王の主張
「それは、どういった意味でしょうか?」
「言葉通りの意味に決まっている。愚かな王の横に座る、お飾りの王妃。それこそがお前に求める役割だ」
国王夫妻とはすなわち国の象徴だ。王の対になる王妃、お前にはそうなってほしい。
自分の力ではなく周りのおかげで国を治めているにすぎない俺の妃になるのだから、お前自身に大した権力は与えてやれないだろう。そういった意味でもお前はお飾りだと言えるかもしれない。
「黙って笑え。それ以外は望まない」
お前には王妃という概念であり象徴である役を担ってほしい。その代わりそれ以上の責任は求めないし、無理も言わない。面倒事も厄介事も押しつけない。
お前はただ、何も知らないかのようににこにこと笑ってくれればそれでいい。たとえどんな苦しい状況であれ、国家の象徴たる王妃が気丈に笑っていれば民は安心するのだから。
「お前のような女を俺の妻にするのは心苦しいが、これも国のためだ。お前も祖国のために承諾してくれ」
「……」
お前のような(美しい)女を俺の(ように醜い男の)妻にするのは心苦しい(し、俺だって申し訳なく思っている)が、これも国のためだ。(俺のような男が未来の夫ではさぞ不服だろうが)お前も祖国のために承諾してくれ――――肝心なところをしっかり口で言わないから、ディウルスは側近達に心配されていた。そして彼らの心配は、見事に的中してしまった。
「誤解のないように言っておくが、俺はもともとお前を娶る気などなかった。俺とお前が結婚する事になったのはあくまでも国の都合だ。この結婚について文句を言うのは自由だが、俺にはどうする事もできん。不服なのは俺も同じだからな」
お前は俺みたいな男が現れて不満だろうが、俺だってどうしたらいいかわからない。両国の同盟のため、国王の義務としてお前に求婚したんだ。それまで俺はお前の事など知らなかったし、当然大国の武力をちらつかせて無理やりお前をものにしようとか、そんな事は一切考えていなかった。これはそう、いわば事故なんだ……そんな言い訳を重ねるディウルスだが、その真意がアーニャに届くはずもない。
「俺は王の器を持たざる者だ。王族に生まれてきてしまったのは何かの間違いだと思えるほどに、生来の不作法者でな。取り柄といえば、剣の腕とこの身体ぐらいしかない」
アーニャは拳を握りしめて黙り込んでいる。中々緊張がほぐれないようだ。ここはひとつ、何か明るい冗談でも言って場を和ませておくべきだろうか。
「いっそ一国の王ではなく、山賊の首領のほうがふさわしいくらいだと思わないか?」
驚いただろう、婚約者がこんな野獣のような男で。はっはっは。……それはディウルスなりの冗談だったのだが、残念な事に表情がやや暗いためあまり冗談には聞こえなかった。もともと内容が自虐的な事も相まって、かなり真剣な告白になってしまっている。
アーニャがぴくりとも笑わず、それどころか彼女の眼差しがとても真剣な事に気づいたディウルスはやっとそれに思い当たった。しかし今さら冗談ですなどとも言えず、結局何も言わないまま本来言おうと思っていた事を一息に言う事にする。
「王の名を継ぐ者としての教育は無論受けたが、それでもこの性根を矯正するには至らなかった。今ではもう、誰も彼もが諦めている。ディウルス・ヴァン・アライベル・レッケンベーアは賢王になれないと。そしてそれは俺自身が最も理解している事だ。……リットか、アッシュか、あるいはレキウスか。同世代だけでも人の上に立つ事に長けているのがこれだけいるのだから、俺よりよほど為政者に向いている人材はこの国に掃いて捨てるほどいる。今も俺が王を名乗れているのは、ひとえに臣下達が優秀だからだ。連中がいなければ俺はすぐにこの国を滅ぼしていた自信がある」
母妃が暗殺者の凶刃に倒れ、誰も信じられなくなった時。父王が逝去し、右も左もわからなかった時。友人達はいつだって傍にいてくれた。彼らは友として、臣下として、常にディウルスを支えてくれた。
彼らがいたからこそディウルスは祖国に勝利をもたらし王となり、戦争が起きる前よりも国を栄えさせる事ができたのだ。彼らに報いるためにも、自分は常に正しい王であり続けなければならない。
「残念な事に、この国には俺のほかに正当な王冠を戴ける者がいない。……いや、いるにはいるが、俺は曲がりなりにも王族の男児であり、元第一王子であり、王太子だった者だ。この命がある限りあれに位を譲る事はできないし、そもそもあれは王位を望んでいない。よって王の座には、俺が座り続けなければならないのだ。だから俺は、自分にできる限りの事をしようと思う」
それは父王が戦場で倒れた時に初めてディウルスが自覚した事であり、父王の墓標で固く誓った事だった。
