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1話

「タイッツー文芸部誌2024」企画の参加作品です。作品の書き出しと登場人物の名前(リマ・表記方法は自由。またヒロインでなくてもいい)を共通にして、あとは自由に作品を書く企画です。

数話で終わる短いお話ですが、お付き合いいただければうれしいです。

企画に興味のある方はタイッツーで「#文芸部誌2024」を検索してみてください。


「キラキラと波が光り、しずみかけた太陽が水平線を照らす。

 砂浜には長い影。

 足元の貝殻を拾って天を仰げば、頭上には星が輝き始めていた。

 波の音を背に街へと向かう。

 やがて一粒、二粒と雨が降り出した。

 街明かりに雨粒が光る。

 行きかう恋人たちは傘を広げ、肩を寄せ合った。傘の下で手をつなぎ、頬に口づける。

 それを横目に来た道を振り返る。海はまだ夕暮れの色をのこしていたが、雨雲が少しずつ近づいていた。

 雨雲はやがて風を呼び、街はずれの森もざわめきだした。」


 大人気の小説家・ラドレグの最新作『天鵞絨(ビロード)の水平線』をぱたりと閉じ、リマは窓の外を見た。すっかり日の暮れたこの時間、窓を叩く雨と風。まるで本の中の世界と同じだ。

 ラドレグは男性ということしか発表されていない、ミステリアスな小説家だ。流れるように美しい描写、緻密なストーリー、大胆な発想で、新作は手に入れるのが難しいほどの人気っぷり、そしてどちらかというと寡作気味で、ファンは彼の作品が出るのを首を長くして待っている。もちろんリマもそのひとりだ。

 大好きなラドレグの本だ、発売日をとても楽しみにしていてやっと手に入ったのに、どうも本に集中できない。


 今し方聞いた話にかなりショックを受けているのだと気がつかされる。

 何しろ自分が経営する宿の存続の危機なのだ。動揺するなという方が無理だろう。



 リマが営む宿「海森亭」は、海と森に挟まれた細長い街にある。

 最初はオーナーの老婦人オデットが経営しているところへ転がり込んで手伝いをしていたが、オデットが病気で儚くなり、オデットの遺言でそれをリマが引き継いだのだ。手伝いを始めて3年、そしてオーナーを引き継いで5年。リマがこの海森亭で働き始めて8年になった。行き場のないリマを助けてくれた恩人の、その上身寄りのないオデットの大切にしていた宿だ。リマにとってとても大切で、唯一の居場所。それが海森亭なのだ。


 リマはふう、とため息をついて視線を上げた。今いるのは宿の食堂、リマの座っている背後にはキッチンにつながる開口部があり、目の前にある扉を抜けるとロビーがある。整然としたキッチンにはディナータイムのための支度が既に整えてあり、鍋にたっぷりと出来上がっているスープのいい香りが食堂まで流れ出している。

 まだ誰もいない食堂でもう一度ため息をついて、リマはさっきの話を思い返していた。



 昼過ぎに海森亭を訪ねてきた男はミーチャムと名乗った。でっぷりと太った大柄な男性で、無遠慮にリマをじろじろと眺める小さな目が嫌な感じだった。

 そしてミーチャムが見せたのは一枚の書類だ。


「借用書――ですか?」

「そう、この宿の名義でな。死んだ前オーナーの婆さんが身寄りがなかったってんなら、跡継ぎのあんたが支払うべきだろう?」


 書類に書かれていた金額は、予想よりもずっと多額で驚いた。とてもじゃないけどすぐに支払える金額ではない。

 オデットが何のためにこれだけの金額を借りたのかリマには皆目見当がつかない。何しろ借金のことなどオデットからひとことも聞いたことがないからだ。

 真っ青な顔で固まってしまったリマを見て、ミーチャムはふん、と鼻を鳴らして借用書をしまった。


「まあ、こんな金額をすぐに用意するのは無理だろう。支払は1ヶ月だけ待ってやる。この宿を明け渡すか耳を揃えて支払うか、さっさと決めるんだな」


 そう言ってミーチャムは帰っていった。





 ほう、と何度目かわからないため息が漏れる。誰もいない食堂はしいんと静かで、窓の外を濡らす雨音だけが聞こえてくる。どこか心細くなる音に気持ちがますます重くなる。


 少しして、ロビーの方からカタリと音が聞こえた。誰かいるのだろうか?

