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煤煙の影

室内には緊張感が充満していた。微かに聞こえる蒸気の音、遠くで揺れる窓枠、そしてE-11の内部から伝わる低い振動が、時間の感覚さえ曖昧にする。外の街路では、蒸気が朝の光に淡く輝き、工場の低い機械音が遠くに響く。黒いコートの影は、倉庫を監視するかのように動き、影の存在が静かに圧力を生む。


彼は手を筐体の横に置き、指先で微かに振動を感じながら、心の中で誓った。

「E-11は、誰のものでもない。希望は、誰の手にも届く……」


作業室内の光、振動、そして外の影――それらが交錯する中で、静かに、しかし確実に、物語の歯車は回り始めていた。


キャシーは手帳に目を落としながらも、空気の微細な変化を感じ取っていた。微かに漂う冷たい風が髪の毛や肩をかすめ、床の微かな振動の不均一さが足元に伝わる。窓越しに入り込む朝の光の角度、微妙な反射、埃の舞い方――それらすべてが、彼女の神経をじわじわとざわつかせた。普段なら気にならないはずの小さな異変が、今は異様に鋭く、彼女の注意を引きつける。


「……なんだか、視線を感じる気がする」

キャシーは小さく息を吐き、目をエリックに向ける。その視線には、まだ形を伴わない不穏な気配への警戒が込められていた。


エリックは頭を上げ、少し首を傾げる。

「視線……?」

キャシーは首を振り、言葉を慎重に選ぶ。

「いや、誰かがいるとかじゃなくて……気配だけだけど。何かが近くに潜んでいるような……そんな感じ」


機械の駆動音の中、彼女の言葉がわずかに響く。微かな気配は、空気の揺れや光の反射に紛れて、まだはっきりとは認識できない。不穏な影か、通りすがる通行人か――判断はつかない。ただ、胸の奥で、緊張が確実に高まっているのを彼女は感じていた。


「注意しよう……」

エリックは低くつぶやき、手をE-11に添えたまま、周囲に意識を広げる。目で追うのではなく、音や影、微かな空気の流れに神経を集中させる。光が微かに反射して揺れるたび、床の隙間から伝わる振動の違和感、遠くで響く機械音のタイミング――すべてを頭の中で重ね合わせて、潜むものの存在を推測する。


キャシーは手帳を閉じ、静かにエリックの肩越しに入口や窓のほうを見やった。視界には何もない。だが、その「何かがいるかもしれない」という感覚は、確実に空気を重くしていた。目に見えなくとも、微かな振動や冷たい空気の流れが、空気全体を不穏に変化させている。


「まだ、直接的な脅威はない……でも、何かが近づいている気がする」

彼女の声には確信はないが、警戒心は確実に伝わる。エリックは頷き、深呼吸を一つして心を落ち着ける。


作業室内の光とE-11の規則正しい振動が、わずかな気配の揺らぎを増幅させるように感じられた。キャシーは目を細め、床の反射や影の微かな変化を追う。そこにはまだ形のある存在はない。だが、室内に漂う不穏な空気は、確かに「見えざる目」を警告していた。


キャシーは小さく息を整える。手のひらには、警戒心と決意、そして何かを察知した者の緊張が同居していた。


エリックもまた、E-11の光と振動を頼りに、自らの集中を維持する。筐体の点滅が規則正しく続くたび、彼の心拍もわずかに同期するかのように感じられた。二人の間に言葉は少ない。しかし、共有される緊張は、この空間をさらに鋭利な空気で満たしていた。


外の街路では、蒸気がゆっくりと立ち上がり、工場の低い機械音が遠くに響く。光と影の揺らぎの中、気配は確かに存在している――形はまだ見えない。しかし、その存在は、二人の心に刺さる棘のように、静かに鋭く、確実に意識を捕らえていた。


微かな風が窓から吹き込み、埃を揺らす。キャシーはそれを敏感に感じ取り、目を細める。振動、光、風――すべてが告げるものは、未だ姿を現さぬ脅威の存在。


エリックはその感覚を共有しながら、手をE-11から離さず、胸の中で誓った。

「俺の手で……守る。希望も、技術も……」


光と影、振動と空気の流れが交錯し、見えない脅威の気配を抱えたまま、静かに、しかし確実に、物語の歯車は回り始めていた。



薄明の街を抜け、監視班は研究室の周囲に静かに散らばった。黒いコートは朝の光に溶け込み、壁や街路の影に吸い込まれるように隠れる。足音は吸音された靴底の感触でほとんど消え、息遣いも極限まで抑えられていた。わずかな風の揺れが衣服に触れるたび、班員たちは微かに肩をすくめる。