もう一人の王位継承権を持つ者である異母妹シェニラに権力への欲はないし、政治に興味もない。王族の一人として、彼女のぶんまで務めを果たす事。それがアライベル王国レッケンベーア朝を継ぐ者の義務であり責任だ。
「愚王にも愚王の意地がある。矜持がある。たとえ愚かで粗暴であっても、王である事に変わりはないのだから。……だから俺は、お前を未来の王妃として受け入れよう。それが王の責任だ」
ディウルスは笑い、身を乗り出す。しばらく同席していた事で慣れたのか、アーニャが身体をこわばらせるような事はなかった。
「アーニャ・クラウディス。お前には悪いが、俺はどうしようもない粗忽者だ。浮いた台詞も、気の利いた贈り物も、俺には期待しないでもらいたい」
「……それは、わたしも同じですから。どうすれば殿方が喜んでくださるのか、わたしには見当もつきません」
(なんだ、意外に話のわかる娘じゃないか)
アーニャの微笑みを見て、ディウルスは我が意を得たりとばかりににやりと笑う。こちらの調子に乗って合わせてくれるのなら話は早い。
「恐らく俺も、お前という人間が喜ぶであろう事を何もしてやれないだろう。それどころかお前をきちんと愛せる自信もない。だからお前も、俺という人間のために何かする必要はないし、俺を愛する必要もない。しかし俺は国王として王妃に尽くそう。その代わり、お前は王妃として国王に尽くしてほしい。……王妃の責務を、まっとうしてほしい。俺達がそうしていれば、それがやがて国のためになるからな」
アライベルの王とクラウディスから嫁いできた王妃が互いを尊重し合うなら、両国の関係は友好的な雰囲気を保てる。アライベルの王妃が常に笑ってくれるなら、アライベルの民は自国の平和と繁栄を信じられる。
国家全体を導くものとして必要なのは、一人の人間としての感情ではなく王と王妃という記号だけだ。記号で表される表面さえ取り繕う事ができれば、たとえディウルスとアーニャという個人がどれほど冷めきった関係であってもそこに意味など宿らない。そうである以上、無理にアーニャの心を縛る必要などないのだ。
「それが……笑う事、なのですか?」
「そうだ。笑ってくれさえいれば、俺は何も言わない。愛人を囲いたいなら囲え。ここには俺と違って見目麗しい男が大勢いる。お前が気に入るような男もきっと見つかるだろう。宮廷内の風紀さえ乱さなければ……恋人がいる男や既婚者に手を出すとか、頻繁に相手を乗り換えるとか、一度に多くの者を囲うとか。そういった事さえしなければ、俺が咎める理由もない」
もしもアーニャに好いた男がいたのなら。それはアーニャの密かな恋心を引き裂いてしまった事に対する、ディウルスなりの謝罪の気持ちだ。祖国に残してきた愛しい男の代わりなど見つからないかもしれないが、この国で新たな出逢いがあればいい。
あるいは想い人などいなくても、好みのタイプぐらいあるだろう。それに合致する男を見つけてくれるなら、少しはディウルスも肩の荷が下りるというものだ。外交という人間個人の意思を無視した国同士の都合など、こんな華奢で儚い娘に背負わせるには重すぎる。
「金も、お前のための予算の範囲内であれば好きに使ってくれて構わない。そのための予算だからな。それでお前が王妃の宝冠を戴いてくれるのならば安いものだ」
ここまで譲歩すれば、どれだけディウルスの事が嫌いでも今回の縁談を受け入れてくれるだろう。
そのために、国内の財政を管理する財務卿のレキウスが懸命に予算を調整してくれた。もともと王妃の予算はディウルスが即位した時から計算されていたので捻出はたやすかったようだが、「小娘が一人浪費したところで国が傾くほどやわな管理はしていないのである」との頼もしい言葉ももらっている。
心でアーニャを動かす事ができなくても、金で動かせるならそれでいい。資源の豊富なクラウディス王国との繋がりが得られるのなら、多少の出費もすぐに補填できるのだから。
「くどいようだが、半年後にお前が王妃にさえなってくれれば俺は文句を言わない。俺が王でお前が妃である限り、両国の同盟は成立するのだから。俺達の関係など、それで十分だろう?」
「……お話はわかりました。謹んで、お受けしたいと思います」
そう言ってアーニャは笑う。その笑顔はとても“綺麗”で。その綺麗さに騙されたディウルスは、それが仮面だとは気づかなかった。
「助かった。礼を言うぞ。……そうだ。十九時から夕食の予定だが、問題ないな? 一応、すでにリアレア達も承知している事だが」
「え? 招待していただけるのですか?」
「は?」
招待も何も、婚約者が食事に同席するのはおかしな事ではないだろう。朝と昼は政務があるため一緒に食事をする事はできないが、夜ぐらいならほとんど毎日時間が取れるはずだ。アーニャが自分と一緒にいる時間を少しでも減らしたいと思うのなら仕方ないが、一応婚約者ではあるわけだし少しぐらいは我慢してほしい。
