4話
「つまりですな。レーベン様はどうやらエレクトラ様を子爵にするために、ルクシオ家所有の山が必要だと考えられたのではないかと思うのです。ちょっと調べればわかってしまうことなので、名義がフェリマーサ様になっていることを隠し立てすることはできませんでした」
「ウェイド先生も名義が私になっていることをご存じだったのですね」
「ええ、手続きは私がいたしましたから」
「やっぱり……」
「で、ですね。レーベン様はフェリマーサ様を探すために探偵を雇ったようなのです。そしてここにいらっしゃることを突き止めた」
「えっ!」
居場所をレーベンに知られているとは思っていなかった。リマはずっと海森亭で生活していたから、調べようと思えば難しい話ではないのかもしれないが、追い出した自分のことをレーベンが探すとは思ってもいなかった。途端に怖くなって、左手で右の腕をぎゅっと掴んでしまった。
「リマさん」
隣に座っていたジェラルドに呼ばれた。心配そうにリマを覗き込んでいる。
「辛いようだったら少し休みますか? あるいは僕が聞いておきましょうか」
「いいえ大丈夫です。ありがとうございます」
ジェラルドの気遣いに礼を伝え、話の続きを促すと、ルイが再び口を開いた。
「ここから先は私の憶測になりますからそれをご理解いただいた上でお聞き下さい。ミーチャム氏に借金の取り立てを促したのはレーベン氏ではないかと疑っています」
「お義父様が?!」
「ミーチャム氏はリマさんが山の所有者だと知ってからも態度を変えなかったんですよね? 普通なら相手が貴族だとわかればそれなりに態度が変わりそうなものです。それがなかったということは、貴女が貴族だということを知らなかった、つまり山の所有者が貴女だという以外の情報を持っていないのではないかと思います。それはなぜか? 貴女が子爵令嬢だということを知って隠している者から教えられたからではないでしょうか。つまり、レーベン=ルクシオから、です」
「推理としての筋は通ってますね」
「ええ、まだ証拠はありませんけどね。でもまあ、調査は任せてください。このような不正がまかり通ってもらっては困ります」
ルイがにっこりと笑って「任せておけ」とジェラルドに頷いた。ジェラルドもルイに信頼を寄せているようで、それに頷いて返している。
ふと気になってリマはつい聞いてしまった。
「あの、サットン様とバランド様は知人同士と伺っていますけれど、昔からのお知り合いなんですか?」
「え? なんだジェラルド、知人としか説明していないのか。リマさん、私とジェラルドは学生時代からの悪友なんですよ」
「まあ、そうだったんですか」
「ジェラルドにはね、私はただならぬ友情と恩があるんです。だからこいつのだいj――おほん、彼の頼みはどうしても叶えたいと思っているんですよ」
「ルイ!」
ジェラルドは文句がありそうだ。
「仲良くていらっしゃるんですね。立ち入ったことを伺って申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもない」
場の雰囲気が少し和み、冷めてしまったコーヒーを淹れ直しにリマは席を立つ。キッチンで自分でブレンドした豆をセットして細く湯を落とす。蒸気でフィルターのコーヒー粉がぶわっと丸く膨らんだ。
ーー本当にルイさんの言う通りミーチャムさんがお義父様の手先? 部下? なんだとしたら、お義父様も私の居場所を知っているということなんだろうか。
ポットに落ちていくコーヒーを眺めながら考える。
本当にそうなんだとしたらちょっと嫌だ。レーベンは自分を追い出したかったんだから会いたがっているとは思えないが、山を欲しがっているならここに来るかもしれない。そしてエレクトラに子爵を継がせるために自分に危害を加えに来たりしないだろうかーー?
