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猫とワルツを  作者: ピジョン
第1章 猫団長始動!
1/42

第1話 猫団長始動!


「おい、レオ、聞いているか?」

「ああ……?」


 団長が呼んでいる。

 いかん、考え事をしていたようだ。

 俺、レオンハルト・ベッカーは、このエミーリア騎士団で新しく設立された旅団クラスの部隊の副長に任命されたばかりだ。


「いつもボクの三歩後ろを歩けって言ってるだろう!」


 うるさいな……。小さ過ぎて見えなかったんだよ。賢い俺はその言葉を飲み込んだ。まだ命は惜しい。

 目の前で喚き散らしている小さい彼女はアキラ・キサラギ。第12旅団の団長。まあ……俺の直接の上官に当たる人物だ。


「お前はボクの言うことさえ聞いていればいいんだ……。おい、聞いているのか!」

「はいはいはいはい! 聞いてます! 聞いてますってば!」

「返事は一度でいい! 大体、お前は軽すぎるんだ! 会議の最中、お前が何度、あの薄汚いメイドに目をやったか、ボクが気付いてないとでも思っているのか!」


 薄汚いって……あのメイドは、あんたと同じ下級貴族の出身でしょうが……。


「傭兵上がりが…」


 吐き捨てて、団長は歩き出す。

 ……その傭兵上がりを副長に抜擢したのは自分だろうに。

 それにしても……あの娘、可愛かったなあ。ありゃ、犬の獣人の血を引いてるな。いい身体してた……きっと、夜もいい声で鳴くんだろうなあ……。


「おい! お前、今、何を考えている!」

「うわあ! 何も考えてません、ごめんなさい!」

「何も考えてないだとお……? お前、今の自分の立場が分かってるのか!?」


 団長は怒鳴り散らしながら俺に詰め寄る。背伸びしても胸ほどまでしかない。癖のある猫っ毛を怒りに巻き上がらせながら言った。


「この、うすらとんかちめ…」


 俺が騎士の叙勲を受けたのは三年前。式の最中、あまりの退屈さに欠伸したところを、このアキラ・キサラギに見咎められたのが運の尽きだ。その後、修正という名の私的暴行を受け、騎士としての基本的な礼儀作法……まあ、戒律だな。そいつを身に付けるために、彼女の側近として仕えることになった。

 それから三年……現在もって修行中の身の上だ。


 俺は細く長い息を吐き出す。


「でもまあ、旅団クラスの団長ってんだから、出世ですね。おめでとうごさいます……………団長」


 これ以前のアキラ・キサラギは一個連隊……エミーリア騎士団では二千人ほどで編成される一個連隊の隊長であったから、旅団長に任命されたからには、その呼称も変わるということになる。


「すると……階級も上がりますね。とうとう准将ですか……将官クラスの就任……俺も鼻が高いですよ」


 その言葉に、俺の三歩前を歩いていた団長が眉間に深い縦皺を刻んで振り返った。

 ぐい、と俺の襟首を引き寄せる。


「二人きりのときは、ボクのことはアキラって呼べって言っただろう……! 何が団長だ! そんなもの……おまえはそんなに……!」

「って、まだそんなこと言うんですか?」


 はあ、と溜め息を吐き出す。

 団長……アキラは頭も切れるし、腕も立つ。生まれも一応は貴族の出身だ。前途有望な彼女だが、時折訳の分からない要求で俺を困らせる。

 諭すように言う。


「あのですね、団長。それでなくとも、俺たちは団長と副長の間柄なんです。二人きりでいることが多いんですから、普段から注意しておかないと。そのつもりがなくても、こんなとこ風紀部の連中に見つかったら、えらいことになりますよ?」

「風紀部……? 今はボクとおまえの話をしているんだ! 奴らは関係ないだろう!」

「ありますよ! 団長は貴族だからいいですけど、平民出身の俺は、除隊どころか、最悪殺されるかもしれないんですから!」

「おまえ……ボクのいうことがきけないのか……!」


 平民にそんなに呼び捨てにされたいのか? 少し呆れてしまう。


 『エミーリア騎士団』は、元の始まりはただの修道会で、その名の由来は創立者の修道女『エミーリア』だ。戦地での主な働きは医療活動だった。しかし、三年前に前団長であるカロッサ公爵が、後任を娘のヒルデガルドに譲り、以来その活動には軍事行動も含まれるようになった。

 大幅な増員に伴い、俺のような傭兵上がりにも出世のチャンスができたわけだが、このエミーリア騎士団は元々の活動は医療活動が主であっただけに、その編成は女性が半数以上を占めている。

 他国の騎士団と比較して、男女の構成比に著しく公平を欠くエミーリア騎士団の、現在の大きな懸念材料が男女の恋愛関係だ。

 他国の騎士団には馬鹿馬鹿しいと一笑に付されるこの懸念だが、急速に発展して来たエミーリア騎士団にとっては、大きな問題だ。

 現在、俺の目の前で毛を逆立てて怒りに震えるアキラ・キサラギなんかもそうだが、エミーリア騎士団の抱える将官の実に八割が女性だ。その内、未婚者が七割。

 優秀な将官が結婚、妊娠を契機に長期の休暇、なんてことになったら軍上層部は目も当てられんだろう。そこで新しく新設された部門『風紀部』の出番だ。

 傭兵上がりや他国の将官クラスを引き抜いて、男の人員を増やす一方で、男女の構成比にバランスが取れるまで時間を稼ごうという腹なんだろう。『風紀部』は主に、騎士団内部の男女関係を取り締まる。

 将官であるアキラとの間に変な噂でも流れれば、仮に事実無根であったとしても、平民出身の俺は見せしめのためだけに処刑されかれない。それは、あまりぞっとしない想像だ。先程まで考えていたのもアキラとの距離感についてだ。

