002
この世界『アークガルド』に於いて、歴史の転換点となった事象はいくつかある。
それは災害であったり、はたまた革命であったり、技術革新であったりと様々である。
そして近年、間違いなく歴史の転換点となったであろう事象が世界を襲った。それは『災禍大戦』と呼ばれる大きな大きな戦いであった。
歴史学の有識者達は、間違いなく歴史上で最も世界終焉に近づいた出来事であったと口を揃える。
それはたった一人の魔導士が世界に向けて宣戦布告した事から始まった。
その魔導士の破壊対象はこの世の全て。大地も、空も、木も、草も、海も、人も。全てが憎しみの対象であり、破壊の対象であったのである。
魔導士は主要な国へ侵攻を始め、次々にそこにある全てを蹂躙し始めた。
破壊に区別など無かった。あるのはおぞましい程に膨れ上がった憎悪と暴力だけ。
猛威を振るう魔導士に対して討伐隊が編成されたが、結果は無残なものであった。決して討伐隊が弱かった訳ではない。それ以上に魔導士が強過ぎたのだ。
誰もが絶望し世界を諦めかけた時、とある青年が立ち上がった。
青年は類い稀なる実力と才覚を有し、それを駆使して魔導士に立ち向かった。そのまま成す術なく蹂躙が続いていれば1年も持たず世界は終わっていたであろう。だが青年の登場によって事態は好転していったのであった。
そして大戦は5年の月日を経て終結する。『災禍大戦』の発端となった魔導士を打ち倒すことによって。
その功績が称えられ青年の名は世界の歴史に刻まれることになる。
その名を『英雄』アレン・クロウリーと言う。
◆
「今日も最悪の気分だ……」
独り言も出てしまう程に陰欝な気分であった。
本日の授業も散々な結果に終わった少年センリは、夕日で紅く燃えるように色付いている街を歩いていた。
家族連れや友人同士で歩いている人達。それぞれがそれぞれに1日の終わりを感じながら、帰路に着いていく。
そんな人達を横目に見ながら、センリもまた今日という日を何気なく振り返っていた。
センリ・クロウリー。
そのファミリーネームが示す彼の素性。それは文字通り世界を救った英雄の血筋である事を示している。
偉大なる父親の血を引く、将来を期待された存在ーーだと思われていた。
少なくとも幼い頃までは。
周囲からは期待され、当然の如く父親と同じように偉大な存在になるのだろうと言われていた。だがしかし、センリには魔法の才能がまるで無かったのだ。
それが分かったのは割と早い段階であった。
内包している魔力量が同学年の者と比べても少なく、加えて魔力操作に関する技術もあまり伸びて来ない。
成長すれば変わるかもしれないと思われていたが、中等部に上がってもなお、魔法の才能は開花の兆しを見せなかった。
グリフォルス魔法学園側としても英雄であるアレス・クロウリーの子息を無下に扱うことも出来ず、通常であれば成績不振による退学というのが妥当ではあったが、今日に至るまでそういった選択はなされず高等部まで進学してしまった――という訳だ。
言ってしまえばそれは特別待遇ということであり、有名校であるグリフォルスの生徒たちからすれば到底納得できるものでは無かった。それが例え英雄の子だとしても、魔法の才能のない者と肩を並べて授業を受けることなど有り得ないのだ。
結果としてセンリはクラスメイトからも疎まれ、落ちこぼれの烙印を押されてしまっている。
これが現状、彼を取り巻く環境なのであった。
そんな評価をされてまでセンリが自ら学園を去らなかった理由が有るとするのなら、それはもうプライド以外になかった。
いつかきっと見返してやる! そういう強い気持ちだけでここまで頑張ってきたのだ。実技がダメならせめて座学くらいはと思い、魔法の勉強はしっかりやってきている。だがそれすら結局のところ実技に活かせなければ意味がないのだと知った。一度押された落ちこぼれの烙印は、そう簡単には落とせいのだ。
高等部に上がってからは一段とセンリに対する周囲の目は冷ややかになったように感じる。
そんな環境に晒され続けたセンリの気持ちは、徐々に徐々にではあるが折れつつあった。
「……俺だって好きで英雄の子供に生まれた訳じゃないっての」
そんな事を言ったところで意味が無いことは分かってはいるが、それでもそう思わざるを得ない。
気持ちが負の方向へ完全に向きかけたが、センリは一度立ち止まり、ぶんぶんと首を大きく振る。
「ダメだダメだ。こんな弱気でどうする。とりあえずメシでも食べて気持ちを切り替えないと……って、ん? 何だこれ?」
気持ちを切り替え直し、うつむいていた顔を少し上げたところでそれに気が付いた。
センリの視線の先に何やら光る物が落ちていたのだ。それは夕日に照らされてもなお青く光っており、とても目を引くくらい綺麗なものであった。
