縁の下の苦労人
――――そしてクラウディスへの訪問当日。クラウディス王バルトロイとの特に楽しくもない会談をきりのいいところで終わらせたリットは、あてがわれた客室でルルクが帰ってくるのを待っていた。
「……お帰りなさい。どうでしたか?」
ノックの音とともにやってきた黒衣の魔術師を迎え入れる。ルルクは笑っていたが、紫の瞳にはわずかな苛立ちが潜んでいる。どうやら何らかの成果を上げてしまったらしい。
本当は何も見つからず、ルルクを連れてきた意味などなかったのだと終わるべきだったのだが。リットは小さく肩を落とした。
「残念ながら、色々出てきちゃったよ。ヴィンダールの悪い予感が的中したみたいだね。……ほんと、あいつの勘は当たらなくていいときばっかり当たるなぁ」
席について紅茶をたしなんでいたリットの向かいに座り、ルルクは小さくため息をつく。リットは彼のぶんの紅茶を用意し、お茶請けのクッキーを勧めた。どれもリットが国から持ってきたものだ。ルルクは礼を言いながらも報告を続けた。
「と言っても、嫌がらせの域を出ないようなくだらないおもちゃばかりだったけどさ。国家としてアライベルに喧嘩を売るっていうよりは、個人がアーニャ姫に対して攻撃したって感じかな? それにしたって上の人間のお目こぼしがあったと思うから、やっぱりアライベルが軽んじられてるのかもしれないけど」
僕らが迎える未来の王妃様はずいぶん嫌われ者らしいね。クッキーに手を伸ばしたルルクがぼやく。それを聞き、リットは思わず眉をひそめた。怒りがふつふつと湧きあがってくる。
「本当に不愉快ですね。まったく、バルトロイ王は何を考えているのやら。可愛い娘を邪険にするなんて、とても考えられませんよ」
我が子を目に入れても痛くないほどに溺愛している友人の機嫌が急速に低下しているのを感じ取り、ルルクは若干顔を引きつらせながらリットから距離を取った。巻き添えはごめんだ。
「あー……えっと、ちなみにこれが証拠品。触ったら即発動する類の魔術は全部不発にしておいたから安心して。つまらない魔術ばっかりだったとはいえ、素人が触ると危険だからね」
見せるのやだなあ、どうかこっちに飛び火しませんように……そう祈りながら、ルルクは床を指さす。
「《空間連結》《接続:五十五番目の物置》《名称:お姫様への贈り物》《解放》」
次の瞬間、床の上に数々の道具が現れた。高位の魔術師であるルルクが、アーニャの嫁入り道具が収まった部屋から盗み出した品々を魔術を使っていずこかにしまい、それを取り出したのだ。
「その場で処分してもよかったけど、お姫様にとって大事なものだったら困るしね。一応確認を取ってからにしようと思って持ってきたよ。……ほら、そのオルゴールとか。いかにも大切にしてるって感じでしょ?」
ルルクが指さした先には時代がかったオルゴールがある。確かに、他の品と比べて年季が入っているようだ。手入れも丁寧にされていたようだし、何か思い入れのある品かもしれない。
「もしも大事なものでしたら、のちほど荷物に紛れ込ませて返却しましょう。不要なものや嫌がらせのために用意されたものでしたら、姫に悟られないようこちらで処分するべきでしょうね。知らせて怯えさせる必要はありませんから」
リットは椅子から降りて床に跪き、押収物の山を見つめる。どれも一見すると特におかしなところはないようだが、ルルクが嫌がらせと断ずるほどの悪意が込められた品だ。警戒しつつ、そのうちの一つであるちょこんと腰かける愛らしい人形へと慎重に手を伸ばした。
「これは? ただの可愛らしい人形のようですが」
「あ、それは触ったら怪我するかもよ? 多分、それが一番悪意込められてるし」
「!?」
腕のいい人形作家が作ったらしい、素晴らしい出来栄えの少女人形。それをリットが手に取る事はかなわなかった。触れる寸前、ルルクが何でもないような調子で恐ろしい事を言ったからだ。
