第18話 ラスト・ワルツ4
首都サクソン――オールドシティ。
「バックハウスぅぅぅぅ!」
オールドシティの入り組んだ町並みを、城下町『上サクソン』に向けて、ひたすら馬を進めるアキラ・キサラギは、背後からつかず離れずの距離を保ち、追走して来る炎塊に罵倒の声を投げ付ける。
「未練がましい化け物め! 死人は、おとなしく引っ込んでろ!」
炎の化身と化したイザベラは、まるでこの世界全てに復讐したいと言わんばかりに、次々と炎弾を打ち出して、辺り一面を火の海に変えて行く。
煉獄と化したオールドシティの町並みを逃げ惑う人々に、アキラは大声で喚き散らした。
「退け、退けぇっ! 切り捨てるぞぉっ!」
予想外だ!
後背に人外と化したイザベラ。目前に恐慌状態にある民衆を見据え、アキラは内心激しく毒づいた。
おそらくは一軍を率いて事に当たるであろうジークリンデへの対策はしてある。
ジークリンデは大軍を有している。圧倒的に有利な立場であるが、それだけに取られる戦術は限定され、行動は予想し易い。
限定された状況と行動は、奇策を生む土壌になる。アキラが勝機を掴むとしたら、正にその一点にしかない。
猫目石はアキラの制御から離れ、自由にサクソンを蹂躙している。ジークリンデは立場上、これに対処するを得ず、兵力は拡散する。
部隊を率いては目立ちやすい。その思惑からの単独での侵入だったのだが、それを背後から追いすがるイザベラが、ふいにしようとしている。
現状は、アキラの予想できる範囲をとうに超えている。
サクソン駐在の騎士の通常任務には、治安と警備が含まれる。部隊が現れるのは時間の問題だ。
……振り切ってやる!
アキラは身を屈め、鞭を振るって馬のスピードを上げる。
逃げ惑う民衆は、火の手を避けるようにして『上サクソン』を目指している。目的地を共にするこの民衆たちが、アキラは邪魔で仕方がない。組織化されてない分、軍隊などより余程始末に負えない。
『あははははは!』
突如響いた狂笑に、アキラは、ぎょっとして振り返った。
背後で、炎を纏ったイザベラが頭上に巨大な炎弾を作り出している。
アキラは、エルフという生き物が使う『魔術』というものを過去に何度か目撃したが、イザベラの作り出したそれは、見たことがない程、巨大なものだ。個人で扱うレベルを大きく超えている。
一撃で一個中隊――二〇〇人は薙ぎ払うだろう。
「ば、化け物め……!」
あれはもう、イザベラではない。
炎の精――エレメントだ。通常の武器では撃退できない。
アキラは腰に差した『菊一文字』に視線を走らせる。
――『妖刀』菊一文字。
これでなら撃退は可能かもしれない。
アキラの頬に冷たい汗が伝う。それを試そうとは思えない。
「う、撃つのか、あれを……。民衆に――ボクに向かって?」
イザベラは目の前に殺到する民衆を、炎弾で薙ぎ払うつもりだ。そこにはアキラも含まれる。
咄嗟の判断で、アキラは馬を乗り捨てるとその小柄と敏捷性を最大限に発揮して、隘路に殺到する民衆を踏み付け、大きく飛び上がる。
その直後、イザベラの放った炎弾が、民衆に直撃して大爆発を起こした。
――目茶苦茶だ!
アキラは空中で爆風に身を揉まれながらも、姿勢を立て直し、木造の住居の屋根に着地した。
『キサラギ』は元を辿れば、その祖先は『ニンジャ』の末裔だ。
アキラはその『ニンジャ』がどういったものかは知らないが、キサラギの文献で知る限りにおいては、最強の戦士の一種類であることは確かだ。
現在、アキラが身に纏う身体に張り付くこの黒い衣も『キサラギ』から受け継いだものだ。鋼線が縫い込まれており、防御性に優れ、且つ柔軟性に富み、夜陰に紛れる黒色は隠密行動に向いている。
身体の線が浮き彫りになるこの衣装は、ちょっとエロいのが難点だ。
「…………」
アキラは狂ったように笑い続けるイザベラを観察する。
イザベラは小さくなった。巨大な炎弾を撃ち出す前と比べ、身の丈が半分ほど――アキラより頭一つ分は小さくなっている。
あれは連発できないようだ。
――好機!
