事をお決めになられました」
「ふぅむ……」
「なにとぞご理解くださいませ、陛下。姫様はアライベルの地を踏んだその時より、その身を蝕む呪いからは解放されております。姫様がアライベルに不幸をもたらす事はございません。ですから、」
「ああ、それ以上は言わなくてもいいぞ」
必死の懇願を続けるエバを、ディウルスは静かに手で制した。そこに嫌悪や怒りの色はない。
「陛下、これで満足いただけましたか? すべて報告の通りでしょう?」
「そうだな。……そうか、呪いが原因で姫はこの国に来たのか」
リットが声をかけると、目を閉じたディウルスは腕を組んでため息を一つつく。数秒の沈黙ののち、彼は目を開けて気まずげに喋り出した。
「だが、お前達は一つ勘違いをしている。まだ姫の呪いは解けていないはずだ」
「なんですって?」
「もともと姫の呪いは他国の人間には意味をなさないものだというから、そんな勘違いが生まれてしまったんだろうな。解呪の手配はしておくが……たとえ呪いを解いたところで、その呪いがもたらしたものは消えないという。そこは覚悟しておいてくれ」
アーニャはその瞳と出自から呪われた娘だと言われて嫌われていたが、アーニャが国の命運を背負っているという事は厳重に秘匿されている。なにせアーニャが死ねばクラウディスも滅ぶのだ。その滅びとやらがどういう形で訪れるのかはわからないが、クラウディスの王族に害意を持つ者に知られるわけにはいかなかった。
その意味ではアーニャは、命の保証だけはされていたのだ。その不気味さからアーニャを冷遇したバルトロイでさえ、アーニャを殺す事だけはよしとしなかった。破滅の呪いについてはウィザーもつい数年前に知った事ではあるが、何があってもアーニャを守るようにと厳命されている。もっとも、アーニャ自身は自分の呪いの事などまったく知らないだろう。アーニャが国へ復讐するために自害してしまえば終わりなのだから。
クラウディスの大きな弱点となってしまったアーニャは、呪いを無効化できるからこそアライベルに嫁ぐ事になったのだ。だが、ディウルスはアライベルに来ただけは解呪できないという。まさか呪いは今も有効なのか。さっと顔色を変えたエバとウィザーを見て、ディウルスは慌てて言葉を重ねた。
「その、なんだ。試すような事をして悪かったな。実は……その、姫にかけられている呪いの事だが、こちらもある程度は把握していたんだ」
「それは……もしや陛下は、姫様をクラウディス侵略の切り札にするおつもりだったのですか?」
「ん?」
「そ、それだけは見逃せないっす! 正直クラウディスがどうなろうと自分の知ったこっちゃないっすけど、姫様には指一本触れさせないっすよ!」
かっとなったウィザーは思わず抜刀した。いや、しようとした。剣の柄に手をかけ、鞘から引き抜こうとした彼は、気づいた時には勢いよく吹き飛ばされていたのだ。鞘には収まるべき剣はないが、それはウィザーの手の中にもなかった。
「ッ!?」
「騎士の剣は騎士の魂だ。いかなる場であろうと、それを取り上げる事はできない。だからこの国では、たとえ王の前であれ帯剣が許可されている。……だが、陛下に仇なすというのならば見過ごせないな」
そう言って微笑んだのは、抜き身の剣を担いだアッシュだった。しかしアッシュは帯剣していない。きっとあれはウィザーの剣だ。それを裏づけるように、柄に施された装飾には見覚えがあった。
執務室は決して広いとは言えないが、アッシュとウィザーの距離はそれなりに開いていた。アッシュは執務机についていたディウルスの背後に控えていたのだ。それなのに今はウィザーが先ほどまでいた場所に立っている。どれほどの反射神経と身体能力があれば、あの一瞬でウィザーの抜刀を阻止してウィザーから剣を取り上げる事ができるのだろうか。
「なんなら今、この場でお前の剣を折ってみせようか? そうすれば、少しは頭も冷えるだろう」
笑顔のまま告げられたそれには明確な殺意が宿っていた。アッシュの言う“剣”は、ウィザーの愛剣だけを指すのではないのだろう。そこに獣じみた狂気を感じ、ウィザーはぞくりと背筋を震わせた。
ウィザーがアーニャを守りたいように、アッシュはディウルスを守りたいはずだ。アッシュが忠誠を捧げているのはあくまでもディウルスなのだから。いっときの激情とはいえそのディウルスに剣を向けようとしたウィザーを、アッシュが許すはずがない。
「アッシュ、新入りいじめもほどほどにせんか。確かにウィザーは浅はかじゃったが……今のは仕方あるまい。そなたも陛下に危険が迫っておるとなれば激昂するじゃろうて。今のそなたがまさにそれじゃ」
「……おっと、それもそうだった。お互い、感情的になるのはいけないな。ウィザー、お前はアーニャ様付きの騎士だろう? お前が陛下に対して粗相をすれば、アーニャ様にも迷惑がかかる事になるぞ。くれぐれもそれを忘れないでくれたまえ」