センリはそれに近付き、拾い上げる。
「ペンダント?」
それはペンダントのような物であった。綺麗な装飾が施されており、素人目で見てもそれが高級なものである事は容易に想像がつくほどである。もしもこれが自分の持ち物であり、それを落としたと後から知ったら大慌てすること間違いなしであろう。
周囲を見渡しても何かを探しているような素振りをしている人は見当たらない。となると、完全に持ち主不明の落し物であろう。
センリは迷った末にそのペンダントを自警団の支部に預けに行くことにした。
「自警団に届けに行かなきゃいけないって事は、家と逆方向って事か……」
少し距離を歩かなければいけなくなるが、まあ、困っている人がいるのであればこれくらいの苦労はしても良いだろう。そう思い、センリは歩みを進める。
しばらく歩くと普段はあまり通らない道へ出る。
特別何か用がなければ来ない道なのだ。それがなんだか新鮮で、塞ぎ掛けていた気分を晴らすには丁度いい散歩になる。
大通りを抜けて少し道が細くなってきた所で、センリはお尻に出会う。
「……………………」
というのは表現の仕方の問題であり、実際にセンリが見たのはベンチの下に顔を突っ込んで、お尻を突き出している状態の人であった。
青いスカートを穿いている事からそれが女性なのは分かる。しかもそのスカートには見覚えがあり、毎日のように見ているものであった。
そう。それはグリフォルス魔法学園の女生徒用の制服。そのスカートなのであった。
「えっと……」
声を掛けるべきか迷う。
何故ならば、とても見えそうだから――。
それに気付いていないのか、その女生徒らしき人物は何かを探すのに夢中になっているらしく、お尻を振り振りと動かす。それがまた絶妙に見えそうで見えないのだ。
夕方とはいえ、まだ夜までには時間がある。必然的に人もまばらではあるが、センリの他にもいる。特に男性に限って言えば、少し頬を赤らめながらチラチラとそのお尻を見つつ通り過ぎていく。人目が気になって直視は出来ないのであろう。
だが、このまま放っておいたらこの女生徒は恥ずかしい思いをしてしまうであろう。
センリは意を決して声を掛けることにした。
「あの、どうかしましたか?」
突然声を掛けられたその女生徒は、驚いたのか勢いよく頭を上げてしまった。
「ひゃう!?」
ゴン! という音が周囲に鳴り響く。当然である。ベンチの下を覗き込んでいたのだから、この結果は火を見るよりも明らかであった。
「ご、ごめん! 驚かせた!?」
「あ、いえ……。私の不注意だから……」
女生徒は頭をさすりながら涙目になって顔を上げる。
それは綺麗な青い髪に黒縁の眼鏡が特徴的な女生徒であった。センリの美的感覚からしても、かなりの美人に分類される容姿をしている。
傍から見るとセンリが女の子を泣かせているようにも見えるこの状況に気が付き、慌てて話題を振る。
「いきなり話しかけてごめん。ところでこんなベンチの下を覗き込んで何を?」
「あ……っと、少し探し物をしていたの」
「へえ、探し物を」
「ええ」
そこまで話すと、何故かその女生徒はセンリの顔をじっと見つめる。
その行動の意味が分からず、センリは少し首を傾げた。
「君、私の事知らないの?」
「へ?」
突然の質問に素っ頓狂な声を上げてしまった。
この女生徒とは恐らく初対面の筈である。しかもよく見たら制服の襟に入っているラインの色が青色であった。グリフォルス魔法学園の高等部では、制服の襟の色で学年を識別することができる。赤が1年生、青が2年生、緑が3年生である。
つまりこの女生徒はセンリの1学年上の先輩という事になる。馴れ馴れしい口調で話してしまったことを少しだけ後悔するセンリ。
そんなセンリの反応を見て、その女生徒は急に顔を真っ赤に染めた。
夕日で照らされているというのもあるが、それでも耳まで真っ赤になってしまっている。
「ご、ごめんなさい。今の質問は忘れて。とても自意識過剰で恥ずべき質問だった……」
「は、はあ。まあ、忘れてと言われれば忘れるけど」
意図がよく分からなかったが、先輩に言われたのなら忘れる努力はしよう。そう切り替えたセンリは、本題に入る。確かこの女生徒は何か探し物をしていたと言っていたのだから。
「それで、探し物って何を? あんなに必死に探していたってことは、よっぽど大事な物なんでしょ?」
「……ええ、私にとってはとても大事な物。ロケットペンダントなんだけれど。こう、複雑な模様が描いてある、青いやつ」
「ペンダント? あ!」
センリは今聞いた特徴を持っている落し物を知っている。というか、むしろそれを自警団に届けに行く途中なのである。ポケットから先ほど拾ったペンダントを取り出し、それを女生徒に見せる。