 周囲に人影のないことを確認し、アキラと視線を合わせる。


「アキラ、落ち着いてください」


 一方のアキラは目元を赤くして憤慨している。何でそこまで追い詰められたか分からないが、過呼吸に近い様相で興奮している。


「これが落ち着けるか! それになんだ、おまえの言葉遣いは! 他人行儀な……!」


 嫌がる俺に言葉遣いと礼儀作法を叩き込んだお方の言葉とは思えない。


「アキラ? アキラ……?」


 癇癪を起こした子供に母親がするように、背中を撫でてやる。


「うっ、ぐ……」


 アキラは、ぐっと目を閉じ、うっすらと涙さえ浮かべながら、嵐が去るのを待つかのように俯いて黙り込んだ。


 不思議な関係だ。我ながらそう思う。

 アキラとは上官と部下との関係でしかない。同じ部隊で同じ作戦をこなしたし、同じ釜のメシも食った。やばい作戦もあったし、一緒に死線を抜けたこともあった。だがそれ以外は何もない。なのに何故、こんな偏った関係になったのだろうか。

 アキラの俺に対する執着……なぜ、こうなった?


 肩で大きく息をするアキラに言う。


「アキラ、公私の区別のつかない貴女ではないでしょう?」

「……」


 ついに流れた涙を、袖で拭いながら、アキラは上目使いに睨みつけて来た。


「おまえ……よくも……」

「はい」


 困ったものだ。ここまで酷い癇癪も久しぶりだ。一年前、人事で別部隊に飛ばされそうになった時以来の荒れようだ。


「覚えてろよ……」

「はい」

「後で、ひどいからな……」

「はい」


 取り敢えず、全ての言葉に肯定しておく。アキラの癇癪には、それが一番有効だ。


 その後、小一時間に渡って俺は罵倒され続けた。

 唐変木、馬の骨、でくの坊、田舎者、神父の息子、傭兵上がり。散々言われたが、まあ、概ね合ってる。その全てに肯定しておいた。

 最後に大きく鼻を啜り、ようやくアキラは落ち着いたようだ。


「忘れてたが……お前も出世したからな」

「はい……って、え? 俺もですか?」


 アキラは少し得意そうに頷いた。


「まあ、このボクの副官が下級士官じゃ、格好がつかないからな。ありがたく思え」

「そうですか……俺が、少佐に……」


 複雑な気分だ。

 通常、平民出の騎士がその地位につくことは、まず無い。あったとしても、引退間近の老騎士に対する捨て扶持といったところか。だが、俺はまだ二十代の前半だ。これは平民出の騎士としては異例の出世スピードだ。

 今までだって、同僚のやっかみみたいなものはあった。アキラ・キサラギのお気に入りということで、皆、沈黙していたが、少佐ともなるとそうもいかんだろう。

 これが何かの火種にならなければいいが……。


「なんだ、レオ。不満なのか?」


 俺の反応は、アキラには少し不服だったようだ。唇を尖らせる。


「いえ、そんなことは……ありがとうございます……」


 退役。ふと、そんな言葉が脳裏を過る。

 元々、俺は片田舎の神父の息子だ。その田舎者が、騎士に憧れてこのニーダーサクソンまでやって来たのはいいものの、現実はそんなに甘くなく、その日暮らしの傭兵稼業に就くはめになった。時勢がよく、騎士に取り立てられはしたが……。

 これが潮時かもしれない。切った張ったのやり取りにも嫌気が差していたところだ。

 今、退役しても国から出る恩給で、俺と後一人くらいは十分やって行けるだろう。


「……」

「やっぱり……爵位が得られないのが不満か。それは少し待ってくれないか……?」


 退役か……。

 考慮の余地はあるだろうが、これは結構名案かもしれない。俺をやっかむ同僚たちも、退役してしまうと知れば、団長の温情ということで納得するだろう。


「いや、別にお前を過小評価しているわけじゃないんだ。ただ、貴族の中には、元傭兵のお前に爵位を与えることに反対の者もいる。やつらを黙らせるには、もっと功績が必要なんだ」

「……」


 ぼちぼちで身辺を整理して行くか……。次の出征が終わったころが切り出し頃だな。


「……やっぱり腹を立てているんだな? でも、ボクだって頑張ってるんだ。それは理解してほしい」

「……?」


 いかん、また考え事をしていた。悪い癖だ。


「お前の言う通り、公私のけじめは確かに大事なことだ。けど、それとボクたち二人のことは、また別の問題だろう?」

「はい」


 やばい……なんの話だ? 全然ついていけん。でもまあ……なんとかなるだろう。俺がアキラの話を聞かないのは、これが初めてじゃないし……。

 アキラは笑みを浮かべると、俺の手を取った。


「わかってくれたんだな?」

「……はい」


 俺は一つ咳払いをする。これ以上、訳のわからん話に付き合わされてはかなわん。


「……それでは、新しい兵舎でも見に行きますか?」

「うん、そうだな!」


 アキラは、にっこり笑った。怒ったり、泣いたり、笑ったりと忙しいやつだ。


 常に俺の三歩前を歩くアキラ・キサラギだが、彼女には様々な逸話がある。


 曰く、アキラ・キサラギは、ホビットの血を引いている。まあ、小柄だからな。確認のしようはないが、信憑性はある。


 曰く、アキラ・キサラギは猫の獣人の血を引いている。噂では、尻尾が生えているとかいないとか。


 多人種の住むこの大陸では、特に珍しい話ではない。

 この逸話が事実であるとするならば、アキラはハイブリッドということになる。生物としては俺のような純粋種の人間などより、余程高みにいるということだ。

 これらの逸話に関しては、信憑性はあるものの、確証はない。確信を持って言えるのは、アキラ・キサラギという名の由来は、今はもう海に没した東方の大陸のものである、ということだけだ。