「どういう意味ですか? 先ほど、触れる事で害を及ぼすような物はないとおっしゃったでしょう」
「最初からなかったんじゃなくて、そういう魔術は発動しないようにしたんだってば」
そう言って、ルルクは革製のベルトケースからナイフを取り出してもてあそぶ。一瞬リットの息が詰まるが、そのナイフは魔術具の一種で切れ味などないに等しい。それを思い出し、すぐに緊張は緩んだ。
ルルクのナイフは、魔術具を無効化するために彼が自作した魔術具らしい。ナイフの形をしているのは、魔法陣や呪文を削り取ったり傷を刻みこんだりするためだと。ルルクが自分の魔力を流さなければおもちゃと変わらず、なおかつ魔術的な意味のあるものにしか効き目はないというから、たとえ刃を強く握りしめていても傷つく事はないだろう。
それでも、いくらなまくらとはいえ細身のナイフをペンのようにくるくると回す友人の行動はいつ見ても慣れない。リットはそっと目をそらした。
「それに、もっと物理的なもの……たとえばかみそりなんかは平気で仕掛けてあるし、そういうのは数が多くて対処が面倒だったから何もしてないよ。でも、物理的な外傷だったら手遅れにはならないでしょ」
「……」
変わり者の魔術師ルルク。彼自身の危険の判断基準は少々他者とずれている事を思い出し、リットはこめかみを押さえた。どれほどちゃちなものでも物理的な怪我をもたらすものが悪意であると判断できて、なおかつか弱い少女にとっては危ないと思える程度の良識は、持ち合わせてくれているのだが。
規格外の女子力(物理)を誇る姉を持ち、自身もまた規格外の力を振るう彼にとって、本来ならばかみそり程度でもたらされる傷は危険のうちに入らないのだ。
そもそも、彼の姉や主君はどれだけ深い刀傷を負ったとしても「一晩寝れば治るわ」「唾でもつけておけば治るだろう?」と真顔で言って医師を困らせるような者達だ。そんな手合いが身近にいる彼がかみそりを刃物として認識しているか、そこからして危うかった。もっとも、それは主を同じくする自分にも言える事なのだが。
(包丁は刃物です。それは間違いありません。しかしかみそりは……果たして刃物と呼べるのでしょうか? あんな小さなものが刃物なわけ……いえ、刃物ですね。ええ、かみそりは刃物です……多分)
そもそも刃物ってなんでしたっけ……と、遠い目をするリットに気づいているのかいないのか、ルルクは神妙な顔で促した。
「まあ、それはいいとして。……人形のお腹、触ってみる?」
「このあたりですか? って、ただの針じゃないですか」
指先からぷくりと赤い珠が浮かび上がる。人形の腹部からは銀色の鋭いものが顔を覗かせていた。それを見て、リットはほっと息を吐いた。
針が指に刺さるのは当然だ。さすがにこんな風に刺す事はめったにないだろうが、針の痛み程度なら慣れている――――そう思うリットも、ルルクの事が言えないくらいには痛みや危険に対して感覚が麻痺していた。
「はぁ……。それ、呪法魔術の一種だよ。ちなみに効果は対象の不妊。じわじわ侵食して蓄積していくタイプの呪いで、気づいた時にはもう手遅れって寸法さ。針は呪法触媒の一種だね。人形のお腹を裂けば、そのための魔法陣とお姫様の身体の一部があると思う」
「それはまた、なんと言ったらいいか……。ええと、大丈夫なんですか? その、アーニャ姫への影響は」
「平気平気。お姫様はこの呪いにかかった様子はなかったからね。魔力を込めたのが三流呪術師だったのと、呪いをかけられてまだ日が浅かったのが幸いしたかな。……ま、たとえ呪いが侵食していようが何とかしてみせるけど」
自分達が持っていても意味はないが、そんなものがアーニャの手元にあったら一大事だ。ルルクの言い方からして即効性はないようだが、何かの間違いでこんなものが彼女の手に渡ってしまう事があってはいけない。早急に処分しなければ。
