第23話 ラスト・ワルツ5
エーデルシュタイン宮殿前。
血飛沫をあげるバウマイスターの身体を挟み、アキラ・キサラギとジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは再び対峙した。
「アスペルマイヤー……!」
此処であったが百年目。必殺の黒いオーラを撒き散らし、アキラは牙を剥いて唸った。
ジークの殺害を二義的なものと見做していたアキラだったが、実際その姿を見たとき、耐えられなくなった。
ジークは、『あれ』を持っている。彼女を殺すには充分な理由だ。それがこの軽挙とも呼べる行動にアキラを走らせた原因だ。
一方のジークも嫌悪感を露に、眉間に深い皺を刻む。
「やあ……何て呼べばいいかな? 小柄な悪魔? やらしい猫? 捨て猫なんて、どうかな……?」
二人の間に言葉はいらない。出会ったその日が、どちらかの命日だ。それだけ分かっていればよい。
「挨拶だ! 受け取れ!」
アキラは、にたりと笑って、後方に飛び退がりながら、投擲用の刀子をジークの首に投げ付けた。
ジークは顔色一つ変えず、刀子を左手で受け止めると、それをアキラの顔に投げ返す。
すかさず身を躱すアキラの額に、どっと冷たい汗が浮かぶ。
投擲された武器を受け止め、それを投げ返す。どんな怪物だ?
アキラは、更に後方に飛び退き、腰を屈めた姿勢で菊一文字の柄に手を掛ける。
「おまえ……アスペルマイヤー、だよな……?」
「そうだけど……」
ジークは、くくっと首を傾げる。
「あれ? このまえより、少し遅くなった?」
「…………」
アキラは『居合』の姿勢で油断なく、ジークを睨み付ける。
強くなっている。以前より、ずっと。
アキラには『キサラギ』の奥義がある。取って置いた切り札が油断の温床になったか、刹那の思いにアキラは首を振る。
遊んでいる暇はない。本気を出さねば、やられてしまう……。
瞬間、アキラに浮かんだ逡巡を、ジークは見逃さず反撃に移る。
棒切れでも振り回すかのように、手にしたハルバードでアキラごと辺りを薙ぎ払う。
すかさず退がるアキラの様子に、ジークは躊躇うことなくハルバードを投げ捨て接近する。
「――死ねっ!」
間合いだ。必殺必倒の居合を繰り出そうとして、アキラは固まった。
ジークの左手が、菊一文字の柄を押さえ込んでいる!
スピード差がないと出来ない芸当だが、何かおかしい。アキラは、とんぼを切って更に後退しながら考える。
瞬間的なものならともかく、総合的な運動能力は、狼の獣人であるジークの方が、アキラよりも上回る。
『居合』にすら反応し得たジークが、今の間隙に攻撃しなかったのはおかしい。
ジークは右利きだったはずだ。そして菊一文字は、アキラの左の腰に差してある。柄を押さえるなら、右手の方が理に適っている。
――できなかったのだ。それに気づき、アキラは嗤った。
「おまえ、右腕が上手く繋がらなかったのか?」
「…………」
ジークは僅かに眉を寄せるだけで、答えない。この際の沈黙は肯定にしか取れない。
「知ってるか? 離れ離れになったものを繋ぐのは、愛以外にあり得ないぞ? ……ボクの方は、ほら!」
問題なく動作する左手を握ったり広げたりしながら、アキラは殊更ジークを挑発する。
「何が言いたいの……?」
ジークは、すらりと剣を抜き払う。以前のように双剣の構えでなく、左手の一本のみだ。
アキラは言った。
「おまえ、レオに捨てられたろ? それで自棄になって暴れてたんだ?」
「捨てられてなんかない!」
それだけは捨て置けぬ誤解だ。ジークはむきになって言い返す。
「レオは――」
「出て行ったんだろ? あいつは、ボクを愛しているからな」
遮って言うアキラの姿が二つに分かれた。
二人に分かれたアキラにもそうだが、それよりも言葉の内容に当惑し、ジークはさらに言い返す。
「違うっ! レオは出て行ったんじゃない! 無理やり――」
「じゃあ、焦るなよ。無理やりって言うなら、やつの意志で戻って来るだろ。子供じゃないんだからさ」
二人のアキラは、更に四人に分かれた。ジークを中心に円を描くように取り囲む。
これは以前に見せた特殊な歩法が見せる幻影ではない。実体を伴う『分身』だ。
「アスペルマイヤー。おまえは自信がないんだ。レオは、もう戻ってこないと思ってるんだろ?」
「そんなことない! そんなこと……」
ジークの言葉は、後半が尻すぼみになって消えて行った。
自らの意志で戻って来るレオの姿が、ジークには想像出来なかった。
レオが出て行きたい、と言ったのは、忘れてよいほど昔の話ではない。
四人のアキラは、更に八人に分かれた。
『キサラギ』の最終奥義『分身』だ。
忍術とも呼ばれるこの技を体現するには、卓越した運動能力の他に、特殊な歩法の修得、及び、『魔導』の領域にも通じる必要がある。
『キサラギ』の歴史は長いが、この『分身の術』を会得出来たのは、アキラを含め、僅かに三名。他の二名は分身を四体までしか作り出すことが出来なかったのに対し、アキラが八人もの分身の作成に成功したのは、彼女が敏捷性に優れ、且つ、魔力を持つ猫の獣人の特性を強く受け継いでいるからにほかならない。
ジークの正面に立つアキラが言う。
「レオは、おまえに愛してるって言ったか?」
それに答えたのはジークの背後に立つアキラだ。
「言わないよな」
ジークの右のアキラが言う。
「だって、おまえを愛してないんだもの」
更に左のアキラが言い募る。
「おまえは、ボクとレオとの間に入り込んだ異物だよ」
ジークに取っては、悪夢のような光景だった。
あの小柄な悪魔、アキラ・キサラギが八人もいるのだ。そして、その一人一人が言う言葉が、ジークの一番脆い部分に突き刺さる。
「おまえとレオとの間に、愛なんてない」
ジークは、右に左に視線を泳がせる。どのアキラが言ったのか、分からない。
八人の小柄な悪魔、アキラ・キサラギが異口同音に、言った。
「「「「「「「「おまえは、フられたんだよ!」」」」」」」」
その瞬間、ジークの誇り高き愛は、粉微塵に砕け散った。
――レオンハルト・ベッカーは、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーに、愛しているとは言わなかった――
赤々と燃えるサクソン。
この国は、もうおしまいだ。
見回すと、八人のアキラ・キサラギは皆、同じように口元を吊り上げ、嘲笑っている。
世界の終わり。
少なくとも、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーの世界は終わりを告げた。
ジークは見た。
八方から飛び掛かって来る小柄な悪魔、アキラ・キサラギと、この終わる世界に降り注ぐ熔岩の流星群を。