012
「ごめんなさい……」
しゅんと項垂れるユーリがそこにはいた。
そこ、とはセンリの家のリビングである。体中のあちこちを殴られ、蹴られ、ボロボロになってしまったセンリの治療をリルナが行っている最中に、ユーリはそう言いだしたのだ。
ばつが悪そうに下を向いている。そこにいるのはとても綺麗な同年代くらいの女性なのだが、確かにユーリの面影を残しているようにも見える。というより本人なので当たり前だが。
ぐるぐるとセンリの腕に包帯を巻きながら、この家に着いてから一言も喋らなかったユーリに対してリルナは言う。
「あなたはユーリちゃん――で、良いんだよね? 状況だけ見て勢いで連れてきちゃったけれど」
「うん……」
「そっか。それで、ごめんなさいの意味は?」
「えっと……、勝手にいなくなっちゃったのと、パパに怪我させちゃったのと、訳分かんなくなって周りが見えなくなっちゃった事に対しての、ごめんなさい」
「うん、分かった。許します」
あっさりとそんな事を言うリルナに対して、ユーリは驚いたように顔を上げる。
心配を掛けてしまったのだ。怒られるとばかり思っていた。だが、母親はそんな簡単な一言でユーリの事を許すと言った。これがユーリにとっては驚かずにはいられなかった。
リルナは座りながら治療を受けているセンリに目配せする。この二人にも言いたいことがあるのだ。
「ユーリ、俺たちにも言わせて。ごめんな」
「ごめんなさいユーリちゃん」
「え? え?」
思いがけない謝罪にユーリは混乱していた。
悪いのは全部自分で、謝られるなど考えてもいなかったからである。
「確かにユーリが勝手にどこか行こうとしたのは反省するべきだと思うけど、元はと言えば俺たちがユーリから目を離したのがいけなかったんだ。だから謝らなきゃいけないのは俺たちの方も一緒だ」
「パパ……」
「すごく心配したよ。でも、その原因を作ってしまった自分に腹が立った。怖かったよね、ユーリちゃん。ごめんね……」
「ママ……」
そんな言葉を聞いたユーリは勢いよく立ち上がると、二人を押し倒すようにジャンプして抱きついてきた。勢い余って三人とも床に倒れ込む。
「痛たたたた!? ユーリ!? 痛い痛い!!」
「あ、ごめんパパ。でも、もう少しこのままでいさせて」
「はわわわわ!? 大きくなったユーリちゃんと私がこんなに近い!? もうダメ、我慢できない! 可愛い可愛い可愛い!!」
抱きついて離れないユーリが満足するまでこんな会話が続いたのだった。
暫くして落ち着いてきたユーリを座らせて、話はようやく本題に入ることが出来た。
話したいことは山ほどあるが、まず最初に聞くべきことは決まっていた。
「それでユーリ、その姿は一体なんなんだ?」
これであった。
それこそあの現場を離脱した瞬間にでも聞きたいくらいの話であった。特にユーリの変化した瞬間を目撃していないリルナにとっては、訳が分からない状況であっただろう。そんな中でこの状態のユーリを一緒に担いで来たのはファインプレーと言えた。
「えっと、これは『禁忌魔法・アクセルタイム』の効果によるものなんだけど――」
「「禁忌魔法!?」」
センリとリルナは思わず座っていた椅子から転げ落ちそうになる。
それほど驚愕するべき言葉がユーリの口から飛び出したのだ。
魔法には様々な種類があり、色んな区分で分けられている。それは属性ごとであったり、習得の難易度であったり。その中でも広く一般的に知られているのが下級魔法、中級魔法、上級魔法、そして大魔法という区分である(更にその中にも区分けが有ったりするのだが、今回は関係が無い)。
そしてその区分けの中にも入ることが無い魔法というのが――禁忌魔法なのだ。
いくつ存在するのか、どういった理由でそのような種類にカテゴライズされているのかを知る者は世界にもほんの一握りしかいないと言われている。
だが、それが非常に危険な効果を持っているらしい――というのが世界の認識である。
噂では世界の法則を大きく歪めてしまうような魔法や、大陸をも一瞬にして消し飛ばす程の魔法も存在しているらしいのだ。
それが禁忌魔法。まさに伝説上にしか存在しないのではないかというレベルの魔法なのである。
「そ、それは本当なのか……?」
「うん。おじいちゃんに教えて貰ったから本当だよ」
「おじいちゃん?」
「アレンおじいちゃん。パパのパパでしょ? 忘れたの?」
「……そうか、俺がパパなら親父はおじいちゃんになるのか」
「それで、そのアクセルタイムって魔法でその姿に? 一体どういう魔法なの?」
「これは術者の時間を進めたり戻したりする魔法。私みたいに本来の姿が子供だとあまり力を発揮出来ない時でも、この魔法を使えば強制的に成長して戦えるだけの力を得る事が出来るの。でも使い方を誤ると時を進め過ぎて死んでしまったり、逆に戻し過ぎて存在そのものが世界から消失してしまったりもするんだって。あまりに危険だから、太古の昔に禁忌魔法に指定されて、封印されてきた魔法――らしいよ」
