016
「何だか魔法が少しだけ使えるようになってるんだ……」
それに気付くのが遅れたのは仕方が無いとも言えた。
センリにとって魔法とは上手く使えないものという認識が根強いからだ。幼いころからそれが当たり前の状態であったし、それがある意味普通と言えた。
そんな状態で生まれてからこれまでの間を過ごしてきたのだ。気付くのが遅れてしまったとしても、それは仕方が無い。
「それは……おめでとう? で、いいのかな……?」
「あ、いや、別にそんなに大した変化じゃないから、気の所為って可能性もあるんだけど」
リルナは高等部一年で『最優秀生徒』に選出されるような才覚の持ち主である。そんなリルナから見れば違いすらよく分からない程度の変化ではあるが、センリにとっては大きな変化であった。口では大したことは無いと言いながらも。
いつも通りに授業を受けていた時である。生まれてこの方一度も成功したことが無かった召喚魔法に成功したのである。他の生徒よりは召喚持続時間は短かったものの、まず成功した事に驚いた。
周囲の生徒たちも、その光景に目を疑っていた。
グリフォルスに所属する生徒であれば、基礎とも言える魔法であり、使えて当たり前。むしろ使えない方がおかしい――というような認識の魔法ではあるが、センリがそれを成功させた事は大ニュースなのだ。センリを知る者であれば驚きは人一倍である。
その後もいくつかの魔法を試してみたが、それぞれ以前より出力レベルが明らかに上がっていた。
「感覚としては、何だか魔力の流れが掴みやすくなった――って感じなんだけど」
「魔力コントロールのコツが掴めたんだろうね。その感覚を掴めると急に魔法が伸びる人がいるんだよ。多分、センリもそうだと思う。私もそうだったから」
現在、センリとリルナ、そしてユーリがいるのは街外れにある喫茶店であった。
人通りの少ない隠れ家のような立地にある店で、年老いた店主が一人で切り盛りしているようである。見渡してみても分かるように、三人以外に客はいない。
あまり大っぴらに話せないような事が多いので、このように落ち着いて話が出来る場所をいくつか探しておいたのである。幸いにもグリフォルス魔法学園を擁するこの街『ルカセオ』はメイフォラ大陸の中でも三本指に入るくらい大きな街だ。このような店は探せばあるのだ。
そして今日はユーリと出会ってから四度目の週末である。あっという間と言えばあっという間であり、長かったと言われれば長かったような、そんな一ヶ月であった。
今後の方針の話し合いと昼食を兼ねて、今こうして集まっているのである。
「何で急にってのはあるけど、多分あれだ。ユーリが使った魔法の影響だ」
「ああ。あのコネクトって魔法? 確か、感覚とか魔力とかを繋げた相手と共有するって言っていたっけ。大人ユーリちゃんは」
「ママ呼んだ?」
「あ、ううん。何でもないよ。それよりご飯おいしい?」
「うん。おいしいよー」
口の横にハンバーグのソースを付けながら、無邪気に笑うユーリ。ほんわかするような可愛い女の子であるが、成長するととんでもない美人になることを二人は知っている。
ピンチを脱する為に発動したアクセルタイムという禁忌魔法で強制的に成長したユーリは、様々な知識を有していた。その魔法知識はアレン譲りだというが、緻密な魔力コントロールはユーリの技術によるものだろう。その感覚を少しとはいえ共有したセンリ。恐らくその時の感覚が今の魔法の伸びに繋がっているのだろうと考えたのだ。
子供状態に戻ったユーリは、アクセルタイム使用時の記憶が曖昧になっているという事で、真相は分からないが。
「センリの魔力は封印されてるって話だけど、その影響で魔力のコントロールが人一倍難しくなっているんだろうね。安定しない魔力の出力量は、例えるなら強弱の激しい波のようなもの。それを安定して魔法に組み込もうと思ったら、どうしてもコントロールは難しくなるからね」
「……そういう理由で魔法が使えないっていうのなら、まだ希望は持てるな。本当に俺がどうしようもないポンコツだったら、この先魔法に関しては望みもないんだけど。でも、何はともあれ、少しでも魔法が上達したのならそれに越したことは無いよな。弱いままでいたら、またあんな悔しい思いをしなきゃいけなくなるんだから」
あの仮面の男たちに手も足も出なかった時の事を思い出すと、今でも悔しい気持ちがこみ上げてくるのだ。何も出来ない事によって自分が被害を被るのは我慢できる。しかし、それによって守りたいものにまで被害が及ぶというのだけは我慢できないのだ。
そしてやはり、そういう思いをこれからしたくないというのであれば、強くなるしか方法は無い。センリにとって魔法技術の向上に希望が持てたことは明るい話題であった。
これから――と言えば、センリはこれから先の事もちゃんと考えていかなければいけないと思っていた。
「……もうユーリと出会って一ヶ月経つ訳だけど、今回のこの件が片付いたら、先の事も考えていかないとなぁ」
結局、マリス側からのアプローチは今のところ一切無い。
いや、無いと感じているだけで実は裏で何か良くないことが進行している可能性も否定は出来ないのだ。相手の顔は見えず、どのような情報が飛び交っているのかも分からない。そもそもユーリがどこに封印されていて、そして封印が解けたのかを相手が知る術があるのか?
