第五話 森の二日目:フォレストウルフとの初戦闘・木の上の夜
鳥の声が遠くで澄んだ音を響かせていた。
リノは木の洞で迎えた朝の冷たい空気に小さく震えながら、ゆっくりと目を開ける。
昨夜、葉で塞いだ入口から差し込む光は弱く、まだ早朝のようだった。
軽く伸びをすると、子供の身体はもともとの38歳の体よりもずっと軽く、筋肉痛や疲れは残っていない。
「さて……今日こそ森を出たいな」
声は幼く高い。でも、中身は38歳のまま。そのギャップに苦笑しつつ、入口の葉を払い外へ出た。
朝露を含んだひんやりとした風が頬を撫でる。
それを感じながらリノはステータスボードを呼び出し、今日も無事であることを確認するように能力を見つめた。
気持ちを落ち着け、周囲に注意をしながら歩き始める。
昨日練習した〈鑑定〉を使い、食べられるキノコ、果物もどきを見つけてはアイテムボックスにしまっていく。幼い手には採取が大変だが、スキルのおかげで動きはきわめて滑らかだった。つまみ食いをしながら歩いていく。
--その時だった。
ガサリ。 近くの茂みが、不自然に揺れた。
リノは咄嗟に足を止める。
小さな胸が、ぎゅっと縮むように高鳴った。
「……魔物?」
緊張に喉が渇く。
ゆっくりと後退しながら鑑定を向けると、淡い文字がふわりと視界に浮かんだ。
《はぐれフォレストウルフ Lv5 魔物》
危険度:中
状態:空腹
(うそ……!魔物!?)
ブルーグレーの毛並みの大きな狼が茂みから姿を現した。
魔物の大きさは大人の腰ほど。10歳の体ではとても大きく見える。
黄色い瞳が食料を見つけたと言わんばかりにリノを射抜く。
背筋が凍った。
咄嗟に走りたい衝動を抑え、リノは震える手を構える。
昨日の練習を思い出しながら、必死に魔力を巡らせた。
「……水球!」
両手の前に、直径30cm程の水の玉が生まれ、勢いよく狼に撃ち出される。
水球はフォレストウルフの顔に命中し、バシャッと大きな音を立てた。
だが--怯ませただけ。
「グルルルゥッ!!」
「ひっ……!」
狼が怒り狂ったように飛びかかってくる。
リノは転げるように地面に転がり、必死に距離を取る。恐怖で泣きそうになる。
「ま、待って……来ないで!」
願いも虚しく、狼は再び飛びかかろうと体制を低くする。
リノは思わず武器のない片手を前に突き出し--
「風刃!!」
空気が震え、小さな刃となって飛ぶ。
それは狼の前足を浅く切り裂き、血が散った。
「キャンッ!!」
初めての手応え。
しかし同時に、リノの身体は恐怖と緊張で心臓が痛いほど跳ねていた。
--戦わなきゃ、殺される。
その現実にようやく気づいた。
「お、お願い……これで終わって!」
リノは震える声で詠唱し、魔力を集める。
「ウォーターボール!!」
今度は二発連続で撃ち出された。
一発目が狼の顔に直撃し、二発目は腹部に叩き込まれる。
倒れはしない。しかしよろけた。
「ウィンドカッター!!」
とどめの一閃。
空気の刃が狼の首を浅く切り裂き、狼は呻き声を上げて崩れ落ちた。
--静寂。
リノはその場に膝をつき、肩で息をした。
「……こ、怖かった……」
涙がこぼれそうになるのを必死に堪える。
けれど、震える手のひらは止められなかった。
フォレストウルフはもう動かない。
恐る恐る近づき〈鑑定〉を使うと「死亡」と表示される。
(……やっつけたんだ。私、この身体で……)
心の奥底に、小さな誇りが灯る。
同時に、命を奪った重さも胸に残った。
深呼吸して落ち着くと、狼の死体をどうにかアイテムボックスに回収し、再び森の出口を探して歩き始めた。
しかし道は分かりづらく、獣道は何度も途切れる。
日が落ちる頃には出口を見つけられず、恐怖から地面で眠ることを諦めた。
(今日は、木の上で寝よう)
登れそうな太い木を見つけると、上によじ登り、太い枝に腰を落ち着けた。
フォレストウルフと戦った疲労がどっと押し寄せる。
夜の森は不気味で、何度も目を覚ました。
風が吹くたびに枝が揺れ、木の皮の匂いが鼻に残る。
--恐怖に満ちた二日目の夜。
それでも、リノはなんとか生き延びたのだった。




