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猫とワルツを  作者: ピジョン
魔女の恋
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第6-2話 怒り4

 長い渡り廊下を抜け、第七連隊の兵舎へ向かう。

 悪い予感がする。

 馬鹿共とイザベラの忠告、そして第五連隊副長の忠告で、その悪い予感は否が応にも現実味を伴ったものになりつつある。


「少佐! お待ちください!」


 その背後からの声に、俺は内心、舌打ちする。

 右足は歩くくらいなら支障はないほどには回復しているが、未だ走れるほどではない。


「少佐! 少佐!」


 呼びかける声が、徐々に怒気を孕んだものになって来た。歩みを速める。

 通路の向こうから、第五連隊の騎士数名が俺を指さし、駆け出すのを見て、避けるように角を曲る。


 ……やばい!


 追われている。



 一個小隊くらい護衛に付けた方がいい……



 今更ながら、馬鹿共の忠告が身に染みる。

 事態を甘く見ていたのは俺だけということか……しかし、これは一体どういうことだ? なぜ、第五連隊の騎士たちは俺を追いかける?


 ジークの命令……?


 確信にも似た閃きが脳裏を過る。

 その思惑の正しさを裏付けるように、騎士たちの声が上がる。


「居たぞ! 金貨百枚だ!」


 いかにも有り難い名前だが、俺はそんな名ではない。

 第五連隊の騎士たちから逃げるようにして、角を曲がる俺だが、その足取りは重い。足の不具合から来る重苦しさでなく、第七連隊の兵舎から益々離れて行くことに対しての状況のまずさからだ。


 ……追い立てられている。だとしたら、次に来るのは……


 第五連隊兵舎の居住棟を抜け、防火用水の貯蔵庫付近で出くわしたのは、十人ほどの集団だった。

 ――待ち伏せだ。ある意味、見事だ。俺はこの猫目石の副長として、兵舎の建築物の位置関係……抜け道は熟知している。その俺をしてやり込めたのだ。

 まあ、捕まえるのが味方の俺である以上、褒めてはやらんが……。


 俺は腰に吊った長剣を地面に投げ出し、小さく嘆息して見せる。


「……投降する」


 ジークが俺を害するようなことはないだろう。その思惑からの言葉だ。


「流石は少佐。状況をお察しのようで、理解が早くて助かります」


 恭しく返す言葉と同時に、居並ぶ騎士の一人が持っていた棍で、俺の足元を強く打った。

 別に驚くようなことじゃない。

 俺を取り囲む騎士たちから冷やかしたような声が上がる。


「おい! まずいって!」

「大丈夫だ! 少し暴れたってことにすりゃ、いい!」


 地べたに膝をつきながら、俺は不敵に笑みを返す。

 仕返し……よくあることだ。


 第五連隊が武勇を売りにする以上、この場での報復はない話じゃない。


 俺は、空を見上げる。


 一方的に殴られるのは慣れている。けど、悔しさに慣れるわけじゃない。痛みに慣れるわけじゃない。


 分かっているんだ。こんなとき、見上げた空が嫌になるほど青いのは。


 無関心の青。分かっているんだ……。


 でも――


「あんたたち、やめなさいっ!」


 この日の空は、今にも泣き出しそうな空だった。



◇ ◇ ◇ ◇



 イザベラは得意だった。

 腕組みした姿勢で胸を張り、膝をつくレオンハルト・ベッカーを見下ろして、笑みを浮かべて見せる。


 レオは、今にも泣き出しそうな顔で、右の膝を押さえていた。


 その様を見て、イザベラは軽く鼻を鳴らす。これで少しは、自分の優しさが身に染みることだろう。

 レオが何か言いたそうに口を開こうとする。


 そうだ。お礼の言葉を聞いてない。馬鹿みたいに素直なところがある男だ。きっと、この好意に涙を流して喜ぶだろう。


 イザベラは、にやにや笑って言葉を待つ。


 だが――レオの口から飛び出したのは、イザベラが想像していたものとはまるで違う言葉だった。


「なんで……なんで、来てしまったんですか……エルフのひと……」

「……え?」


 馬鹿なレオンハルト・ベッカーが、イザベラの予想を裏切るのはよくあることだが、今回のこれは、極めつきだ。

 しかも、今、初対面の時のように、『エルフのひと』と言った。


 レオンハルト・ベッカーは泣いているようにも見えたし、怒っているようにも見えた。焦っているようにも見える。

 イザベラは、困惑して言った。


「なんでって、とっ、通りがかっただけで……かっ、勘違いしないでよね! あ、あんたのためなんかじゃ……」


 レオは答えず、この場での問答を避けるように首を振った。


「お、おい、なんでバックハウス大佐が来るんだよ……」

「どうするんだよ……」


 周囲を囲む第五連隊の騎士たちに広がる困惑を尻目に、イザベラは面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

