014
「色々と調べてみたんだけど」
リルナはセンリにそう切り出した。
場所はグリフォルス魔法学園内にある校舎の屋上である。遮蔽物も無く死角が出来にくいということで、話をする場所に選んだのだった。
現時刻は昼前である。授業と授業の間の短い時間を使っての集会だ。昼休みならいざ知らず、この時間帯なら他に人などいる事もない。
「ひとつ気になる話があったの」
「気になる話?」
例の襲撃事件から一日空けての今日であった。折角の休日だったが、センリもユーリも昨日一日は体の回復に時間を費やし、殆ど何も出来なかった。
ユーリに関しては何故か体の傷は治っていたのだが、精神的な疲労が大きかったらしく、いつもの笑顔は影を潜めていた。
その間、リルナは小さい子供と大きい子供の世話を焼きながら、並行して情報収集を行っていたのだそうだ。自分たちが通う学園が安全な場所とは言えない可能性が浮上してきた現在、情報の確認は必須と言える。
それにしても凄いな――と、センリは思う。
何がかと言われればリルナの手腕がである。グリフォルスに通っている時点で優秀なのは分かっているが、それに輪を掛けて優秀に思える。
精度の高い魔法発動能力に加えて、判断力、瞬発力、そして度胸。あらゆるパラメータが高水準に達していることは間違いないだろう。そして今回のように動けないセンリたちの世話を焼きながら情報収集までこなしていたというのだ。見事という他にない。
以前リルナはセンリに対して自分の家の事情を話してくれた事があった。優秀過ぎる姉の存在があり、自分は何も期待されていないという話であったとセンリは記憶しているが、センリから見たリルナは何かに劣っているとは到底思えない。むしろ大いに将来が期待できる人材だとさえ思う。
このリルナが見劣りする程の逸材が、その姉という事なのかもしれないが。
「まだ学園内でもあまり広がってない話らしいんだけど、ここ最近急激に成績を伸ばしているクラスがあるらしいの――怪しいと思わない?」
「……急激に、か。確かにあの魔法具の効果があれば、実技のテストでも良い評価は取れるだろうけど。でも、テストの時は魔法具の使用は検査で発見出来るだろ?」
「それが発見出来ないように何か細工されてるのかも。裏で取引されるような代物が、普通な訳が無いし」
「なるほどね。テストの性質上、魔法具を持ち込む事は出来ない筈だから、一度テスト前に効果を発揮させてしまえば暫くは手元に無くても能力の上昇は可能なのかもしれないな」
あの魔導具を取引していた者がグリフォルスの関係者であるというのは、あくまで仮定の話ではあるが、それでも考え得るだけの可能性を話し合った。
どれだけ小さな可能性でも、それがユーリの危険に繋がるというのであれば何としても阻止しなければいけないのだ。マリスに狙われるというのならとにかく、こんなマリスに何の関係もない事件に巻き込まれてその身を危険に晒すなど馬鹿げている。
暫く熱の入った話し合いを続けていた二人が、人生初の授業遅刻を経験する事になったのは言うまでもない。
◆
「センリ、お待たせ」
「あ、ちょっと待ってくれ。今行く」
未だにセンリのクラスメイト達はこの光景に慣れる事が出来ないでいた。
あまりに自然に、あまりに当たり前の事のように、センリ・クロウリーとリルナ・ホーリーソングが一緒にいるという光景に。
当の二人にはまるで自覚が無いが、この組み合わせは他の生徒から見れば異常とも異様とも言えるようなものであるからだ。
しかしそれが分からない二人は、自分たちが知らない間に目立ってしまっているという事実に気付けないでいた。その要因として、センリは落ちこぼれであるという周囲の評価から、いくら英雄の子だといっても自分なんかが有名である筈がないと思い込んでいる事にあった。それは初めてリルナに会った時にも言われた事であったが、センリはもう少し自分がどれだけ有名なのかを知るべきであった。
そしてそれはブーメランのようにリルナ自身に戻ってくるのだった。
周囲がざわついているのは上級生であるリルナが下級生の教室に来ているからであるという認識をしているセンリは、特に気にすることもなくリルナの元へと歩いていく。
しかし、この状況は二人にとっては悪くないものだとも考えていた。
何故ならば、あの取引を行っていた者たちがセンリを知っているのだとしたら、それは遅かれ早かれセンリに接触してくる事が分かっているからだ。それがどのような接触の方法かは分からないが、闇討ちのような方法を仕掛けてきた場合が最も厄介である。
