アーニャの呪い
「そうだ。これは魔術とは関係ないけど、もう一つ気になる事があったよ」
「なんですか?」
「お姫様の嫁入り道具、ちょっと質素すぎ。ドレスにしたって、着古したものか粗悪品の新品しかなかったし。さっき会った時に着ていたものはまだましみたいだったけど、あれは姉姫様がたのお古だったのかもね。装飾品も、安物ばっかりだったなぁ」
そう言って、ルルクはうんざりとしたため息をつく。リットは冗談交じりに呟いた。
「出費が増えそうですね。レキウスさんの胃が心配です」
「まあまあ。どうせ予算なんてたっぷりあるし、女の子が着飾るのはいい事だと思うよ。というわけで、ラヴァンカー商会を呼ぶようリアレアに打診しておいたほうがいいと思う」
ルルクが名前を出したのは、アライベルで最も大きな商会の一つだった。そこではおもに貿易品や服飾品を取り扱っていて、多くの上級貴族はもちろん王室も利用している。王妃のための品を仕立てるのに、ラヴァンカー商会ほどふさわしい店もないだろう。
「リアレアさん達は帰国後すぐにアーニャ姫とともに陛下のもとに行く手はずになっていますから、父上に報告を済ませたあとならば、彼女達に連絡する時間が取れそうですね。陛下が自らアーニャ姫へ贈り物をしてくださるのが一番よいのですが……なるべく我々も気を配っておくべきでしょう」
「お姫様本人にも気をつけてあげたほうがいいと思うけどね。あのお姫様、ちょっと細すぎるよ。手足も小枝みたいだったし、全体的に肉付きが悪い。華奢って言えば聞こえはいいけど、ディウルスが近寄っただけでも壊れそうだ」
「それは私も気になっていました。見苦しくない……骨が浮かび上がらない程度に肉がついているだけで、まったく健康そうではありません。頬の赤みも化粧のようでしたし」
痩せている事にも何か理由があるのだろうな、とリットは思う。虐待、と形容するに足りるだけの理由が。
「……では、どうでしたか? 実際に、彼女を見て」
「人間の怖さに触れちゃった感じ。多分、彼女は生まれつき……いや、生まれる前から呪われてるよ。利害を鑑みない、度を越した嫌がらせの数々はそのせいだ。もちろん今まで繰り返されてきた虐待もね」
ルルクを連れてきた、もう一つの理由。それはアーニャが疎まれる理由を突き止める事だった。そして彼はその成果を苦々しい表情で伝えてくれる。
「どうしてそうなったのか、精霊達からは話を聞けなかった。ただの人間が彼らの声を聞き取れないように、ただの精霊も人間の声を聞き取れないからね。この城にいるのは下級の精霊ばっかりで、僕と意思疎通するだけでも精いっぱいだったよ」
「ええ。ミリリさんもそうおっしゃっていましたね」
初めてリットがこの国に来たのは、ディウルスとアーニャの婚約を成立させるためだった。
その時に護衛として連れてきたのが近衛騎士のミリリだったのだが、彼女は精霊の声を聞いたらしい。「理由は正確にはわからないが、第四王女は嫌われているように思える。ほかの人間はよく彼女に敵意を向けているし、ほかの人間がされないような事もされている。彼女はほかの人間とは目の色が違うから、もしかしたらそれが理由かもしれない」と。
ミリリのその報告は、ディウルスに近しい者や今後アーニャにかかわる者には伝わっている。ヴィンダールが嫁入り道具の検閲を提案したのも、実のところその影響があった。
精霊は人間とは根本的な考え方が違うが、人間の『普通』と人間の『異常』は判断できるらしい。人間達のアーニャに対する様子と、それ以外の者に対する様子の違いを見てそう思ったのだろう。そしてその精霊達の証言は、今回の訪問で明らかなものになった。やはりアーニャ・クラウディスは冷遇されていたのだ。そしてそれ以上に、ルルクは恐ろしい何かに辿り着いたに違いない。
