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猫とワルツを  作者: ピジョン
第4章 猫とワルツを
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第15話 祝杯


 自らの軍階級昇格を祝う園遊会を行う宮殿の中庭で、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーはこの上なく不快だった。

 続々と詰め掛け、祝いの言葉を述べる門閥貴族の連中も、このニーダーサクソンの中核を成す軍高官の顔触れも、ジークの胸に何の喜びももたらさない。

 おかしなことだ。

 一年前のジークなら、この状況を喜び、楽しんだだろう。


「どうぞ、ジークリンデさま」


 エルフの執事の注いだ年代物のワインのグラスを受け取りながら、ジークは一層、眉間の皺を深くする。

 あの憎たらしい猫のアキラ・キサラギが、准将の軍階級を賜った時、にこりともしなかったのを思い出す。

 おかしなことだ。

 ジークは首を傾げる。

 現在のジークには、その時のアキラの気持ちがよく分かる。それが彼女にとって、何の意味も価値も持たないものであったことがよく分かる。

 ジークにとって、アキラは不倶戴天の天敵だ。アキラの方でも同じように思っているだろう。

 憎み合っていることは疑いない。だが、一部ではこれ以上ないほど理解し合っている。

 おかしなことだ。


 ジークはアキラに会いたくない。

 アキラほどジークを脅かす存在はないからだ。

 アキラにしてもそうだろう。ジークほど危険で、アキラを脅かす存在はない。


 だが、おかしなことに、こうも思う。


 ジークはアキラに会いたい。

 会って、自身の手であの細い首をねじ切ってやりたい。

 恐らく、アキラもそうだろう。

 機会が有れば、ジークの命を狙うだろう。


 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーと、アキラ・キサラギ。

 どちらかの死を以てしか、互いの胸は安らがない。

 アキラ・キサラギは、今頃どうしているだろうか。

 ジークは少し考える。

 勝ったのは己だというのに、望みもしないパーティの会場で、嬉しくもないのに祝杯を挙げている。

 滑稽だ。

 見上げた宮殿の三階部分の私室では、衰弱したレオがいる。

 誠心誠意、ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーという女が愛している男が死にかけているというのに、当の彼女は祝杯を挙げている。

 これを滑稽と言わずして、何を滑稽というのか。

 何のために、あのアキラ・キサラギと死力を尽くして戦ったのか。


 少なくとも、この場で祝杯を挙げるためではなかったはずだ。

 ジークの眉間に刻まれた皺が、益々、深くなる。


 楽士たちが手にした楽器で緩やかな旋律を奏で出す。


 ――カドリールだ。


 そう、ジークはこのために戦ったのだ。そして大きな報酬を得られたのだ。

 手にしたグラスの中に踊る液体を見つめ、ジークの口元に柔らかな笑みが浮かぶ。


「これはジークリンデ。今日もお美しい。小官と、ぜひ一曲、踊って頂けませんか?」


 銀色の髪。恵まれた逞しい体躯を折って恭しく頭を下げるのは、フォルクマール・フォン・バウマイスター少将だ。


 台なしだ。せっかく、ほんの少しだけ、いい気分になりかけていたのに。


 ジークは眉を寄せ、グラスの中身をバウマイスターの下げた頭に振りかける。


「何をする! この……!」


 ワインでずぶ濡れになりながら、いきり立ったバウマイスターは何事か悪口を叩こうとして、周囲に並ぶいずれも高貴な来客の顔触れの視線に出会い、忌ま忌ましそうに口ごもった。


「おまえを呼んだ覚えはないよ、バウマイスター」


 ジークは鮮血の瞳で、静かにバウマイスターの首から上の辺りを見る。


「私の居住区に、躾の悪い野良犬が迷い込んだ。だれのことか、わかるね……?」

「なっ……」


 周囲で事の経緯を見守っていた面々から、失笑の声が漏れ、バウマイスターは真っ赤になって押し黙った。


「お似合いの野良犬とでも踊るんだね、バウマイスター」


 もっとも、とジークは付け加える。


「汚いおまえなんて、野良犬の方でも願い下げだろうけどね」

「……くそっ、覚えてろよ!」


 怒りのあまり、赤から青になった顔色でバウマイスターは踵を返す。

 執事を押しのけ、態とらしく大きな物音を立てて去る姿は滑稽なだけでなく、惨めですらあった。

 その次の瞬間には、ジークの頭からバウマイスターの姿は消え去る。


 レオなら、どうやって私を誘うだろうか……今度は、女のパートで踊りたいな……。


 そんなことを考えた。


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苛烈に生きる弟の話を……
『アスクラピアの子』
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