すっ、と腰を落とし、菊一文字の鞘に手を掛けるアキラと、イザベラの視線が合う。
イザベラは、にたっと笑って、炎を纏う指先で一点を差す。
宮殿の方向だ。
今は、先へ行けということだろう。
アキラは視線を細め、一瞬思考する。同時に、吹き飛んだ民衆の向こうからエミーリア騎士団の旗印を背負う騎士たちが湧き出して来る。
共闘……という訳ではない。あれはあれで機会を待っていたのだ。アキラの蜂起に乗じる形で目的を果たそうとしているようだ。一時的に協力の姿勢を見せるのは、今はという限定付きのことだろう。
アキラは鼻を鳴らし、この場での決着を諦めると屋根伝いに駆け出した。
◇ ◇ ◇ ◇
大きな食い違いを見せたものの、アキラは予定通りに『上サクソン』に侵入した。
主に貴族連中の住まうこの『上サクソン』は、『下サクソン』を見下ろす高台に位置している。
レオンハルト・ベッカーの居る宮殿までは、後、僅か――。
再会に胸を躍らせ、先を急ぐアキラではあるが単独で何の細工もなく宮殿に突っ込むほど愚かではない。
『上サクソン』を睥睨する時計塔に最後の仕掛けを用意させている。元々、サクソンに潜入させていた手下に用意させたものだ。
このような状況での使用を想像していたわけではないが、エミーリア騎士団の統制から外れた後も開発を進めていたものだ。
完成品と呼ぶにはお粗末な代物だが、アキラの期待に応えるには充分な出来だ。
燃え盛るサクソン上空では上昇気流が巻き上がっていることだろう。それに加えて、自身の小柄な体格が有利に働く。
グライダーだ。
レオの構想したそれで、空から宮殿内部に乗り込む。
彼と合流した後は……知るものか。
切って、切って、果てるもよし。逃げ惑い、最後まで足掻くもよし。共にあるならば、なんでもよい。
いずれにしても、最後は、この手にかけてやる。
燃え盛るこのサクソンで、アキラ・キサラギとレオンハルト・ベッカーの命は、一つになるのだ。
その時を思えば、アキラは腰から下の力が抜けそうになってしまう。
エルは置いて来た。
憎たらしいが、それでも彼女は、アキラにとって無二の親友だ。そして、レオの子を孕んでいる。それもまた、煮え繰り返るほど腹立たしいが、アキラが望んでいたものにほかならない。
その子は未来なのだ。
それはエルにくれてやる。
レオの居ない未来を、アキラは必要としない。
エルはこの最後の舞台に決して間に合わない。レオの居ない未来で、静かに腐り果てて行くといい。
それがアキラがエルに与えた罰だ。
『上サクソン』でも三本の指に入るほどの高い建築物である時計塔の屋上から、周囲を俯瞰して、アキラは穏やかな笑みを浮かべる。
グライダーは、既に組み上がっており、飛んで行かないよう縄で括りつけて固定してあった。
テスト飛行は済ませてある。飛距離は十分。片道切符だが、アキラに思い残すことなどない。
「レオ……今から、行くね」
アキラは、燃え盛るサクソンの空に飛翔した。
赤々と燃えるサクソンの町並みが美しい。その美しさに、アキラは涙すら流した。
「なんて……綺麗なんだ……」
それはアキラがやったのだ。
彼は、褒めてくれるだろうか。
刹那に燃え上がるこの美しい贈り物を、喜んでくれるだろうか。
上昇気流を受け、アキラの操るグライダーは、更に空高く舞い上がる。
ついにこの高台に位置する『上サクソン』にも火の手が上がり始めたのが、視界の端に見える。
猫目石の幾つかの部隊が、この上サクソンへの進攻を果たしたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
『それ』を見て、夜空を滑空するアキラは眉を寄せた。
皇帝の住まうエーデルシュタイン宮殿。ニーダーサクソンの宝石と呼ばれるその宮殿前の広場がひどいパニックに陥っていた。
宮殿は未だ猫目石の襲撃を受けていないはずだ。そもそも、アキラは猫目石に宮殿襲撃を命令していない。命令したのは、あくまでも首都サクソンの破壊だ。
可能な限りサクソンの首都機能を破壊した後は離脱を許可してある。
炎のエレメントと化したイザベラも到着していない。
だが、広場は大きな恐慌状態に陥っており、されていて然るべき部隊編制もされていなければ、防御方陣も敷いていない。
アキラは、周囲を旋回しながら眼下の様子を観察する。
方々で掲げられた篝火の中を、一人の騎士が暴れ狂っている。パニックの原因は、どうやらその騎士のようだ。
不規則、且つ出鱈目なスピードで動き回り、その騎士が動く度に武装した騎士の集団が弾け飛ぶ。
グライダーの高度を下げ、更にアキラはその騎士に刮目する。
元は白かったであろうマントとトーガを鮮血に染め上げ、暴れ狂う騎士は――
「アスペルマイヤー……!」
ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーに、アキラは嫌悪以外の感情を持たない。
ジークリンデは危険な相手だ。
このニーダーサクソン広しといえど、アキラに勝利を収める可能性のある戦士は、彼女をおいてありえない。現に一度、不覚を取った。
ジークリンデとの決着に、アキラは拘泥しない。避けて通れないと思っていたのも事実だが、サクソン襲撃の目的は、ジークリンデの殺害ではない。それは二義的なものだ。
ジークリンデの有利は大軍を擁するという面にある。
だが、眼下で起こるジークリンデのこの乱心。決着を控え、気が違ったとしか思えない。そこまで考え、アキラは自嘲の笑みを浮かべる。
今宵、誰が一番、正気でないか。
誰も彼も狂うがいい。
狂った猫のワルツに合わせて踊るがいい。
イザベラは化けて出た。
ジークリンデ。お前は、どんな狂気を見せてくれるのだ?
明けない夜の夢を見ているようだ。
愉快になり、アキラは嗤った。