黒ねこボスのヒッチハイク
1
「このおれを死なせたいのか、あいつは?」
おれは空を見上げた。思わず目を閉じる。目が焼けるっ!
今日はなんて暑い日だろう。ギラギラと太陽が、おれをこんがりと焼こうとしている。
おれは暑いのが一番嫌いだ。どんなに日かげでじっとしていても、太陽の魔の手から逃れることはできない。
知り合いのじいさんによると、黒いものは熱を閉じこめやすいとかなんとか。おれにはチンプンカンプンだ。
「――ったくよー。せっかくのおれの居場所をうばうなんて信じられねえぜ」
おれはいつも、ある神社で夏を過ごしている。だが、突然人間どもがやって来て、おれを追っぱらいやがった。工事をするとかほざいてた。
「人間はうらやましいよなー」
おれは塀に飛び乗ると、窓から家の中を見た。男女の子どもが二人、裸で寝転がっている。
「あれ、ボスじゃないですか。こんな暑い日にうろついているなんて珍しいですね」
聞きなれた声がして、おれは道路の方を見下ろした。黒い体に白い斑点がついたおすねこが、こちらに駆けてくるところだった。
「しかたねえだろ? 神社が人間に乗っ取られたんだからよ」
おれは塀を飛び降りた。
「へえ、そうなんですか。私は涼しい所を探して歩き回っているんです。でも、たいていの場所は他のねこに取られていて、無理に入っていっても暑苦しいだけなんですよ」
はあ、と頭をうなだれた。どうやら、白斑点も苦労しているようだ。
「ねこを大事に思っているなら、おれたちの居場所をつくってほしいもんだな」
この町の人間どもは、おれたちねこをとても大事にしてくれる。時には家へ入れてもらえる。だが、この暑さで、人間どもからそんな考えは吹っ飛んでいるのか。声すらかけてもらえない。
白斑点と別れると、おれは先を進んでいった。道路が熱くて、足の裏がやけどしそうだ。
「もういいかげんにしろ!」と太陽に叫びたくなったころ、おれはやっと探していたものを見つけた。
家の前に、車が止まっている。たしか、あれはトラックというものだったか?
おれは、開いているトラックの荷台にジャンプした。
今まで明るい所にいたから、一瞬目の前が真っ暗になった。だが、すぐに車の中が分かるようになった。
中には、四角いものがたくさん山積みされている。荷物を運ぶ車らしい。
それにしても、ここは涼しい。日の光があまり入ってこなくて、床がヒヤッとする。お昼寝するのに最高の場所だ。
おれは居心地のいい場所を見つけると、おれは腹を上にしてごろ寝した。こうしないと、いつまでたっても体がほてったままだ。
おれはそのうち、うとうとと舟をこぎ始めた。ああ、もう睡魔に耐え切れない……。
「ガチャガチャン!」
びっくりして、おれはシシャモを食べていた夢から覚めてしまった。回復したはずの視界がまた消えうせている。
「えっえっ、何が起きてるんだ?」起きたばかりで、うまく頭が働かない。
少しして、床が揺れだした。うわっ、地震だ!
「プップー」
どこかで聞いたような音がした。あっ、これってもしかして……。
おれは思い出した。思わずトラックに飛び乗ってしまったことを。
「出せ!」と声を上げても全く言うことを聞かない。くそっ、なんてことだ!
おれは外が見えぬまま、抵抗も出来ずにどこかへ連れていかれてしまった。
2
ようやく床の振動がおさまった。どうやら、トラックはどこかへ止まったらしい。
そういえば、扉から入ってくる空気のにおいが変わった気がする。全然知らない場所のようだ。どうするんだよ、これから……。
人間が地面へ降りた音がした。そして、だんだんとおれの目の前に近づいてくる。
おれは、姿勢を低くして身構えた。
けたたましい音がして、扉が開いた。今だ!
おれは、獲物を追いかけている時のような速さでこの快適空間を飛び出し、きれいに着地した。よし、決まった!