それが突拍子もない、驚愕すべき魔法であると認識できる者がどれだけいるだろうか。
簡単に言ってしまえば時間を操る魔法という事である。それは、この世界で未だかつて誰も成し得ていない『不老不死』の可能性を秘めているという事。
「……じゃあ、ユーリちゃんはもっと大人になったり、逆にもっと子供になったりも出来るってこと?」
「ううん。本来はそういうことも出来るみたいだけど、私の場合は魔法の効果に制限が掛かってるみたいなんだ。今の私の姿が時を進められるおよそ上限かな? おじいちゃんがそういう風に調整したみたい」
「親父が?」
「うん。魔法の操作ミスして死んじゃわないようにって。優しいよね、おじいちゃん。だから私の命が危なかったり、感情が大きく揺れた時に反応して、このアクセルタイムが発動するようにしてくれたんだから」
「そんなことまでやってたのかよ親父……」
『災禍大戦』の決戦の後、力尽きるまでの間に一体いくつの手を打っているというのだろうか。
センリは段々とアレンの凄さを実感し始めていた。逸話はいくつも聞いてきたが、どこかおとぎ話のように感じていた。だが、これだけ目の前でその手腕を見せられると、凄いと思わざるを得ない。
「それで、ユーリはもうずっとそのままの姿なのか? それだとちょっと――というか、凄く目立つと思うんだけど……」
それも聞いておきたいことの一つであった。
本来の年齢では、あくまで子供ならではの可愛さなのだが、ここまで成長したユーリは美しいのだ。それこそ普通に街を歩いているだけで相当に目立ってしまう程。
そしてそれは一種の危険を孕むことになる。それをセンリとリルナはちゃんと認識していた。
その危険というのは、『災禍の魔女』である。
『災禍の魔女』マリス・ディザスターの姿を知っている者は世界にも数少ない。それはマリスによる徹底した情報隠蔽による為であった。どういう理由があったのかは今となっては分からないが、直接マリスと接触のあった者以外は顔さえ知らないのである。
マリスが女性であること。金髪であること。そして冷酷非道であること――そのような情報しか世界の大半は知らないのである。
だからセンリもリルナも、ユーリがマリスに似ているのかの判断は出来ない。しかし、ユーリはマリスのクローンなのだ。恐らく似ているというレベルではなく、全く『同じ』容姿をしているのだろう。
つまり、子ども状態のユーリならまだしも、今のこの状態のユーリを見ればユーリの素性に気付くものが出てきてもおかしくはないのである。
それはとても危険な事であった。
「ずっとじゃないよ。そうだね、もうそろそろ効果が切れると思う。パパとの接続も切っちゃったから、魔力の供給が無くなったからね」
「俺との接続? って、あ! あの妙な感覚の魔法か」
「そうそう。『超接続魔法・コネクト』。あれは自分と他の誰かをリンクさせる魔法なんだ。魔力の共有をしたり、知識のやりとりをしたり出来るの。パパと接続していないと、とてもじゃないけどアクセルタイムの持続も出来ないし、他の魔法も使えないからね」
超接続魔法・コネクトとは何なのか二人には分からなかったが、実は大魔法に属する魔法である。
コネクトで繋がった者はお互いの魔力や知識、思考、感覚を共有することが出来るようになるのだ。
ここまで聞いて、リルナに一つ疑問が浮かぶ。
ユーリの言葉の意味を理解しきれなかったのだ。
「ちょっと待ってユーリちゃん。センリと魔力を共有しないと魔法が使えないって、どういうこと?」
「そのままの意味だよママ。アクセルタイムって持続するのにとんでもない量の魔力を消費するんだ。私ってどういう訳か内包する魔力があまり無いんだ。それこそアクセルタイムとコネクト発動するのにいっぱいいっぱい。だから、コネクトでパパと私を接続して魔力を借りないと他の魔法が使えないってこと」
当たり前のようにそんな事を言うユーリだったが、それはリルナ――そしてセンリにとっては答えになっているようで答えになっていなかった。
言い難いのだろう。リルナはちらりとセンリの顔を見る。
センリにはリルナが言いたいことがよく分かった。だから、代わりに言葉にする。
あまりユーリの前では言いたくないことだが、それでも事実は事実であり、それを口にしないと話は進まないのだ。
「ユーリ、それは無理だろ。だって俺は皆から落ちこぼれって呼ばれてるんだぞ? 魔力量だって、他の人よりずっと少ないんだ。ユーリに貸せるだけの魔力なんて無いぞ」
そうなのだ。センリには内包する魔力が少ない。それはリルナも分かっている事だろう。だから言い難かったのだ。
これはセンリが子供のころから分かっている事だ。だからこそ、ユーリの言葉に疑問が浮かんだのである。貸せるだけの魔力が無いのに、一体どうやって貸すというのであろうか?
