晩酌と贈り物
次話から視点がアーニャに戻り、「第八話:深夜の襲撃」の続き(翌朝)からになります。
「ふう、食った食った」
アーニャとの夕食を終え、ぽんぽんと腹を叩きながらディウルスは満足げに呟く。すでにアーニャは部屋に引き上げていた。呆れ顔のアッシュとヴィンダールを伴い、ディウルスも客間に向かう。
侍女達が酒瓶を持ってくるころにはルルクとレキウスもやってきていた。案の定リットは不参加だったが、それを除けばいつもの顔ぶれだ。本音を言えばリットにも参加してもらいたかったのだが、彼が家族を優先させるのは今に始まった事ではない。ディウルスも無理は言わなかった。
「じゃあ、ディウルスの婚約を祝して……かんぱーい!」
「「乾杯!」」
ルルクの明るい音頭に合わせて五つのビールジョッキが高々と持ち上げられる。国王ディウルスは言わずもがな、この場にいるのはアライベルでも屈指の名家の看板を背負う者達だ。特にアッシュとレキウスは、それぞれ五公と呼ばれる名門公爵家の当主だった。しかし今はそんな事は関係なく、彼らは友人達と酒を酌み交わす一人の男に過ぎなかった。
「このまま無事に結婚までこぎつけられるといいんじゃが。逃げられないよう、しかと姫の心を掴んでおくんじゃぞ?」
「はっはっは。強く握りすぎて潰さないようにな?」
ヴィンダールとアッシュが笑いながらディウルスを小突く。ディウルスは不満げに鼻を鳴らした。
「逃げられる心配などないだろう? 政略結婚の意味がわからないほど姫も馬鹿ではないはずだ。クラウディス側も、よほどのない事がない限り破談にしようとは思わないだろう」
「わかってないなぁ。そういう慢心がだめなんだってば。釣った魚には餌をやる、これ基本だから。……それとも君にはこう言ったほうがわかりやすい? お姫様の心をディウルスに……アライベルに繋ぎ止めておけば、それだけクラウディスとの外交がしやすいんだよ」
「ああ、そういう考え方もできるな。だが、繋ぎ止める役は俺でなくてもいいだろう?」
「……え?」
思わぬ切り返しにルルクは首をかしげる。その反応に気をよくしたのか、ディウルスは胸を張った。
「あんな美人の相手が俺では向こうが可哀想だ。そもそも、俺では姫の気を引く事もできないだろう。だが、この国の恋人ができれば姫もクラウディスに帰ろうとはしないはずだ」
「……王妃が王以外の男の子供を妊娠すれば、色々と厄介なのじゃが……そこのところは理解しておるか?」
「心配するな、ヴィンダール。その時は契約魔術でも何でも使って、王家の血が流れない者の王位乗っ取りができないようにすればいいだけの話だ。王位はシェニラの子に、」
「はぁ?」
怒りをあらわにして顔を歪めたルルクがジョッキを荒々しく置く。そのままルルクは射殺すような視線をディウルスに向けた。
「あのさぁ……君はシェニラを何だと思ってるの? 王の血を絶やさない事も国王の務めだって事、理解してる?」
「そ、それは、」
「それなのに、よりにもよってお姫様に男漁りしろだって? 本気で言ってるなら正気を疑うよ? お姫様の外聞、悪くしてどうするの? まさかそれ、本人に言ってないよね?」
「俺が認めているんだから、」
「第一、その契約魔術は一体誰がかけるの? その魔術師はもれなく王位継承争いに巻き込まれるよ? 大抵の魔術は術者が死ねば効力を失うけど、陣式の魔術なら術者が死んでも魔術の引き継ぎと更新ができるからね? その契約が無事果たされるまでに、一体何人の魔法陣派魔術師を殺すつもりだい?」
「ぐぅ……」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉の数々にはさすがのディウルスも委縮するほかない。ジョッキの中身を一息で呷ったレキウスは、呆れたように深い息を吐いた。
「そもそも、貴公のそれは自己満足の誠実さなのである。たとえ政略上のものであれ、一度妻に迎えると決めたのならば姫君を愛するべきなのではないか?」
「俺はよくても、姫のほうはそうもいかないだろう。好いてもいない者からの愛など、受け取っても迷惑なだけだ」
「おいおい、聞いていなかったのかい? 私は言ったはずだぞ。私達の王はお前なんだから、姫にもそれを納得させろ……お前を理解してもらったうえで、姫を惚れさせてみせろってな」
「なっ……! あ、あれはそういう意味だったのか!?」
「わかってないで返事をしたのかこの馬鹿は……」
空になったレキウスのジョッキにビールを注ぎながら、アッシュはため息交じりにそう呟く。集中砲火を浴びて肩身が狭くなったディウルスは、居心地悪そうに身をよじりながらつまみのヴルストに手を伸ばした。
「……わかった、努力はしよう。その努力がいつ実を結ぶかはわからんがな」
溢れる肉汁を味わいながら、ディウルスは低く唸る。
婚約者とはいえ、言ってしまえばアーニャは今日会ったばかりの他人だ。ディウルスは単純な男だが、いくら美人だからといって初対面の相手にいきなり恋情を抱けるほどに運命を信じているわけでも見た目に惹かれやすいわけでもない。アーニャに惚れるにしろ惚れさせるにしろ、まずは彼女の事をもっと深く知らなければならなかった。
