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猫とワルツを  作者: ピジョン
第1章 猫団長始動!
3/42

第3話 猫のワルツ

 第12旅団結成式当日。

 正面切って、アスペルマイヤー、バックハウスの両大佐と会わねばならないアキラは、ぴりぴりとして機嫌が悪い。

 新兵舎の前では、第12旅団総員5732名が集結して、大元帥であるカロッサの訓辞の言葉を聞いている。

 俺のよくない癖で、あまり有り難いお話しを聞き過ぎると、つい欠伸をしてしまいそうになる。

 欠伸をかみ殺していると、それを遠目で見たアスペルマイヤーが口元に笑みを浮かべ、バックハウスが呆れたように肩を竦めていた。

 前に立つアキラが振り返り、囁くようにこう言った。

「おまえ、本当に死にたいらしいな……」

「へっ?」

 恩讐も一昔。喉元過ぎれば熱さを忘れる、とでも言うのだろうか。三年前を彷彿とさせるこの状況にあっても、今の俺が緊張することはない。

 笑みを返すと、一瞬、アキラからどす黒いオーラのようなものが吹き上がったような気がしたが、気にせずにおいた。

 カロッサの有り難い訓辞が続く中、アキラに耳打ちする。

「アキラ……表情が強ばってます。いろいろありましたが、めでたい式典です。もっと朗らかに……」

「おまえを殺してからそうするよ。まったく、ろくなもんじゃない……」

 アキラはしばらくの間、口の中でもごもごと呟いていたが、表情から緊張は消えていた。


 続いてアスペルマイヤーとバックハウスが決意の言葉を述べ、アキラがそれに倣う。

 最後に、この三名がニーダーサクソンに命を捧げる言葉を述べ、カロッサ元帥に忠誠を誓った。


 その後は、兵舎の前に張られた大きな天幕の中で、結成の祝賀園遊会が開かれることになり、俺を含めた第12旅団の主要人物が、一様に顔を面した。

 出会いは、思惑を超えた波乱からはじまることになった。


「やあ、クソ犬じゃないか。こんなところで何をしているんだ?」


 のっけから敵意を隠さぬアキラの言葉に、俺は飲みかけたシャンパンを鼻から吹き出すことになった。

 さすがのアスペルマイヤーも、これには顔を引きつらせ応戦した。


「これは猫団長。ご挨拶だね」


 血の気を飛ばし、呆然とする俺に、バックハウスが歩み寄って来る。


 イザベラ・フォン・バックハウス。

 第八連隊の隊長で、階級は大佐。軍内部では『知恵者』。その根性の悪さから『性悪女』とも呼ばれている一癖も二癖もある人物だ。

 俺の考えでは、武人でありどこか単純なところがあるアスペルマイヤーより、参謀タイプのバックハウスの方が役者は上だ。


「久しぶりね。救急箱」


 イザベラ・フォン・バックハウスはエルフ特有の長い耳に長く美しい金髪を靡かせ、柔らかな笑みを浮かべた。

 救急箱……俺のことだ。まあ、その呼び方も昔からのこと。門閥貴族であり、プライドの高いエルフに、こんな調子ではあるが、口を利いてもらえるのは、そうはないことだ。

「はい、イザベラさま。おひさしぶりです」

「面白いことになって来たわね?」

 イザベラが、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて言う。

「面白い? あの二人の諍いがですか?」

 そのうち、血の雨が降るぞ! 長い耳に向かって叫んでやりたい。

「まあ、なんにしても……」

 イザベラは溜め息を吐き出した。

「ジークはようやく本気になったようだし……あれでよかったのよ」