 リマは本を置いて席を立ち、様子を見に扉を潜った。


 ロビーは受付のカウンターがある小さな場所だ。正面に玄関、カウンターの右側が食堂の入り口、さらに奥に二階に上がる階段、そして客がくつろげるように小さなソファセットと本棚がしつらえてある。もちろんリマの趣味でラドレグの本も全巻揃っている。

 注文してもらえればコーヒーや紅茶も提供することができる。

 そしてロビーに出たリマは、ひとりの男性がソファに座って本を読んでいるのに気がついた。


 長期滞在客のジェラルド=サットン氏だ。


 ふわりと癖のある金の髪に緑の瞳が印象的な男性――年は確か宿帳に28歳と書かれていた。細身だがしっかりと筋肉のついた体躯はそれなりに鍛えていることを物語っている。

 そんな彼は年に数回ふらりと海森亭に現れては長期滞在していく常連で、リマにとっては特別な存在だ。もちろん客と宿の人間というスタンスはきっちり保ち、ほのかに胸の奥に灯っている淡い思いには蓋をしている。

 けれど、家の都合で婚約破棄させられた過去を持つリマには久しぶりに抱いた気持ちなので、思っているだけで幸せになれるのだ。気持ちを伝えて困らせたりはしたくないと思っている。


 リマが出てきたのに気がついたのだろう、ジェラルドが顔を上げてにこりと微笑んだ。リマの頬が淡く色づく。


「サットン様。お戻りだったんですね、気づかずに申し訳ありません」

「やあリマさん。大丈夫、集中して読書していたから僕も全然気がつかなかったよ。悪いけどコーヒーを一杯いただけるかな」

「はい、少しお待ちください」


 ジェラルドとのこんな他愛もない会話で少し心が浮き立つ。その理由は自分でも良くわからないけれど、嫌な気持ちではない。

 仕事となるとさすがに気持ちが切り替えられる。リマはコーヒーを淹れにキッチンへと戻っていった。




 この日のディナーはタラのムニエルにマッシュポテト、キノコのポットパイにサラダにスープ。3組の泊まり客で席は満席だ。食事時を手伝ってくれる女の子カーラに配膳を頼み、リマはひたすら料理に没頭する。目が回るような忙しさだ。


 それでも何とかデザートとコーヒーまで出し終えて一段落だ。客はみんな満足そうに食後の余韻を楽しんでいるように見えてリマはほっと胸をなで下ろす。

 そして三々五々客達は席を立つ。リマはカーラに洗い物を頼み、それぞれの客に挨拶をするべく食堂の出口に立った。客をひとりずつ送り出していくと、最後にジェラルドが残った。


「リマさん、今日も美味しかったよ」

「お粗末様です。明日も頑張りますから楽しみにしていてくださいね」

「もちろん――ところで」


 横に立つリマをジェラルドがじっと見上げた。


「夕方から思っていたけど、ちょっと顔色が優れないね。何かあったんですか?」

「え」

「顔色が悪い、というかどこか不安そうだ」


 ぴくりとリマの指先が震える。不安な気持ちなんて客に見せてはいけないのに、と反省。心の中の「本日の反省ノート」に書いておかなければ。


「リマさん、そんなこと気にしないでいいんだ。僕は君を大事なーー友人だと思っているし、友人の相談に乗りたいんだ。今は僕が宿泊客だってことは忘れてくれると嬉しいな」

「サットン様――」


 借金の話なんて宿の恥を晒すようなものだ、と思ってしまう。

 けれど、相談するのに一番ちょうどいい距離にいるのはジェラルドだとも感じてしまっている。例えば近所で良くしてくれる八百屋のおじさんや肉屋のおばさんに聞くような話じゃない。カーラはまだ17歳で、借金の話などわからないだろう。正直どこの誰に聞いていいのかすらわからない。

