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工房の陰影

蒸気機関庁の重厚な会議室には、薄暗い昼光が石造りの壁を淡く照らしている。

長官のディビッド=ジョーンズは長い指で書類をなぞりながら、静かに口を開いた。

「……E-11の件だ。」


側近の官僚が慎重に報告する。

「長官、情報はほぼ確実です。開発者は、蒸気計算機SO-1の開発チームの責任者であったセドリック=オリヴァーの息子、エリック=オリヴァーです。民間工場に持ち込まれた試作品が稼働しており、動作確認の目撃報告もございます。」


別の高官が苛立ちを隠せず机を叩いた。

「民間が、我々の管理する技術の優位性を脅かすだと……? 許せん!」


ディビッドは冷静に手を振り、声を落ち着けた。

「感情は無駄だ。まずは事実を整理し、戦略を練る。」

その眼差しは部屋の隅々まで張り巡らされ、誰一人動くことができないほどの緊張を生んだ。


「E-11は、真鍮の筐体に小型化された電気動力の計算機だ。これが現場で使われれば、我々が築いた蒸気技術の優位性は揺らぐ。」

側近の官僚が慎重に説明を続ける。

「民間への普及も時間の問題であり、特権階級以外への技術浸透は、帝国の秩序に直接的な影響を与えます。」


ディビッドは窓の外、煙と蒸気が混じる街を見やり、低く呟いた。

「蒸気が帝国を支えている。鉄道、工場、行政機構……すべてが我々の掌中にある。この均衡を乱すことは許されん。」


別の高官が提案する。

「監視網を強化し、エリック=オリヴァーの動向を逐一把握すべきです。必要であれば、介入も検討せねばなりません。」


ディビッドは手元の書類を握りしめ、深く息をついた。

「直接手を出すのは最後の手段だ。まずは情報収集だ。兆候を見逃すな。」

机に拳を置き、声を鋭く響かせる。

「労働者らにとってE-11は希望かもしれない。だが帝国にとっては脅威である。その間に我々が立つのだ。」


会議室に沈黙が訪れる。ディビッドの視線は全員を貫き、冷たい決意を示していた。

「我々は帝国の技術と権力の守護者だ。民間の革新が支配構造を脅かすなら、容赦はしない。」


高官たちは互いに目配せをし、緊張を共有する。

ディビッドはさらに低く付け加えた。

「しかし、オリヴァーという若者には、ある意味で興味深い人物像が見えている。我々の選択次第で、彼を利用することもできるかもしれない。」


側近が書類を差し出し、声を潜めて言う。

「長官、これまでの追跡記録です。倉庫から街中への移動ルート、接触者、工場関係者……ほぼ把握済みです。」


ディビッドは書類を受け取り、指先でゆっくりとトレースした。

「なるほど……。情報は十分だ。接触のタイミングを見極める。必要に応じて、直接的な圧力の行使も辞さない。」


別の高官が慎重に質問する。

「ですが長官、民間への技術の浸透が進む前に阻止するには、どの程度の介入が可能でしょうか? 工場や労働者たちへの影響も無視できません。」


ディビッドは視線を窓の外へ戻し、街の蒸気と黒煙が混ざる景色を凝視した。

「直接介入は最後の手段だ。しかし、オリヴァーの技術が広がる前に、接触し、選択肢を提示する。我々が有利な条件を作る。それが最善策だ。」


会議室の空気は一層重くなる。

ディビッドの声には、冷徹な計算と帝国を守る使命感が混ざっていた。

「全員、この計画に従うように。E-11の存在は秘密裏に、しかし確実に掌握する。我々が動けば、街は我々の意のままだ。」


窓の外では、遠くの貨物列車の汽笛が低く響く。

その音は、帝国の秩序と民間の革新の間で、見えない戦いが始まる予兆のように感じられた。


ディビッドは立ち上がり、鋭い眼光で高官たちを見渡す。

「すべてを監視し、すべてを掌握する――それが我々の責務である。」


会議室の重い扉が閉じられると、石造りの壁に反響する音は、帝国の未来に向けた静かな決意を象徴しているかのようだった。



会議室を出たディビッドは、静かに廊下を歩く。重い扉の奥にはまだ、官僚たちの視線が残っている。彼の歩調は一定で、まるで街全体の鼓動を確認するかのようだった。廊下の石床に響く靴音が、彼の冷徹な決意を際立たせる。


執務室に戻ると、壁一面に広がる巨大な地図が彼を迎えた。都市の街路、工場の位置、鉄道の路線図、倉庫の場所までが細かく描き込まれている。地図の表面には、既に貼り付けられた小さな金属製のピンが無数に散らばり、各々に色別の糸が結ばれていた。ディビッドは指先でエリックの研究所をなぞり、深く息をつく。