 全然よくない。

 先日の二人のやり取りを、手取り足取り説明してやりたい。

「それで……救急箱は、どっちが好みなの?」

「はい?」

 それは思ってもみない質問だった。

「もうしわけありません。意味がよくわかりませんが……」

「呆れた。もちろん、女としてよ」

「はあ…女性としてですか」

 ぴんと来ない問題だった。

 アキラに関しては、その好意はかなり歪んではいるが感じている。それだけだ。何も思わない。女性としてというより軍人としては尊敬している。

 ジークに関しては、彼女は門閥貴族だ。平民の俺とは違い過ぎる。最近は疎遠でもあったし、女性としては美しいとは思うが、それだけだ。特に恋愛感情はない。

「抱きたい、とかないの?」

「ありませんね」

 なんてやらしいエルフだろう。少し呆れてしまう。

「本気で言ってんの、それ?」

「はい」

 イザベラはなぜか真剣そのものの表情だ。醜い言い争いを続けるアキラとジークを見つめ、それから俺を見つめる。

「……」

 それきりイザベラは黙り込んでしまった。

 深く青い瞳が揺れてさ迷っている。

 素直に、エルフという生き物は美しいと思う。愛したいとは思えないにしても。

「さて、そろそろ二人を止めてきますね」

 そう言い残し、俺はその場を立ち去った。



◇ ◇ ◇ ◇



「抜け、けだもの。ボクはおまえを殺したくて、うずうずしてるんだ」


 結成の式典は終わり、カロッサ元帥は城に帰ってしまった。そのため、アキラの言葉に遠慮はない。


「卑怯者の猫。その手には乗らないよ」


 ゆったりと返すジークも、金色の瞳に怒りの炎を揺らめかせている。


 一触即発の空気を撒き散らす二人を前に、俺は一度頬を叩いて気合を入れる。


 二人とも帯剣している。この場で先に剣を抜くことの不味さは熟知しているのだろう。お互いに挑発しあい、睨み合うがそれだけだ。

「はいはい。団長、ここまでです」

 アキラの肩に手を置く。

「レオ、遅いぞ! どこで油を売ってたんだ!」

「なに言ってんですか。油を売ってるのは団長でしょう」

 ぎろりとアキラを睨み付ける。

「仕事は山積みです。式典の後も書類仕事があるでしょう。こんなとこで何をやってるんですか……」

「そ、それは……おまえがやればいいだろう!」

 コバルトブルーの瞳は怒りに燃えているが、理性の光を失ってはいない。

 これが消えた時がまずいんだ。全ての理屈が通用しなくなる。アキラの癇癪にも、だいぶ慣れて来た。聞こえるうちに言っておく。

「俺の仕事は終わってます。後は団長が確認して、サインするだけです」

 それに、とアキラの目を見て付け加える。

「例の案件に関する献策書類が、既にできています。確認してほしいのですが」

 アスペルマイヤー、バックハウス両大佐に対する対処の献策だ。

「本当か? 早いな。自信はあるんだろうな」

「はい」

「つまらない出来だったら、承知しないぞ」

「はい」

「……」

 アキラは、俺の襟首を引っ張って視線を合わせると、何か言いたそうに唇をなめていたが、

「おまえはボクのことだけ考えていればいいんだ。わかったな……」

 そう言って、ギロリとアスペルマイヤーを一瞥し、執務室の方へ去って行った。



◇ ◇ ◇ ◇



 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーとアキラ・キサラギの激突は必至だ。それは最早避けられないところまで来ている。