 アキラが東方の流れを引くというのは、疑いようのない事実だ。それを証明する一つの証拠が、今、彼女が腰に差している『カタナ』だ。これは俺が愛用している『剣』などとは似て非なるものだ。恐ろしい切れ味と、美しい紋様。扱うには独特の技術が必要だ。

 アキラは、この『カタナ』で身の丈が己の倍はあろうかという巨漢の首を一刀で撥ねて見せたことがある。『剣』では出来ない芸当だ。

 そのアキラだが、背筋を伸ばし、後ろに手を組んで少しお尻を振りながら歩く。スリムな体型に長い尻尾を持つ猫の獣人がよくやる歩き方だ。そんな彼女に付いたあだ名は、


 『猫隊長』或いは『猫大将』。


 なぜか機嫌が良くなったようで、鼻歌混じりにずんずん先を歩いて行く。


「おーい、レオ。置いて行くぞー!」


 俺は慌ててアキラの後を追った。



◇ ◇ ◇ ◇



 この度、新設される第12旅団であるが、『旅団』クラスの部隊はこのエミーリア騎士団では三個連隊を持って編成される。

 一個連隊が約一五〇〇~二〇〇〇人で編成されていることを考えると、第12旅団は最低でも四五〇〇人。多ければ六〇〇〇人の集団ということになりそうだ。

 木造で古めかしい造りであった旧兵舎とは違い、新しく割り振られた兵舎は赤煉瓦拵えの二階建ての建物だった。

 アキラはご満悦で、新兵舎の居住区を見て回った。無論、副長たる俺も後に続く。


「レオ、ボクの部屋は見晴らしのいい屋上にしようと思うんだが、どうだろう?」

「何、馬鹿なこと言ってんですか。有事の際、屋上にいたら大変でしょうが。団長は離れに邸宅が用意されていますよ」


 アキラの形の良い眉が、きゅっと寄った。これは機嫌を悪くする一歩手前だ。


「ちなみに……お前は、何処に寝泊まりするんだ?」

「そりゃ、この新兵舎ですよ」


 副長だから個室だ。まあ、連隊の副長時代から個室は宛てがわれていたので、さしたる感動はない。


「……ボクは、どうなるんだ?」


 アキラは低く言う。雲行きが怪しくなって来たようだ。ますます表情が険しくなって来た。


「……はい、入り口に不寝番の衛兵が何人か付きます」


 危ない。あと少しで、知るかと言いそうになった。


「別にボクは、そんなものは頼んでない」

「まあ、堅苦しいのは分かりますけどね。我慢して下さい。偉くなるってのは、そういうものなんですよ」


 准将になるアキラは、連隊長時とは待遇が変わる。衛兵も付くし、専属のメイドなんかも付く。将官クラスの扱いは別格だ。今はぐずっているが、そのうち考えも変わるだろう。


「副長は、いつから団長と離れ離れになっても良くなったんだ…?」

「俺の――」


 この一人称も改めんといかん。俺がだらしなければ、恥をかくのは団長のアキラだ。これでも、一応は期待されて副長の地位に就いたと自負してる。いつまでも傭兵上がりでは通用しない。


「小官の部屋でしたら、新兵舎の一階です。有事の際は――」


 最後まで言うことは出来なかった。

 アキラの拳が鳩尾にめり込んでいる。彼女は小柄だが、その拳は石より固い。そして、何よりも効く。家に伝わる特殊な体術らしい。『カラテ』とか言ったか。


「か、は――」


 肺から空気を絞り出し、苦痛に喘ぐ俺に、アキラは少し周囲の様子を確認しながら言う。


「なんなんだ、お前は。ボクの嫌がることばかりしやがって。二人きりだぞ? わかってるのか?」


 ……なんのことだ? しかし、こいつは効く。頭三つは小柄なアキラに殴られて、膝を着く俺って……情けない。

 俺の襟首を持ち上げるアキラから表情が消える。何か知らんが、彼女は本気だ。修正モードだ。兎に角、何か言い訳しないと、足腰立たなくなるまで叩きのめされてしまう。


「う、く――」


 駄目だ! 喋れない! 一撃でこれか……。息を吸うのも難しい。言葉の替わりに、だらだらと脂汗が吹き出してくる。

 畜生、このチビめ!


「反抗的な目付きだな……。言いたいことがあるのか? 言ってみろ?」

「ぜ、んぶ、あなたの、ため……」

「え?」


 と、アキラは若干怯む。少しは聞く耳があったようだ。


「俺が、だらしないと……団長に、迷惑が……」


 痛みに途切れがちな言葉をなんとか吐き出す。


「え? え? おまえが、ボクのために?」


 困惑して視線の定まらないアキラに、俺は大きく頷きかける。


「あなたの努力を、俺――私は知って、います……。私の不始末で、あなたに……」

「もういい! わかった、わかったから無理して喋るな!」


 おろおろとしたアキラが俺に近づく。しかし――アキラに殴られたのは、これで何度目だ? 身体に染み込んだ恐怖は、そう簡単に隠し仰せるものではない。思わず、身が竦んでしまう。

 はっとしたように、アキラは飛びのいた。


「くそっ、くそっ……」


 唇を噛み締め、俺を打った拳を摩るアキラの表情には、ひたすら困惑の色が見て取れた。


「ボクは謝らないからな。おまえがいけないんだ。ボクは悪くない! ボクは悪くない!」

「……はい」


 なんとか返事を返すと、アキラは項垂れ、絶望したように肩を落とした。

 近いうちに、絶対に辞めてやる。

 俺は決意を固くするのだった。




◇ ◇ ◇ ◇




 この日は、アキラに断って早めに自室に引き取る。

 第12旅団の結成は決定されているものの、正式な辞令はまだだ。手続き上の問題もあるが、この間延びした時間は、大抵の場合、準備時間に充てられる。

 俺は独り者なので準備にさしたる手間は掛からないが、その分、副長としてやっておかねばならないことが多々ある。

 アキラ・キサラギは優秀な軍人だが、困ったことに怠け癖がある。雑事は俺の担当だ。

 新兵舎の間取りの暗記は勿論、有事の際の連絡手段も考慮せねばならない。連絡手段に関しては、連隊時代のものを強化、見直すとして、内乱や暴動などの際の行動手順などもマニュアルとして落として行かねばならない。これも連隊時代に作成したものがあるが、規模が替わる以上、大幅な見直しを要求されることになる。

