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猫とワルツを  作者: ピジョン
第3章 愛が流れる
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第9話 戦い終えて

◇ ◇ ◇ ◇



 ニーダーサクソンの国境沿いに、第七連隊が西のノルドライン目指して移動を開始して三日目のこと。

 先頭を行く三人の騎士が、馬を隣り合わせにして、難しい表情で話し込んでいる。


「おい、そろそろ団長が目を覚ますんじゃないか?」


 大の男が三人がかりでようやく押さえ付けたアキラ・キサラギであるが、その後も暴れ狂ったため、拘束を止む無くされた。

 アキラは狂ったように抵抗し、気絶するようにして眠りに落ち、目を覚ましては暴れ狂うというサイクルを、既に三日繰り返している。


「ベッカーの手紙には、何て書いてある?」

「絶対に刀を渡すな、だってさ」


 三人の表情は、この先の展望を語るかのように、皆一様に暗い。


「武器を渡さんのはいい。だが、いつまでもそういう訳には行かんだろう」


 彼らの指揮官であるアキラ・キサラギという女性の強さは、荒くれの『第七連隊』の皆が認めるところだ。素手でも、そこらの男などよりよほど強い。

 アキラ・キサラギは小柄だが、強く、抜け目ない。そのうち何とか自力で縄目から抜け出し、武器を手にするのは時間の問題と思われる。

 武器を――特に刀を手にしたアキラ・キサラギの強さは正しく鬼神だ。理性の箍が外れたアキラがどうするか。大隊長たちが頭を悩ませるのはそこだ。

 アキラの自力での問題解決は、三人の大隊長たちとの間に深刻な溝を生むだろう。


「国境外への退去を指示したら、渡してかまわんとよ」


 大隊長たちは胸を撫で下ろすと同時に、少し呆れてしまう。彼らの副長が、根は真面目で、殊の外、心配症なのは知っていたが、遺書とも呼べる手紙にここまでのことが書いてあるとは思わなかったのだ。


「そうか……他に、まだ何かあるか?」

「……後は、エルって娘と、団長個人への手紙だな……」


 それきり、三人の大隊長たちは、口を閉ざした。


 日が落ち、設営されたアキラ・キサラギの天幕から悲鳴が上がったのは、深夜になってからだ。


「うあああああーーーーっ! 馬鹿共、縄を解け! おまえら、一人残らず叩き切ってやる! 菊だ! ボクの菊を持って来い!」


 今夜もまたか、と大隊長たちは頭を抱える。

 アキラの愛刀『菊一文字』は、特殊な武器であり、これの替えはない。それ故に戦乱の最中でも回収されてある。だが恐慌甚だしい彼らの指揮官に、それを渡すことはためらわれる。


「レオ! レオ! 何処だ! 何処にいる! やつが死ぬはずはないんだ!」


 三人の大隊長たちは、疲労の濃い表情で、話し合う。


「まあ……ひどい別れ方でしたからね……」

「で、どうするよ……?」

「ベッカーの手紙には、あのエルって娘に任せろってあったが……」


 その答えは、アキラの天幕から響いて来た。


「エル! エルーーーーっ! よくもレオを刺したなぁっ! 殺してやる! 絶対に殺してやるぞぉっ!」


 こりゃ、駄目だ。三人の話し合いは、いつもここで終わる。


「馬鹿共! よくもレオを殴ってくれたな! 楽に死ねると思うなよぉっ!」


 それをやったのは、他でもないレオの指示によるものだ。だからと言って、三人は開き直るわけではない。瀕死の彼に行った無法の裁きを受ける覚悟はある。アキラの報復は恐ろしいが、殊更それを恐れることはない。そのように、腹の据わった三人だからこそ、レオは後事を託したのだ。