しかし、この他の生徒から好奇の目で見られている状況下では、そのような行動は取れないはずなのだ。それを牽制するという意味でも、この少し目立った状況は(あくまで二人の意見)、センリとリルナにとっては悪くないとも言えた。
だが、二人が思っているより目立ってしまっているという現状を考えると、良い事ばかりとも言えないのだが。
例えば無粋にもこの二人の関係性を知りたいと思った輩が現れたとする。深い所まで探りを入れられれば、そこにはユーリという存在が浮き上がってきてしまうだろう。それは二人だけではなく、ユーリにとっても良くない状況と言える。
しかしそこだけは細心の注意を払っている。
本来、二人が最も注意しなければいけない相手が、かの『災禍の魔女』の異名を持っていたマリス・ディザスターなのだ。注意し過ぎても足りないかもしれないという存在を相手にしているので、自然と結界魔法には力が入るし、追跡や透視などの魔法には対してはリルナが感知魔法を駆使して毎日対応している。
それでもやはり限界はある。もともとその方面の魔法はリルナの得意分野とは言えないのだ。器用に何でもこなしているが、やはり調査などを専門に行っている魔導士には勝てない。
だから適度に目立つ分には良いが、目立ち過ぎは良くないのだ。
そのあたりのコントロールが自分たちでは出来ないというのがネックではあるが。
「それで、これからどうするの? ずっとこのままって訳にはいかないと思うんだけど」
二人は並んで校舎内を歩いている。
もちろん話す声量と周囲の状況には十分注意をした上でだ。
「……まあ、あいつらの行動に違和感があったのは確かだけど、この仮説が当たってる保証は無いんだよな。あっちから何かしら尻尾を出してくれれば、それに越したことはないんだろうけど。とりあえず今は警戒を強めつつ、リルナが持ってきてくれた、その急激に成績が伸びたっていうクラスの調査をしていくしかないと思う」
「うーん……。確かにそれが今出来る最善かもね……。相手が分からないからといって、何も行動を起こさない訳にもいかないし。ユーリちゃんの為にも」
そんなことを話しながら、二人は時間を潰すようにしている。
それは学園内から人が掃けるのを待っているからである。人目が多いと、あの図書室からユーリを連れ出しにくいのだ。
学園がいくら安全ではないかもしれないからといって、センリの家に一人で残して行くよりは幾分かマシではあろう――という判断である。何といってもここはグリフォルス魔法学園なのだ。外からの悪意ある干渉に対するセキュリティは高い。
そして、そんな二人が並んで歩いている時、その人物は前から歩いてきた。
その人物を中心にして両脇に二人ずつ、計五人の小集団であった。センリとリルナの周囲には、他の生徒はいない。
「……リルナ、あれって」
「ええ。2-A組の生徒で間違いないよ」
それは同学年であるリルナが良く知っていた。そしてそれは、まさに今二人が調査をしようとしていたクラスに所属している生徒なのである。
2-A組、それがリルナの得た情報にあったクラスである。今はまだ大きな噂にはなっていないが、知っている生徒は知っている。それが急激に成績を伸ばし始めたクラスだという事を。
確かに稀に何か魔法のコツを掴んで一気に成長をする生徒はいるが、クラス全体の成績を劇的に上げるとなると、それはなかなか難しいのだ。
特に高等部の二年生ともなると、基礎も積み、これから個々の得意とする魔法を伸ばしていく時期である。ある程度この時点での成長は頭打ちになってくる頃なのだ。それを考えると、2-Aの成績の伸び率は目を見張るものがあった。
そんな集団は何やら談笑しながら歩いてくるが、前方のセンリとリルナに気付いたのか、意識をそちらに向ける。
会話が出来る程度まで接近した瞬間である。
この小集団の中心人物と思われる生徒が、突然話しかけてきたのだ。
「やあ、ホーリーソングさん。最近あまり話してなかったけど、調子はどうだい?」
赤い髪が特徴的な爽やかな青年――と言った風である。
どうやら同学年だけあって、リルナとは顔見知りのようである。
その問いかけに対して、リルナは特に興味無さそうに答える。
「調子は特に変わりないよ。それよりも、マトマイン君たちのクラスは全体的に調子が良さそうだね」
その男の名はアルヴェン・マトマイン。