「うわっ」と人間は声を上げ、尻もちをついた。ぼうしがポトリと道路に落ちる。
「な、なんてねこが入ってたんだ?」
人間は震える指を指しながら、こちらを異物を発見したような目で見ている。
おれは、人間が何をしてくるのか様子をうかがっていた。だが、彼はこちらに背を向け、荷物を持ってさっさと離れていってしまった。
ふん、弱虫なヤツめ。おれは元来た方へと振り返った。
家がちらほらとあるだけの寂しい所だ。遠くには山々が見え、地平線のかなたまで道路が続いている。まじかよ……。
この道を歩いて行かなくてはならないと思うと、おれは心が折れそうになった。
真上から照りつけていたはずの太陽が、少しだけ傾いている気がする。おれは仕方なく歩を進めた。暑い!
どれくらい時間がたったのだろうか。太陽が、また少し傾いている。
さっき川辺に寄って休憩出来たのは良かったが、日当たり良好な道路をひたすら進むのは酷だ。
もう歩けねえ! おれは道路の隅に生えている草花の上に座りこんだ。こんな天気のいい日に歩き続けるのは初めてだ。
おれの見知っているにおいや景色が全くない。他のねこもどこにいるのやら。
見かけるのは、おれをバカにしているように電線の上から凝視しているカラスと、時々通る車くらいだ。
「どうしたらいいんだよ……」
自力で元いた場所まで歩いて行くのは、現実的じゃない事が分かった。これじゃ、いつまでたってもたどり着けない。
「いっそ住む場所を替えてしまおうか?」
いやいや、それは絶対ダメだ。あの場所ほど食べ物と寝るところが最高なのはない。なにがなんでも帰らなくては。
「はあ……」
おれはため息をつき(ねこだってため息はつくんだぞ!)、立ち上がってまた先の見えない道路を歩き始めた。
腹が減ってきたので、おれは繁華街にある居酒屋のことを思い出していた。
朝方にお店の裏側へ行くと、休みの日以外は必ず、おれに肉をくれる。
特にうまいのが、肉汁がしたたる鶏肉だ。この一かじりのために生きているんだ、という気分になれる。
その居酒屋ではよく、顔を赤くした男たちが右手を上げ、車を止めて去っていくという光景をよく見かける。
「自分で歩けなくなるほど飲むなんて、人間はいったい何がしたいんだろうなぁ」
おれだったら、そんな危険なものは飲みたくない。
ん……? 待てよ? おれはもう一度、居酒屋のことを思い出した。
「人間は自分で歩けないときは、車に乗っていくよな。――ということは……」
そうだ、人間の車に乗っけてもらえればいいんだ! そうすれば楽に元の場所へ帰れるぞ!
なんでこんなかんたんなことに気がつかなかったのだろう。おれはグフッと笑いがこぼれた。
そういうことなら、さっそく行動開始だ。おれは立ち止まって右足を上げた。
うっ、なんてキツイ姿勢だ! 三本の足で立っているのは意外と大変なんだぜ?
辺りを見回しても、まったく車の姿がない。おれは右足を下ろした。足がつりそう!
やがて、右の方から車が一台やって来た。おれはさっと左足を上げた。右足は休憩中だ。
「ブウン」とたくさん臭い空気をまきちらしながら、あっという間に目の前から消えていった。
「このやろー! なんで気付かないんだよ!?」
しばらくしないうちに、次の車が走ってきた。おれは腰を下ろして重心をおとすと、両足をすばやく伸ばした。
「気付いてくれ! 早く帰りたいんだよ」
その車はさっきと同じように、おれの前を通り過ぎた。くそっ、またか。
だが、「キキィ」という耳障りな音を立てて、車が少し遠くで止まった。よっしゃー!
ドアが開き、若そうな女が出てきた。プウン、と女特有のいいにおいがしてきた。
「ちょっとタダユキ見てよ! あのねこ、両足上げてる! マジかわいい!」
女はキャッキャッと走って来て、おれを抱き上げた。よし、このまま連れて行ってくれ。
「ユカ、早く行こうよ」
車の中から、若者の声がしてきた。
「ねえ、このねこ飼わない? めっちゃあたしになついてるの」
「いやー、それはやめてくれ。オレがねこをきらいだってことは知ってるだろ?」
さっさと来い、とタダユキが言った。
「そんなー、引っかいたりしないから大丈夫なのに……」
え、ちょっと、おれを手放すな! 置いてかないでくれ!
