第一鎚 初めて暴力を振るった日
目を開けると、そこはまさしく別世界だった。
西洋風の建物が立ち並ぶ街を、さまざまな色彩を持った多様な種族が闊歩し、街頭の灯った活気に満ちた街に響くのは道端の商人の声だろうか。
見上げれば夜空があって、街の明かりのせいか見える星々は少なかったけれど、代わりとばかりに巨大な二つの月が浮かんでいて、ここが現実とは違う別世界だと言うことをはっきりと自覚させられた。
「それにしても、夜か…」
呟いたのには理由がある。
と言うのも、この『EIL』の世界での昼と夜というのは重要な意味を持つからだ。太陽と月が昇っている時間帯ごとに、この世界の二柱の大神、『白と秩序の神』と『黒と混沌の神』が入れ替わる…という設定らしい。
この世界では、昼と夜は1日の時間を完全に二分する。彼らの勢力が拮抗しているから、太陽は必ず1日の半分昇るし、月も必ず1日の半分昇る。一年間そのサイクルは変化することは絶対にないし、それら二つが被る時間は各々が沈み、昇る時だけ。そんな不思議世界がこの『EIL』なんだそうだ。
月も太陽も永遠に12時間づつしか出ないとかどういう天体構造してるのか気になるところだけど、今は気にしない。
ちなみに現実世界での1日がこの世界での三日らしく、このゲームで三日ぶん、すなわち72時間過ごしたところで、現実では1日しか立っていないらしい。なんでも技術の発展に伴う仮想現実空間内での時間加速のシステムとかなんとかの開発によって可能になったそうだが、出てくる感想はただ純粋に『科学ってすげー』である。
なぜ夜が不都合かというと、街を出ると出現するらしい敵性生物…モンスターとやらが強くなるらしいからだ。夜の神の混沌の力の影響を受けたモンスターがその力を増幅させる夜は、秩序を望む白き神の眷属たちの時間ではなく、混沌を望む黒き神の時間ゆえ、白き神の眷属たちは皆夜は寝静まるのだ…と、ネットには書いてあった。
完全初心者、ステータス欄に堂々と『レベル1』の表記のある私には少々辛い…いや、好都合かもしれない。強いモンスターと戦えば、それだけ早く求める力に近づくだろう。
…そうと決まれば、早速出発だ。
「れっつらごー!」
そんな掛け声を発したら、道ゆく様々な格好の人々——おそらくプレイヤー達に変な目で見られた。
開いたメニュー画面の通知欄に《チュートリアルを受けよう!》とのメッセージが来ているのに気づかなかったことに、私は後でちょっとだけ後悔することになる。
◆ ◆ ◆
歩き出したところですぐさま街の地理がわからないことに気づいて、メニュー画面のマップと睨めっこしながら歩くこと数分。
私は、巨大な月を背にして聳える大きな門の前に来ていた。両側に立つ甲冑を着た衛兵が道行く人の監視と警戒をしているらしい。彼らの堂々たるその雰囲気は、不審者には不安と萎縮を、善良な市民には安心と日常を提供することだろう。
「こんばんはー」
「おう、こんばんは」
とりあえず挨拶をしてみれば帰ってきた存外に陽気な声音に背中を押されて、私は街の外に繰り出した。
夜の草原は静かで、時折なんらかの虫の声が聞こえたり、ガサガサと何かが蠢く音が聞こえるだけで、人の姿はごく少なかった。街の外は明かりがないから、月を彩る星々もよく見える。
視界は良好、月明かりで私の後ろには影が伸びていて、昼間よりは断然暗いけれどそれでも全く見えないというほどではない。
とりあえずアイテム欄からメイスを取り出し、肩に担ぐ。…この動作、かっこいい…
なんて自惚れていたら、近くの草むらからガサガサという音が聞こえて、すぐさま意識を切り替えてメイスを構える。
「グルルルル…」
「……狼ね…」
草むらから顔を出したその影を視認して、呟いた。
しばらく凝視していると、彼の頭の上に文字が現れる。
〈グラスウルフ〉Lv.7
