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猫とワルツを  作者: ピジョン
第4章 猫とワルツを
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第19話 対峙

 宮殿警護の指揮を執るバウマイスターの元に訪れたジークが取った行動は、問答無用の殺戮だった。

 稲妻のようなスピードで振るわれたジークのハルバード(斧槍)は、バウマイスターの周囲に侍る騎士十二名を瞬殺した。

 全身に怒りを漲らせ、殺意を剥き出しにした鬼気迫るジークの形相と、その勇名に違わぬ実力に恐怖に駆られたバウマイスターが逃げ果せたのは、狼の獣人の類い希なる運動能力のお陰だろう。


 部下の死も顧みず、言い訳もせず、逃げ出したバウマイスターの判断は全く正しい。既に彼は、自らの死刑執行書にサイン済みだ。


 バウマイスターは、上官であるジークの私室に押し入り、客人に暴行を働いた揚げ句、その身柄を不当に拘束、更には拉致し、おまけに行方不明にするという暴挙に及んだのだ。

 ジークの怒りは激しく、深刻であり、しかも正当なものだった。


 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは鷹揚で寛容な性格をしているが、一度怒りを抱くと、これを制するには実力を持ってするより外に手段はない。


 バウマイスターが自らの愚行を後悔した時はもう遅かった。


「し、白いニンゲンだ! 白いニンゲンを直ぐに連れて来い!」


 恐怖に震え、部下に命じるバウマイスターだったが、その命令は余りにも漠然としており、部下たちは途方に暮れるよりほかなかった。

 バウマイスター以外の指揮官が、ジークの有無を言わさぬ先制攻撃で殺害されていたのも、この混乱に更なる拍車をかける原因となった。


 バウマイスターは自陣の中を逃げ回り、その最中、応戦の指揮を試みたが、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーはエミーリア騎士団の誇る万夫不当の勇者であり、現状、このサクソンに駐在する武官の中では最高の指揮権を持つ『大将』だ。進んで前に立つ者などいるわけがない。


「バウマイスター! 何処だぁぁぁぁぁぁ!」


 騎士たちが上げる悲鳴の中、ジークは味方の返り血に染まりながら、力の限り吠えた。

 空には尖った月が浮かんでいて、ジークのすることを見つめている。


 ――そうだ。


 あの夜も、そうだった。

 月が輝く空の下で、ジークは、レオが、永遠に治ることのない傷を負うのを見つめていた。

 激しい怒りが忍耐の限度を超えた時、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは、ただの狼の獣人でいることをやめたのだ。

 ジークが持つ真紅の瞳は、種の限界を突破した証しだ。


 そしてまた、この月の輝く夜。

 バウマイスターの暴挙は、ジークに新なる力を与えた。

 ごくごく単純な表現をするならば、戦士としての彼女は、以前よりも、強くなった。

 腕力、敏捷性、生命力、反射神経。その全てが、狼の獣人の限界を超えている。


 フォルクマール・フォン・バウマイスター少将率いる一個師団は、ジークの一方的な攻撃に、半壊滅状態に追い込まれた。

 指揮系統が破壊され、戦闘集団としての体を為さなくなったのだ。

 広場に集結する騎士たちは、最早軍隊と呼べる代物ではない。目的もなければ意志もない、ジーク一個人を恐れ、恐慌に荒れ狂う烏合の衆となり果てている。


 右往左往する騎士たちの悲鳴が飛び交う陣中で、ジークはついにバウマイスターを追い詰めた。


 腰を抜かしたバウマイスターはその場にへたり込み、鮮血と狂気に塗れたジークを、ただぼんやりと見上げていた。


 ――これは、自分と同じ生き物ではない。

 あまりに強い。あまりに疾い。あまりに怖い。これは狼などという可愛らしいものではない。――怪物だ。


 バウマイスターが、そのことに気づいた時は既に遅すぎる。


 そこかしこに掲げられた篝火と、醒めた月明かりが、狂った戦場の女神を映し出す。


「……レオに何をしたの……?」


 尋ねるジークの声には、どのような感情の発露も見受けられなかった。怒りも戸惑いもなければ、この惨状に頓着する気配もない。

 それがひたすら、バウマイスターは恐ろしい。合わせた歯の根が、がちがち鳴った。


「……レオは何処……?」

「し、知らない! 俺は知らない!」


 答えることが出来たなら、バウマイスターがとうに己で迎えに行っている。


「バウマイスター……おまえは、これから死ぬのだけれど……どちらか選ぶことは出来るんだよ……?」


 彼女の父がそうであったように、その娘である彼女もやはり残酷でしつこい。言った。


「苦しんで死ぬか、それとも、とても苦しんで死ぬか。どっちがいい……?」


 それは、事実上の死刑宣告だ。しかも、いたぶってから殺すと言っている。バウマイスターには苛酷過ぎる二者択一だった。


「お、おお俺は、門閥貴族だ! 相応しい待遇と裁判を要求する!」


 それがバウマイスターの最期の言葉になった。

 ジークは嘲笑う。鮮血と狂気に塗れ、なお美しい戦場の女神がそこにいる。


「いい言葉だね。おまえの墓碑銘には、そう刻んでおくよ」


 次の瞬間、バウマイスターの首と胴は、永遠に離縁する嵌めになった。

 右から左に走った紫の閃きが、その固い繋がりを断ち切ったのだ。


 血飛沫を上げ、倒れるバウマイスターの背後から現れたのは、アキラ・キサラギ。


 小柄な悪魔。

 アキラ・キサラギだ。



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苛烈に生きる弟の話を……
『アスクラピアの子』
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