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猫とワルツを  作者: ピジョン
第4章 猫とワルツを
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第13話 欠片

◇ ◇ ◇ ◇



 俺は、もう、長くない。

 二週間ほどの眠りから覚めた感想がそれだ。

 アスクラピアの神官から余命一年の宣告を受けて、未だ半年。残り、半年を耐える余力が、この身体には残っていない。

 俺が目を覚まし、一度は騎士団の出頭要請に応じたジークだったが、それ以降は俺から離れなくなった。メイドですら寄せ付けず、衰弱した俺の世話を、自らの手で行っている。

 ジークは、俺の容体について、一言足りとも言及しないが、返ってそれが事態の深刻さを告げている。


 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤーは、未完の大器だ。

 武勇に優れ、その人格は鷹揚にして寛容。……粘着質の嫌いはあるが、欠点は誰にでもある。その欠点を補ってなお、彼女の美点は余りある。

 俺の最後の使命は、この未完の大器を完成させ、世に放つことだ。

 ちっぽけなただ一人の人間であるこの俺だが、生きた証しが欲しいのだ。


 不意に違和感。


 以前の俺――レオンハルト・ベッカーの記憶の残滓だろうか――脳裏にちらつく。

 とても小柄な誰かの影だ。


 ……おさらばです。


 その小柄な誰かに別れを告げ、レオンハルト・ベッカーは力尽きた。

 燃え尽きる前の俺は、優れた『何者』かを世に送り出したのだ。


 後、一度だけでいい。


 逢いたいなぁ……。


 だが俺に残された時間は、余りにも少なくて……。


 眠るばかりの時間が過ぎる。

 俺の体調は、時を経ても薄紙を剥がすようにしか良くならず、一進一退の状況が続いた。

 そんなある日。

 犬のメイド三人が、ぱたぱたと忙しなく動き回る気配に目を覚ました。


 この日のジークは、惜しげもなく裸体を晒したガウン一枚の格好ではなく、騎士のトーガとマントに身を包み、数々の勲章を胸に飾っていた。


 ジークは窓際の椅子に深く腰掛け、メイドたちに長く美しい銀髪を梳らせている。眉間には苛立ちから来る深い皺が刻まれていて、周囲の空気は、ぴりっと張り詰めていた。


「……おまえたち、もう少し静かにするんだ。もし、レオが起きたら……わかるね?」


 淡々と言い放つジーク。俺は眠っているふりをする。


 ジークがとても苛立っていることは察するに難くない。厳しい表情もそうだが、メイドたちに話しかける声色が、俺に対するものとは全然違う。

 ジークは言った。


「私の大将昇格のパーティは中庭で開く。ここに誰か来るかもしれないが、決して誰も通してはいけないよ。レオに何かあったら、すぐに呼ぶんだ。つまらないパーティはおひらきにする。皇帝も帰らせる」


 鷹揚でなければ、寛容さのかけらもない高圧的で威圧的な声に、ジークの正装を整える三人のメイドたちは脅えたように頷いた。


 犬の獣人は、個体差はあるが、大抵が従順で大人しい。狩猟時代と呼ばれる大昔には人間と互いに助け合い、生きていたそうだ。そのためか、人間と犬の獣人は非常に相性がよい。

 狼の下級種と呼ばれる犬の獣人だが、俺に言わせれば、この二つはまったく違う。

 闘争を好み、馴れ合いを嫌うのが狼の獣人。

 平穏を好み、協調性があるのが犬の獣人。

 一緒に居て落ち着くのは、紛れもなく後者の方だ。


 その狼の獣人であるジークが、犬の獣人であるメイドたちを追い払ってしまったので、部屋の中には、寝たふりをしている俺とジークの二人きりになった。

 俺は落ち着かない。

 ジークが、ブーツの音を響かせて、俺が横になっているベッドの隣に立った。

「…………」

 ジークの静かな息遣いが聞こえる。

 かち、こち、と時計の針の音が大きく聞こえる室内で、ジークの息遣いが徐々に荒くなって行く。


「まだ、時間はあるよね……」


 低く呟き、ジークが俺の髪を撫で、荒い息遣いが近くなった。


 ……お、俺は、どうなるんだ? 食われるのか?


 くんくん、とジークが俺の首筋の匂いを嗅いでいる。伸びた手が、執拗に体中をはい回り、長い舌が、ぺろりと頬をなめ上げる。


「もう少し……もう少しだけ……!」


 掠れた声で言うジークは、一頻り俺を蹂躙した所で響いた背後からの控えめなノック音に、ぴたりと動きを止めた。

 ジークは、ほぅと息を吐く。


「それにしても……レオは、ずるいね。寝たふりするなんて……」


 うふふっ、とジークは笑う。


「心臓の音、すごかったよ? ……続きは、夜、ね」


 だるい身体を起こし、出て行くジークの背中を見送った。

 額に伝う冷たい汗を拭いながら、藍色になり出した窓の外を見る。


 ジークの愛は、俺には強すぎる……。


 呪いのお陰で虚弱になった身体の具合とは関係なく、俺は長生きできそうにない。


 ……俺は、この感覚を知っている。


 危険で、狂暴で、命を削る、あまりにも愛しい求愛を知っている。

 思い浮かんだのは、ジークではなく、ぼやけた小柄な誰かの輪郭だった。

 耳の奥で、淡々としたワルツの楽曲が流れ出す。


「来る……」


 独りきり、暗く染まる部屋の中で、呟いた。


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苛烈に生きる弟の話を……
『アスクラピアの子』
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