考えれば考えるだけ泥沼にはまっていくような問題だ。
結局のところ情報が無いのだ。今は余裕が無く調べることが出来ていないが、早い内にマリス・ディザスターという存在について情報を出来るだけ得る必要がある。
それにはまず、目の前の問題を一つずつ解決していくしかないのだった。
◆
異変が起きたのは夜であった。
最初にそれに気付いたのはユーリだ。
結局いつもセンリと一緒に寝るのが習慣になっていたユーリは、ベッドから体を起こす。隣で寝ているセンリはそれに気付いていないようであるが、明らかな異変がこの家には起こっていた。
「……パパ、起きて」
それを知らせようと、ユーリはセンリの体を揺する。
何度かそれを繰り返すうちに、センリの脳はようやく覚醒しはじめる。
「んー……。どうしたユーリ? トイレかぁ……?」
「違うよ。何だか変な臭いがするの」
「臭い……?」
そう言われて、センリは寝惚け眼を擦りながら体を起こす。
ユーリの気付いた異変とは、臭いであった。普段は絶対にしない臭い。寝惚けていたセンリにもそれがすぐに分かった。
そしてそれは決して家の中ではしてはいけない臭いでもある。
「焦げ臭い――って、おいおいおい!? まさか――」
眠気など一瞬で醒めた。
勢いよくベッドから飛び起きると、センリは寝室のドアを開け放つ。
「マジかよ……」
センリの目に映ったのは、煌々と燃え盛る部屋の光景であった。
熱気と煙がドアを開けた瞬間に寝室へとなだれ込んでくる。あまりにも突然な出来事に呆然と立ち尽くしてしまいそうになるが、後ろからゲホゲホと咳き込むユーリの声を聞き、我に返る。
「ユーリ!! 逃げるぞ!!」
センリはベッドの上に座り込むユーリの手を引き、寝室の窓から外へ飛び出した。
この家は街外れに位置している為、隣接する建物は無い。延焼する恐れはないのが唯一の救いと言えた。 少し離れて家の状態を確認するが、火の手はもう手の施しようのない程燃え広がってしまっていた。大規模な水魔法が使えれば消し止められるかもしれないが、レベルが上がったとはいえ今のセンリにはそれが出来るだけの力が無い。
センリは燃え盛る家を見ながら思考する。この家に自然発火するような物は置いていない。となると、この家に火を着けた者がいるという事である。
認識が甘かったという他ない。
まさかここまでやってくるとは思ってもみなかったのである。確かにユーリを襲ってきたあの仮面の連中の行動を考えると、普通ではないという事は分かる。だが、こうも露骨に命を狙ってくるとは思わなかった。家を燃やされることなど、完全に想定外だ。
そしてセンリは気付く。燃えている家の奥、家の裏手にある雑木林に逃げ込んでいく人影に。
恐らく家に火を着けた犯人だろう。家の中からセンリが飛び出してくるのを確認してから逃げ出したのだろう。
「あいつか!」
ユーリをこの場に置いていく事は出来ない。かと言ってみすみす敵を逃す訳にもいかない。
センリはユーリを抱きかかえると、逃げて行った人影の後を追うように走り出す。
これが正しい判断なのかは分からない。どこまでが相手の想定する行動なのかも判断が出来ない。だが、言ってもセンリとユーリは殺されかけたのだ。ユーリがもう少し気付くのが遅れていたら逃げ出す時間もあったかどうか分からない。
ここで相手を捕まえなければ、恐らくこれから先も命を狙われ続けるであろう。
そう思い、センリは迷いを捨てる。
逃げていく影は追ってくるセンリ達の姿を確認しながら逃げていくようであった。
センリの家の裏手にある雑木林は、手入れもあまりされておらず、人が通るようには出来ていない。夜という事もあり、視界も足元も悪く、思うように走ることが出来ない。
しかし相手はまるで今が昼であるかのように迷いなく、危なげなく走っていく。恐らく『ナイトヴィジョン』などの暗視系の魔法を発動させているのだろう。
「パパ、あの人が悪い人なの?」
「分からない。けど、逃げていくってことは悪いことしたからだと思う。ユーリに怖い思いをさせたのがあいつなら、俺はそれを許すつもりはないよ」
「……あの人がパパをいじめた人なら、私も戦うよ!」
「ユーリ……」
あの時もそうだったが、いざとなるとユーリには相手に立ち向かっていく勇気がある。それが誰譲りのものなのかは分からないが、その目に宿る力強さにセンリは驚かされるのであった。
守られるだけの存在になりたくないと、そう訴えかけてくるようである。
その勇気がユーリの身を危険に晒す事になるかもしれないが、それでもユーリの意志は固そうである。危険に晒さないようにするのは親であるセンリの責務である。いざとなったら身を挺してでも守ればいい。
センリはそう考え、自分の脇に抱えられているユーリの目を見る。
「……分かった。一緒に戦うぞユーリ」
「うん!」
これは敵の罠かもしれない。
だが、決意を固めた二人を止める者はここにはいなかったのである。
仕事で出張に行っており、更新遅れました。
しかも少し短くてすみません。