「だから、どうしてお姫様が……お姫様の両親がそこまで恨みを買ったのかまではわからない。どうしても知りたいなら、お姫様から聞くしかないかもね。クラウディスの人間が素直に教えてくれるとは思えないし。同行する二人の従者だったら、可能性はあるかもしれないけど……」
「……いえ、無理に聞き出すのはよしましょう。彼女が自発的に話してくれるなら構いませんが。仮に聞き出すとしても、なるべくアーニャ姫に気取られないようにすべきでしょうね」
アーニャにとっては話しづらい事かもしれない。わざわざ傷をえぐる事もないだろう。それ以前に、親世代の確執という事でアーニャは何も知らないかもしれないが。
「ところで、かけられていた呪いとはどのようなものだったのですか?」
「呪いは全部で三つ。クラウディス人じゃないか、反魔素が多ければどれも無効化できるみたいだけど、呪法自体は結構高度なものだった。……あんな呪法を扱える人なんて、うちの祖父様ぐらいしか知らないよ」
眼鏡を押し上げ、ルルクは最後の部分だけやや不機嫌そうに呟いた。
彼の祖父、現ストレディス侯爵は優れた魔術師であり彼の師でもある。祖父と肩を並べられるほどの呪法を扱える術者に対して、何か思うところがあるのだろう。
「一つ目は、周囲から理不尽に嫌われる呪いだね。……確か、お姫様の輿入れには馴染みの従者が二人ついてくるんだよね? もしかしたらその二人は外国人か、生まれつき反魔素が多くて呪いが効かなかったのかも。だからついてこられるんじゃないかな」
反魔素というのは、魔術に対する耐性のようなものだ。魔力の源である魔素と同じく人間なら誰しも持ち合わせているものだが、ほとんどの人間の場合はごく微小の反魔素しか分泌できないので大した意味を持たない。しかし、中には反魔素を多く保有している者もいる。
そういった手合いは退魔師と呼ばれ、魔術師にはとことん嫌われていた。魔素を多く保有して魔力を行使する存在である魔術師にとって、魔術が効きにくいどころか打ち消してしまう退魔師は天敵にも等しいのだ。魔術師と違って退魔師はその自覚がない者が大半なのだが。
「二つ目は彼女自身が幸せになれない呪い。それから、三つ目は周囲を不幸にする呪い。この場合の『周囲』は『家族』とか『側近』とかの事だから、距離にかかわらず害が及ぶものだよ。……三つ目の呪いがかかっている事を知られてたら、一つ目の呪いがなくても嫌われただろうけど」
「バルトロイ王か、あるいはアーニャ姫の母君か、はたまたお二人ともかは存じませんが……ずいぶんと恨みを買ったようですね」
「唯一いい事といえば、呪いがかけ直される心配はない事かな。術者はもう死んでるみたいだからね」
そう言いつつも、ルルクは浮かない表情のままだ。いぶかしむリットに、ルルクは忌々しげに口を開く。
「……人にかけた魔術を死後も維持するのって結構大変なんだ。敵に回しちゃいけない人種っていうのはどこにだっているものだけど、まさにこの呪術師がその手の人間なんじゃないかな。……正直、驚いたよ。まさかクラウディス王国に、これほどの術者がいるとは思わなかった」
ルルクが素直に他人の力量を認める事などめったにない。それほどの相手だという事だろう。呪術師というのは呪法魔術を専門に扱う魔術師の総称だが、ルルクの態度だけでもその呪術師の腕前がどれだけ優れているのかが伝わってくる。
「解呪のほうはいかがでしょう?」
「悪いけど、僕にはできない。手荒になっていいならやってもいいけどさ、相手が人となると……ちょっと、ねえ?」