「そっか。パパは知らないんだったね」
ユーリはそんな言葉を聞いて、何でリルナがそんな質問をしたのかようやく合点がいったようであった。
そして次にユーリの口から飛び出したのは、センリにとってはまさに寝耳に水の言葉であった。
「パパの魔力は封印されているだけだってこと」
◆
それを理解するのには随分と時間がかかりそうであった。
しかし、ユーリが嘘をつく理由が無い。しかもその知識は恐らくアレンからのものである。信憑性は高いと思われる。
だが、まるで実感が湧かないのが事実。自分に魔力が殆ど無いという状態が普通であった為、そんなことを言われても信じられないというのが本音であった。
「信じられないかもしれないけど、本当だよ。しかも、パパが内包している魔力量は文字通り桁違い。正確には分からないけど、世界でもトップクラスの魔力量がある。それはさっき私がコネクトで繋がってみて確認したから間違いないもん」
確かに、アクセルタイムが維持できていたという事実がある。それを考えれば答えは自ずと出てくるのであろう。禁忌魔法に属する魔法が、魔力の消費に於いて普通である訳がないのだ。
「……いや、話は分かったけど、もしも、もしもだぞ? 今の話が本当だとしたら、誰が、何の目的で俺の魔力を封印したんだ?」
つまり、ユーリの話が本当だとしたら、センリが魔法を上手く使えないのはその封印の所為だと言える。そんな事をするメリットがセンリには分からないし、その所為で魔法が使えないとなれば恨みたいくらいである。
現在のセンリの周囲からの待遇を作った原因とも言えるのだから。
「パパに封印を施したのはおじいちゃんだよ」
と、ユーリはあっさりとその封印を施した実行者の名を口にする。
それはまたしてもアレンなのであった。驚きの表情を浮かべるセンリとリルナ。事もあろうに実の親の仕業であったのだ。それは驚きもするであろう。
そんな表情の変化を察したのか、ユーリはすぐに言葉を繋ぐ。
「でもね、おじいちゃんがそんなことをしたのには理由があるの。あまりにも大き過ぎる魔力は、時として自らを壊してしまうことがある。パパの場合、生まれながらにして本当に魔力が大き過ぎたんだ。それに気が付いたおじいちゃんは、生まれたばかりのパパに封印魔法を施したんだって。制御が出来ずに暴走しないようにって」
「親父がそんな……」
「確かに、そういう事例が稀にあるって私も聞いたことがある。アレン様は、センリを守る為にそんなことをしたって事なんだね……」
そしてそのことを伝える前に、アレンはいなくなってしまったという訳である。
恨まれるかもしれないという事を考えなかったわけではあるまい。だが、それ以上にセンリの命の方が大事だと判断したのだろう。
ユーリが言うには、封印を施すのに一切の躊躇は無かったそうだ。
「納得は出来ない――でも、理解はする。俺だってユーリが俺と同じ状況だったら、俺も迷わずそうすると思うから」
「パパ……」
自分に関する事はおいおい理解していくと、センリは決めた。
話しが唐突過ぎて分からないことばかりだが、この件に関しては前向きに捉える事も出来るだろう。何故ならセンリには強くなれる可能性が眠っているという事なのだから。自分で自分の魔力は取り出せないが、ユーリがセンリの魔力を使えるという事は、何か方法がある筈なのだ。
それが出来ればセンリは今よりずっと強くなれる。そうすればユーリを守れなかった時のような悔しい思いをしなくて済むかもしれないのだ。
そして話は佳境に入る。
ユーリが元に戻る前に、もう一つ話しておかなければいけない事があるのだ。
それは、あの仮面の男たちについてである。
ユーリはあの時あった事を二人に話した。
あの二人の他にも、もう二人人がいた事。何かの取引をしていた事。その場所や相手の特徴など、分かる事は全て話した。
しかし、それだけでは分からないことが多すぎたのだ。だが、ユーリの命が狙われる程のヤバイ取引だということは分かる。そしてその渦中にもう三人はいるのだという事も、分かっていた。
あれだけのことをしてきたのだ。きっとまたユーリを狙ってくるに違いないであろう。
「それと、もう一つ気になることがあるんだった」
「気になる事? 何?」
センリは先ほどの状況を思い出す。
圧倒的にユーリの魔法に押されていたあの仮面の男たち。だが、途中で明らかに様子が変わったのだ。それがセンリは気になっていた。
その時の違和感を二人に話した時、「あ」と、何かを思い出したようにユーリは自分の胸の谷間に手を突っ込み始めた。
大きくなって育ったのは身長だけではなかった――という事である。余談だが。
「お、おいユーリ!? 何を突然始める気だ!!?」
「ちょっとセンリ!? 見るなっ!! 変態!!」
謂れのない変態疑惑を与えられるセンリを余所に、ユーリは胸の谷間からあるものを取り出す。
二人が見たそれは、紫色の宝石のような物であった。
「あの仮面の人が落としたのを貰ってきちゃった」