「まずは情報収集だ……」

低くつぶやく声に、彼自身の冷徹な意思が宿っている。彼は静かに、的確に指示を出す。

「エリック=オリヴァーの研究所周辺の監視班の人員を増員せよ。昼夜を問わず動向を記録する。直接接触は急ぐな、必要な時だけ行う。」

官僚の一人が書類を差し出し、慎重に頷く。


ディビッドは地図の前に立ち、指で研究所から街路、工場までのルートをなぞる。細い路地、交差点、倉庫周辺の死角――すべてが頭の中で立体的に組み立てられ、潜在的な障害や目撃者の位置まで計算される。

「まずは小規模な接触を装い、エリック=オリヴァーの信頼を得る。その後で条件を提示し、我々の掌中に置く。」

指先で地図上のルートをトレースする。研究所から街路を通り、工場に至る道を精密に描き、潜在的な障害や目撃者の位置も計算に入れる。


側近が提案する。

「長官、必要であれば倉庫への潜入も可能です。E-11の状態を確認し、操作を制御できる位置を確保します。」


ディビッドは表情を動かさずに答える。

「その時が来れば、あらゆる手段を躊躇せず使う。しかし今は情報と信頼、そしてタイミングがすべてだ。」

彼の目には、冷徹さと同時に、戦略家としての計算高さが光る。彼は一切の感情を排し、すべてを理性で制御している。


手元の書類には、エリックの行動パターン、倉庫から街中へのルート、関係者の情報までが整然と並んでいる。ディビッドは指で一つ一つをなぞりながら、頭の中で可能なあらゆるシナリオをシミュレーションする。

「接触するタイミング、交渉の言葉……慎重に計画を進める。」


窓の外では、街を覆う蒸気が朝の光に淡く輝き、工場の煙突からは低い唸りが響く。その音は、帝国の秩序と民間の革新の間で緊張が高まる予兆のように、ディビッドの心に届く。彼は目を細め、計画の完成図を頭の中で描き上げた。

「E-11――帝国の希望か、あるいは脅威か。答えは我々の行動次第だ。」


ディビッドは立ち上がり、革張りの椅子に手を置く。冷たい眼光で側近たちを見渡し、低く命じた。

「準備を整え、機は熟すのを待つ……その時が来れば、帝国の意志を示す。」


外の街路では、蒸気が光を帯び、工場の低い機械音が遠くに響く。廊下の影は静かに伸び、ディビッドの冷徹な計算と決意を街全体が感じ取っているかのようだった。


彼は机の上の時計に目を落とす。秒針の進む音が微かに耳に響き、計画の進行と未来の接触のタイミングを示す合図のように感じられた。

「焦るな……しかし、逃すな……すべてはタイミングだ。」

ディビッドの低い独り言は、冷たい執務室の空気に溶け込み、街に忍び寄る静かな嵐の前触れとなった。



倉庫の中、朝霧に濡れた床が淡い光を反射し、真鍮の筐体の光と交じり合う。エリックは息を殺しながら、E-11の動作を見つめた。内部の歯車が規則正しく回るたび、微かな振動が足元に伝わり、空気がわずかに震えるのを感じる。


「順調だ……」

小さな息が漏れる。声に含まれるのは希望と緊張、そしてこれまでの努力の重み。キャシーは手帳にメモを取りながら、慎重に周囲を確認する。

「観察は続ける。どんな小さな異常も見逃さない」

その声には、冷静さと覚悟が宿っている。エリックはその言葉に頷きながらも、胸の奥にわずかな不安を抱えていた。


彼は再び筐体のパネルを開き、内部の光のパターンを慎重に見比べる。微細な誤差でも見逃さないよう、集中は途切れない。光の点滅、歯車の回転、微かな振動――すべてが、彼の神経を張り詰めさせる。


「この技術を、すべての人に……」

胸に込み上げる思いを押さえながら、ゆっくりとスイッチを操作する。E-11が一瞬だけ光を強め、振動が倉庫内に小さく響く。彼の手は微かに震えていたが、その目には決意の光が宿っていた。


E-11の真鍮の筐体は、淡い光をリズムよく繰り返し点滅させる。まるで街全体の脈動を吸い上げ、再構築するかのようだ。その規則正しい振動が、倉庫内の空気を微かに震わせ、エリックの呼吸さえも同期するかのように感じられた。


「動け……動け……」

エリックが何度も呟く。その声は彼自身の鼓動と重なり、緊張の糸をさらに張り詰めさせる。E-11はもはや単なる計算機械ではなく、希望の象徴であり、同時に権力への挑戦でもある。彼は手のひらで運命を握る責任の重さを、強く感じていた。


ジャックが微かに息をつく。

「これで……動く。計算の精度も、速度も……問題ない」

その声には、興奮が混じっているが、抑制されていた。彼は工具箱に手を置き、E-11の作動音に耳を澄ませる。


「……まだ、気を抜くな」

エリックはキャシーの視線を感じ、頷く。

「分かっている。これは始まりに過ぎない」

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