おれの言葉が届くことはなく、彼女は残念そうな顔をして車に乗りこんでしまった。
「ああ……」
車がほこりを巻き上げながら走っていった。おれはその場に座り、体を丸めた。
しょせん人間は、おれを乗せてくれるなんて広い心など持っちゃいないんだ。
何も持たない者には冷たい、それが人間なのか。
「もう疲れちまった……」
おれは静かに目を閉じた。どうにでもなっちまえ。たとえ、その言葉が、つらい人生のハジマリのきっかけになるとしても、かまわなかった。
3
だいぶ傾いた太陽の光が、一面に広がる畑を照らしている。
突然訳の分からない所に置き去りにされたおれは、車に乗せてもらおうと必死にアピールした。
だが、まったく効果がなかった。そもそも、通り過ぎる車の数がとても少ない。元々無茶な作戦だったのかもしれない。
――そんな事を思いながらも、心のどこかには「あきらめたくない!」という気持ちがある。おれは負けず嫌いだからだ。
「そうだよ、こんなことでくたばっていたら、町のボスとして顔向けできないじゃねぇか」
おれはまた立ち上がった。そして右の方を向いた。
はるか向こうから、一台の車がやってくる。おれはタイミングを見計らい、ある作戦を実行することにした。
――今だ!
おれは後ろ足にグッと力を入れると、真上に思いっきりジャンプした。気付いてくれ!
何回もジャンプした。絶対に帰らなくては! 子分どもに心配させないために。
車のスピードが、どんどんゆるんできた。そして、ついにおれの前で止まった。
「やったぜ!」おれは飛ぶのをやめて、同じ所をグルグル回った。うれしくて、勝手に体が動いてしまう。
車の後ろのドアが開き、人間の女の子が出てきた。たぶん七、八歳だろう。
「ねえ、ママ。このねこかわいい! 持って帰ってもいい?」
女の子はおれを胸で抱きしめると、車の中にいる女に声をかけた。
「うーん、どうしようかパパ?」
ママは奥にいる男の方を向いた。
「……問題ないだろ。後で町のどこかに離してやればいい」
「でも、わたしたちはこれから山へ行くんでしょ?」
あ、そうだったな、とパパと呼ばれた男が下を向く。女の子には、二人のやりとりは聞こえていないようだ。
ママは女の子の方へ向き直り、「いいわよ。連れてきなさい」と言った。
「わーい!」と女の子が、おれを抱いたまま車に乗りこんだ。
ようやく帰れる。安心したとたん、なんだか眠くなってきた。だいぶ神経をすり減らしたから、当然かもしれない。
「マユ、ねこさんが落ちないように、しっかり抱いているのよ」
ママが顔だけこちらに向けて言った。「うん!」とマユが返事した。
おれはマユのひざの上に落ち着いた。さて、到着の時間まで寝るとするか。
マユのぬくもりが、眠気を増大させる。なんだか、まぶたが急に重くなってきた……。
おれが目を覚ますと、外から知っているにおいがしてきた。おれの町が近いようだ。
この道を真っすぐ行けば、もうすぐ着く。そう思っていた時、突然車は右へ曲がり、山の方へ走っていく。
「おいおい、どこへ行くつもりだ?」
あ、そう言えば山へ行くとか言ってたな。だけど、こんな時間に何の用なんだろうか。
「……マユはちゃんと眠ってるか?」
ハンドルを握っているパパが、ちらっとこちらを見た。
「ええ、薬が効いているみたい」
ママが手を伸ばして、マユを軽く揺らした。おれはマユのひざを下りる。
マユは、すうすうと寝息を立てている。ママは、マユの隣に転がっている水筒を手に取った。
突然、前方が明るくなった。パパが車のライトをつけたらしい。
窓に前足をかけて外をのぞいてみた。日の光がほとんど入ってこないほど、木が生い茂っている。
森の中の登り道を、車はスピードを上げ下げしながら進んでいく。まるで、何かを探しているように見える。
前に付いている鏡に、パパの顔が映った。ピリッとした殺気のようなものを感じる。
やがて、車はある場所で止まった。辺り一面暗い森が広がっている。エンジンの音が消えた。
「……あれは用意したか?」
パパが、ママを悲しそうな目で見た。
「ええ、ひざの上に乗せておくわ」
ママは、ごそごそと体を動かした。そして何か紙の束のようなものを、懐から出したようだ。
「……よし、マユにお別れのキスをしようじゃないか」
そう言うと、パパはドアを開け、外に出た。すぐに、後ろのドアが開く。
ん、お別れってどういうことだ?