「動作速度は……確かに上がっている」

班の一人が低くつぶやく。剥き出しの歯車が以前よりも速く、規則正しいリズムを刻む。その振動は遠くの窓ガラスを微かに震わせる。正確性までは判断できないが、性能の向上は確かだ。


監視班は身を低くして姿勢を保ち、微かな存在感すら伝えることがないよう注意を払う。しかし同時に、対象に「気配を感じるかもしれない」とほのめかす瞬間を意識する。カーテンの端がわずかに揺れる、窓枠の隙間から差し込む光の角度が変わる――それらを見逃さず、遠目の視界に取り込みながら、存在を一瞬だけ示す。班員の心臓は抑えられた興奮で微かに跳ね、全員の呼吸が静かな波のように揃う。。


「光の点滅……リズムも速くなっているな」

別の班員が、手帳に細かくメモを取りながらつぶやく。筐体の放つ光の揺れや、振動の微細な差異、作業者の手の動きのタイミング――すべてを丹念に記録する。。



風が街路を抜け、作業場の隙間から微かに巻き込み、エリック達の衣服を撫でるたび、班員たちはその動きを一瞬、目で追う。光と影、音のわずかな変化、空気の冷たさ――どれもが、作業室の内部の緊張を増幅させる要素になる。班員の一人は息を飲み、窓ガラスの反射で筐体の光を確認しながら、微かに息を潜める。


班員たちは音も立てず、影のようにそこに在る。光と振動、空気の流れを読み取り、E-11の進化を観察し続ける。微かな気配の一言が、作業者の慎重さを引き出し、物語の歯車を静かに回し続けていた。



執務室の扉が重々しく閉じられると、ディビッドは静かに息をつき、目の前に積み上げられた膨大な報告書に視線を落とした。紙面には、監視班が研究室での観察中に記録した細部の動き、光の揺れ、振動のわずかな変化、作業者の手の運びや呼吸のリズムまでが克明に記されている。


「動作速度は向上。歯車の回転が以前より速く、規則的なリズムを刻む。光の点滅も短く、明滅の間隔が狭まっている」

その一文を黙読した瞬間、彼の指先がわずかに震えた。ほとんど誰にも気づかれない微かな動きだ。彼の脳裏では、作業室の内部で回転する歯車の音、光の明滅、微細な振動が重なり合い、立体的なリズムを描いている。速度が上がっているという事実は、E-11の潜在能力の高さを端的に示していた。


彼の指が紙面をなぞり、報告書に添えられたメモを確認する。筐体の光の変化、振動の強弱、作業者の手の動きの微細な違い――すべてを数字と観察記録で把握する。正確性までは確認できないと付記されているが、ディビッドはそれを不完全さとしてではなく、未知の可能性として受け止める。未知こそが、戦略を組む上で最も不気味な要素だった。


側近が慎重に口を開く。

「長官、光の点滅周期の短縮と動作速度の向上から判断すると、計算処理能力はかなりの水準に達していると思われます。正確性についてはまだ確認できませんが、効率面では確実に以前より改善されています」


ディビッドはうなずき、資料をめくる。

「なるほど……速度の向上は確認した。だが、信頼性と制御の安定性は未知のままか。」


机の上に散らばる資料を整理しながら、彼は次の手を頭の中で描く。監視班の報告から得た速度の改善、光の変化、作業者の操作パターン――すべてを組み合わせ、E-11の潜在能力と、それを利用した戦略のシナリオが浮かび上がる。


「引き続き監視を続け、情報を集めよ。接触は急がない。慎重に観察を続ける。情報が集まり次第、対象への接触へと移る」

ディビッドの声は低く、冷徹な計算の響きが含まれていた。彼の目には、ただの機械ではなく、帝国の未来を左右する可能性が映っている。


資料を手元に置き、ディビッドは地図上の研究室と街路を指でなぞる。監視班の動き、潜在的な接触ルート、障害物や目撃者の位置――すべてが頭の中で精密に結びつき、次の作戦の設計図を形作る。光の点滅、歯車の回転、微振動の報告が、彼の脳内では、作戦全体の歯車として確実に噛み合っていく。


報告書に示されたE-11の性能、光の間隔、歯車の回転速度――それらは、彼にとって単なるデータではない。帝国の意志、作戦の成否、そしてE-11の掌握という未来を形作る、絶対に外せない情報の集積だった。ディビッドは指先で机を軽く叩く。そのリズムは、自身の思考のリズムと同期しているかのようだった。


視界の隅で、側近たちの微かな緊張や呼吸の波も把握する。彼はそのすべてを、作戦の一部として脳内に組み込み、次の瞬間に必要な指示を緻密にシミュレーションしていた。光、振動、速度、未知の精度――それらを完全に掌握したとき、E-11はただの機械から、帝国の未来を左右する強力な駒へと変貌するのだと、ディビッドは冷徹な視線の奥で静かに予感していた。

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