 どちらも死なせたくない。どちらにも、仲間の血で己の手を汚すようなことはさせたくない。俺の本音はそこにある。

「レオ、猫のあしらいがうまいね」

 背後からそっと、ジークの手が肩に掛けられる。

「あなたのためにしたことではありませんよ、ジーク」

「言うね。でも、つれないレオも嫌いじゃないよ」


 やがて、どこからか現れた楽士たちが手にした楽器で緩やかな音楽を奏で出した。

 洒落てはいるが騎士の兵舎においては、ふざけているとしか思えないこの演出は、バックハウスあたりの仕業だろう。


「カドリールだね」


 四組の男女が四角になって踊るダンスだ。このダンスは、基本的な幾つかの動作を覚えれば、誰でも踊れる。その気安さから、最近、宮廷の流行になりつつある。

 ジークの声に驚いた様子はない。この演出を知っていたのだろう。

「踊ってくれるよね、副長」

「……」

 お道化たように言うジークの手を取る。この誘いを断るのは、立場的に非礼にあたる。

「私の方が背が高い。レオは、女のパートを踊ってほしいのだけど……」

「はい」

 ダンスは腐るほどアキラとやった。これも騎士の礼節を知る上で必要なことだそうだ。だから、嗜みはある。

 ぐいっ、と腰と手を引き付けられる。

「う……」

 痛くはないが万力のような力強さに、思わず唸る。


「ジーク……これは、そういうダンスでは――」

「いいんだ。ずっと、こうしたかった。だから、やっているんだ」


 カドリールの緩やかな調べに合わせ、くるり、くるり、とジークは回る。


「私は少し、考え過ぎていたようだよ。らしくないことにね」


 一方の俺は、踊るというより振り回されるという表現が正しい。

 ジークの切れ長の瞳が、しっとりと潤んでいる。


「口づけしてやろうか、レオ」

「なっ?」


 怯む俺を無視して、くるり、とジークは回る。パートナーの交替にも応じず、ひたすら俺とのダンスに興じる。


「くっ、離せ、ジーク……風紀部に目を付けられるぞ……」

「んん……? ああ、そんなものもあったね。さっきからおかしいと思ったら、そんなことを気にしていたんだ」


 ジークの金色の瞳に血の色が浮く。戦闘時に見せる精神の昂揚だ。

 ぎくりとした俺は、青い腕章をした風紀部の騎士に視線を合わせる。

 どうだ、アキラだけじゃない。だから俺を止めてみろ! 止めてくれ! 頼むよ!

 訝しげにこちらを見た風紀部の騎士は、一瞬ジークと視線を合わせ、

「ひえっ!」

 という悲鳴を残し、逃げるように去っていった。

 俺の心の叫びは、風紀部には届かないようだ。


「レオ……私の小鳥……今は籠の中……そのうち、力で奪りに行く……」

「なにを……」


 なにを馬鹿なことを、と力任せに振り解こうとした俺だが、ジークの紅い瞳の迫力がその抵抗を許さない。

 カドリールの緩やな旋律に狂気の調べを乗せ、俺たちのダンスは続く。


「……すごい。想像以上だよ、これは。なぜ私は、一年前……」


 ぶつぶつと呟くジークは、狂気を浮かべた瞳に俺以外の何も映していない。

 ……食われる。

 はっきりと浮かぶその光景に、悲鳴を上げそうになったのと同時に、カドリールの調べが止まる。


「……もう終わってしまったのか。つまらない……」


 ジークは動きを止めた。だが、万力のような剛腕で掴んだ俺の手首を離さない。その鮮血の瞳が、捕らえた俺を離さない。


「うあっ!」


 ぎりぎりと締め付けられた手首の痛みに、俺はとうとう悲鳴を上げた。


「――!」


 刹那、弾かれたようにジークが戒めを解く。


「……いけないね。猫と同じことをしてしまうところだった」


 血のざわめきを伝えるように震える己の手を見つめ、ジークは言う。


「今日はこれくらいにしておこうか。少し、興奮してしまった……。私は猫とは違う。レオを壊すつもりはないんだよ……」


 振り切るようにジークは踵を返した。


 痺れた手首を摩りながら、俺は全身に吹き出した冷たい汗を感じていた。



◇ ◇ ◇ ◇



「万夫不当のアスペルマイヤー

       倒した敵は数知れず」


 アキラは唄うように言った。


「鬼より強いアスペルマイヤー

     向かうところに敵はなし」


 ニーダーサクソンの城下町で、民衆がアスペルマイヤーの武勇を称える唄を唄いながら、手にしたタクト(指揮棒)で右のブーツをぴしゃりと叩く。機嫌がよいときのアキラの癖だ。

