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猫とワルツを  作者: ピジョン
第4章 猫とワルツを
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最終話 愛ゆえに

 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは生きていた。

 胸と腹に穴が開き、致命傷を負いながらも立っていた。

 何が起こったのだ。

 辺り一面、火の海だ。

 八人のアキラ・キザラギが襲い掛かって来る瞬間、ジークの目に飛び込んだのは熔岩の流星群だった。

 喉に競り上がる血の固まりを飲み下し、ジークはそれでも立ち続ける。


 あのアキラ・キザラギが立っているのだ。

 彼女も、この原因不明の流星の直撃を受けたのだ。右の脇腹に大穴が開いている。出血は、ジークに勝るとも劣らない。きっと大きな血管を傷つけたのだろう。


 譬え、この命が涸れ尽きようと、はいつくばって地を嘗めるわけにはいかない。


 アキラ・キザラギは、胸を張ろうとして失敗し、よろよろと力尽きそうになっては、後退しながらもなお倒れず、踏みとどまっている。


 流石に、見上げた根性だ。


 だが、勝つのはジークだ。

 アキラ・キザラギの屁理屈は、最早、どうでもいい。

 そこに事実があろうが無かろうが、勝てば全ては同じことだ。

 まだ歩ける。ジークは、剣を杖替わりに、火の海を一歩踏み締める。


 そのジークを、そっと背後から燃え盛る『何か』が抱きとめる。



『ジィィィィクゥゥゥゥ……』



 地の底から湧き上がるような声に、ジークは背筋に冷たいものを押し込まれたような感触を覚えた。



『ジィィィィクゥゥゥゥ……』



 ジークは知っている。この地獄から湧き上がる声の持ち主を知っている。


 足元で、どろりと持ち上がった炎が、ぞろりとジークの足を嘗め上げる。

 焼け付くような痛みが走り、血の蒸発する匂いが鼻に突く。


「あっ、あっ……い、イザベラ?」


 全身に走る生理的な嫌悪感に、ジークは悲鳴を上げそうになった。


 灼熱の炎が象る『それ』がジークの首筋にまとわりつく。


 一度で駄目なら、二度殺すまでのこと。


 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは狼の獣人だ。死に瀕して尚、気高く、そしてしつこい。むしろ、イザベラが化けて出て嬉しいくらいだった。

 自らの肉が焼け、熱気に血が泡立つ中、ジークは、にっと笑みを浮かべる。


 まとわりつくイザベラを引きはがそうと、左腕を伸ばしたところで、ジークは、ぴたりと動きを止めた。


 深紅を宿したジークの瞳は、これ以上ないくらい見開かれ、アキラ・キサラギを抱き寄せるレオンハルト・ベッカーに釘付けになった。


「あ、ああ……レ、レオ!」


 駄目だ!

 それだけは認めるわけに行かない!


 ジークは叫んだ。


「レオーーーーーっ!」


 だが、レオは見向きもしない。

 聞こえていないはずはない。

 レオンハルト・ベッカーは、アキラ・キサラギを優しく抱き締めたまま動かない。


 身の捩れる思いだ。


 ジークの瞳に、大粒の涙が溢れ出す。


 レオは見向きもしない。


 だが、これが、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーが心から愛したレオンハルト・ベッカーという男だ。


 迷う愛を、ジークは美しいと思わない。

 揺れる愛を、ジークは貴いと思わない。


 迷わず、ぶれない愛を持つ。そんな男だからこそ、ジークは、あんなにも心焦がれたのだ。


 どうしても、それを自分のものにしたかった……。



『ジィィィィクゥゥゥゥ……』



 もう、一歩も動けない。

 選ばれなかったという衝撃が、愛されなかったという悲しみが、ジークの足に何より重い枷を嵌めてしまっている。


 弱り切ったジークの魂を、身体を、イザベラ・フォン・バックハウスという名の煉獄の炎が焼いて行く。

 それでもジークは倒れない。

 口元に、いつものように鷹揚な笑みを浮かべ、言った。


「レオ、愛してる」


 その思いに何の後悔もない。

 その思いが、永遠に尽きることもない。



 そして――ジークは、イザベラに身を委ね、そっと意識を手放した。



◇ ◇ ◇ ◇



 イザベラ・フォン・バックハウスは小さくなった。

 正確には、イザベラであったものは、小さくなった。

 何者の生を許さぬ熔岩の流星を撒き散らし、万夫不当の勇者の命を焼き尽くし、多大な力を消費したのだ。


 この世界の全てを許さぬ憎しみと、神の血を引くと呼ばれるエルフの血が、炎のエレメンタルとしての生を彼女に歩ませた。最早、正常な意志などない。ジークへの復讐とレオへの恋慕の念。そしてアキラの放った狂気の炎が、この場に彼女を向かわせる道しるべとなった。

 どろどろとした炎の塊が小さな少女――イザベラを象る。



『れ……お……ん……は……る……と……』



 大きな力を使うためには、今暫くの時間が必要だ。

 イザベラである『モノ』は、小さく、レオンハルトと呟いた。

 急速に、周囲の炎を吸収し、身の丈を大きくして行くイザベラの背後に、一人の女が忍び寄る。

 ――エルだ。

 炎に焼かれながらも、じっと機会を窺っていたのだ。


 『妖刀』菊一文字は、元はアキラの身の丈を超える長刀である。使用者であるアキラの小柄な体格に合わせ、打ち直された菊一文字の余りの刀身で造り出された短刀が、エルの手の中で妖しくきらめく。


「イザベラさま……お覚悟……」


 エルは音も無く歩み寄り、それをイザベラの背中に突き立てた。


 愛に狂った女の情念を宿すそれに背中を貫かれ、イザベラであった『モノ』は悲鳴を上げようとして――出来なかった。

 大きく口を開け、炎を撒き散らすそこに、エルが手を回す。


「今宵、イザベラさまは壁の花。ジークリンデさまを見習いになられますよう」


 今もまだ、松明のように燃えるジークを見やり、エルは、うっすら微笑んだ。

 どろどろともがき狂い、形を変えるイザベラに、エルは何度も短刀を突き込む。


「これはイザベラさま。粗相はなさいませぬよう」


 執拗に、刺しては抉る行為を繰り返すエルの口元が、にたりと狂気に歪む。イザベラを抑え付ける手が見る見る内に焼け爛れて行くが、これまでの生に於いて、エルが忍耐を必要とした場面は多々あった。この痛みもその内の一つに過ぎない。


「イザベラさま。レオンハルトさまは、悪い男でございます。女をその気にさせるのも、手練手管の一つです。あなたは、騙されたのです」


 やがて、イザベラは力尽きたように静かになる。


「男というものは、己の都合に命を賭けるのでございます。甘い言葉はただの空言。大事なものを見つけると、何もかもを捨ててしまえる」


 それが、エルの知っているレオンハルト・ベッカーという男だ。

 どこまでも甘い男であるはずなのに、己の道を見つけると、迷わず行ってしまう。勝手な男なのだ。


 だが――迷わぬ男の優しさは、女にとって、どれだけ強い毒なのだ?


 少なくとも、エルにとっては猛毒だった。おかしくなってしまうほどには。


「それでは、ごきげんよう」


 熱を失い、消し炭のようになったそれをエルは、とん、と押した。

 それは音も無く風に流れ、消えて行く。塵は塵に、灰は灰に、死者は死者に還るのだ。

 エルは、分厚い布を巻き付けて、守りを固めた腹を一つ撫でる。


「まあ、エルにはこれがあります。我慢するといたしましょう」


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苛烈に生きる弟の話を……
『アスクラピアの子』
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