最終話 あなたとワルツが踊りたい
八方からジークに襲い掛かる分身を、アキラは少し離れた距離で見つめていた。
この時点でアキラは、己の勝利を確信していたが、万が一の危険を避けるための行動だった。ジークに近づくことはしない。
決着するまで安心できない。一度は慢心から不覚を取ったアキラだが、二度はない。
その慢心のないアキラが、夜空に見上げたのは、炎のエレメンタルと化したイザベラが、熔岩の流星群を打ち出すところだった。
それはとてつもない轟音を伴って、決着寸前のアキラとジークを中心に、エーデルシュタイン宮殿を含めた広範囲に渡って降り注いだ。
熔岩の流星は、瞬く間に周囲を煉獄の炎の海に変え、その内の幾つかはジークに命中し、その内の一つはアキラの右の脇腹に命中した。
アキラの八人の分身はかき消え、宮殿前に集結していたニーダーサクソンの騎士たちの大半は既に潰走していたが、決闘を見守っていた者は、この流星群の犠牲になり、殆どが死傷した。
ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは、腹、胸、足に三つもの流星の直撃を受けたが、まだ立っていた。
その表情は、苦痛と困惑と――そして絶望とで歪んでいる。
アキラ・キサラギも右の脇腹から吹き出す血を圧え、立っている。
アキラは荒い息を吐く。
右の脇腹が、もう一つの心臓のように痛みを伴う鼓動を続けている。
――やられた。
かしゃり、と音を立てて、アキラの足元に愛刀菊一文字が転がった。その直後、ととっ、と二、三歩後退する。自らの意志による後退ではない。
ジークは、剣を杖替わりに立っている。撃った流星は、身体を貫通して夥しい出血を見せているが、それでも彼女は立っている。
……こいつもいよいよ化け物だ。アキラは内心、毒づいた。自分も負けていられない。
身を焦がすような狂愛の行く末に、二人はここに立っている。
先に倒れてなるものか。だが、身体はアキラの意志を裏切って、引っ張られたように、よろよろと後退を繰り返す。
アキラはその度に立ち止まり、歯を食いしばってジークを睨む。
まだだ、まだ止まっていられない。だが、どうしようもなく身体から力が抜けて行く。
アキラは涙を流し、食いしばった唇からは血を流した。
認めない。
ここで独りきりで果てることを認めない。
大地を踏み締める足元が震え、脂汗が吹き出すが、それでもアキラは倒れない。自らの流した血を踏み締め、自らの意志でない後退を繰り返しながら、それでもアキラは前を向く。
ここで倒れてしまえば、アキラの全てが嘘になる。
だが――
全てを地獄の業火で焼き払うアキラの愛を裏切って、身体が意志を拒絶する。
「あ、あ……、い、いやだ。
ボクは……ボクは……」
命も、愛も、終わりがある。
運命の女神は残酷だ。この両者の糸を同時には断ち切らない。
アキラはそれを認めない。
小さな身体で踏ん張って、精一杯に拒絶する。
運命の女神は残酷だ。アキラに、いつも耐え難い現実を押し付けた。
アキラはまたしても耐え難い現実を押し付けられようとしている。
そして――
終に、力尽き、アキラが皮肉な運命に膝を屈する正にその瞬間――
ぽすっ、と暖かい何かに、アキラは背後から包み込まれた。
ここに至り、アキラは悟った。
運命の女神は皮肉を好むのではない。
いつも、真実だけを選び取るのだ。
「アキラ……」
暖かく呼ぶ声。
アキラはそのためだったら、何だってやって来た。
振り返り、弱り果てた白い髪の男の笑顔が目に入り、アキラのコバルトブルーの瞳から、尽きることのない涙が溢れ出る。
「レオ……」
「……俺がいますからね、もう、心配いりませんよ……」
この火の海を渡って来たのだろう。レオの白い髪は所々黒く煤け、マントもトーガも端が焦げはじめている。
じんわりと暖かい癒しの力に包まれて、アキラは、ひたすら涙に濡れる。
求め――与えられたのだ。
「キミを……迎えに来たんだ」
アキラは、なんとかそれだけ吐き出して、胸を突き上げる思いに涙を流す。
「はい……ですが……もう、何も見えません……」
レオは笑む。
全ての迷いや苦しみから解放されたような笑みだった。
煉獄の炎の眩しさが、残された一つの瞳を焼いてしまったのだ。今はもう、開け放たれたその瞳は、白く濁り、用を為さなくなっている。
アキラの愛は、未だ燃え盛る炎の中、完結しようとしている。
「そう……それは残念だね」
「はい……」
「いま、すごく綺麗なんだよ……?」
「はい、知ってます……」
「ボクが、キミのためにやったんだ」
「ありがとうございます。ですが、もう、アキラのお役に立てそうもありません……」
「いいさ、そんなこと。それより、ボクと踊ってくれないか?」
「目は潰れ、足もあまり良くはありませんが、それでよければ、喜んで」
そして二人は踊りだす。
手に手を取って、抱き合いながら、体を合わせて踊りだす。
炎に巻かれ、時々はつっかえながらも不器用に。
「ワルツが聞こえるんだ」
「奇遇ですね。俺もです」
「それはよかった。ボクだけが聞こえるのかと思って、不安だったんだ」
最後に、二人は言った。
「「愛してる」」