天才魔術師を公言してはばからないルルクも、今回ばかりは普段の勢いを見せられなかった。
魔術や魔術具を不発にする事は簡単だし、相殺する事もたやすい。だが、呪法となると話は別だ。呪法はあらゆる意味でほかの魔術とは一線を画している禁術。うかつに手を出す事はできない。
人間にかけられた呪法と道具にかけられた呪法では、正しい対処法が異なってしまう。道具にかけられた呪いを無効化する事はできても、呪いのかけられた人間を救う事はルルクにはできないのだ。仮にやるとしたら、道具を解呪する時と同じ要領でやる事になるが――――
(あれ、外法の領域だし……やっちゃうと、お姫様が僕の傀儡になっちゃうんだよなぁ。未来の王妃様を意のままに操れる事がばれたら、反逆罪とかに問われても言い返せないし。絶対やりたくない)
ルルクだって命は惜しいし家は潰したくないし、なによりディウルスに対して叛意の気持ちは欠片もない。危ない橋を渡る気はさらさらなかった。ここは出しゃばらず、できる者に任せたほうがいいだろう。
「でも大丈夫、教会の連中ならお手の物だから。念には念を入れて、セレスあたりに頼めばいいと思うよ。……あと一つ、僕の『目』でもよく解析らないものがあったけど、セレスならそっちにも対応できると思う。多分魔の物……呪術師が魔の物化したものだと思うし」
「そうですか。それでは、ここは万全を期してセレスティアさんにお願いしておきましょう。何かの間違いがあっては遅いですから」
教会の頂点、大聖女、アライベルの守護天使。そんな肩書を持つあの女の事は大嫌いだが、利用できるものは利用するべきだ。天敵の高笑いが脳裏に響くが、未来の王妃のために耐えなければ……と、リットは目を強くつぶって忌々しい女の姿をかき消す。
「結局、アーニャ姫の目の色が左右で異なるのはその呪いの影響なんですか?」
「そうみたいだね。だけど、解呪しても色は元に戻らないと思うよ。『そういうもの』だから。ついでに言うと、呪いを解いたところでクラウディス人のお姫様に対する嫌悪感は消えないんじゃないかな。もとはといえば呪いのせいとはいえ、十七年間嫌ってきた子をいきなり好きにはなれないよ。人間はそこまで単純な生き物じゃないからね」
ルルクはそっと目を伏せる。アーニャが産まれた直後に何らかの手を施しておけば、瞳の色も彼女に対する嫌悪感も定着せずに済んだだろう。だが、時はすでに遅い。クラウディス王国の人間は呪法魔術に対する適切な知識を持たず、そのせいでアーニャは呪いに蝕まれていったのだ。いくら呪いを解いたとしても、呪われた証はもう消せない。
馬鹿な話だと思う。本当は周りの大人のせいなのに、何も知らずに生まれてきた子供を邪険に扱うなど。呪法魔術は一般には知名度が低く適性者も少ない魔術とはいえ、対処法さえ誤らなければ恐れるに足りるものではないというのに。これだから三流魔術師しかいない国は嫌なのだ。
「……怨念って言うのかな。魔力からそういうのがひしひし伝わってきた。多分、彼女の両親を恨んでるのは呪術師本人だ。右目か左目かは知らないけど、どっちかが呪術師の瞳の色なのかもしれないね」
元凶となった呪術師は、他人を激しく憎みながらその生に幕を閉じた。アーニャにまとわりつく黒く淀んだ魔力はその証だ。今もなお強く残るその感情は見ていて気分が悪くなるほどで、目が合ったときは思わず視線を外してしまおうかと思ったほどだった。実際はその時にアーニャにかけられた魔術を解析していたため、目を背けたくても背けられなかったのだが。
しかし、その呪術師が力の使い方を誤ったとは思わない。そうまでする理由があったのだろう。それについて共感はするが、無関係のアーニャを巻き込んだ事に対する理解は示したくもなかった。