 第12旅団結成の式典以来、アキラの上機嫌はずっと続いている。

 俺が献上した策が気に入ったようで、それ以来アキラはずっとこの調子だ。有頂天と言ってもいい。


「アスペルマイヤー……あいつには、八つ裂きですら、生ぬるい」


 上機嫌の表情とは裏腹に、アキラの吐き出す言葉は非常に剣呑だ。

 そしてまた、ぴしゃりとブーツを引っぱたく。

「上機嫌ですね?」

「ああ、ボクは機嫌がいい。おまえのおかげだ」

 くいっと、アキラは執務室の椅子を顎で指した。

「座るんだ。ボクから、特別にご褒美をやろう」

 偉そうに言うアキラの言葉から、俺は嫌な予感しか感じない。

「いいえ、遠慮します。そんなことより――」

「座るんだ! レオンハルト・ベッカー!」

「うわあ! 座ります座ります!」

 アキラの怒鳴り声に反応してしまう俺……情けない。

「♪」

 アキラは手を後ろに組み、少しお尻を振りながら、着席している俺の回りをぐるっと歩いた。

「おまえの策は中々の出来栄えだった。あれを見て、おまえの馬鹿も大分よくなったと思った。そこで、だ……」

「はい」

 嫌な予感しかしない。俺は頷いておく。

「ボクらの関係を、一歩前に進めようと思う」

「一歩前に……」

 それはなんだろう。小便をするときのコツだろうか……。

 アキラは手にしたタクトを、ぐりぐりと俺の胸に押し付ける。地味に痛い。


「……しょっ、と」


 言いながら、アキラは俺に馬乗りになると――


「〇×△…!」


 キス、した――。


 あまりの衝撃に、打ち上げられた魚のように足が震える。

 目を白黒させる俺の唇を、アキラは一方的に貪った。それはあまりにも一方的な凌辱。

そこには、一方的な感情しか感じられなかった。

 そしてその行為は、俺が時間を忘れそうになるまで、続いた。

 頬を紅潮させ、ようやく離れたアキラの視線は、潤み、蕩けていた。


「これは……うん、これから毎日しよう……」


 アキラは陶然として呟き、静かに俺の胸の中で眠りに落ちた。



◇ ◇ ◇ ◇



「それで、部隊編制の件ですが、どうなさいますか?」

「……」

 アキラは呆然としている。昼食時も虚ろなままで、意味もなくパンを千切って投げたり、観葉植物の鉢植えにスープをかけたりしていた。

 これは……あのキスのせいだと思うべきなのだろうな……。

 まあ、俺もショックがでかかったからな。理解はできるが、そろそろ……


「アキラっ! しっかりしてください!」

「……ん? またしたいの?」


 駄目だ、これは。


「ア・キ・ラ! 今は執務中です!」

「……ああ、次の段階については、もう検討しているところだ。少し、待ってくれないか?」


 なんの話だ? しょうがない。次の案件に入るか……。

「それで、二週間後の実戦形式の模擬訓練ですが、問題ないようでしたら、そのまま俺が立てた計画通りに事を進めて――」

「――ああ、それなら少し修正を加えてある。この通りにするんだ」

 突如、アキラの瞳に力が宿る。

 場の空気がぴりりと締まる。やはり、アキラ・キサラギはこうでなくては張り合いがない。

 引き出しから出した書類を、ぽんと俺に放り投げる。

「読め」

 アキラが出したのは、俺が立てたアスペルマイヤーへの対処法の策略だ。

 具体的には、どのようにして彼女を屈服させ、率いる『第五連隊』の信望を得るか。或いは、どのようにして彼女から『第五連隊』の信望を奪うか。

 生半可なやり方では、アキラは納得しない。俺は辛辣な策を献上したつもりだ。とても気に入ったように言っていたはずだが……。

「…………」

 書類を読み進めて行く。内容はほとんど変わりがない。だが……

「実行するのが、俺になってますね……」

「なんだ、嫌なのか?」

 値踏みするように、俺を見つめるのは、軍人のアキラ・キサラギだった。

「いえ、そうはいいませんが、しかし……アスペルマイヤーは、腑抜けになってしまうかもしれませんが、それでも?」

「ボクは、そうしろと言ってるつもりだ」

「はい……」

 てっきり、自分でやりたがるものだとばかり思っていた。


 俺が、あのジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーを、潰すのか……。


 俺に優しかった、騎士に取り立ててくれた、あのジークを潰すのか……。


 アキラの眉間に皺がよる。その感情のベクトルが指し示すのは、不快。

「できないのか?」

「……」

「なぜ黙る。おまえは、できもしない策をボクに献上したのか?」

「いえ……そのようなことは」

「じゃあ、おまえの指摘したアスペルマイヤーの弱点を言ってみろ」


 腹を括れ! レオンハルト・ベッカー!

 おまえは軍人だ! 戦争屋だ! 余計な感情は捨てろ!

 策を立てたのはおまえだろう! すべて上官に押し付けるのか!


 瞳を閉じ、歯を食いしばる。

 さまざまな思いが、胸を駆け巡り、消えて行く。


「アスペルマイヤーの弱点は……それは、彼女が最高の戦士であることです」


 アキラはしたたるような笑みを浮かべた。

 それを見て、俺は理解した。

 ここまでのことを、アキラは全て予想していたのだということを。



◇ ◇ ◇ ◇



 夜が更けて、俺は眠れそうにない。


 恩知らずのレオンハルト・ベッカー。

 裏切り者のレオンハルト・ベッカー。

 そんなおまえに、ぐっすり眠れる夜があるというのか?