腹部を裂くとなれば、何事もなかったように返却するのは厳しいだろう。もしこれがアーニャの大切なものだったとしても、これについては諦めてもらうしかない。何か代わりになるものが用意できればいいのですが、と、リットは軽くこめかみを押さえた。
「世継ぎを残せない王妃などいらない、そう捨てられる事を期待したのでしょうか」
「多分ね。そのうえであえて好意的に解釈するとしたら……お姫様に他国へ行ってほしくなかった人が仕組んだ、とか? お姫様に告白したいけど何かの理由でできなかった誰かさんの愛情が暴走したのかも。……かなり無理があるけどね」
それにしたって、王女に不妊の呪いをかけて他国に嫁がせようとするのはいかがなものか。十分アライベルの名前に泥を塗る行為だ。笑顔で流せるわけがない。
ルルク曰く呪いをかけたのは三流術者だそうだが、彼からすれば自分以外のすべての魔術師は三流以下だろう。そもそも呪いの効果にかかわらず、その行為自体が許されないものである事に変わりはない。倫理面や威力と効果の面で問題があるとされる危険な魔術の総称が呪法魔術だ。後でバルトロイに抗議しておかなければ。
「ふふっ。何はともあれ、これで交渉材料が増えましたねぇ……。アライベルの未来の王妃に粗相をした罪、どう償っていただきましょうか」
(……うわぁ。リットがすごく悪い顔してる……。ああ、お姫様に何かある前に見つけられてよかった……)
未遂で本当によかったと、ルルクは胸をなでおろしながら紅茶に口をつけた。そんな彼のティーカップの中では小さな津波が起こっている。
未来の妃であるアーニャが傷つく事があれば、ディウルスは怒るだろう。あれはあれで責任感の強い男だ。一度自分で決めた以上、口ではぶつぶつと文句を言っていてもアーニャを様々な悪意から守るつもりでいるに決まっている。たとえそれが、彼女の祖国の者がしでかした不祥事だったとしても。
もしもアーニャを苦しめるようなものが嫁入り道具の中に紛れていたら、そしてそれをアライベルに持ち込んでしまったら、ディウルスの怒りの矛先はどこに向かうか。そんなものは決まっている。クラウディス王国と――――アーニャを迎えに行っておきながら、みすみす彼女への悪意を見逃してしまったルルク達だ。
おまけに今は、リットがアーニャの境遇を聞いて憤りを覚えている。ただでさえ機嫌の悪い彼を刺激したうえにディウルスの不興を買えば、相当恐ろしい目に遭うだろう。そんな未来はまっぴらだ。アーニャの嫁入り道具をまとめた部屋で走った恐怖と悪寒を再び背筋に感じながら、ルルクは紅茶を飲み干した。もう味などほとんどわからなかったが。
「ところで、どうでしたか? 姫の嫁入り道具を検分した感想は」
「んー……『ディウルスの判断は間違ってなかった』、かな。もしもこれから半年間、お姫様がこの国で過ごす事になってたら、彼女は殺されてたかもね」
ルルクは自分達の使命を思い出す。少なくとも正式にアライベルとクラウディスの同盟が成立するまでは、何があろうとアーニャ・クラウディスを守り抜くと。
両国の同盟は、アライベル王ディウルスとクラウディス王女アーニャが婚礼の儀を上げてから結ばれる。まだ婚約期間でしかない今は、両国の関係は仮初のものでしかなかった。それは薄氷を踏むように危うい、いつ壊れるともしれない関係性だ。
そしてそんな薄氷を進んで砕こうとする国が、アライベルが予想できるだけでも一つある。それが北の軍事大国、ガルガロン帝国だ。代々戦好きの皇帝が君臨するガルガロンは、常に戦争の機会を虎視眈々と狙っていた。
ディウルスが設けた、半年間の婚約期間。婚約期間として半年を設定したのではない。この半年こそが重要で、婚約期間は後からそれに被せただけだ。何故ならこれから迎える半年は、ガルガロン帝国とアライベル王国がかつて結んだ不可侵条約が効力を発揮しない期間なのだから。
