003
センリは困惑していた。
それも無理は無いだろう。落ちこぼれと言われ続けてきた彼には友達と呼べるような人はいない。ましてや女の子の知り合いなど皆無であった。
そんなセンリは今まさに、女の子が日々の生活を送る部屋に上がり込んでいるのだから。
その女の子というのは、青い髪に黒縁眼鏡が特徴的なグリフォルス魔法学園の先輩であった。
「とりあえず、その子を私のベッドで寝かせてあげて」
「あ、はい」
言われるがまま、自分の背中でスヤスヤと心地良さそうに眠り続ける少女をベッドに移す。無理矢理起こさないようにゆっくりと。
改めて見ても、やはりとても可愛い顔をしている。無防備に眠っているその姿は、何かの物語に登場するお姫様のようですらある。
そんな少女から目を離し、あまり褒められた事ではないが部屋を見渡してみる。
とても綺麗に整頓された部屋だ。必要最低限の生活必需品しか置いていない感じ。だが、本棚に目をやると何やらかなり難しそうな本がズラリと並べられていた。背表紙だけでそれと分かるような、そんな本ばかり。
「あ、適当に座ってて。今お茶いれるから」
そう促され、センリはおっかなびっくりではあるが、ベッドの近くに置いてあるソファーに腰掛ける。芳香剤などは置いてなさそうであるが、何故か良い匂いがするのは不思議であった。
何故センリが今こうして落し物を探していた女生徒の部屋に上がり込んでいるのかと言えば、やはりあの現場を目撃された事に尽きる。
正体不明の謎の部屋。そこに落ちていた光を放つ本。そして突如として現れた謎の少女。
その少女を襲おうとしているケダモノ――という誤解を何とか解いたのだ。
まあ、あの謎の部屋で起こった一部始終を辛うじて目撃していてくれたのが幸いしたという訳である。危うくセンリは変態として自警団に捕まるところであった。
何とかして誤解を解いた後、とりあえず落ち着こうという話になり、こうして女生徒の家にお邪魔しているのであった。女生徒は家族と離れ、現在一人暮らしとのこと。グリフォルスに通う生徒の中にはこういった者も多く、特別珍しいことではない。かくいうセンリも一人暮らしなのだから。
「ハーブティーだけど、苦手じゃない?」
「あ、うん。大丈夫。ありがとう」
二人分の飲み物を持ってきてくれた女生徒は、ソファーの前に置いてある机を挟んで正面へ座る。
二人はハーブティーを一口飲み、乱れていた精神を正常な状態へ戻すことに努める。どうやら精神を落ち着かせるのに効果があるハーブをセレクトしてくれたようで、一口飲んだだけで大分少しだけ混乱していた心が落ち着きを取り戻してきた。
女生徒はマグカップを机の上に置き、早速本題に入る。
「――それで、その女の子は誰なの?」
「えっと、それは俺も知りたい事なので……」
分からない――という他なかった。
センリには突然現れた少女に見覚えは一切ない。だから誰なのかという質問をしたいのはセンリも同じであった。
「……そっか。あの時、本を中心にして現れていた魔方陣は全く見たこともないような術式だった。もしかして召喚生物……? いや、そんなの有り得ない。どうみたってその子は人間。しかも術者がいないのに自動で発動する召喚魔法なんて、それこそ大魔法の領域としか思えない――。そんなことが出来る人なんて、世界中探してみてもどれだけいるか……」
「あ、あの時魔方陣なんて現れてたんだ……」
センリには至近距離過ぎてまるで見えていなかったが、この女生徒の位置からはそれが見えていたという。
それにしてもあの一瞬でかなり細部まで観察出来ているという事実。センリは素直に驚いた。流石は名門グリフォルス魔法学園の生徒である。センリもまた同じ学校に通っているという事はセンリの頭の中からは抜けているが。
確かにベッドで眠るこの少女の正体は気になる。だがセンリにはもう一つ気になっていることがあるのだ。まずはそれを解消せねばならない――そう思い、正面に座る女生徒に質問をする。