 後は、どうとでもなる。第七連隊ならともかく、第五連隊の連中に、この続きをする度胸はないだろう。

 唐突に、イザベラの腕を、ぐいっとレオが引っ張った。同時に腰が軽くなる。


「来るな! 寄らば、斬る!」


 叫び、周囲を牽制するレオの手に、イザベラの長剣が光る。


 馬鹿な……イザベラは軽い目眩を感じて蹌踉めく。


 この状況下での抜剣が、どのような意味を持つか分からない男ではないだろう。殺してみろと言っているようなものだ。

 舌先三寸で切り抜ける術もあった。


 早とちり……暴挙だ。


 侮辱でもある。門地だけで成り上がったそこらの貴族令嬢とでも思ったか。イザベラの頭に、かっと血が上る。


 だが、その反面で――この瞬間が、イザベラの胸になんとも心地よい。


 力強く腕を引かれ、背後に庇われるこの立ち位置が、イザベラの胸になんとも言えない甘美な快感を喚起するのも事実だ。


 レオンハルト・ベッカーには、イザベラを捨て身で守る覚悟がある。


 愚かだ。だが、それは愛すべき愚かさだ。

 胸が震える。同時に理解する。レオンハルト・ベッカーは男で、イザベラ・フォン・バックハウスは女なのだ。どうしようもないくらい。


 強い酒を一気に煽ったような酩酊感があった。


 イザベラは、レオに手を引かれ、ふらふらとその背中に付いて行く。何も思いつかぬ馬鹿のように。無力で、か弱い女のように。そのどちらも、イザベラ・フォン・バックハウスという女性の本性ではないにしても。


 どこをどう歩いたか、それはイザベラには分からない。

 ただ、頼ってもよい背中に付いて行く。それがなんとも心地よい。


「少佐どの! 今度ばかりは、目玉の一つ、足の一本で済むと思わんことですな!」


 第五連隊の騎士たちが騒がしい。

 多勢を盾に少数を相手取るなど、騎士の端くれにも置けぬ者たちだ。その無恥は命をもって贖われるべきだろう。イザベラには、それを実現する力がある。だが今は――


「イザベラっ! こっちだ!」

「あ……」


 余りにも甘い、この刹那に、身を浸していたい。


 そして、とん、と背中を押され、イザベラの刹那は終わりを告げる。


「…………」


 視界が暗い。背中を押され、たたらを踏むようにして飛び込んだ一室で鼻に衝いたのは、古い火薬と錆びた鉄の匂い。

 武器、火薬の類いの殆どは第八連隊の増設された兵器保管庫に運び込まれているが、第五、第七連隊に兵器の保管庫がないわけではない。

 現在は何もない予備室の一つとなったそこに、押し込まれたと気づくのに、イザベラは数瞬の時間を必要とした。


 その直後、重苦しい鋼鉄製のドア一枚を隔て、男たちの声が上がった。


 何が起こったかを瞬時に理解したイザベラは、大きく息を吸い込むと、


「わあああああああああああああああああああ! わあああああああああああああああああああ! わあああああああああああああああああああ!」


 一寸先も見えぬ暗闇の中、力の限り悲鳴を上げた。

 狭い予備室の中を金切り声が響き渡りうるさい。


「わかんない! わかんない! わかんない! 何で、こうなるのよ! あんたなんか、雑魚の癖に! 雑魚の癖に!」


 イザベラは、力の限り、鋼鉄製の扉を押し返す。


「あんたが私を庇おうなんて、百万年早いのよ!」


 扉は固く閉じたまま、びくともしない。扉の向こうから強く押されているのだ。


 つまり、レオンハルト・ベッカーは、相手に背を晒している可能性が……


「わあああああああああああああああああああ! わあああああああああああああああああああ! 開けなさい! 開けなさい! 開けなさい!」


 その求めに応じるように、僅かに開いた扉の先に、笑みを浮かべるレオンハルト・ベッカーの姿が見えた。


「俺は大丈夫です……エルフのひと……来てくれて、嬉しかった……」


 ――笑っ、た。


 イザベラの全身から、すっと力が抜ける。


 愛や友情、信頼の形というものはエルフの叡知をして説明不可能なものだ。だが、それらが確実に存在することは知性のある生物なら皆、知っていることだ。

 その言葉に籠もる理屈では測れない何かが、イザベラから力を奪う。


 重苦しい音を立てて、再び鋼鉄製の扉が閉じられた。


 そして――永遠にも感じられる一瞬の静寂を挟み、先程のものとは種類を別にする大きな悲鳴が、イザベラの耳に飛び込んで来た。



◇ ◇ ◇ ◇



 イザベラを予備室の一つに放り込んだまではよかった。だが、一拍置いて狂ったように反抗し、重い鋼鉄製の扉を向こうから押し返して来る。これがまた、元来、華奢でひ弱なエルフとは思えないほどの馬鹿力だ。


「うごごごご……」


 なんてクソ力だ!