ディウルスの父がガルガロンの先帝と結んだ不可侵条約の効力はすでに切れている。今は病没した先帝の喪中であるため、新たな皇帝は外交の場に姿を現す事もなければ新しく条約を調印する隙も見せない。もしもガルガロンが動くとしたら、この半年間のほかにないだろう。
アライベルとクラウディスの同盟締結を防ぎ、アライベルひいてはクラウディスを戦場に引きずり出すためには、婚礼が執り行われないような状況をこの半年間のうちに作り出す必要がある――――たとえば、ディウルスとアーニャのどちらかが死んでしまうとか。
ガルガロン帝国自身は喪中であるため、直接戦争を仕掛けてはこないはずだ。しかし他国に知られないよう暗躍する事はできるし、アライベルとクラウディスが戦争を始めた場合は喪が明けるまで待って両国が疲弊したところでしゃしゃり出てくる可能性はある。
だからディウルスは決めた。この半年間、アーニャを自分の手の届く場所に置いておく事を。新たな王妃にクラウディスで婚約期間を過ごしてもらうより、アライベルに迎え入れてしまったほうが守りやすいからだ。準備期間を限界まで短くしたのも、早くアライベルに来てもらうためだった。
婚約期間を設けず、今すぐに式を上げてしまう手もある。もしもアーニャの国が普段から国交のある国ならばそのような強硬手段に出る事ができただろう。だが、クラウディスとアライベルには今までほとんど繋がりがなかった。
アライベルが同盟を結ぶ相手を選んだように、クラウディスだって選びたいだろう。アライベル王国は本当に自分達にとって益のある国なのか、味方になってくれるのか、それを見定めるためにも婚約期間はあったほうがいい、というのがクラウディスの本音だ。もしもその間に、アライベルが相手では同盟を結びたくないとクラウディスが判断すればこの縁談は破談になり、クラウディスはまた新たな同盟希望国を探すことになる。
クラウディスは小さな島国だが、国土に眠る資源は豊富だ。技術はあれど資源に乏しいアライベルとしてはぜひ交易を押さえておきたい国だった。クラウディスのほうが国力では劣るとはいえ、アライベルもわざわざクラウディスに攻め入る暇はない。できるならクラウディスとは友好的な関係を築きたかった。
そうである以上、クラウディスの意思は尊重するべきだ。どれほど短いものであろうとも、婚約期間はクラウディスと信頼を築くのにどうしても必要だった。
クラウディスとの同盟関係は結びたいが、今婚約を成立させれば未来の王妃に危険が及ぶかもしれない。そしてそんな事があれば、同盟は間違いなく白紙になる。
だがこの機会を逃せば、ほかの国が名乗りを上げてくるだろう。クラウディスも、他国にばかり王女を嫁がせてはくれないはずだ。同盟を結べるのは一ヵ国とみていい。それならば仕方がないから、今すぐにこの縁談を受けよう。半年だけ守り抜けば、あとは安全なのだから。
半年経ってガルガロンとの条約を更新できるようになれば、王の婚約者から王妃になったアーニャが危険にさらされる事もないはずだ――――それはディウルスが下した、苦渋の決断でもあった。
ディウルスには、自分達ならアーニャを守り切れるという自信がある。少なくともクラウディスよりはまともな待遇を約束できる自負がリット達にもあった。だからディウルスの側近達も、彼の決断を受け入れたのだ。
そうしておいて正解だったと、ルルクとリットはしみじみと思う。アーニャへの悪意を忍ばせるクラウディス王国に、彼女を守れるような人材がいるとは思えない。それどころか、クラウディスの人間が暗殺の手引きしてもおかしくないと思えるほどだ。
「……それはそれは。我らが王は、相変わらず野生の勘だけは冴え渡っていらっしゃったようですね。男女関係の機微にも敏くなっていただけるとなおよいのですが」
「それはさすがに無理だよ。そんな事、あの熊男に期待しちゃいけないって」
ルルクのすげない言葉に苦笑し、リットはクッキーに手を伸ばした。