200/200
めっちゃ格上じゃん…
とはいえ現時点での私の今の力がどの程度通用するのかは気になるところだし、たとえ戦って負けたところで…あれ、死んだらどうなるんだろうか。…まぁ、たかだかゲームで死んだからといって現実世界に影響が出ることはないだろうし、死んでみればわかるか。
「ってことで…先手必勝!」
真正面から距離を詰めて、手に持ったメイスを振り下ろす。
しかしメイスは虚しく地面を少し抉るにとどまり、難なく躱した狼は大振りの攻撃を空ぶって隙だらけの私を嘲笑うようにして、私の側面へ回り込んだ。
「うひゃっ…!?」
助走をつけて襲いかかってきた狼になんとか左手を合わせてガードをしたものの、その腕に噛みつかれてしまった。
腕にはギリギリという強烈な圧迫感はあるが、不自然にも痛みはない。…仮想現実空間では痛みは感じないように設定されているってこういうことか…
しかし痛まないからといっていつまでも噛ませ続けているわけにはいかない。
現在進行形で視界の端の緑色のHPバーが減り続けていて…ってかもう緑じゃない。黄色を通り越してオレンジになってる!
「こんのっ…離れろ!」
がむしゃらに腕を振って狼を引き剥がすも、狼は大した衝撃もなく着地して、悠々と私の周りを走り始めた。
…どこか、遊ばれているようにも感じるその動き。向こうもこれまでの戦いでこちらが弱いということがわかったからこその、油断と慢心。とはいえ、実際に相手が油断してくれたところで私が勝てるかどうかはわからないのだし、別に悪し様に言うつもりはないけれども。
「やっぱし、侮られるとムカつくよね!」
こちらから仕掛けるのは下策だ。
相手の素早さにはついていけないし、カウンター狙いが一番か。
じっと狼の様子を伺っていると、向こう側から突っ込んできた。…さっきの側面からの攻撃よりも甘くて、視界の端だけど……見えてる!
「…ここ!」
狼の飛びかかってくる軌道上にメイスを合わせると、ガッと言う音と共に《CRITICAL!》の文字が踊って、狼が殴り飛ばされて転がった。おそらく頭に当たったのだろう、一か八かの賭けだったけど、それが今は功を奏して相手は地に伏している。
倒れ伏す狼を眺めていると、胸の内から湧き上がってくるものがあった。…これが、力で相手をねじ伏せる快感。…これが、私の追い求めていたもの…!
「ふふふ…って、あれ?」
高揚感に浮かされて笑っていたら、目の前の狼がゆっくりと起き上がる気配が。
「なんだ、まだ生きてたの…じゃあ私がもう一度叩き潰して…」
〈グラスウルフ〉Lv.7
167/200
嘘やん。
次の瞬間、動揺して固まった私の目に映ったのは、眼を怒りに染めた狼の、大きく開かれて鋭利な歯がよく見える口だった。
◆ ◆ ◆
目を覚ましたのは、私がこの世界に来て最初に目にした噴水広場だった。
光を纏って突然現れた私に驚くこともなく通り過ぎる通行人を目にすると、肩からどっと力が抜けた。死んだらどうやらここに戻るらしい。そんなことを考えながら、噴水の縁に腰かける。
「パワー足らんかった…」
いやまあ、力だけじゃないけども。
まさか夜のモンスターがあんなに強いとは思わなかった。あれだけレベル差が開いているとまともな攻撃を通すことすら難しい、ということだろうか。…っていうか、これがリアルも含めて初めてのまともな運動だったかもしれない。そう考えるとよくあそこまで戦えたな私。
…生まれて初めて暴力を振るった日。…ふむ。なかなかにバイオレンスで危なっかしい字面である。
しかしそういうことなら、勝利で終わらせたかったというのが人の性だ。…まあこればっかりは仕方ないし、力をつけてリベンジしよう。