「マユ、きみほどかわいい子はどこにもいない。だから、絶対手放したくなかった。……愛してるよ」
パパは、マユのふっくらしたほっぺたにキスをした。
「マユ、今楽にしてあげるからね。もう苦しまなくていいのよ」
反対のドアを開けたママも、マユにキスした。
ママがドアを開けたすきに、おれは車を飛び出した。この家族、一体何をするつもりだ?
「……さて、そろそろ準備するか」
パパは荷台のドアを開けると、筒状の物体を取り出した。その中には、炭に似たようなにおいがするものが入っている。
パパはそれを後ろの席の下に置くと、ポケットから何かを取り出した。小さい箱のようなものだ。
中から細い棒を一本出して、箱とこすり合わせた。あっという間に火が付く。
火を筒に入れると、パチパチとこげ臭いにおいがしてきた。パパは後ろのドアをすべて閉め、自分は前の席に乗りこんだ。
「さあ、これを飲んだらおしまいだ」
パパの声が聞こえてくる。ママに何かを渡したようだ。おれは車の中を凝視する。
「――愛してるわ、あなた」
ママは、パパのくちびるにキスをした。マユの時よりも長かった。
「ああ、オレもだよ」
パパは、ママから何かを奪い取り、自分の口に持っていった。あれは、さっきマユの隣に転がっていた水筒だ。
ママが水筒を受け取ると、パパは急に動かなくなってしまった。
ママも同じように水筒を傾けた。そして眠ったようになる。「バシャ」という水の音がした。
「おしまいだ」とはどういう意味だろう? ただ、普通のことをしているとは考えにくかった。
車の中に、煙がどんどんたまっていく。白く濁り、中の様子が見えにくくなってしまった。
「これじゃ、息を吸えなくなっちゃうんじゃないか?」
こんな疑問が浮かんだ時、おれはひとつの考えにたどり着いた。
「もしかしてこの家族、死ぬつもりなのか?」
わざわざ自分から死のうってか? おれには理解できない。
「おい人間! ふざけたことするな!」おれはドアに体当たりした。
他の奴は知らないが、おれは受けた恩を決して忘れない。だからこの家族には感謝しているし、生きていてほしい。
「いてっ!」
やはり、おれがぶつかっただけではびくともしない。
「仕方ねぇ。人間を探すか」
おれは空中のにおいを嗅いだ。かすかに人間の家の気配がする。
「待ってろよ……」
おれはにおいの元へと走っていった。絶対助けてやる!
4
おれは必死に山を下っていった。とちゅう石につまずきそうになるが、気にせず走る。
少しすると、木でできた家が見えてきた。家の横には、丸太がたくさん積んである。
耳をすますと、家の裏側から人の声が聞こえてくる。おれはその声をたどった。
「――それでおやっさん、明日は何時から木の運び出しの作業ですか?」
「お前なあ、午前中に言っただろ? 九時からだよ」
「それって午前九時ですよね?」
「当たり前だろ、このバカ!」
おれは二人の声がする所へ飛び出した。
「うわっ、なんすか突然。黒ねこかー。いやなものを見ちゃったなー」
若そうな男が、おれから目をそらした。悪かったな、黒くて!
「おい、この町でねこを悪く言うと、バッシングを食らうぞ。言葉に気をつけろ」
白髪交じりの男が、若い男をにらみつけた。
「早く来てくれ! あの家族を助けろ!」
おれは顔だけ二人に向けて言った。
「このねこ、ニャーニャーって何を言いたいんですかね?」
くそっ、伝わってないのか! おれは少し歩くと、人間の方を向いた。
「もしかして、オレたちについて来いと言ってるんじゃないのか?」
白髪男が、若者をけしかけてついて来た。よし、このまま来いよ!