「ところで先輩の名前、まだ教えてもらって無かったよね。まずはお互い自己紹介からしない?」
「あ……、そういえばまだ名乗っても無かったね」
先ほどの事象があまりにも衝撃的過ぎて、すっかりそういう事を忘れていたのだ。これから話をしようというのに相手の事を何も知らないのは良くない。せめてお互いの名前くらいは把握しておきたいものである。
女生徒は改まったように姿勢を一度正すと、センリの事をまっすぐ見て口を開く。
「私はグリフォルス魔法学園高等部2年、リルナ・ホーリーソング。よろしくね、センリ・クロウリーくん」
「俺はグリフォルス魔法学園高等部1年、センリ――って、あれ? 何で俺の名前知って――?」
「君、もう少し自分が有名人だって自覚持った方が良いよ。かの『英雄』アレン・クロウリー様の子供を知らないなんて、グリフォルスに通ってる時点で有り得ないから」
「そ、そうですか……」
確かにセンリの父親は世界的有名人だが、センリ本人からしてみればあまり実感が無い話なのである。センリが幼少のころからアレンは『災禍大戦』に参加しており、故に父親との思い出は殆ど残っていない。加えて自分は魔法の才能もない落ちこぼれなのだ。自分を有名人などと思えるはずもなかった。
(……んー。でも、リルナ・ホーリーソングって名前、どこかで聞いたことがあるような気もするけど、気のせいか?)
リルナという名前を聞いて、いつかどこかで聞いたことのある響きだとは思ったが、残念ながらそれ以上思い出す事は出来なかった。
「私の事はリルナでいいから」
「あ、じゃあ俺の事もセンリでいいよ」
お互いに自己紹介したところで(センリはしてないないが)、話を先に進める。
もう一つセンリには気になっていたことがあったのだ。
「ところでリルナは何であの現場に?」
「何でって、ペンダントを拾ってもらったお礼もろくに言わせて貰えなかったから、すぐに追いかけて行ったの。礼儀はちゃんとしたいから。そうしたらセンリが怪しげな場所に入っていくから、つい気になっちゃって」
「ああ、なるほど」
なるほどって……、あ、ペンダントありがとうね――そう言ってリルナは言えなかったお礼を口にする。わざわざ追いかけてきてまで律儀な人だなぁと、センリは素直に思う。
でも、そうなるとよく分からないこの状況に巻き込んでしまったのは自分の責任が大きいような気がしてきたセンリであった。
「ところで私からも質問なんだけど、どうしてセンリはあんな隠し部屋みたいな場所に入っていったの? なにか、突然思い立ったように足を運んで行ったように見えたけど」
「あ! そういえばそうだよ。声だ――あの時、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえてきたんだ」
「声?」
言われて思い出す。確かにあの時自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきたのである。
頭の中に直接響いてきたような声。だけど、どこかで聞いたことのあるような、少し懐かしさを覚えるような声でもあった。
「その声が聞こえてきた方へ進んで行ったら、あの部屋に辿り着いたんだ」
「……一体誰が何の目的で? テレパス系統の魔法なのか、それとも全く別の魔法なのかは分からないけど、どうやらその声の人物は、センリにあの子を見つけて欲しかった――って事になるのかな」
「目的は全く分からないけどね」
話しは行き詰っていた。
それもその筈である。二人が持っている情報は殆ど無いに等しい。そこから現場を見ただけの状態で推察を進めていくのは困難である。
しかし、このよく分からない状況を打破するためのヒントは、すぐそこにあるのであった。
というより、いるのであった。
「むにゃ……」
「「っ!?」」
二人は慌ててベッドの方へ顔を向ける。
