第19話 対峙
宮殿警護の指揮を執るバウマイスターの元に訪れたジークが取った行動は、問答無用の殺戮だった。
稲妻のようなスピードで振るわれたジークのハルバード(斧槍)は、バウマイスターの周囲に侍る騎士十二名を瞬殺した。
全身に怒りを漲らせ、殺意を剥き出しにした鬼気迫るジークの形相と、その勇名に違わぬ実力に恐怖に駆られたバウマイスターが逃げ果せたのは、狼の獣人の類い希なる運動能力のお陰だろう。
部下の死も顧みず、言い訳もせず、逃げ出したバウマイスターの判断は全く正しい。既に彼は、自らの死刑執行書にサイン済みだ。
バウマイスターは、上官であるジークの私室に押し入り、客人に暴行を働いた揚げ句、その身柄を不当に拘束、更には拉致し、おまけに行方不明にするという暴挙に及んだのだ。
ジークの怒りは激しく、深刻であり、しかも正当なものだった。
ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは鷹揚で寛容な性格をしているが、一度怒りを抱くと、これを制するには実力を持ってするより外に手段はない。
バウマイスターが自らの愚行を後悔した時はもう遅かった。
「し、白いニンゲンだ! 白いニンゲンを直ぐに連れて来い!」
恐怖に震え、部下に命じるバウマイスターだったが、その命令は余りにも漠然としており、部下たちは途方に暮れるよりほかなかった。
バウマイスター以外の指揮官が、ジークの有無を言わさぬ先制攻撃で殺害されていたのも、この混乱に更なる拍車をかける原因となった。
バウマイスターは自陣の中を逃げ回り、その最中、応戦の指揮を試みたが、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーはエミーリア騎士団の誇る万夫不当の勇者であり、現状、このサクソンに駐在する武官の中では最高の指揮権を持つ『大将』だ。進んで前に立つ者などいるわけがない。
「バウマイスター! 何処だぁぁぁぁぁぁ!」
騎士たちが上げる悲鳴の中、ジークは味方の返り血に染まりながら、力の限り吠えた。
空には尖った月が浮かんでいて、ジークのすることを見つめている。
――そうだ。
あの夜も、そうだった。
月が輝く空の下で、ジークは、レオが、永遠に治ることのない傷を負うのを見つめていた。
激しい怒りが忍耐の限度を超えた時、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは、ただの狼の獣人でいることをやめたのだ。
ジークが持つ真紅の瞳は、種の限界を突破した証しだ。
そしてまた、この月の輝く夜。
バウマイスターの暴挙は、ジークに新なる力を与えた。
ごくごく単純な表現をするならば、戦士としての彼女は、以前よりも、強くなった。
腕力、敏捷性、生命力、反射神経。その全てが、狼の獣人の限界を超えている。
フォルクマール・フォン・バウマイスター少将率いる一個師団は、ジークの一方的な攻撃に、半壊滅状態に追い込まれた。
指揮系統が破壊され、戦闘集団としての体を為さなくなったのだ。
広場に集結する騎士たちは、最早軍隊と呼べる代物ではない。目的もなければ意志もない、ジーク一個人を恐れ、恐慌に荒れ狂う烏合の衆となり果てている。
右往左往する騎士たちの悲鳴が飛び交う陣中で、ジークはついにバウマイスターを追い詰めた。
腰を抜かしたバウマイスターはその場にへたり込み、鮮血と狂気に塗れたジークを、ただぼんやりと見上げていた。
――これは、自分と同じ生き物ではない。
あまりに強い。あまりに疾い。あまりに怖い。これは狼などという可愛らしいものではない。――怪物だ。
バウマイスターが、そのことに気づいた時は既に遅すぎる。
そこかしこに掲げられた篝火と、醒めた月明かりが、狂った戦場の女神を映し出す。
「……レオに何をしたの……?」
尋ねるジークの声には、どのような感情の発露も見受けられなかった。怒りも戸惑いもなければ、この惨状に頓着する気配もない。
それがひたすら、バウマイスターは恐ろしい。合わせた歯の根が、がちがち鳴った。
「……レオは何処……?」
「し、知らない! 俺は知らない!」
答えることが出来たなら、バウマイスターがとうに己で迎えに行っている。
「バウマイスター……おまえは、これから死ぬのだけれど……どちらか選ぶことは出来るんだよ……?」
彼女の父がそうであったように、その娘である彼女もやはり残酷でしつこい。言った。
「苦しんで死ぬか、それとも、とても苦しんで死ぬか。どっちがいい……?」
それは、事実上の死刑宣告だ。しかも、いたぶってから殺すと言っている。バウマイスターには苛酷過ぎる二者択一だった。
「お、おお俺は、門閥貴族だ! 相応しい待遇と裁判を要求する!」
それがバウマイスターの最期の言葉になった。
ジークは嘲笑う。鮮血と狂気に塗れ、なお美しい戦場の女神がそこにいる。
「いい言葉だね。おまえの墓碑銘には、そう刻んでおくよ」
次の瞬間、バウマイスターの首と胴は、永遠に離縁する嵌めになった。
右から左に走った紫の閃きが、その固い繋がりを断ち切ったのだ。
血飛沫を上げ、倒れるバウマイスターの背後から現れたのは、アキラ・キサラギ。
小柄な悪魔。
アキラ・キサラギだ。