 とにかく、アキラ・キサラギの副長は忙しい。

 通常、一個連隊は一五〇〇~二〇〇〇人の集団から成るが、これを率いるのは佐官の階級を持つ上級士官だ。

 通常、『旅団』クラスの編成は最低でも二個連隊。つまり、アキラ・キサラギは最低でも一名の上級士官を新たに幕僚に加えることになる。

 先日、解体された一個師団の連隊長二名が最有力候補だろう。既に目星は付けてあったので、自然な成り行きを装って二名には接触してある。

 傭兵稼業の長かった俺は、こういう根回しを得意にしている。まあ、それだけ苦労しているということだ。

 接触した連隊長二名の資料を纏め、アキラに提出、面談の予定を組まなければならない。これは、おかしなことだが俺が勝手にやっていることだ。他の部隊では、こんな面倒なことはしない。軍上層部の人事に任せきりなのが通例だ。結成の式典がお互いの初顔合わせ、などということも珍しくない。

 面倒を勝手に抱え込む俺だが、この行為には計り知れない利点がある。

 前以て面識を持ち、あわよくば友誼を持つことが出来れば、後々取り込み易くなる。それは戦闘の際の連携にも密接に関係してくる。

 仮に、お互い初対面の印象が悪かったとしても、時間を置けば理解を得られるかも知れない。最悪、この段階で物別れということになってしまえば、人事にそれとなく働きかけ、多少なりとも異動に考慮の時間を与えることが出来る。

 アキラ・キサラギと同様に、俺も負けないくらい面倒臭がりだ。トラブルは少ない方がいい。


 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤー。

 イザベラ・フォン・バックハウス。


 フォンは、このニーダーサクソン古来の貴族であることの証し。

 今のところ、この二名が、新しく第12旅団に配属されそうな最有力候補だ。

 困ったことに、二名とも未婚の女性。しかも門閥貴族の子女だ。二人とも負けず劣らずプライドは高いが、まあ、その辺りは如才なく接したつもりだ。手応えは悪くない。

 後は、俺の上官の猫大将の気分次第、といったところか。

 屈服させるか、或いは友誼を結び、知己を得るか。


「あの……大尉、そろそろおやすみになられた方が……」


 背後からの声に振り返ると、そこではメイドのエルが気遣わしげな視線を向けている。

 エルは猫の獣人の女性だ。

 四年前、未だ傭兵だったころ、軍から降りて来た作戦で、一つの村を焼き払ったことがある。

 百人ほどの小さい村で、疫病と飢饉でもうどうしようもなかった。

 今、思い出しても軍の指示は妥当だったと思うし、判断は適切だったと思う。

 村を焼き払うことも、その汚れ仕事を傭兵に押し付けることも。俺が軍の高官なら、俺だってそうする。だから恨みはない。それとは別として、俺にもささやかながら良心というものがある。

 エルは、俺が焼き払った村の住人の生き残りだ。


「お願いです、助けてください……」


 と、命乞いする彼女をどうしても見捨てることができなかった。散々、無茶して、金も人脈も使えるものは全て使って、なんとかエル一人だけを助けることができた。

 それから四年。安月給にも拘わらず、エルはよくしてくれてる。


「ああ、もうこんな時間か……」


 暗くなった窓の外を見やり、首を鳴らす。


「そうだ、エル。俺、今度出世して少佐になったんだ」


 これでエルの月給も上げてやれる。何せ、傭兵時代からの付き合いだ。貧乏暮らしで無給の時だってあった。彼女には報いてやりたい。


「そうですか……」


 とエルは、素っ気ない。

 無理もない。俺はエルの生まれ故郷を焼いた男だ。恨んで当然なのだ。命を助けたからといって、それを恩に着せるつもりもない。

 ……偽善だな。素直にそう思う。罪のない民間人を虐殺しておいて、エル一人に報いたからといって、その罪が許されようわけがない。


 エルは……いつ、俺を殺しにくるのだろう。切った張ったが生業のこの稼業だ。いつ死んだっておかしくない。どうせいつか死ぬのなら、俺は、エルに殺されてやりたい。

 それすらも傲慢か……。

 これでも神父の息子だ。神の存在を信じてる。

 俺の生きざまが罰せられるべきならば、いずれ報いがあるだろう。


「それともう一つ」

「……」


 エルは面倒臭そうに振り返る。


「今度の出征が終わったら、退役しようと思う」

「はい……それが何か?」


 そう来るか。スルーですか。少し気が抜けてしまう。エルは俺のことなど、どうでもいいのだろう。


「いや、だから……そうなると、もう兵舎に居られない。だから、その……エルはどうするかと思って……」


 いかん、どうも歯切れが悪い。どう言えばいいかわからん。


「どうしましょう」


 エルは興味なさそうに首を傾げる。


「まあ、確定したわけでもないから、今は具体的なことは言えないんだが……その、考えておいてほしいんだ」

「はあ……考える、ですか」

「俺としては、エルに付いて来てほしいと思ってる。もちろん、無理にとは言わないが……俺は、その、切った張ったしか能が無いし……エルの助けが必要で……」

「……」


 ランプの薄暗い闇の中でエルと目が合う。

 猫の獣人は体の正面部位には毛が生えていない。顔、胸、腹、手のひら。それ以外の部位に薄い毛皮。頭に尖った耳がある以外は、人間とさして変わりがない。

 そのエルも今年で十五歳。獣人の成長は人間より早く、一般的にその成人年齢は十二歳とされているから、もう十分に大人だ。だからだろうか。少し緊張してしまうのは。

 ええい、本音を言ってしまえ!