「なっ……なんでもございません! ぜひ、同席させていただきたく存じます!」
「お、おう」
とりあえず異論はないようなので、今晩の食事は一緒に取る事になった。
夕食の後にはアッシュ達と晩酌の約束をしている。親バカのリットは病み上がりの息子の事が心配だからと欠席しそうな気がするが、他の連中は来るだろう。
アッシュとレキウスも既婚者ではあるが、彼らの妻はどちらも宮殿勤めで帰りが遅いうえに酔いつぶれた夫を家に連れ帰ってくれるという酒飲みに理解がある女達なのだ。既婚組の晩酌への参加は独身時代のそれと比べて自粛している事もあり、どちらの妻ももたまの飲み会は大目に見てくれていた。
晩酌の時に、アーニャとの顔合わせはうまくいったと報告しなければ。そら見た事か、お前達が余計な気を回さなくても俺だってやるときはやるんだぞ。……それが勘違いである事に、ディウルスはまったく気づかなかった。
「何かわからない事があればリアレアに聞け。リアレアはお前の教育係でもあるから、遠慮せずに尋ねればいい。……間違ってもアリカやミリリには聞くな。あの二人は悪い連中ではないが、いささか極端すぎるからな。リアレアのほうが、お前に合った答えをくれるだろう」
「わかりました。そうさせていただきます」
ミリリとアリカの頭脳はいささか筋肉に偏りすぎている。二人に何かを尋ねたところで、アーニャのような華奢で非力な娘にはとてもできないような解決法が飛び出す可能性が高い。
そんな事を聞かされたらアーニャも引いてしまうだろうし、そうなるくらいならリアレアに任せたほうが安全だろう。自分の事は棚に上げ、ディウルスはうんうん頷いた。
「そうだ、忘れていた。最後に一つだけいいか?」
「どうかなさいましたか?」
「お前の目の色の事だが、実にうらやましいな。俺はこの通り髪も目も赤だから、見ていても面白くないだろう。その点、お前は髪色と目色、全部で三色楽しめる。一人でこれだけ楽しめるなんて得じゃないか」
「えっ」
「それに、見つけやすい。この国では珍しい部類に入る銀髪はもちろん、お前の金の瞳は遠目からでもはっきり判別がつきそうだ」
「……あの、陛下?」
「ああ、すまん。別にお前の背が小さいというわけではないぞ? ただ、これからお前は王妃として公式の場に顔を出す事が多くなるからな。人ごみに紛れても、すぐに見つかるほうが安心だ。……自慢じゃないが、俺は人の顔と名前を覚えるのが苦手でな。だが、お前ほど特徴的な色なら、すぐにお前だとわかる」
アーニャが目の事を気にしているかもしれない、というのは事前にリットから聞かされていた話だ。それについても心配しないようにときちんと伝えておいてください、と言われていたのをすっかり忘れていたが、なんとか思い出す事ができた。さすがにこれは言わなければまずいだろう。
「とはいえ、これはすべて俺が……他人が得られる利点だ。お前がその目を気にしているのなら隠しても構わん。しかしこれだけは言っておこう。この国にはもっと変な奴らがいるぞ? ここは外見から中身まで、奇人変人の宝庫だからな」
「!?」
「そのぶん目の色ごときでとやかく言うような狭量な輩はいないだろうから、その点は安心してくれ。むしろお前があの個性の強い連中を受け入れてくれるかどうか」
人ならざる者達、性格に難がある者達、外見と中身のギャップが激しい者達。それこそアーニャの目の色の事など霞むぐらいにアライベル側の不安要素は多い。
見た目が一般人と異なる者だけでも、背中に羽の生えた女や鳥類と爬虫類の特徴を持つ姉弟がいるのだ。彼らが日常の風景として受け入れられているアライベルにおいて、少なくともディウルスの知る限りではアーニャが嫌悪される理由などなかったし、ディウルスがアーニャを忌避する理由もない。むしろその逆のほうが心配だった。もちろん口うるさい輩はどこにでもいるし、そんな連中による心ない差別に悩んだ者がいないわけではないが、そういった手合いはディウルスが睨めばどうとでもなる。
「あいつらも悪い奴らではないんだ。ただ少し……そう、少し我が強すぎるだけでな。仮にあいつらのせいで不快な思いをする事があれば、遠慮なく言ってくれ」
「え……あ、そ、その点は大丈夫だと思います、はい」
「そうか、それならよかった」
他人に言うように言われていたものではあるが、伝えた言葉はすべてディウルスの本心だった。目の色が左右で違うくらいでひるんでいたら一国の王など務まらないだろう、それが彼の意見だからだ。
言いたい事はすべて言った。満足げに目を細め、ディウルスは去っていくアーニャを見送った。そんな彼の態度にアーニャがある種の憧憬を抱いていた事など、やはりディウルスは気づいていなかったのである。