おれは二人を連れて、元来た道無きところを登り始めた。
「うわっ、なんだあれは?」
と白髪男が声を上げた。車の中は、白い煙ですっかり見えなくなってしまっている。
「よし、手分けして中にいる人を助けるぞ!」
はい、と若者が反対側へ回った。白髪男は迷うそぶりを見せず、後ろのドアを開けた。
「うぷっ」
白髪男が、手で口を押さえた。そしてすぐに離す。彼は、ポケットからマスクを取り出して顔に付けた。
彼は、上半身を車内へ突っこんだ。少したつと、すばやく何かを抱え出した。マユだった。
おれは反対側に回ってみた。若者がパパを引っ張り出しているところだった。
「おい!」
白髪男が若者を呼んだ。若者は、パパをかついで白髪男の元へと向かう。
「谷口! ここはオレに任せて、お前は百十九番しろ!」
白髪男が、ママを担ぎ出しながら叫んだ。
「分かりました!」とパパを降ろすと、若者はふもとへと走っていった。
「今助けてやるからな!」
見ると、白髪男はマユの口を開けて、自分の口をつけている。どうやら息を送りこんでいるらしい。
「ケホッ」とマユがむせかえった。もう安心だろう。おれは、そっとその場を去った。煙たくて、鼻がひんまがりそうだ。
ある暑い夏の昼ごろ、おれは神社の屋根下で休んでいた。今日は一歩も歩きたくない気分だ。
ふと、聞きなれない足音が、階段の下から聞こえてきた。しかも、かなりの人数だ。
「――あ、あの時のねこさんだ!」
頭の左右で髪を束ねた女の子が、おれのいる賽銭箱へ駆けてきた。
「こらマユ! 転んじゃうわよ」
女が不安そうな顔をしながら近づいてきた。彼女の後ろには、三人の男がいた。そのうちの二人は、あの家族を助けた男たちだった。
「ほら、パパ見て! ねこさんかわいいよ!」
そう言って、マユはおれを抱き上げた。三人の男の方へ向く。
「そのねこが、私たちに知らせてくれたんです」
白髪男が、おれを見ながら言った。
「おやっさんに付いて行ったら驚きましたよ。黒ねこって頭いいんですねー」
若者は、感心したようにうなずいている。すると、ママがおれの頭をなでてきた。
「このねこは、もしかしたらねこ神なのかもしれませんね。だってそうでしょう? この神社にはねこが祭ってあるんですから。きっと神様が、『命を粗末にするな』と言ってくれたんです」
今度は、パパがおれのあごをさすり始めた。
「そうだな。今思うと、心中しようとしていたのがバカバカしく感じるよ」
白髪男が家族の隣に立った。
「借金と失業くらいで自殺なんて、とてももったいないです。生きていれば、きっといいことがありますよ」
その通りです、と若者が続けた。
「おやっさんは数え切れないほど仕事を変えているんですよ。こんな人がまだピンピンしているんですから、絶対大丈夫です!」
「『こんな人』とはなんだ! このバカ!」
白髪男が、若者の頭をぶったたいた。パパとママがクスッと笑う。
「あ! パパとママ、やっと笑った!」
マユはうれしそうに、おれを抱いたままクルクル回り始めた。うわっ、目が回るー。
「マユ……」
パパとママは、しゃがんでマユに視線を合わせた。目がうるんでいる。
マユは、二人に抱きしめられた。マユの腕がゆるみ、おれは落とされた。
マユは突然の出来事に、目を丸くしていた。だが、すぐに満面の笑顔を浮かべ、
「パパ、ママ、だーいすき!」
と二人のほおにキスをした。
パパとママの目から流れる涙は、しばらくの間止まらなかった。
「バイバイ黒ねこさん!」
マユが階段の所で、大きく手を振っている。おれは、
「元気でやれよ」
とささやいた。
「ねえ、パパ、ママ! ねこさんが答えてくれたよ!」
マユは階段を駆け下りていった。去りぎわに見せた顔は、とてもきれいで無邪気だった。
「うわーん」と泣く声が聞こえてきた。おれは早足で向かった。
どうやら転んだらしい。階段の下では、パパに抱きかかえられ、ママに頭をなでられているマユの姿があった。
前作から三週間ぶりの更新となりました。いろいろ構想を練ったり休憩……ネットサーフィンしていたら、こんなに時間がたっていたのです。
久しぶりに、黒ねこの一人称で書いてみました。楽しく読めたのならうれしいです。
最後に、忙しい時間を割いて読んでくれた方々に感謝します。ありがとうございました! また次作にてお会いしましょう。