「エル、お前が心配だ。黙って俺について来い」

「……」


 その時、エルの瞳がぴかりと光ったような気がした。


「はい、それを望まれるのであれば……お供します」


 正解。気を使うのは性に合わない。気分が良かった。


「よろしい! 今日は下がって休んでくれ」

「はい、それでは」


 短く言ってエルは引き下がる。去り際、振り返り、


「……それでは、どこまでも……」


 と呟いた。




◇ ◇ ◇ ◇



 正式な辞令が下った。

 これでアキラ・キサラギの率いる第七連隊は、これに二個連隊を加えた計三個連隊――第12旅団として機能して行くことになる。


「なあ、レオ。ボクはどうしたらいいんだ?」


 これが上官の言葉とは思えない。それを決めるのはあんただろう、と言ってやりたい。

 アキラは優秀な軍人ではあるが、極めて怠け癖の強い性格をしている。


「……とりあえず、馬鹿共を集めますんで、隊長、じゃない。団長は、後ろで睨みを利かせていて下さい」


 第七連隊は傭兵上がりが多く、実戦経験も豊富で結束も固い。その反面、血の気が多く荒くれ者も多い。命知らずのお調子者が多いのが特徴で、軍議はしばしば脱線する。そのため、団長のアキラが睨みを利かせ、俺が仕切る。


 エミーリア騎士団では、一個連隊は三個大隊ほどで組織されている。これらを指揮するのは大佐クラスの士官だ。

 第七連隊の場合、大隊指揮官として三名の少佐。それらに各々副官として中尉クラスの下級士官がついている。

 俺が言った『馬鹿共』というのは、この第七連隊の中核を成す大隊指揮官、及びその副官を含めた計六名のことではなく、それ以外の平団員たちのことだ。


「そんなことより、団長。この第七連隊を任せる士官を決めてくれましたか?」


 アキラは、むすっとして腕組みした。


「第七連隊の隊長はボクだ。だれにも任せるつもりはない」

「だから……」


 俺は頭を抱えた。


「……気持ちは分かりますけど、団長はこれから三個連隊の指揮を執るんです。一個連隊にばかり手を取られるわけにはいかんでしょう。……まあ、直属の第七連隊が可愛いのはわかりますけどね」

「……じゃあ、レオ。お前に第七連隊を任せる」


 渋々言われても嬉しくない。問題はそれだけじゃない。


「何言ってんですか。俺は少佐ですよ? 階級的には大隊クラスの指揮官が妥当です。まあ、どうしてもというなら出来ないこともないですけど…」

「じゃあ、どうしてもだ」

「わかりました。それじゃあ、俺に代わる副長を任命して下さい」

「なっ!」


 とアキラは仰天する。


「ふざけるなよ、そんなの兼任すれば済む話じゃないか!」

「だから……」


 俺はやっぱり頭を抱える。この話し合いは既に三度目だ。嫌気がさしてきた。


「そんなことできるわけがないでしょう。だから、信用出来る大隊長の中から、一人選べって言ってるんです。大隊長の資料は持ってますよね?」

「……」


 アキラは、つーんとそっぽを向いた。


「まあ、いいでしょう」


 アキラ・キサラギば馬鹿ではない。嫌がるのなら、それなりの理由があるのだろう。


「アスペルマイヤー、バックハウス両大佐との面談のこと考えてくれましたか?」

「!」


 アキラの表情が険しくなる。

 この様子だと、報告書はちゃんと目を通したようだ。とても嫌そうな顔をしている。

 つまり、アスペルマイヤー、バックハウスの両大佐はお気に召さないというわけか。それで、手飼いの第七連隊は側に置いておきたいというわけだ。


 まあそうだろうな。


 アスペルマイヤー、バックハウス両名とも、家名だけなら団長を凌ぐ家柄の出身だ。扱い辛いと感じたのだろう。しかし……アキラの度量なら、どうにかするのではないか、と思ったのは買いかぶり過ぎだったろうか。


「おまえ……二人とは知り合いなんだろう?」

「ええ、そうですが」

「特にアスペルマイヤーとは懇意にしているらしいじゃないか」


 ジークリンデ・フォン・アスペルマイヤー。

 傭兵時代、彼女の指揮する部隊に一時所属していたことがある。俺には、ある能力があって彼女の部隊では非常に重宝されていた。

 一年前、人事部に働きかけ、俺を旗下に加えようとしたのも彼女だ。アキラの猛烈な反対と妨害で断念したが、先日会ったときは、再会を喜んでいた。


「なんです? 一年前のこと、まだ根に持ってるんですか?」

「当然だ! このボクから引き抜きだぞ? よりによって……くそっ! 今、思い出しても腹が立つ!」


 こりゃ、駄目だ。アスペルマイヤーはペケ、と。


「それでは、バックハウス大佐はどうです?」

「ふざけるな! あいつはエルフじゃないか!」


 いよいよ頭に血が昇ったのだろう。アキラは怒鳴り散らした。

 種の純血に拘りを持ち、他者を見下すエルフを嫌う者は多い。アキラも多分に漏れず、エルフは嫌いなようだ。

 はいはい、バックハウスもペケ、と。


「レオ! エルフとはどういう関係なんだ!? 事と次第によっては、おまえでもただじゃおかないぞ!」

「アスペルマイヤー大佐とバックハウス大佐は幼なじみなんですよ。それで知己を得た。それだけです」

「本当だろうな! アスペルマイヤーは!? どんな関係だ!」


 すごい見幕だ。少し、引いておこう。


「アスペルマイヤー大佐ですか? 会えば挨拶くらいはしますが、それだけですね。一緒に食事をしたり、話し込んだりするような仲ではないです」


 顔を真っ赤にしたアキラは、苛々と執務室の中を歩き回った。


「会わないからな!」

「はい」


 と言ってはみたものの。

 嫌いだから、という理由で二人の率いる二個連隊の併合を断ることはできない。

 やれやれ、アキラと二人の出会いは、第12旅団の結成式典の時になりそうだ。



◇ ◇ ◇ ◇




 正式な辞令が下り、第12旅団は一週間の準備期間を経て発足することになる。それに辺り、俺は『馬鹿共』たちに色々と指示する必要があった。

 木造の兵舎を引き払い、新造の煉瓦造りの兵舎に移動する指示を出さなければいけない。我ながら、心配症の苦労性であるが、こういった瑣末な指示を怠れば、予期せぬ事態に見舞われることがある。