2-Aのクラス委員長を任されている生徒であった。成績は非常に優秀であり、真面目な授業態度やクラスを上手くまとめている事から、教師陣からの評価は高い。
中等部の二年生時には『最優秀生徒』にも選出された経験がある程の生徒である。それこそアルヴェンを知らない生徒は殆どいない。
「いや、それ程でもないよ。君と比べれば僕達なんてまだまださ。なあ、そうだろう皆?」
アルヴェンは左右を見渡すようにしてクラスメイト達に意見を求める。
それに対して何やらニヤついたような表情を浮かべているが、その真意はセンリとリルナには分からなかった。
しかし、それは一瞬の事で、そのアルヴェンのクラスメイト達の言葉を聞いてそれを理解する。
「そうだね。ホーリーソングさんと比べるなんておこがましいよ。だからこそ、何故君のような人がその隣にいる人物と肩を並べて歩いているのかが分からないんだけどね」
「そうそう。君、センリ・クロウリー君、だったよね? 確か、成績最下位の――おっと、これは失敬。本当の事とはいえ本人の目の前で確認するような内容じゃあ無かったね」
さっきの顔は、センリを馬鹿にしているからこその表情だったのだと二人は理解した。
それはセンリにとっては日常茶飯事の出来事であり、特に気にするようなことでもないのだが、リルナは違う。人を成績でしか判断できないような人が、リルナはどうしても好きになれない性質なのだ。
しかし、これから調査するクラスの人と揉め事を起こすのは得策ではないと判断したリルナは、言いたい事を我慢した。しかし文句こそ言わなかったが、露骨に嫌な顔が出てしまっていた。
「おいおい、お前達止めろよ。僕たちは世界的にも有名なグリフォルス魔法学園の生徒だぞ。品位を損なうような発言は慎むべきだろう。悪かったねクロウリー君。僕のクラスメイトが失礼な事を言った」
「あ、いや、別に気にしてないんで、大丈夫、です」
「ホーリーソングさんも、悪かったね。二人がどういう関係かは知らないけれど、不快な気分にさせてしまったようだ」
「……センリが良いなら、私がとやかく言う事じゃないので」
そうか――と、言ってアルヴェンは言葉を続ける。
だが、その言葉がセンリにとっては今日一番の驚きをもたらす事になったのである。しかしそれは普通にこの学園に通っている者であれば特に驚く事ではないのだが、あまり他の生徒に興味を持ってこなかったセンリにとっては衝撃の事実であったのだ。
「流石は高等部一年で『最優秀生徒』に選ばれたホーリーソングさんだ。器量が大きい」
そう言って、アルヴェン達はその場から去って行った。
そこに残されたのは上機嫌――とはとても言えない顔をしたリルナと、驚きの表情で固まっているセンリの二人であった。
「……やっぱりアルヴェン・マトマインは少し苦手だなぁ。私の何がそんなに気になるのか分からないけど、どうにも何かある度に係わってくるんだよね。あと、あの横にいた連中も気に入らない。私、ああいう事平気で言える人って信じられない」
センリの代わりに怒ってくれているようで、それはそれで嬉しいのだが、それよりもセンリは衝撃的な事実の方が気になってしまっており、他の事が頭に入ってこないような状態になっていた。
何かの聞き間違いという可能性もあるので、センリはちゃんと確認することにした。
「えっと、リルナさん」
「さん? 急にどうしたのセンリ?」
「俺は知らなかったんだけど、今あいつが言ってた事って本当なの?」
「今言ってた事って――ええ? わ、私そんなに器量が大きいとは自分で思ってないよ」
「そこじゃなくて! えっと、高等部一年生で『最優秀生徒』に選ばれたって話の方なんだけど……」
そんな言葉を聞いたリルナは、何かを思い出したのだろう。顔を真っ赤にして何やら慌て始めた。
「あ、いや、まあ、それは本当、なんだけど。だからと言って、私なんかの事を皆が知ってるとは思ってないからね! だからセンリに初めて会った時にも、ちゃんと訂正したでしょ!」
一瞬何の話をしているのかと思ったが、すぐにその時の場面をセンリは思い出した。
何せ出会い方が衝撃的だったので、忘れようにも忘れられないのだ。お尻――は、ともかくとして、その時リルナはセンリに対して「私の事知らないの?」というような言葉を掛けてきたのだ。
今思えば、ホーリーソングという名前にどこか聞き覚えがあった事にも納得がいく。
他の生徒の事にあまり興味が無かったセンリでも、どこかでその名を聞いたことがあったのだ。
リルナ・ホーリーソングという、グリフォルス魔法学園が誇る天才魔導士の名を。