「少佐、もうお休みになられた方が……」


 エルが一日の終わりを告げる。それでも俺は眠れそうにない。


「とても、苦しそうに見えます……」


 その言葉に、俺は黙って手を振る。下がれ、の合図だ。


「それでは、なるべく長く苦しめるよう、目の覚める飲み物をお持ちしましょう」

「……」


 眠れる夜は、もう終わったのだ。


◇ ◇ ◇ ◇



 統帥総本部で開かれる会議では、来るアルフリードとの新しい大きな戦乱の内容が話し合われることになった。

 アキラは、第12旅団の団長としてその会議に出席せねばならず、しばらく兵舎を空けることとなった。

「留守は任せたぞ」

「はっ」

 特に人目があるわけでなかったが、敬礼でアキラを見送る。

「なんだ、それは……ボクは、そんなことしろなんて、一言も――」

「それでは、小官は会議がありますので」

 背後でアキラが怒鳴り散らすが、知ったことではない。

 早々にその場を後にする。

 俺自身、佐官の階級を持つ上級士官の会合に出席せねばならず、多忙を極めていた。


「ちょっと、救急箱。あんた、死にそうな顔してるわよ?」

「……」


 うるさい、アスペルマイヤーの次はおまえだ。


 会議は新兵舎の会議室で行われた。

 この新設された第12旅団では、佐官以上の階級を持つ上級士官は九名だが、例外として『第七連隊』の大隊長の代理を務める下級士官の三名も呼び寄せ、会議に出席させた。

 司会は副長たる俺が行う。


「部隊の再編成の件ですが、模擬戦の結果を踏まえてのことにすると、団長からのお達しです。何か質問は……?」


 挙手したのはアスペルマイヤーだ。

「その模擬戦には、団長も出るの?」

「はい。……ほかには?」

「レオ、顔色が悪いようだけど、どこか具合が――」

「アスペルマイヤー大佐、私の体調のことは、本会議になんの関係もありません。私的発言は、謹んで下さい」

 会議は殺伐と、だが順調に進んだ。

 俺はなるべく、アスペルマイヤーの方は見ないようにした。

 会議終了後『第七連隊』の大隊長の代理を務める下級士官の三名を残らせ、連携を密にするための話し合いを持つ。

 模擬戦で『第七連隊』の指揮を執るのは俺だ。

 戦いはもう始まっている。手抜きやミスは絶対に許されない。

「副長、ひどい顔してますぜ?」

 大隊長代理の三名は、いずれも傭兵上がりだ。そのため言葉遣いも気安い。

「おまえらに気遣われるようじゃ、俺もまだまだだな。そんなことより、分かっているな?」

「へえ、アスペルマイヤーのやつを、カタにはめるんでしょ?」

「そうだ。ここで張り切りゃ、団長の覚えもいい。おまえら、稼ぎ時だぞ?」

「「「おう」」」

 意気揚がる三人を送り出し、執務室に戻る。

 傭兵上がりの仲間三人と話したことで、少し気が抜けたような気がした。