 馬鹿共……第七連隊の団員たちであるが、全員が全員騎乗の騎士ではない。歩兵、騎兵、工兵、砲兵、兵站など、兵科は別れる。

 馬鹿共を旧兵舎に終結させ、移動の手順、その際の交通路などを指示していく。反対意見や懸念事項はこの時、一緒に処理する。俺の手に余る判断が迫られる時は、後背で睨みを利かせるアキラの出番だ。

 大きく息を吸い、第七連隊1723名全員に行き渡るよう、声を張り上げる。


「いいか、馬鹿共! 他の連隊と揉めるんじゃないぞ!」


 他の連隊とは、アスペルマイヤー、バックハウスの両連隊のことだ。詰まらないことだが、きちんと言及しておかないと、傭兵上がりの多いこの第七連隊の連中は揉め事を起こす可能性がある。


「わかったか! お前らの新しいヤサは、赤い煉瓦造りの第一から第三兵舎だ!」


 第七連隊の連中は傭兵上がりが多く、そのため礼儀作法にはうるさくない。身体に馴染む古巣の匂いに、俺も少し気が緩んでしまう。でかい声を張り上げながら連中を見回す。

 メモを取る者もいれば、住み慣れた兵舎から離れることを愚痴る者もいる。後ろでは、なぜかアキラもメモを取っていた。

 移動の手段くらい、あんたの好きにすればいいでしょう……俺は少し呆れてしまう。


「おい、神父の息子! 階級章が変わってるが、出世したのか!」


 馬鹿共が俺のマントに付いた新しい階級章を見てざわめき立つ。


「そうだ! これから俺のことは、さん付けで呼べよな!」

「馬鹿いってんじゃねえ! 偉いのは、おめえじゃなくて階級の方じゃねえか!」


 そうだそうだと騒ぎ出し、周囲からげたげたと冷やかしの笑いが上がる。

 俺は一つ頷いて、大声を張り上げる。


「そういうことだ! これまでと何も変わらん! バッジの色が変わっただけだ!」

「やっぱりな! バッジの色は変わっても、オツムの具合は変わりやしねえ!」


 どっと吹き出した連中に混じり、背後でアキラが吹き出す声も聞こえる。

 馬鹿で気さくで底抜けに明るいのが、この第七連隊の特徴だ。

 出世したからといって、俺とこいつらの関係が変わるわけではない。このおかしなやり取りは、馬鹿みたいだがお互いのために必要なことだ。

 大きく一つ手を打って、場を締める。


「ようし、それでは第12旅団結成を前に、団長から一言ある」


 突如、話を振られたアキラは、きょとんとして自分を指差している。その表情は意外そうだ。


「ボク? いいよ! いい! ガラじゃない!」


 それは俺だって一緒だ。むずがるアキラに厳しい視線で言葉を促す。


「……隊長もいよいよ、准将か。猫隊長が猫将軍に出世したなぁ、おい」

「こりゃあ、めでたい!」


 馬鹿共が、やんややんやと騒ぎ出す。

 アキラはそれを見ながら、まんざらでもなさそうに頬を緩ませている。馬鹿は馬鹿なりに彼女のことを慕っている。それなりに可愛いのだろう。

 アキラは立ち上がり、えっへんと一つ咳払いをした。その様子に馬鹿共も口を噤み、静かに言葉を待つ。俺の時とは大違いだ。


「えー……みんな、張り切るのはいいけど、怪我はしないように……」


 なぜか、アキラを中心にしんみりとした空気が流れる。中には、涙さえ浮かべるヤツもいる。訳がわからん。今の言葉に感動の要素があったのだろうか。

 だが、締めるにはいい空気だ。


「何か質問はないか! なければ解散する!」


 その声に、ぱっと一つの手が挙がる。馬鹿共の一人だ。にやついている。こいつらは俺を見れば困らそうと躍起になる。親しむのはいいが、時折、腹が立つ。


「他の連隊と揉めたときはどうすりゃいいんですか?」

「知らん! ケツでも差し出せ! 以上で解散する!」


 いかん、これではまるで傭兵そのものだ。混ぜ返されて、ついむきになった。

 馬鹿共は俺の反応に満足いったようだ。笑い合いながら、兵舎に引き上げて行く。

 ……こりゃ、またアキラに絞られるな。


「やれやれ……」


 と顔を拭う俺に厳しい視線を送るやつらがいる。

 第七連隊の中核を成す大隊指揮官三名だ。


「ベッカー、相変わらず下品だな」


 階級はいずれも俺と同じ少佐だが、家柄が違う。三名とも貴族の家柄で、士官学校を卒業している。粗野で田舎者の俺とは格が違う連中だ。


「少佐になったようだな?」

「はい……」


 この三人のような中流階級の貴族たちは平民に対して容赦がない。逆に門閥貴族と呼ばれる上流貴族の連中は、平民に対しては温厚で寛容だ。相手にしないとも言うが。

 この三人は、第七連隊が旅団クラスへの昇格に伴う際の昇級に縁がなかった。この絡みもやっかみの類いだが、平民の俺は受け答え一つで無礼討ちの対象にもなりかねない。

 いつものように、左からアーベル、エドガー、オスカー順に並んでいる。


「貴様のような下郎に階級が並ばれたかと思えば、ぞっとする」


