第6-2話 怒り2
俺は、定まらぬ足取りで第八連隊の兵舎を後にした。
気持ち悪い……。
「なによ……ちょ、ちょっとした冗談じゃない」
名残惜しそうに言うイザベラは、とても残念そうだった。
賭けてもいいが、絶対本気で言っていた。
そのイザベラだが、ちょこちょこと、俺の後に付いて来る。
「ねえ、救急箱。あんた、真っ青な顔色してるわよ?」
おまえのせいだ。
「ねえ、怒ったの? 何か言いなさいよ」
ねえねえやかましい、付いて来るな。
「ねえねえ、第五連隊の兵舎に行くの? そっちは、あんたに良くない卦が出てるから、やめといた方がいいわよ?」
イザベラは青い瞳を輝かせ、浮かれた小娘のように俺にまとわり付いて来る。
やれやれ……困ったエルフの姫さんだ。俺は足を止め、イザベラに向き直る。
「イザベラさま、付いて来ないでくれます?」
「嫌よ」
と、イザベラは身も蓋もない。
「あのねえ、私は、これでもあんたのことが心配なのよ」
「はあ……そうですか。そいつは、どうも」
「だってそうでしょ? ジークと猫は、あんたを傷つけてばかりじゃない。その点、私は違うわよ。あんたを守ってあげる」
「ジークとアキラが、俺を傷つける……?」
俺は空を見上げる。
イザベラの言葉を否定できない。だが、それでも……今の俺を語る上で、あの二人が俺の恩人であることは間違いない。だから言っておく。
「余計なお世話です。帰ってください」
それに、目が潰れ、足を引きずる様になっても、誰かに守ってもらわねばならないほど落ちぶれたつもりはない。
イザベラは、呆れたように肩を竦める。
「まったく、あんたと来たら、雑魚のくせにホンとに強情ねえ」
「…………」
俺は周囲を見渡し、人気がないことを確認する。
言わせて置けば好き放題に言うこの性悪女に、お灸を据えてやりたくなったのだ。
「失せろ、性悪女」
一息に言い放つ。一度、面と向かって言ってやりたかった。
「なっ――」
「いんちきなまじないが、そんなに得意か? だったら路地裏で占い師の真似事でもするんだな。とっとと失せろ、俺に付きまとうんじゃない」
「な、ななな何よう、いきなり強気になって」
俺は所詮、傭兵上がりのろくでなしだ。騎士などと踏ん反り返ってみたところで、本当のところは何も変わりはしない。
イザベラは、突然の俺の変貌を理解できないようだ。動揺も露に言い募る。
「あんたのために言ってあげてるんじゃない!」
「……」
反論の必要を感じない。
無視して俺は歩きだす。
その俺の背中に向かって、イザベラが罵倒の言葉を投げ付ける。
「あんたなんて、やられちゃえばいいのよ! 猫と寝たくせに! 私が何も知らないとでも思ってんの!?」
だれのせいだと思っている。
俺は溜め息を吐く。
今のイザベラは、欲しい玩具が手に入らなくてごねているただの子供だ。
◇ ◇ ◇ ◇
第五連隊の兵舎に、ジークは居なかった。
エミーリア騎士団に於いて、一個連隊は一五〇〇~二〇〇〇人程で編成される。通常、これを指揮するのは大佐か中佐の階級を持つ佐官だ。これを補佐する副長が中尉か大尉の階級を持つ尉官だ。
留守を預かっていた第五連隊の副長の話では、ジークは連隊の殆どを引き連れて、兵舎の外れにある練兵場に向かったようだった。
俺の突然の来訪に驚いたのか、頻りに唇を嘗め、落ち着かない様子の副長の襟首に懐かしい『大尉』の階級章が光る。
「そっ、その、少佐。執務室で待たれますか?」
その問いかけに、首を振る。
俺の目的は、あくまでも第五連隊の現状の把握にある。ジークに会うことではない。
第八連隊でそうしたように、日々の練兵内容や執務内容を確認し早々に去るべきだ。
イザベラのまじないも気になるが、先日、馬鹿共に受けた忠告も気になる。
『第五連隊の連中に気をつけろよ。やっこさん、大将が復活して盛り返して来てるからな。色々とあるかもしれん……』
先の模擬戦で第五連隊を徹底的に叩いた俺は、当然だが、第五連隊の騎士たちに恨まれている。
俺としたことが……少しむきになっていたのか?
だがここまで来てしまった。そして俺はガキの使いではない。何もせず、手ぶらで帰るわけには行かない。
ジークは武人だ。練兵の内容より、日頃の執務内容が気掛かりだ。
「なあ、大尉。第五連隊の物資の目録と帳票を閲覧したい」
「え……ウチの、第五連隊のですか?」
手応えのなさに、俺は少し呆れてしまう。イザベラのように全てお見通しというのも困るが、こうも無防備だとしらけてしまう。
「心配せんでも、余程のことがない限り大事にはせんよ」
俺は内務関連の役人ではない。不正を見つけても、余程、大掛かりなものでない限り告発などという面倒な真似はしない。
だが、そんな思惑とは関係なく、大尉の顔色は悪い。
「しっ、しかし、少佐。それは、アスペルマイヤー大佐の許可がなくては……!」
「俺はこの『猫目石』の副長だ。部隊に命令を出すというのならともかく、この程度のことに、大佐の許可はいらんよ。それとも、第五連隊は何か? 部隊の運営に際して、隠しておきたいことでもあるのか?」
「いや、そんなことは! ですが……!」
再三、食い下がる大尉に、呆れて首を振って見せる。だがそこで、
ああ……そういうことか。
俺がどう思うか、ではない。この際の問題は、彼らが俺をどう思うか、なのだ。
先の模擬戦で徹底的に第五連隊を叩いた俺は、彼らには悪魔の化身のように見えるだろう。
その悪魔の化身のような俺が、幾ら大丈夫と言ったからと言って、それは何の保証にもならない。そういうことだろう。
やれやれ……身から出た錆か……厄介なことだ。
俺は揉め事を起こしたいわけではない。そもそもこの視察は俺の独断によるものだ。こちらも無理は憚られる。
「……しょうがない。今回は大尉の顔を立てて、出直すことにしよう……」
「え?」
大尉は以外そうに言い、今度は押し黙った。
――違和感。
言葉にするならそうだろう。大尉は少し考え込むようだったが、ややあって、ためらいがちにではあるものの、言った。
「その、少佐……差し出口を承知で申しますが……」
「なんだ?」
「アスペルマイヤー隊長に気をつけて下さい」
「……わかった」
互いに多くを言い交わすことはせず、俺は第五連隊の兵舎を後にした。