「でも、いつまでもこのままってわけにも……」

「だな……」

「俺らみたいな、ぼんくらが話し合っても何も変わらん……ここは、もう神父の息子の手紙通りにするしかないぞ……」


 三人は頷き合う。

 『猫の懐刀』が失われて三日。それぞれ思うところはある。

 レオは、神父の息子であるためか、慈悲深く、優しい男だった。

 戦の終わりは、彼が死者を弔うのが常であった。

 罰当たりでも神父の息子だ。祈りを捧げ、死者を悼むのが、いつの間にか彼の役割の一つになっていた。


「こりゃあ……おちおちくたばることもできんな……」


 いつ、どこの戦場で死んでも、彼が骨を拾ってくれる。彼が自分を送ってくれる。第七連隊の騎士たちは、皆、それを受け入れていた。


「置いてきちゃいましたからね……団長が怒るのもわかります……」

「……本人が望んだんだろう……」

「皆と一緒が、よかったんだろうな……」


 立てない者は、置いて行く。戦場の習いだ。


「嫌ですよ。野垂れ死には……」

「……だな。送るやつも、もうおらんからな……」

「ああ……神父の息子のためにも……」


 このままでは終われない。

 それが三人の共通した意志であった。



◇ ◇ ◇ ◇



 暗い天幕の中では、後ろ手に拘束されたアキラが、呪詛の言葉を撒き散らし、辺りを転がり回っている最中であった。


 恐慌を起こし、ひたすら荒れ狂うアキラとは違い、一方のエルは落ち着いたものだ。

 拘束を解かれた後は、行動も特に変わったことはなく、きちんと睡眠を取るし、食事も欠かさず取る。

 この猫の娘に対して、三人の大隊長たちは困惑と同時に嫌悪を抱いた。

 彼女が、レオンハルト・ベッカーを刺したのだ。

 だが悪びれる様子もなければ、行為を反省する様子もない。


「准将とお話しすればよいのでしょうか?」

「あ、ああ……頼む。元気付けてやってくれ……」


 エルは一つ頷き、


「それでは」


 と天幕の中へ入って行く。

 次の瞬間、天幕の中からとてつもない呪詛の叫びが上がる。


「エル! ああ、エル! よくもボクの信頼を裏切ってくれたな!? この世に生を受けたことを後悔するほどの苦しみと痛みを与えてから、おまえを殺してやる!」



◇ ◇ ◇ ◇



「准将、怒っておられるので?」

「当たり前だ!」


 アキラは喚き散らし、ぎりぎりと歯を鳴らした。拘束されたままの姿で、狂ったように辺りを転がり回る。


 エルは首を傾げた。


「なぜ、エルが怒られるのでしょう?」

「――いちいち、ボクに、おまえのしたことの説明をさせるつもりかぁっ!」


 悪びれず言い放つエルの様子に、アキラは尚更暴れ狂う。

 一頻り暴れ狂い、体力を消耗した後で、アキラは呻くように言った。


「なぜだ……なぜ、レオを刺した……」

「それを怒っておられるのでしょうか?」


 どうしても理由が分からないというエルの様子に、アキラは再び激発しかけるが、両手両足を拘束されたこの体勢ではいかんともし難い。ぎりぎりと歯を食いしばる。

 エルは言った。


「准将とエルは、目的を共にして参りました。准将が手傷を負われた以上、エルが事を為すのは当然のことではありませんか」

「目的を、共にだと……!?」


 アキラは身を焦がす怒りのあまり、気絶しそうになった。


「ボクがおまえの同志みたいな言い方をするな……!」


 エルは、怪訝そうに眉を寄せる。


「准将、話がかみ合っていません。なぜ、嘘を吐かれるのですか?」

「嘘だと!?」

「はい。准将はエルと同じ。少佐を、殺めたいほど愛しておいでになられたはずです」

「――――」


 その瞬間、アキラは絶句した。

 呆れたのでなければ、込み上げた怒りのせいでもない。エルの言葉が当を得たためだ。


「ちっ、違う! ボクは、レオを殺そうとなんて――」

「嘘です」


 互いに言葉にしたことはない。

 猫の獣人が持つ同族感での強いシンパシーだ。

 猫は互いに争わぬ。そう言われるのは、その強いシンパシーあってのことだ。