「もしかして落し物って、これの事?」
「あ! そ、そう! それ! それを探していたの!」
「おお、やっぱり。さっき道で拾って、丁度それを自警団に届けに行こうと思ってたところだったんだ。落とし主が見つかって良かった」
センリはそのペンダントを女生徒に手渡す。
それを大事そうに受け取り、すぐに首へと掛ける。もう無くさないと誓うように、女生徒は胸元でぎゅっとペンダントを握りしめていた。
ひと段落ついた所でセンリは気付く。周りの人たちに少し見られていることに。中には同じグリフォルスの生徒もいる。その状況にセンリは少し慌てる。
「あの、あ、ありが――」
「じゃ、じゃあ俺はこれで! 落し物見つかってよかった。それじゃ!」
「え!? あ!? ちょ、ちょっと――」
足早にその場を離れる。
それはセンリなりの気遣いであった。同じグリフォルスの生徒がいた。しかもそれは自分と同じクラスの生徒であったのだ。落ちこぼれの烙印を押されている自分と話していると、もしかしたらあの先輩にも迷惑が掛かってしまうかもしれない。
そう思い、センリは慌てて話を切り上げたのであった。
◆
女生徒と出会った場所から少し離れた所までやってきたセンリは、それにしても急に話を切り上げすぎたと思い返す。
あの女生徒からしたら訳が分からなかっただろう。何か言いたげであったのにもかかわらず悪いことをしたなと、反省する。
「でも、迷惑はかけられないしな」
落し物も無事に持ち主に帰ったし、寄り道の目的は達成した。過ぎたことを気にしてもしょうがないと思考を切り替えて、ようやくセンリは自分の家に帰ろうと元来た道を歩いていく。
そこで事は起こった。
『――こっちだセンリ』
「ッ!?」
それは突然の出来事であった。
頭の中に直接声が響いたかのような感覚。周囲を見渡してみても自分の名を呼んだ者は見当たらない。
「な、なんだ今の……?」
驚いたが、何故か少しだけ懐かしいような感覚も少しだけある。その正体が一体何なのかは分からないが、センリは何となく声の聞こえてきたと思われる方向へ導かれるようにして歩みを進め始める。
細く暗い路地を一本入ると、その途中に鉄格子で閉ざされた入口が存在していることに気が付く。ひどく錆びついており、長い間誰も使用していない様子が窺える。
意を決してセンリはその鉄格子を揺すってみる。すると驚くほどすんなりと鉄格子は外れたのである。
「なんだか分からないけど、呼ばれてる気がする……」
説明の出来ないそんな気持ちにセンリは少し動揺するが、それでも自然と足はその入口の中へ向かっていた。
中は暗く、少し湿り気のある空気が充満していた。それでも警戒しながら奥へと進むと、突如として暗闇を裂く様な明るい部屋へとたどり着く。
「何だここは……?」
そこは丁度センリが普段使っている教室くらいの広さの部屋であり、石のブロックを積んで作ってあるような無骨な部屋であった。
光源は不明だが、何故かこの部屋全体はとても明るい。まったくもって訳が分からない部屋であった。
そしてその部屋の中心、そこに視線をやった時、センリはそこに一冊の本が落ちている事に気が付く。
「これは――本? タイトルも著者も書いてない……」
センリがその本を拾おうと手を触れた瞬間であった。
突如として本が眩いまでの光を放ち始めたのである。
「なっ!?」
あまりの光に目を開けていられない。そんな中、光る本は宙に浮き、勢いよくページがぺらぺらと捲られていく。
その光はしばらくの間続き、そして徐々に光を失っていった。
センリはようやく目を開けられるまでの光になったのを確認すると、恐る恐るゆっくりと目を開き、光る本のあった場所を見る。
「え……?」
センリは自分の目を疑った。しかしそれは当然の事であろう。
何せ光る本があった場所には、すやすやと寝息を立てて眠っている可愛らしい少女がいたのだから。
先ほどの光を思わせるほど綺麗な金髪に、赤い可愛らしいふりふりのついたワンピースを着ている。外見から判断するに年齢は5~6歳と言ったところだろうか。
そんな少女がいきなり目の前に現れたのである。混乱するのも無理はない。
「ちょ、ちょっと君、大丈夫か――?」
そういってセンリは少女の肩に手を触れようとした瞬間、後ろからカツンという、小石を蹴飛ばしてしまったかのような音が聞こえた。
慌ててセンリは振り向く。
そしてその目に捉えたのは、先ほどペンダントを探していた、青い髪をした黒縁眼鏡の女生徒であった。
その女生徒は目を丸くして、今センリが置かれている状況をゆっくりと確認する。そしてその状況に最も則した一言を口にしたのである。
「へ……変態!?」