 第五連隊の騎士たちは、手に手に得物を持ち、皆一様に没個性の歪んだ笑みを浮かべている。


「もてる男は大変ですな、少佐!」


 どっ、と笑い声が上がる。


「少佐、何人の女がおられるので?」

「……まだ二人しか居ないよ。頑張って増やそうと思ってるところだ……」


 何か気の利いた皮肉の一つでも返してやりたいが、それどころではない。

 イザベラの抵抗は益々強くなる。予備室の中で狂ったように喚き散らし、扉を叩きまくる。

 こんなことに手間取っている暇はないのに。


 やむを得ず、扉を少し開く。


 イザベラの美しい金髪は乱れ、所々跳ね上がり、端正な顔立ちはくしゃくしゃに歪み、今にも泣き出しそうな顔だった。



◇ ◇ ◇ ◇



 俺には、エルフという生き物は、皆同じもののように見える。


 エルフという生き物は誇り高いのではなく、ただ見栄が強いだけだ。一見、冷たいように見えるが、その実、慈悲深い。

 故郷に居た純血種のエルフの女がそうだった。

 ニンゲンに名乗る名などない、と憎まれ口を叩く癖に、俺の頭を撫で回し、恵んでやると言っては、お菓子やクッキーをくれた。

 没落した貴族の出身で、その日食べるパンにも事欠いていた癖に。


 エルフのひと。


 名乗ることのない彼女を、村の者はそう呼んでいた。美しく、優しい女だった。


 村を出て行く際、挨拶に行ったら、棒で思い切り叩かれた。泣きながら、何をやってもいいから死ぬな、と言われたのが一番の思い出だ。


 今はもう朧げで、カビが生えるくらい昔の話だ。



「俺は大丈夫です……エルフのひと……来てくれて、嬉しかった……」



 感傷に浸るほど年を食った覚えはない。ただ、俺は、あの日彼女から受け取ったものを返したい。エルフを見る度にそう思う。

 いい機会だ。これで勝手に返したと思わせてもらう。


 だから、エルフの女……少し笑ってくれないか……?


 笑みを浮かべて見せると、イザベラは、はっとしたように顔を上げ、力なくその場にへたりこんだ。


 重苦しい音を立てて、再び鋼鉄製の扉が閉じられる。


 名前も知らない女への恩返しだ。よく知らん女に返したからといって、非難される覚えもない。


 そう言えば、青い瞳をした女だった……。


 俺の目に、エルフは誰も皆、同じように映る。愛したいとは思えない。


 名前も知らない女の話。カビが生えるくらい昔の話だ。



「少佐、もう終わりましたか?」



 揶揄するような背後からの声に、俺は少し笑ってしまう。

 流石、ジークの部下だ。待っていてくれた。これでも騎士というわけだ。


「……上等だ! このぼんくらども! 遊んでやる! かかって来い!」


 気が重たいのはこれからだ。



◇ ◇ ◇ ◇



 振り返った俺が見たものは、滑るように駆けて来るアキラ・キサラギの姿だ。

 俺を囲むようにして展開している第五連隊の騎士たちの向背から駆けて来るアキラには、表情というものがまるでない。人としてあるべきはずの体温というものが感じられない。


 そのアキラ・キサラギが九つに『ばらけた』。


 『キサラギ』の奥義――『分身』だ。その昔、俺にだけ特別に見せてくれたキサラギ家門外不出の奥義。流出を防ぐため、他者の目に付く場での使用を禁じられている。それを惜しげもなく使った。つまり、アキラは――この場にいる俺以外の全員を、生かしておくつもりがない。


 ここ最近のアキラは落ち着いていた。その、安定したアキラが、この場で第五連隊の騎士たちを殺すとは思いたくなかった。だが、『分身』を使う以上、その殺意は確固たるものなのだろう。


 ……予備室にイザベラを隠したのは正解だった。


「それでは少佐。お言葉どおり、少し遊んでいただきましょうか」


 手に手に得物を持ち、にじり寄る騎士たちに首を振って見せる。死人と口を利く程、酔狂ではない。


 アキラが死を携え、音もなく駆けて来る。



 九つの手がカタナの柄に掛かり、そして――全ては、唐突に終わりを告げる。


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