 じわりと目頭が熱くなる。それを必死に我慢して、リマはジェラルドの勧めるまま向かいの席に腰を下ろした。



「借金? リマさんの聞いたこともないものですか?」

「はい。突然聞いてどうしていいかわからなくなっちゃって。1ヶ月後までに払え、って」

「1ヶ月? ずいぶんせかしますね」

「でも、前オーナーのオデットさんがしたものなら、ずっと何年も返済を待っていたんでしょうから仕方がないのかなって。オデットさんには身寄りがなかったし、この海森亭のためにした借金なら海森亭をかたにとられるのも――」

「それは困る。ここは僕にとっても大事な場所なんだから」


 ジェラルドは真面目な顔で食い気味にそう言うものだから、リマはついくすりと笑ってしまった。ジェラルドもその表情を見てほっとしたように笑顔を見せた。


「そういった方面には僕も詳しくないからなあ。どうだろう、僕の知人で詳しそうな人がいるから、彼に聞いてみてもいいいでしょうか」

「まあ、とてもありがたいです。ただ、その、報酬とかは……」

「ご心配なく、今後どう動いたらいいのかなどの一般的なことを聞くだけです。本格的に調査と対応を頼むなら、その時に料金のことは相談しましょう」

「ありがとうございます! 正直、どうしていいかわからないので本当に助かります」

「リマさんのためなら何だって。この森の奥にある山でドラゴンと戦ってこいと言われてもやりますよ」

「や、やだ、何を――」


 まるでくどかれているようだ、と心臓が高鳴ってしまう。

 頬が熱い。


 ジェラルドが部屋に戻った後、皿洗いを終わらせたカーラにひどくからかわれてしまった。借金の話は聞こえていなかったようだけど、どうやらカーラにはジェラルドがリマをくどいているように見えたらしい。

 勘違いもいいところよ、と窘め、あまり遅くならないうちにとカーラを家に帰した。




 ジェラルドのことは以前から素敵な人だと思っていた。

 彼が客としてくると心が浮き立つし、帰った後は寂しくなる。とはいえそれだけだ。親しい友達と離れるさみしさだと思っている。


 けれどそこであの台詞だ。

 ただのリップサービスだとわかっている。わかってはいるが、仕事に没頭してきたリマには少々刺激が強かったようだ。客と宿の人間という境目にきっちりと引いてあった線がほんの少しにじんでぼやけてしまった気がする。

 ――気を引き締めなきゃ。サットン様はお客様、そんな目で見るものじゃない。


 いつも以上に強く自分に言い聞かせ、リマはベッドの上で『天鵞絨の水平線』を開いた。さっき読んでいた本の続きだ。

 ジェラルドに話を聞いてもらって借金についての暗い気持ちが少し落ち着いたのか、今度は本に没頭することができた。リマにとって物語の世界に溶け込んでいるこの時間は日常をすっかり忘れてしまえる至福の時なのだ。


「ーーあら」


 ラドレグの最新作『天鵞絨の水平線』は、一人の女性の物語と帯に書いてあった。ヒロインの人生と恋とを綴ってあるらしい。何しろまだ読み始めたところなので、ヒロインが登場したばかりだ。

 そのヒロインは海と森に挟まれた小さな街の宿屋で働く女性らしい。


「私と一緒ね」


 第一章はヒロインが穏やかに毎日を暮らす様子が描かれている。今のリマとは違い、宿のオーナーは別の人物でヒロインは従業員。一生懸命仕事を覚えようと奮闘する様が昔の自分に重なって懐かしい。


 すっかり夜も更け、リマはひとつあくびをした。睡魔が襲ってきたのだ。

 続きを読みたいと思っていたけれど、疲れていたのだろう。第二章に差し掛かったあたりで眠ってしまったのだった。



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