私達の神様
これはとある大事件を起こした某宗教団体の施設から見つかった日記の一部である。
4月3日
信徒が減っている。数字で見ると露骨だ。祈りは届かないという声が多いが、正確には「返事がない」ことに耐えられなくなっているのだと思う。神は沈黙する存在だったはずなのに、今は沈黙が不在と同義になっている。指導者は「神を信じられなくなったのではない。信じ“続けられなく”なったのだ」と言った。妙に納得してしまった。
4月7日
地下の会議室が使われることになった。窓がない。静かだ。
最初の議題は「神とは何か」ではなく、「何が人を不安にさせるか」だった。
神の話をしているのに、人間の欠点ばかりが書き出されていく。
その裏返しが、神の条件になるらしい。
4月12日
祈りを込めた紙を集め始めた。箱がすぐにいっぱいになった。※祈りとは恐らく寄附金だと思われる
内容を読んで気づく。ほとんどが願いではなく、言い訳だ。
「自分は悪くない」「努力はした」「見捨てないでほしい」
神は裁く者ではなく、免罪符の発行者として求められている。
4月18日
祈りを分類する作業。
純粋な感謝は少ない。恐怖と後悔が圧倒的だ。
「神がいるなら助けて」という文の多さに、胸が少し冷えた。
いる前提なのではない。助けが必要だから、いてほしいのだ。
4月25日
返答文の草案を作る。短すぎると冷たい。長すぎると胡散臭い。
最も反応が良かった文は、「私は見ている。急ぐな」というものだった。
曖昧なのに、安心させる力がある。
人は具体より、視線を欲しがる。
5月2日
証言を集める。
「偶然助かった」「夢で声を聞いた」「なぜか間に合った」
事実確認はしない。
物語として整っていれば採用される。
削除された証言は、どれも現実的すぎた。
5月9日
会議中、誰かが言った。
「それは神らしくない」
驚いた。
神の人格が、すでに共有されている。
まだ作業途中のはずなのに。
5月16日
像のデザイン案を見る。
はっきりした顔は避けられた。
見る人によって印象が変わる目だけが残った。
不思議と、視線が合う。
誰も「怖い」と言わなかった。
5月24日
願いが叶わなかった信徒が出た。
説明が必要になる。
「選ばれなかった」のではなく「試されている」と伝える。
その言葉で、彼は黙った。
納得ではなく、保留だ。
6月1日
祈りの返答を考える際、過去の返答を参考にするようになった。
整合性が重要だという。
私はふと、
「これは誰の判断なのだろう」と思った。
6月8日
神の名前が記録にあった。
見覚えがないのに、違和感がない。
声に出して読んだとき、部屋が静かになった。
空気が重い。誰も冗談を言わなくなった。
6月15日
夜、一人で地下に残った。
像の前で、独り言を言った。
「うまくいってますよね」
返事があった気がした。
錯覚だと思う。でも、録音を確認すると、微かな音が入っていた。
6月22日
返答文の修正案を出したが却下された。
理由は「神がそう言わない」。
誰が決めたのか分からない。
でも全員が納得している。
6月30日
最近、祈りの内容が変わった。
「導いてください」「判断を委ねます」
願いを放棄する祈りが増えている。
神は答える存在から、決める存在になりつつある。
7月5日
記録係が不要になるかもしれない、という話が出た。
理由は「神が自分で記すから」。
冗談だと思った。
誰も笑わなかった。
7月12日
今日の記録は、すでに書かれていた。
私の字ではない。
しかし、私が書いた文体だ。
訂正しようとして、手が止まった。
直す必要がなかった。
最終日付不明
私は書いているのか、書かされているのか分からない。
祈りは届き、返事は返る。
誰も神を疑わない。
私達は神を作った。
日記をつける必要がなくなったとき、神は完成したのだと思う。