ふるりと体が震えた。
まだルクシオの家にいた頃、冷たく無視されたり激昂して叩かれたり、とても辛かった記憶が蘇ってくる。
ろくに家事などしたこともない子爵家の令嬢が出来るわけがないのに、やれ掃除が出来ていない、こんなことも満足に出来ないのかこの出来損ない、と水を掛けられたり、レーベンの機嫌が悪いときは血が出るほど殴られたりもした。リマはレーベンが恐ろしい。
コーヒーが落ちきったポットを持ち上げ、カップに注ごうとするが、かたかたと震えてうまくいかない。
その手に誰かの手が重なった。すぐ後ろにジェラルドがいて、リマの手に自分の手を添えている。
「サットン様」
「ごめんリマさん。貴女の気持ちに気づかず、恐ろしい話を聞かせてしまった」
「いいえ、私が聞かなければいけない話でした」
「でもこんなに震えて」
「本当に大丈夫です。ちょっと昔のことを思い出しちゃっただけです」
「こんなに震えるほどなのに? それだけ辛い記憶なんだろう?」
「――」
ジェラルドが添えた手でコーヒーのポットを取り上げ、キッチンカウンターの上へ戻す。
「その、ちょっとだけ貴女に触れる許可をもらえるだろうか」
もう手を触れているのに、と思った瞬間、ふわりと後ろから熱と重さを感じた。背中からジェラルドに抱きしめられているのだ、と気がついて、一気に頭が沸騰する。
「さ、サットン様」
「リマさん、甘えてください」
「え――」
「貴女はもっと人に頼って甘えていいんだ。ひとりでこの海森亭を切り盛りするのも頑張ってるじゃないか。オデットさんがいなくなって、彼女が残したこの宿を守るのに必死だっただろう? 町の人たちと打ち解けてはいても、借金の問題を打ち明けられるほどじゃなかった。けど僕には話してくれた、それがすごく嬉しかったんだ」
「――」
「でもね、僕にはいいけど君はちょっと警戒心がなさ過ぎて心配だな。誰にでもそんなにすぐ心を許しちゃいけないよ」
「サットン様、その」
「ジェラルド」
「え?」
「ジェラルドと呼んで欲しいと言っただろう? ルイには名前で呼ぶと約束していたじゃないか」
拗ねた声で囁かれ、ますます戸惑ううちにリマを包む腕がきつくなる。
リマは頭がぐるぐるしてわけがわからない。どうしてジェラルドに抱きしめられているのか、どうしてこんなに甘い言葉を囁かれているのか。身を硬くしているリマにジェラルドが耳元で囁いた。
「ルイは信頼できる人間だけど、僕よりも頼りにされたらさすがに困る――じゃないな。嫌だ」
もう一度ぎゅっと抱きしめられて、すっと離された。離れてしまった温度が寂しい。
呆然としているリマの横でジェラルドがカップにコーヒーを注ぎ分け、トレイを持った。
「急にごめん。でも本心だから」
さあ、戻ろうと促されるまま2人で食堂へと戻っていった。
食堂で待っていたルイがジェラルドとリマを見てちょっとだけ目を見開いていたが、すぐに何もなかったかのように表情を戻した。リマはなかなかいたたまれない心持ちだ。
コーヒーに口をつけ、それまで黙っていたウェイドが口を開いた。
「フェリマーサ様。今後のご意向を伺わせてください。子爵の座に就かれるご意志はおありですか」
本来なら追い出された頃に継いでいた爵位だ、実の父が存命なうちに少しは学んでいたが、父も本格的に教える前に他界してしまったので、リマには表面的な知識しかない。自信なんてさらさらないし、そもそもリマは海森亭を失いたくなくてどうしたらいいかを相談したのだ。海森亭から離れたくない。けれど、子爵家についての全てを成人したてのエレクトラに丸投げするのも間違っている気がする。
「ごめんなさい、すぐには決められないです。少し考える時間をください」
そう答えるしかなかった。ウェイドは頷きながら「承知しました」と微笑む。
「ですがいずれにしても一度は手続きをしなければなりません。子爵の地位が宙ぶらりんのままでは問題ですからね。その時はよろしくお願いします」
「はい」
そこへルイが軽く挙手して発言する。
「私からもひとつ。ミーチャム氏とレーベン氏についてはもう少し深く調べてみます。リマさん、だから短気を起こして山を渡して終わりにしたりしないでくださいね。まだ期限までは時間がありますから――ジェラルド、リマさんをしっかりサポートしていてくれよ」
ルイがそう言ってジェラルドにウインクしてみせた。一方のジェラルドは迷惑そうな顔で右手を「しっしっ」というように振っている。ジェラルドのこんな顔、リマは初めて見た。
この日の夜リマは、あんなに大好きで続きが気になっていた『天鵞絨の水平線』を手に取っては開いて閉じ、開いて閉じして全く文字を追う気になれなかった
それよりもキッチンでジェラルドに抱きしめられたこと、言われたことが頭をぐるぐると回っていてとてもじゃないけれど読書に集中できそうになかったからだ。
そしてベッドで布団を被り、あの時のことを何度も何度も繰り返し思い返していた。
恋だ何だと浮かれている場合じゃないのはよくわかっているけれど、思い返さないようにしていてもどうしても頭の中にあの時が呼び起こされてしまう。
そこでやはり気持ちの切り替えが必要だ、と再び明かりをつけて『天鵞絨の水平線』を開いた。
物語の中でヒロインの働く宿のオーナーがしばらく留守にすることになり、ヒロインがしばらく宿を切り盛りすることになっていた。
そこで大失敗をして落ち込んでいると、例の青年がヒロインを慰め、力づける。
青年はヒロインを甘やかすことは言わない。けれど寄り添ってそこにいてくれて、必要なときにはきちんと力を貸してくれる。
ヒロインが青年を意識するのに時間はかからなかった――
そこまで読んで勢いよく本を閉じてしまった。あまりに自分の状況と一緒過ぎて、本の中の青年とジェラルドが重なってしまいそうだ。さすがにこの先を読むのが怖い。
そうして混乱したまま、いつの間にか眠ってしまっていたのだった。