ともかく今の装備と能力で夜に繰り出すのは無謀ということはわかった。と言ってもここで昼までボーッと待つのもただの時間の無駄なので、適当に何か時間を潰せるものはないか探そうと、指を横にスワイプしてメニュー画面を呼び出す。
すると、まず目に入ったのは、ステータス画面の上に表示された赤い文字だった。
《デスペナルティ》残り 00:28:27
デスペナルティ…ってなんだろ。…あ、でた。
残り時間をタップしたところ、新しいホロウィンドウが目の前にポップし、その文字を目で追う。
…なになに、デスペナルティはプレイヤーが死亡した際に課されるペナルティで、一定時間のステータス半減の効果があるらしい。ちなみに一回デスペナルティを受けた後24時間以内に再び死亡すると、前回の2倍の時間のデスペナルティが課されるらしい…何度も死にながらゲームを進めるのを防ぐためだろうか…
なんだかパスワードをなん度も間違えた時のスマホみたい、と思ったのは秘密である。
他にも、所持金半減とかがあるらしい。確かに最初持ってたお金が減って1500Gになってる。…うわあ、勿体無い。
ステータス半減に関してはまあ昼まで外に出ない予定の私には関係ないなと思って他の項目を操作していると、メールボックスのようなところに一件の通知が来ているのを発見した。
《EILの世界へようこそ!まずはチュートリアルから始めよう!》
ちゅーとりあるってなんぞ…?
英単語としての意味ならわかるが…と思ってタップしてみると、メールの詳細な内容が表示された。
語り掛けの口調で長々と説明されていてうざったかったので、要約すると、この世界に来たらまずは冒険者ギルドなるところに行って冒険者登録と講習を受けること、らしい。どうやらそこで世界についての簡単な説明や戦闘のやり方などなどを教わることができるというようなことが書いてあった。
…そういうのは、もうちょっと早くに…ですね?見つけなかった私が悪いんだけど、メールボックスなんてわかりづらいところに置くんじゃなくてもっと見つけやすくしてほしかった…
いつまでも落ち込んでいては埒が開かない。…ので、癪だがその冒険者ギルドとやらに向かうことにしよう。
そう思ってマップを見ながら先ほどの大門の方向よりは少しズレた方へと足を向けた。
程なくしてたどり着いたそこは、煉瓦造りの大きな建物だった。
外壁には蔦がはっていて、相当に年季が入っていることが窺える。頻繁に鎧やローブを着たさまざまな種族の人々が出入りしていて、夜だから街の外に出る人が少ないということもあるのだろう、そこら一帯は特に騒がしかった。
「パーティー募集中でーす!条件はレベル10以上で…」
「じゃあここでアイテムの分配だな」
「この後塾あるから落ちるわー」
「あ、ねえそこの初期装備の君、入るクランとか決まってる?」
人が多いとは言っても進めないほどではないし、ゆっくりとではあるが冒険者ギルドに着実に近づいていく。…講習ってどんな感じなのだろうか。戦闘訓練とかあるらしいし机に座って座学とかじゃないんだろうけど。
「ねえってば」
「…はい?」
がしりと肩を掴まれて、振り返るとそこには金髪の男性が立っていた。特に何か特徴は見当たらないから、おそらく種族は人間。指にいろんなアクセサリーをはめていて、装備は簡素な胸当てと腰に差したショートソードのみで、率直な感想を言うならば『チャラそうな人間』である。…私の嫌いなタイプの人間だ。軽薄は、重厚な力とは程遠い。
それにしても、私は始めたてほやほやの初心者である。何か特別な用事があるとは思えないが…
「だから、入るクランとかは決まってるのかって聞いてるんだけど」
「…いえ、特には」
というかクランってなんだろう?雰囲気的に何かの集まりのようだけれど、これも私の知らないゲーム用語だろうか…
「じゃあウチ来ない?君初心者だろうし、色々優遇するけど。アイテムとかレベリングとか付き合うよ?」