 ありがたいことだ。



◇ ◇ ◇ ◇




「なによ! なによなによなによ! ねえ、ジーク! 救急箱のあの態度、見た?」

 イザベラは秀麗な眉目を苛立ちに歪ませ、腹だたしげに吐き捨てた。

「ニンゲンのくせに!」

「その言い方は好きになれないね、イザベラ」

 第五、第八連隊に宛てがわれた兵舎は隣り合っている。ジークとイザベラの二人は、己の兵舎に帰る道すがら、それぞれの思惑を胸に話し合う。

 万夫不当――ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは思わしげに眉を顰めた。

「先の祝賀会の時は普通だったんだ。あの猫が何かしたと思うべきなんだろうね。会議中も、ずっと私の方を見ようとしなかったし……」

「呆れた!」

 イザベラは金髪をかきあげ、苛立ちをそのままに吐き捨てる。

「いくらあの、おかしな猫が関係してるからと言って、この私を無視したのだけは許せないわ!」

「今日は、やけにむきになるね。何かあった……?」

 ジークはゆったりと言う。

 八頭身の大柄な体躯に、鷹揚な物腰。何もない時は、何もない。平時の万夫不当は、優雅な銀色の鬣を持つ狼の獣人だ。

 イザベラは、この幼なじみの義理堅い所を気に入っている。それでなければ、気難しいエルフの彼女が長年友達付き合いをするわけがない。

「むきにもなるわよ、なんたって、あいつは――」

 そこまで言って、口ごもる。イザベラが口にしたのは別の話題だ。

「それで、あんたの方はどうなのよ。この前の園遊会、うまく行ったの?」

「……まあまあだね。相変わらず、とてもいい匂いがしたよ……」

「はあ?」

 イザベラは軽い目眩を覚えながら、うふふと口元に手をやるジークを生まれて初めて見る珍妙な生き物のように思った。

「少し、興奮してしまってね……私も、あまり猫のことは強く言えないかもしれないね」

「……」

 呆然とするイザベラを置き去りにして、『万夫不当』は兵舎の影に消えて行った。


 恋、というやつだろうか。


 経験のないイザベラにはよくわからないが。

 あの『万夫不当』をして、おかしくさせる代物であることだけは間違いない。

 だが、あの人情無しの救急箱は、誰のことも愛していないのだ。よどみなく言い切った事を、イザベラは知っている。

 かわいそうなジーク……相手にもされないで。

 そう思うと、この上なく腹が立った。

 あのニンゲンは何様のつもりなのだ。一言、言ってやらねば、とてもでないが収まりがつかない。


 イザベラは踵を返すと『第七連隊』の兵舎へと向かった。


 すれ違う騎士たちに、どことなく着崩しただらしない格好の者が増えてくる。傭兵上がり共だ。それらがエルフのイザベラに向けてくる視線は、興味半分、おもしろ半分といったところか。


(ニンゲンが……!)