 アキラとエルは、初対面で強く同調した。それは、心の一部を共有したと言っても差し支えないほどの強い共感だった。

 それ故、アキラとエルはここまで上手くやって来たのだ。


「准将は……少佐を殺めたかった。すり潰して、自らもまた、溶かし、それこそ混ざり合ってしまいたかった」

「違う、違う……ボクは、そんなこと……」


 答えながら、アキラの声は、徐々に勢いを失って行く。だが、はっとしたように再び怒りを込めて言う。


「仮に、ボクがそう思っていたとして、おまえはどうなんだ? ボクと一緒なら、おまえはなぜ生きている」

「少佐の死を確認しておりません」

「口は重宝だな。何とでも言いようはあるものな。レオの仇は取らせてもらう。今の内に神に祈っておくんだな」

「……」


 エルは少し考え込むようにして黙り込んでいたが、ややあって口を開いた。


「エルに先を越され、それで怒っておられるのでしょうか。それならば、少しは分かります。ですが、それは先程申した通り、准将が手傷を負われたからで――」

「黙れ黙れ黙れ! 耳が腐る!」

「それでは、エルが問いますが、准将は、少佐をどのようにされたかったのですか?」


 アキラは鼻を鳴らした。


「決まってる! ボクは、レオを……レオを……」


 どうしたいのか。それが答えられず、アキラは動揺する。

 アキラ・キサラギは、レオンハルト・ベッカーをどうしたいのか。それを明確に考えたことはなかったのだ。


 エルが告げる。


「准将は、少佐を殺めたかったのです」

「違うっ!」

「では……准将は、どのようにして少佐と一つになられるおつもりで?」

「それは――」


 アキラは途方に暮れた。エルの問いに、答えられないからだ。

 そして、その問いに答えたのは、エルだ。同族感の強いシンパシーが、その問いの答えを掴んでいる。


「准将は、少佐の子を孕むことができませぬ」

「や、やめっ――」


 その先は、聞きたくない。アキラは耐え難い苦痛から逃れようとするかのように、固く目を閉じる。


 アキラ・キサラギはハイブリッドだ。生命体として随分進化している。その新人類とも言うべき彼女が、最早、旧態前とした人間の血を受け入れぬことは自然の理と言ってよい。人間という種族が、滅びかけているのがその証明でもある。

 エルは続ける。


「准将は、いくら身体を重ねようと、心を重ねようと、少佐と一つには、なれないのでございます」

「やめろっ! 言うな! 言うなっ!」

「だからこそ、准将は国を志されたのでは?」


 アキラ・キサラギという生物は、レオンハルト・ベッカーという男を受け入れることは出来ない。

 薄々感じてはいたが、アキラはそのことに関する思考を避けていた。


「少佐は、お優しい方でしたが、心の底では戦うことを愛されておりました。なればこそ、准将は、何より偉大な軍人であらねばならなかった。戦うことで己を表現するしかなかった」


 それは、アキラ・キサラギの真実だ。

 突き付けられた真実に耐え切れず、アキラは悲鳴を上げる。


「ああああああーーーーっ! やめろっ、それ以上、言うなっ!」


 エルは頷いた。


「准将が、エルを恨むことは筋違いであるとお解りいただけたでしょうか」

「…………」

「未来を与えてやれぬ女が、愛する男を手に入れるためには、殺めてしまう以外に方法はない。そうお考えになられたからこそ、准将とエルは同調したのです」

「う…う…うう……」


 ――アキラは泣き出した。


 それでも、アキラ・キサラギは女で、レオンハルト・ベッカーは男なのだ。


 愛して、何が悪い。愛しい者を傷つけられて怒ることの何が悪いというのか。


 だから、アキラは言う。


「……それでも、彼は、ボクを愛してくれたんだ。ボクは、彼が居ないと、ダメなんだ……」


 難しい理屈はどうでもいい。


 レオンハルト・ベッカーが恋しかった。


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