 リーダー格のエドガーが進み出て、俺のトーガで手を拭う。


「猫の腰巾着の分際で、少佐とは……」

「団長は関係ない」


 しまった! つい口を衝いたその失言に唇を噛む。


「ほう……ベッカー、また躾られたいようだな……?」

「く……」


 またか。この前はアキラ。今日はこの三人か……。

 服を汚してしまう。これは……エルに怒られそうだな。



◇ ◇ ◇ ◇



 人気を避けた兵舎の裏手で、俺は結構な躾を受けた。


「いてて……」


 奥歯が少しぐらつく。エドガーめ、相変わらず容赦のない。俺がアキラのお気に入りでなかったら、とうに殺されていただろう。

 ……この述懐もおかしな話だ。よくよく考えれば、俺はアキラのお気に入りだからこそ殴られたとも考えられる。しかも、そのアキラを庇うような言動が原因で。

 くそっ、マントが煤塗れになってしまった。

 俺の荷物は、エルに命じて既に新兵舎に運んである。平民だろうが、傭兵上がりだろうが、俺は副長だ。何より先ず、皆に手本を示さねばならない。


「副長、副長!」


 第七連隊――第12旅団の騎士の一人に呼び止められる。


「なんだ?」

「キサラギ団長が探してましたよ……って、また喧嘩ですか?」


 一方的に殴られることを喧嘩というのなら、そうだろう。頷いておく。


「副長も、もう少佐なんですから、謹んでくださいよ」

「わかってるよ」

「副長は、おれたち平民の誇りです。これからも頑張ってください」


 その言葉に、俺は項垂れがちだった顔を上げる。

 若い騎士だ。まだ、二十にもならんだろう。


「ああ、頑張る。お前も頑張れよ。キサラギ団長は、厳しいが信賞必罰を以て成るお方だ。努力は必ず報われる」

「はい! それでは失礼します!」


 誇り……か。間違っても退役を考えているとは言えんな。

 走り去る若い騎士の背中を見送り、俺は小さく息を吐く。

 アキラ・キサラギ……今は会いたくない……貴族は、すぐ俺を殴る。

 いかんいかん。落ち込む暇など無い。

 兵舎に向けて歩きだす。照り付ける夕陽が、少し目に滲みた。

 道すがら、馬鹿共に声を掛けられる。


「よお、レオ……って、おまえ、どうしたその怪我。猫の大将は、顔は殴らんだろう」

「転んだだけだ。少々、間抜けな転び方をしてな」


 にっ、と笑いかけるが、馬鹿共は笑わなかった。

 傭兵上がりが士官としてやって行くことの辛さや難しさは、同じ傭兵上がりにしか分からない。そして貴族の士官連中と、傭兵上がりの俺との折り合いのまずさは、第七連隊の皆が知るところだ。


「大隊長の仕業か……!」

「言うな。俺の問題だ」


 傭兵の横の繋がりは強い。とくに元第七連隊の傭兵上がりの連中は、ほとんどが俺と剣を並べて戦ったことのあるやつばかりだ。死線を共に抜け、苦労を分かち合った絆は強い。普段、馬鹿共と連中を罵る俺だが、こんなときは、胸が熱くなってしまう。

 馬鹿共は何も言わない。ただ、俺の肩を叩く。『俺の問題』と言い切った俺の意志を尊重してくれる。


「……」


 空を見る。こんなことだから、いつまでたっても『神父の息子』と馬鹿にされる。


「……」


 ただ空を見る。馬鹿共――仲間たちの視線が痛い。


「レオ! レオ! ここにいたのか! ボクが呼んだら――」


 この声はアキラだ。それでも俺は空を見る。やけに滲む夕陽だ。


「……なんだ、レオ。やけにしけた顔をしているな……」


 アキラの声が低くなった。


「……何があった?」

「いえ、なにも。それよりどうかしました?」


 なるべく平然として答える。そんな俺の視線を躱すように、アキラは、ついっと周囲に視線を走らせる。


「!」


 仲間たちは、ぎょっとして目を逸らすと、慌ててその場を去って行った。俺からは、うつむき加減のアキラの表情を伺うことはできない。どんな顔をしているのだろう。


「レオ……」


 アキラは呟いて、顎をしゃくった。ついて来いの合図だ。そのまま、振り返る事なく、早足で歩いて行く。

 執務室の方向だ。すれ違う騎士たちは、アキラを見て固まるか逃げ出すかのどちらかだ。

 荷物が運び出され、机一つになった執務室でアキラと向かいあった。


「う……」


 思わず呻く。アキラは全身に怒りを漲らせ、悪鬼のような形相だった。


「だれだ……」

「はい?」


 間抜けな返事だ。アキラの様子は……やばい、いつもの比じゃない……。


「だれが、おまえを、殴った……」


 途切れ途切れ呟くアキラは、全身から湧き上がる怒りの炎を必死で押さえ付けているかのようだ。両肩が小刻みに震えている。

 冷たい汗が背筋に伝う。


「いえ、これは……その、少し転んでしまって……」


 何が起こってる? 何故、アキラはここまで激怒する?