 人間が己に向ける奇異の視線に嫌悪を覚えるのは、これが初めてではない。

 イザベラは思うのだ。

 あの暢気者で、馬鹿のレオンハルト・ベッカーは、見世物小屋の出し物を見るような好奇に満ちた視線でエルフを見たことはなかったぞ、と。

 そういえば……レオンハルト・ベッカーといえば、あれだ。

 四年前、猫の獣人の娘を連れて、何も聞かずに助けてくれと頭を下げてきたのを思い出す。

 あの娘、名前をなんと言っただろう。

 エス……エヌ……そう、エルだ。


 そんなことに思いを馳せるイザベラの顔からは、いつの間にか険が消え、僅かな微笑みすら浮かぶのだった。



◇ ◇ ◇ ◇



 第12旅団、団長アキラ・キサラギの執務室の扉は、現在、薄く開かれている。

 何度、呼びかけても応答のないことに不審と苛立ちを感じたイザベラが、無断で立ち入ったためだ。

 そのアキラ・キサラギの執務室で、イザベラは棒立ちになって、己を持て余している。

 視線の先では、レオンハルト・ベッカーが眠っている。

 青白い表情にびっしりと脂汗を浮かべ、時折苦しそうな呻き声を上げていた。

 なんとかせねば、イザベラはそう思う。

 だが、何をどうしたらいいのか分からない。汗を拭けばいいのか、起こしてやればいいのか、いや、そもそも自分は何をしに来たのだろう。


 そう、文句を言いにきたのだ。


 青白い表情で苦しそうにうなされるレオンハルト・ベッカーに。

 果たして、それはどんな罪悪だろう。

 あの暢気者で馬鹿のレオンハルト・ベッカーが、眠っている間すら苦悩している。


 それはどんな苦しみだ?

 暢気で馬鹿な男が眠っている間も身を捩る程の悩みとは、どの程度の大きさだ?


 イザベラにはわからない。ただ、文句を言うつもりはとうに失せている。そしてひたすら戸惑うのだ。今、何を為すべきかと。

 取り出したハンカチを揉み絞りながら、なおもためらうイザベラは胸に激しい動悸を感じている。

 その視線は、『救急箱』と呼んでいる男の顔から離れない。

 やがて、レオンハルト・ベッカーが一際苦しそうに吐き出した。


「ごめん……ごめん、ジーク……」


 イザベラは、胸の奥に小さな軋みの音を聞く。


 その女は、ここにはいない。口にする名前を間違っているのではないか……?