「本当にこんな調子で大丈夫なのかのう……。まさかとは思うが、顔合わせの時に余計な事を言っておらんじゃろうな?」
「それについては心配するな。大成功だったぞ」
「……ほう。それならいいんじゃが」
ヴィンダールに疑わしげな眼差しを向けられながらもディウルスは胸を張った。だが、あれが大成功だと思えるのは彼だけだろう。しかし主君にそう言われては信じるしかない―というより信じたい―ヴィンダール達は、それ以上追及する事をしなかった。
*
「それにしても、ついにディウルスが結婚か。残る独身はヴィンとルルクだけだな?」
夜が更けるごとに酒も進み、酔いが回ってきたようだ。頬をうっすらと赤く染めたアッシュがにやりと笑った。話題の中心になったヴィンダールとルルクは苦笑しながらジョッキを呷る。しかしルルクのジョッキはすでに空だったらしく、彼はジョッキの底に残った数滴のビールを残念そうに見つめた。
「結婚ね。今はちょっと考えられないかなぁ」
「儂も相手がおらんし、何より兄上が結婚しておるからな。急ぐ必要はあるまい。リアレアを嫁がせるのに全力を使ってしまったからかのう、当分見合いをする側になる気はせんのじゃ」
「……その節は大変世話になったのである、義兄殿」
「まったくじゃ。あの頑固娘をその気にさせるのに、儂と兄上がどれだけ苦労した事か……。もうあんな事をする気にはなれんわい」
ヴィンダールは深いため息をつく。アッシュ、リット、レキウス、そしてディウルス。幼少期をともに過ごしてきた親友達はいつの間にやら家庭を持っていた。レキウスの妻は自分の妹だし、アッシュとリットに至ってはすでに子供までいる。ディウルスはまだ婚約の段階だが、このまま無事半年経てば式を挙げるだろう。気ままで寂しい独身貴族はもう自分とルルクしかいなかった。とはいえ、結婚したいという気は一切湧いてこない。
「次男のヴィンはそれでいいかもしれんが……ルルクはそうもいかないだろう? お前はストレディス家の次期当主じゃないか」
「まあね。父さんみたいになったらたまらないって、そのうち祖父様が適当な縁談をまとめてくると思うよ? それまでゆっくり遊んでおくつもりさ」
「ははっ。ルルク、お前もディウルスの事が言えないくらいには不誠実だな」
「しょうがないじゃないか。どうせ僕とつがいになれる子なんていないんだ。誰と結婚したって一緒だろう? だって僕は、誰だって平等に愛せるんだからさ」
自嘲気味に笑い、ルルクは天井を仰いだ。レキウスは持参していたワインボトルのコルクを抜き、グラスに注いですっとルルクに差し出す。
「何を言う。貴公にはロゼル嬢がいるであろう?」
「無理無理。確かにロゼルならつがいになれるけど、あの子は他に好きな……って、何言わせるんだよ。僕らはそういう関係じゃないから。ロゼルとはただの腐れ縁」
ルルクは盛大に顔をしかめてそれを受け取った。そのまま彼はワイングラスを揺らすように回しながら、じとっとした目をディウルスに向ける。
「今日の主役はディウルスじゃないか。僕らの事はどうでもいいから、ディウルスに関係する話をしようよ」
「そうじゃそうじゃ。のうそなたら、ディウルスの婚約祝いに何を贈るつもりじゃ? 家からの祝いの品とは別に、個人でも用意する気なんじゃろう?」
「おい、それは俺の前で話すようなものなのか?」
戸惑うディウルスをよそに、四人はわいのわいのと話し始める。リットの妻エリザレーテとアッシュの妻スティファーシアはディウルスにとっても幼馴染みであるため、この場にはいない彼女達も夫婦連名の贈り物をするとして名前が挙がった。
「リットとエリザはバウムクーヘンを贈ると言っていたな。私達はゼクトを贈るつもりだったんだが、姫は酒が飲めないらしい。帰ってからまたスティと考えるさ」
「吾輩達はティーセットを贈る予定なのである。ちょうど少し前にディウルスはカップを割ってしまったからな。この機会に姫と揃いのものを持つといいのである」
「僕も実用品にしようかな。ディウルスには何か面白い魔術具でも作って、お姫様には夜心香をあげるよ。あれならちょうど材料のストックがまだあったはずだし、明日には渡せるからね。器は何がいいと思う?」
「そうじゃな……姫にお渡しするのじゃから、花や動物といった可愛らしいものがいいのう。薔薇……は少し派手すぎるか? 姫の清楚な雰囲気に合わせるなら、白百合がいいかもしれん」
「いいね。じゃあ僕からはそれって事で」
「儂は……何がいいかのう。珍しい動物でもやろうか?」
「なあ、ディウルスに渡せば姫にも届くと思うかい?」
「姫に渡すぶんは姫付きの侍女に預けたほうが正確なのではないか? 姫のぶんまでディウルスに預けていたら、うっかり渡しそびれるという事があるかもしれないのである」
「僕は直接お姫様に渡したいな。人間への贈り物は手渡しだって相場が決まってるからね。ま、ただの古いならわしなんだけどさ」
当事者であるディウルスの頭越しに話がまとまっていく。微妙に話に加われない疎外感を味わいながら、ディウルスはちびちびとビールを飲んでいた。