「レオ、答えろ、ボクは、そろそろ、限界だ……!」


 アキラが顔を上げる。髪を逆立て、剥き出した歯には四本の牙が見て取れる。……エルにも同じ牙があった。あの逸話は事実だったか……。

 アキラが一歩踏み出した。俺は思わず身を堅くする。


「うううううう! うああああああ!」


 突然、アキラが叫び出した。刀を抜くや否や、樫の木の堅い机を一刀両断に叩き切った。


「なんなんだなんなんだなんなんだなんなんだなんなんだなんなんだ、おまえは!」


 もう三年もアキラに仕えたが、こんなに取り乱した様子は見たことがない。この様子を一言で現すとしたら、それは―――――狂気。


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてボクを恐れる! どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてボクを拒絶するんだ!」


 全身から冷たい汗が噴き出す。吹きかけられた狂気に身が竦む。


「答えろ! レオンハルト・ベッカー!」


 答える? 何を? 駄目だ。目が回る。どうしていいか分からない。


「なぜ答えない!」


 アキラが全身で狂気の叫びを上げれば上げるほど、どうしたらいいかわからなくなる。

 だが、一つだけ分かる。アキラ・キサラギが俺に向ける感情は、狂気。

 そこで、アキラは、はっとしたように手を打った。


「そうか! ボクがおまえを殴るからだな?」


 アキラは笑む。その移り変わりの早さに恐怖を覚える。


「そうなんだろ? ボクがおまえを殴るから、そうなんだろ?」

「は、はい……」


 頷くしかない。俺はいつだってそうして来たんだから。


「そうかそうか。わかった。ボクはもう、おまえを殴らない。誓う。これでいいか?」

「は、はははい」


 駄目だ……びびっちまって……。声が、震える。

 打って変わって、アキラは喜色満面の笑顔だ。答えを見つけて、すっきりしたと言わんばかりだ。


「どうした? まだ動きが固いぞ? ははあ、信じられないんだな? わかった! ボクの指をやろう!」


 言って、アキラはナイフを抜き出すと、左の親指に宛てがった。


「……違うな。約束といえば、小指だよな!」


 喜々として言うアキラは鼻歌混じりに、ナイフを両手で弄んだ。


「うわあ! や、止めてください! わかりました! わかりましたから!」


 俺はもう、泣きそうだ。アキラが怖すぎる。アキラが壊れてしまった。どうしたら直るんだろう。とりあえず――

 抱き着くようにして、アキラからナイフを取り上げた。


「…………」


 どっと、汗が噴き出す。マントまで汗で、びっしょりだ。


「んん……」


 小さなアキラが、すっぽりと俺の胸に収まっている。そんなこととは関係なく、心臓の鼓動が煩い。とりあえずアキラから刃物を取り上げたことで、ほっとしてしまったのだ。だが、身体はこの異常な緊張を処理できずにいる。どっ、どっ、と鼓動を鳴らす。

 もたれ掛かるアキラの背に手を回しながら、細く長い息を吐き出す。

 幾度か深呼吸を繰り返す間、アキラはなぜか大人しくしていてくれた。


「アキラ、自分を傷つけてはいけません」

「……」


 よし、落ち着いてきた。声も震えない。


「それだけはしないと約束してください」

「……」


 アキラは胸の中、ためらいがちにではあったものの、頷いた。

 よかった……アキラも落ち着いてくれたんだろうか。

 そうだよ。アキラが壊れるなんてない。あれは、ちょっと興奮しただけだ。


「でも、約束には血が必要だよね」


 嬉しそうにほほ笑むアキラは……壊れたままだった。




◇ ◇ ◇ ◇




 辺りが暗くなり、星が瞬くようになったころ、アキラを新しい邸宅まで送り届けた。

 その間、アキラはずっと俺と手を繋いだままだった。


「ねえ、キミはどこで血を手に入れたらいいと思う?」


 上機嫌で言うアキラは猫なで声だ。俺に対する呼びかけも、いつものように乱暴なものではない。そして、かなり危うい発言を繰り返す。血に非常な拘りがあるようで、邸宅に着くまでの間、頻りにそのことを繰り返した。


「アキラ、血はいりませんから……!」


 どうしよう。どうやったら、アキラは直るんだろう。膝を折り、子供にするように目を合わせて言うが、効果の程は甚だ疑問だ。

 頭を撫でたり、背中を摩ったりして様子を見る。風紀部に見られれば、粛正の対象になり兼ねんが、知ったことではない。


「ああ、アキラ、アキラ……どうしたら……」


 駄目だ。機嫌がよくなるだけで、危うい瞳の色に変化はない。とてつもなく不吉な予感がする。このまま放置すれば、アキラはとんでもないことをやらかしそうだ。

 邸宅が見えて来て、アキラは不意に、手を放した。


「ここまででいいよ」


 門の前にいる衛兵の目を避けたのだろう。その辺りは冷静なようだ。


「ボク、変わるから。だからキミも、もっとボクを大事にしてほしい」


 照れ臭そうに言い残し、一目散に走りだす。

 変わらんでいい。全身でそう叫びたい。お願いだから、元のアキラ・キサラギに戻ってくれ。神に祈ってもかまわない。


 その後、どこをどう歩いたかわからない。

 気づくと、兵舎の前にいた。割り振られた俺の部屋の前で、エルが明かりも持たずに立ち尽くしている。


「ああ……エル、ただいま。少し、心配させてしまったかな」


 疲労しきった体に鞭打って、なんとかそれだけ吐き出す。


「いえ、そんなことは……」


 エルはいつものように無表情だ。それに安心する俺は、余程疲れたのだろう。


「ひどい顔色です」


 猫の獣人は夜目が利く。星明かりだけで、俺の疲労を看取ったようだ。


「ああ、今日は色々、大変だったんだ。だからもう――」

「お風呂にしましょう」


 もう寝る、と言おうとした俺を遮り、エルは、言った。


「変な匂いがします」


 エルは鼻をすんすんと鳴らした。犬ほどでないが、猫の獣人もそれなりに鼻が利く。


「そうか……そうかもしれないな。今日は、汗をかいたから……」


 旅団の副長として、身なりにも気を配らなければならない。我ながら、難儀なことだ。

 アスペルマイヤーにバックハウスか……。

 アキラはあの調子だから、話にならんだろう。やれるだけのことはやっておかないと。

 両大佐と面識を深めなければ……


 エルがぼそっと呟いた。


「アキラ・キサラギの匂い……」


 はて、二人に面識があったかな。

 疲労で惚ける頭で、そんなことを考えた。



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