そこにいるのは話の渦中にいる中心人物。あまりにも気持ちよさそうに眠っているものだから、無理やり起こすのを止めて、こうして運んできたのであった。
その少女が、ゆっくりと目を開け始めたのである。
ようやく話が先へ進む。
この少女の口から自分が何者なのかを聞き出せれば、それであの不思議な部屋の事も、光る本の事も、声の主の事も分かるかもしれないのだ。
綺麗な金髪に少し寝癖がついてしまっている少女は、目をこすりながら上半身を起こす。
寝起きなので目の焦点が定まらず、ぼんやりとセンリ達を認識する。
「お、おはよう……。えっと、分かるかな? 君は一体誰なのかな?」
センリが第一声を少女に向かって掛ける。その瞬間であった。
少女はびっくりしたように眼を大きく見開き、眠気など何処かへ飛んで行ってしまったかのように、とても嬉しそうな顔をしてこう叫んだのだ。
「あ! パパだ!!」
◆
唖然とするしかなかった。
全く持って単純な、文字数にしてたったの4文字のその言葉の意味を理解するのに、随分と長い時間を費やすことになった。
「え……? ぱ、パパ? パパって、もしかして俺の事……?」
口にしてみてもまるで実感は湧いてこない。この部屋に現在いるのは三人。パパとは通常、男性の親の事をいう。つまりこの場においてパパと呼ばれる資格があるのは男であるセンリただ一人。
少女の目がまっすぐセンリを見ている事からも分かるように、この少女は間違いなくセンリの事をパパだと認識しているようなのであった。
「パパ! おはよう!」
「あ、おはようございます……って、俺はお前のパパじゃないって!?」
「えー? 何言ってるのパパ? パパはユーリのパパでしょ」
「ユーリ? あ、ユーリって言うのかお前」
「そうだよー。ユーリはね、ユーリっていうの。えっへへ。良い名前でしょー」
屈託のない笑顔で自らをユーリと名乗る少女。とりあえず名前は分かった。だが、状況は更に訳が分からなくなったと言っていい。
光る本から現れた少女ユーリは、センリの娘を自称しているのだ。結婚した覚えのないセンリにとってはまさに寝耳に水であった。
この状況に思考が追い付いていけなくなったセンリは助けを求めるようにリルナの方を向く。
するとそこには、わなわなと小刻み震え、ベッドの上ではしゃぐユーリを見ているリルナの姿があった。
「か、可愛い……」
「へ?」
「なんて可愛いんだろう……。信じられないくらい可愛い……。寝ている時から分かっていたけど、起きて笑って喋ってる姿がこんなに可愛いなんて」
「リ、リルナさん……?」
センリの呼びかけで、はっ!? っと我に返るリルナ。
どうやら彼女は彼女で違う衝撃を受けて思考が状況に追いついていなかったようである。
見た目もからして眼鏡を掛けている彼女は、言動やその立ち居振る舞いから冷静沈着な性格をしているようにセンリは感じていたが、なんだか意外な一面を見てしまったようだ。
だが、確かにリルナの言う事はよく分かる。
無邪気なユーリの笑顔はとても可愛いのだ。無条件で守ってあげたくなるような、そんな笑顔であった。
二人はそんなことを無意識に、そして同時に思った。
そして、それがトリガーになる事を二人は知らなかったのである。
知らされていなかったからそれは当然なのだが、それはまたしても突然起こった。
ユーリの着ている赤いワンピース。その胸の中心に付いている宝石のようなキラキラした石から、突如として光が放たれたのである。
「な、なんだ!?」
「これって、さっきの本と同じ光!?」
確かに似ている――だが、それとは違うものだということがこの後すぐに分かることになる。
ユーリが現れたように、確かに今回も何かが現れた。
しかし、その現れたものはユーリの時のように知らないものではなかった。それは二人もよく知る、というよりも世界中の人が知っているものであった。
『よう、センリ。俺だ。アレンだ』
そこに現れたのは『英雄』アレン・クロウリーその人であった。