「すまない……イザベラ……」


 レオンハルト・ベッカーの頬に一筋の涙が落ちる。

 イザベラ・フォン・バックハウスが生まれて初めて見た男の流した『涙』。


 そして――イザベラの胸は、引き裂かれた。


◇ ◇ ◇ ◇





 デスクの上に、四角く丁寧に折り畳まれたハンカチが乗っている。

 ハンカチは、ぐっしょりと濡れており、それには、


 イザベラ・フォン・バックハウス


 と金の刺繍が施されている。

「まずった……」

 俺は頭を抱えた。

 眠っている間のことだ。何が起こったかは、わからない。この執務室は、第12旅団の――もとい、アキラ・キサラギの秘密の山だ。

 そのアキラの留守中にイザベラがこの執務室に入り、その時、俺が居眠りしていたなどと知れたら……

「ふっ……死んだな」

 黙っておこう。

 固く心に誓うのだった。



◇ ◇ ◇ ◇



 統帥総本部からは、一日二十通以上の手紙が、俺宛に届く。

 この馬鹿げた量の手紙の差出人は、アキラ・キサラギだ。

 内容のほとんどは、俺に対する恨みつらみで固められてあった。

 どうやら、アキラは統帥総本部の重要な会議でへまをやったらしく、そのことで酷く叱責を受けたようだった。

 アキラの手紙の内容によると、その責任のすべては俺にあるらしい。

 最初の二、三通は目を通した俺だったが、似たような内容の手紙に飽きてしまった。それ以降、アキラからの手紙はすべて、処理済みの棚にほうり込んで置いた。

 そのアキラ・キサラギが明日帰ってくる。

 執務室で、近く行われる模擬戦のためにあらゆる状況を想定し、事前に策を練る俺だが、一日中、そればかりをやっているわけではない。

 ふと、暇を持て余し、アキラの手紙の中から一番新しいものを選び、封を開けて中身を確認してみる。

「…………」

 アキラの手紙には、くしゃくしゃになった字で、


 おまえを殺す。


 と短く書かれていた。


 どこかの誰かが言っていたのを思い出す。

 女という生き物は、神が男の曲がった肋骨で創ったものである。

 こうも言っていた。

 女とは男の曲がった肋骨で創られた。元々、曲がったそれは、捨て置けばなお曲がる。


「やれやれ……」

 まさか本当に殺されはしないだろうが、気の重い話だ。


 翌日の早朝、単騎、馬を飛ばして兵舎の外れまでアキラの出迎えに向かう。

 これはまあ、ご機嫌伺いのようなものだ。拗ねくれたままにしておけば、執務に滞りが出るのは目に見えている。

 アキラ・キサラギは、優秀な軍人であるが、その彼女をして個人の欠点とは無縁でいられないものであるらしい。

 俺に対する異常な執着。

 アキラの気持ちを愛情と呼んでいいものだろうか。


「副長、ふくちょー!」


 向かいから、情けない声が飛んでくる。

 俺と同じように、単騎、馬を飛ばす若い騎士。銀の拍車の付いたブーツは、彼がまだ見習いの従騎士スティクスであることの証しだ。

 通常、正騎士は金の拍車の付いたブーツに、マントの留め金にはやはり、金を使う。

 涙さえ浮かべた若い従騎士からは、悪い予感しか感じない。一瞬、後背に視線をやり、逃げ出すかどうか思案するが、そういうわけにもいかない。

 やむを得ず、馬を止め、事情を聞く。


「どうした? そんなに慌てて。内乱でも起こったか?」

「に、逃げて下さい! 団長が、団長がー!」


 任せろ! 遠くに行けばいいんだろ!?

 俺はその言葉を飲み込む。

 空は晴れている。だが、血の雨が降りそうだった。


 ニーダーサクソンの下町を見下ろす小高い丘で、アキラ・キサラギを乗せた馬車は立ち往生しており、駆けつけた俺を見て騎士の何名かが頻りに手を振って、

「来るんじゃない!」

 とか、

「殺されるぞ!」

 とか剣呑な叫びを上げている。

 その仰々しさに異変を感じたのだろう。馬車から既に抜刀したアキラがおっとり刀で飛び出して来た。

「きぃさぁまぁ! よくも! よくも!」

 ぐしゃぐしゃに泣き濡れており、もはや人目を憚る余裕もないようだった。

 やれやれ。

 アキラ・キサラギという女性は、小柄で短気だが、これでも何者かではあるのだ。副長である俺はそれを知っている。だからこそ、俺は選んだのだ。

 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーでなく、アキラ・キサラギを。

 若くして、最早、『何者』かであるアキラ・キサラギを。

「そこに直れ! ボクがこの手で殺してやる!」

「はいはい、アキラ。お帰りなさい」

「くそぉ! 馬鹿にしているな!?」

 さんざん喚き、抵抗するアキラを捕まえる。取り巻きの騎士数名が見ているが、かまいやしない。すかさず抱き上げて、


「なにを――」


 ――キスしてやった。

 驚くには値しない。ささやかながら、これはこの前のお返しだ。


「おぉ!」


 ついに現場を押さえたり、と嬉しそうに驚嘆の声を上げるのは、傭兵上がりの馬鹿共だろう。

 唇を離すと、アキラは大きく鼻を啜った。その手から、がしゃりと力なく刀が落ちる。


「卑怯者……このうすらとんかちの唐変木め……」

「はい、仰せのとおりです」


 人というものは、色々なことに慣れる生き物であるようだ。

 この身に背負う裏切りや苦悩にも慣れ、いつか自由になれる日が来るのだろうか。


 レオンハルト・ベッカー、そのときお前は、何者になるのだ?


 今は、このおかしな猫のワルツに合わせて踊る。それだけだ。



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苛烈に生きる弟の話を……
『アスクラピアの子』
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