第6-2話 怒り1
プライベートで多くの時間を共に過ごすようになり、アキラはよく眠るようになった。
『猫』という生き物は、元々が怠惰であり、よく眠る。エルも暇な時は、ソファで眠っている。
現在、猫目石の執務室では、アキラ・キサラギが午後の昼寝を楽しんでいる。
最近のアキラは我が儘を言って俺を困らせることも少なくなった。だが、断りもなく一人にされるのは嫌なようで、無断での外出には気を悪くする。
療養明けの俺は、『猫目石』の正確な現状を把握すべく、第五、第八連隊への視察を予定している。
不要になった書類で幾つか折り鶴を作り、その内の一つをアキラの手に、残りを机上に並べておいた。
アキラは、こういった茶目っ気を喜ぶ。
口元に僅かな笑みを浮かべ、小さく寝息を立てるアキラを残し、俺は執務室を後にした。
求婚の件以来、何かと接触を試みようとするジークは避け、先ずはイザベラの指揮する『第八連隊』の兵舎へ向かう。
しかし、あの性悪女には泣かされた。
ジークに求婚された際、アキラを焚き付けたのは、あの性悪エルフだ。
お陰で酷い目に遭った。一言、言ってやらねば気が済まない。そんなことを考えながら、すれ違う第八連隊の騎士たちの敬礼に軽く頷き返す。
ややあって、一人の女性士官に声を掛けられた。
「副長、お待ちしておりました。こちらです」
「……」
呪術か……。
何らかの卦を立て、俺の行動を見通していたのだろう。
嫌な感じだ。今度は何が飛び出すやら……。
ちなみに、俺への第八連隊兵舎内への出入り禁止は解かれていない。そのためか、女性士官が案内した先は、兵舎裏に並ぶ兵器保管庫の一室だった。
第八連隊は、この猫目石では主に兵站、工作を担当する。そのため、アキラの指示によって兵器の保管庫は増設されている。平時は兵器の整備が任務に含まれるため、人気は少なくない。
身の危険を感じれば、即座に引き返そうと思っていた俺だが、イザベラの方でも気を使っているようだ。
部屋に入るなり、イザベラは眉間に皺を寄せ、言った。
「まったく、あんたと来たら、本とに用心深いわね……」
よくわからん言いようだ。無視する。
保管庫、と言っても刀剣の類いや大砲、バリスタ等の兵器はなく、こざっぱりと片付けてあるのはイザベラらしい気遣いだ。
部屋の中には応接用のテーブルが一つと、やはり同じように応接用のソファが用意されてある。窓際には観葉植物の鉢植えが幾つも置かれていて、何やら赤い花を咲かせていた。
テーブルの上には分厚い書類の束が重ねられてあり、紅茶が注がれたカップからは湯気が上がっている。
「バックハウス大佐、こうして、ゆっくり会うのは久しぶりですね。先日はお世話になりました」
「ああ……それなら、私が悪かったわよ」
イザベラは偉そうに腕組みし、俺に席を勧めながら、自らも腰掛けた。
「ん……先ずは、それでしょ?」
と言って、イザベラが指さしたのはテーブルの上の書類の束だった。
手にとって確認すると、それは日頃の執務内容や、各部隊の日報、練兵の内容等が細かにまとめらた書面の数々だった。
俺は口をへの字に曲げた。
確かに知りたかった内容だ。だが、こうも先回りされると面白くない。
内容は精査せねばならないが、ぱっと見た感じでは問題ない。それが益々、面白くない。
第八連隊の運営は全然問題ない。少なくとも、書類の上では。
「この書類、借りてもいいですか?」
「もちろん。でも、何にも出ないわよ?」
だろうな。自ら請け合うくらいだ。イザベラ・フォン・バックハウスは間抜けではない。それに、視察というものは抜き打ちであればこそ意味を持つ。
無駄足だったか……俺は短く息を吐き、嘆息する。
「あの……言っておくけれど、私は、本当に何も……あんたに都合が悪い真似はしてないわよ……?」
「はい」
さて、この食わせ者がどこまで信用できるやら……。
その俺の思惑とは関係なく、イザベラは何故か落ち着きがない。胸の前で指を組み、もじもじと言い辛そうに、上目使いで俺を見る。
「小官に、何か?」
「け、怪我の……具合は、どうなのよ」
イザベラは軽く唇を噛み、黙り込む。
「……? 見たままです。目は潰れ、足は……もう少しかかりそうです。それが何か?」
「私は、その……騙されただけで……でも、いや、だから……」
イザベラは、へどもどと歯切れが悪い。何度も揉み手を繰り返し、ためらいながらも言葉を継いだ。
「い、言い訳はしないわ……」
「はあ……」
なんのことだ? 全然、意味がわからんが……。
そして、イザベラは、言った。
「……ご、ごめんなさい……」
「……」
……謝った! あのイザベラが謝った! 性悪女が謝った!
俺に……謝った……。
し、信じられん……。全然、意味がわからんが、それは言わない方がよさそうだ。
イザベラは、中指の爪を噛みながら、食い入るように、じっと俺を見つめる。
「……」
おかしな沈黙があった。
周囲に漂う静寂は、いつかのように冷気に満ちた静寂ではない。
イザベラの謝罪には、誠意があり、そこには悔恨の念があった。
どうやら俺は、イザベラのことを勘違いしていたようだ。
イザベラ・フォン・バックハウスという女は、これはこれで可愛げがあり、彼女なりにではあるが、人を思いやることができる……優しい女なのだ。
「ねえ、あんたの目……どうなってんの?」
「左目ですか?」
潰れた左目は腐るだけだと言われたので、摘出した。今は義眼が入っている。
「その、触っても、いい……?」
「は…?」
その瞬間、脳みそを混ぜられたような気がした。
異常な緊張が込み上げ、軽い動機と息切れを覚える。
「し、小官の、左目をですか……?」
「……そっちじゃなくて……」
瞬きすらせず、見つめるイザベラの青い瞳と、俺の一つだけの目が合う。
ごくり、と湧き出した唾を飲み込む。
わからない。
俺の目を触らせろというイザベラの心境がわからない。
生きた方の目を触らせろというイザベラの神経がわからない。
やっぱり俺は勘違いしていた。
イザベラ・フォン・バックハウスという存在は、俺には理解不能な存在だ。