「…まだチュートリアルも受けていないので。それと、離してください」
「ああ、ごめんごめん。で、どう?」
「考えておきます。それでは」
「ちょ、待てって」
「…はぁ」
思ったよりもしつこい。ニヤついた顔は見ているとイライラするし、そもそも勧誘の文句が怪しすぎる。
何か逃れる手段はないかと思考を巡らせていると、目の前にウィンドウがポップした。
「…あ、通報…」
「ちょ、ストップストップ」
「…はぁ、もういいですか」
「…チッ、わかったよ」
目の前に出てきたウィンドウの文字を読めば、軽薄そうな彼は割とあっさり手を離してくれた。
舌打ち一つ残して彼がおそらく仲間だろう男たちの方へ戻っていく彼を見つめて、ゲーム内にはこういう輩もいるのか、と思いながら踵を返すと、後ろの方から何やら話し声が聞こえてきた。
「へっ失敗してやんの」
「大体あれ中学生くらいだろ?お前そんな趣味だったのかよ」
「るっせえな…見た限り、ありゃ天然物の顔だぜ。自分でパーツから作るとああはならねえしよ」
「ま、女自体少ねえからなぁ…その中で天然物の顔立ちの可愛いコってなると…なぁ?」
下品な会話が耳に入って、少し眉が寄る。ってか誰が中学生だもぐぞ。…ああいう輩に絡まれてもさっさと撃退できるように、早く力をつけないといけないなと改めて思う。
やっとこさギルドの入り口に辿り着いて入ってみれば、中は石造りの酒場のような場所になっていた。
たくさんの丸テーブルとそれに座って酒を飲む人々。壁にはたくさんの張り紙がされていて、その前で顎に手を当てて悩む人もいれば、受付嬢らしき女性にしきりに話しかけてはあえなくあしらわれている人もいた。
「おお…」
なんというか、全体的に活気がある。おそらく、ゲーム内とはいえ命のやり取りをするものたちが集う場所だからなのだろう。中と外では明確な空気の違いがあった。
そんな彼らを横目にカウンターへ向かえば、なんというか「デキる」雰囲気の女性がニコリと微笑んで座っていた。
「あの、冒険者登録をしたいんですけど」
「はい、旅人の方ですね。それではこちらの用紙に必要な事項をご記入ください」
そう言われて差し出された紙には、見たことがない文字がびっしりと書かれていて…でも、不思議とその全ての意味が理解できた。おそらく、異世界という世界観の保持と、プレイヤーにとっての利便性を両立した結果だろうか。
とりあえず記入してから受付嬢に返せば、それを眺めた後に彼女が口を開く。
「…はい、確認いたしました。こちら、冒険者証になります。冒険者講習の準備はすでに完了しておりますので、準備が出来次第あちらの扉へ向かってください」
「ありがとうございます」
あっさり終わったことに拍子抜けしながらも、お礼を言って早速その扉の方へ向かう。
他に人は見当たらないし、マンツーマンなのだろうか。さっきの紙に使用武器とか目指す戦闘スタイルとか書いたから、それに合った人が来るんだろうけど…どんな人が来るだろうか…
わずかに緊張した面持ちで扉を開けると、そこは大きな空間だった。
「おう、来たな。俺が今回嬢ちゃんの担当になったアイクだ。よろしくな」
マッチョだ!!!!!
・tips
になちゃんの好きなタイプ:重厚長大
嫌いなタイプ:軽薄短小
別に筋肉が好きというわけではないらしい。マッチョだけじゃなく、強そうならなんでも。
タイプ、とは言っても恋愛的に誰かを好きになったことはないそうなので、人としての好み(或いは性癖)の問題だって言ってました。
作者は結構痩せ型なので悲しいです…
・主神を選んだ時に手に入る称号一覧
火 無尽の創造を誓いし者
水 最後の審判を望みし者
大地 永久の豊穣を求めし者
風 世界の繁栄を託されし者
雷 悠久の契約を結びし者
命 無限の試練を受け入れし者
愛 永劫の人理を綴りし者