ヴィンダールにたしなめられ、アッシュはウィザーに剣を返した。ウィザーは小さな声で謝罪する事しかできないが、アッシュの怒りはひとまず収まったらしい。少なくとも表面上はそう見えた。連帯責任だとばかりにエバも謝罪の言葉を口にするが、当のディウルスはまったく気にしていないようだ。
「落ち着いたか? それなら訊くが……何故姫がクラウディスを侵略する切り札になるんだ? お前達は今、姫はクラウディスで冷遇されていたと言っていただろう。こう言ってはなんだが、クラウディスなら平気で姫を切り捨てそうなものだが」
「そ、それが姫様にかけられた呪いですから。……呪いの事は陛下も把握していたのでは?」
「それはそうだが……そんな呪い、あったか?」
エバが震える声で尋ねると、ディウルスは困ったように首をひねる。答えたのはリットだった。
「いいえ。アーニャ様にかけられている呪いは、周囲から理不尽に嫌われる呪い、彼女自身が幸せになれない呪い、そして周囲を不幸にする呪いの三つです。それともう一つ、呪いとは別に何かあるようですが……ええと、これらの呪いをどうクラウディスの侵略に利用すればいいんでしょう」
「なっ!?」
エバはわななきながらリットを見つめる。リットは本当にわかっていないようだが、それはエバとウィザーも同じだった。ウィザーはためらいがちに口を開く。
「あ、あの、姫様の命と引き換えに国を滅ぼすような呪いもかけられてるはずなんすけど……」
「なんだそれは!? 聞いていないぞ!?」
ディウルスはぎょっとして目を剥いた。エバとウィザーは思わず顔を見合わせる。
「姫様がお亡くなりになる時がクラウディスの滅びる時だと、姫様を呪った術者が呪いの言葉を吐いたのです。アライベルに来ても姫様の呪いが解けていないというのなら、貴方がたはこれを利用するおつもりだったのでは?」
「そんなわけがなかろう。……それは呪術師の捨て台詞だと考えるのが妥当じゃな。それほど危険なものがあるのなら、ルルクが気づかぬはずがないじゃろう。奴に見切れぬ魔術などありはせん。奴が何も言わぬのなら、それは存在していない事の証明じゃ」
「だろうな。そもそも、アーニャ様の死と国の滅亡が同時に起きるなら、どれだけ長くても六十年もすればクラウディスは滅んでしまう事になる。あまり現実的とは言えないだろう。……その術者とやらが予言者か何かで、アーニャ様が寿命以外の死因で死ぬ運命にあったというなら話はまた変わってくるが」
ヴィンダールとアッシュの言葉を、エバとウィザーは呆然としながら聞いていた。彼らが何を言っているのか理解できない。アーニャが恐れられる理由の一つである、破滅を呼ぶ魔女の呪いなど最初から存在しなかった?
「じゃ、じゃあ、姫様は今までありもしない呪いのせいで冷遇されていたって事っすか?」
「それとは別種の呪いがかけられていますから、一概にそうとは言えませんがね。……その偽の呪いがあったからこそ今までアーニャ様の命は守られていたと考えれば、そう悪い事ばかりではないでしょうし」
リットはそう言うが、それで納得できるはずもない。そもそもクラウディスでアーニャが疎まれていたのは、アーニャ自身にまったく非のない理由からだ。そのうえひどい誤解をされていたなんて。
「今日はもう帰っていいぞ。解呪の手配はこちらでしておくから心配するな。日程が決まり次第伝えておく。……呪いを理由に姫を不当に扱うような真似はしないから、お前達も安心するがいい」
それだけ言ってディウルスはウィザー達から目をそらした。もう用は済んだとばかりに書類をめくり、リットとそれについての話を始める。ウィザーは困惑しながらおずおずと口を開いた。
「あの……自分を罰しなくていいんすか?」
「何故だ?」
「え……だ、だって自分はさっき、陛下を……」
「アッシュが止めたじゃないか。それに、お前の動きに殺意は感じられなかった。仮にお前が抜刀できたとしても、剣を構えて俺を威圧するだけに留められただろう。実害がないんだ、何を咎める必要がある?」
ディウルスは怪訝そうに首をかしげた。戸惑うウィザーをよそに、ディウルスはあろう事かアッシュに不満を言い始める。
「まあ、あえて言うならアッシュの止め方が過剰すぎた事ぐらいか。アッシュ、ウィザーに殺意がないのはお前もわかっていただろう。お前ならもう少し穏便に止められたんじゃないのか?」
アッシュは意味ありげに笑うだけで何も言わない。ヴィンダールは小さく肩をすくめている。ディウルスの言動には慣れているのだろう。
「で、でも、」
「俺が不問にすると言っているんだから、それでいいだろう? だが、俺以外が相手だったら少し厄介だったかもしれないな。まあ、次からは気をつけろ。血が頭に上ったときに深呼吸する癖でもつけておけ」
「……こういうお方なんですよ、この方は」
そう言ったリットは諦めたように、それでもどこか誇らしげに笑っていた。