第十三鎚 黒の襲撃と白の聖女
転職可能レベルを変更しました(25→30)
(2024.3.22)
「っ大丈夫!?」
駆け寄って抱き起こしてみれば、幼くも端正な顔の少女が顔を顰めてからで息をしている。
「怪我が!」
少女の肩口には刃物で切り裂いたような切り傷があって、そこから何か黒いモヤのようなものが溢れているのが見える。
…切り傷と、何か、毒?のようなもの。
「回復アイテムでどうにかなるかな!?」
メニュー画面を開いて、素早くHPポーションと解毒剤を取り出す。
アインの街を出る時に、不測の事態があってはいけないからと、多めに買い込んでおいたもの。結局道中では使わなかったけど、ここで生きるなら…
「飲める?」
「う…ゲホッ……ぐ…」
「そんな…」
腕に抱いた少女の口にポーションの飲み口をあてがって少しずつ傾けてみれば、むせながらも少し飲んでくれて……結果として、切り傷の方は一時的にだが塞がったように見えた。
しかし、少女の苦しげな容体は全くもって変化していない。
原因は明白も明白。この、黒いモヤのせいだ。毒だかなんだか知らないが、これについてはHPポーションも解毒剤も全く効果がないようだった。
この二つが効かないとなると、もう目ぼしい回復薬は残っていない。
そうなると、ここから走って街の診療所に連れて行くしかない。ファストトラベルはNPCを連れてはいけないから、走るしかないのだけれど…ここの路地裏は入り組んでいて、来た道も結構うろ覚えだ。
こんな時に限って頼りのマップはグレーアウトしていて情報が取得できない…くっ、でも行くしかないか…!
「お…ねぇ……さ…」
「!大丈夫!?話せる!?」
「せ……すい…を」
少女の掠れた声は、よく聞き取れなかった。
でも、その断片的な情報を、私の頭脳は繋ぎ合わせて、結論を導き出す。…こんな時は、この明晰な頭脳にも感謝できるね。
「聖水か!」
シルヴィエさんに案内されて入った、宗教区画の中のお店に売っていた聖水というアイテム。詳しい用途はよくわからなかったけど、とりあえず興味本位に一本だけ買っておいたものがあったんだ。
「飲める?…というか、傷口にかけるのかな」
「…私で…できます……」
弱々しくも瓶を掴んで傾け始める少女を見て、なんとかなりそうだと、私はほっと息をついた。というか、解毒剤でもなんでもなくて、聖水でこの黒いモヤが消えるということは、毒ではなくて何かしらの邪気や呪いのようなものなのだろうか。
そんなことを考えながら、呑気に私は少女を眺めていた。しかし、聖水を飲み始めた少女の瞳が、唐突に見開かれる。
「…っあ…」
「?」
私の背後を見つめて止まった彼女に、どうしたのか尋ねようとして…その前に、私の背後から声がかかった。
「おやおや、聖都の名に見合わないこんな小汚い場所でどうされたのですかなぁ?聖女サマ?」
「……!?」
バッと背後を振り向いてみれば、黒ずくめのローブに身を包んだ二つの影が立っていた。
話しかけてきたのは、前の方に立つ男。声の色からして男だけれど、肝心の風貌はローブが遮っていて全く見えなかった。
その手には、わずかに血濡れた大ぶりのナイフが握られていて。
(ナイフ!?セーフティエリアの街の中で……いや、衛兵の目の届かないところだとそんなことはないのか)
街の中は、本来武器を振るうことのできないセーフティエリアの扱いだというのは、プレイヤー全体に周知された話だ。
いや、エリアそのものがそういう判定を持っているわけではないから、『セーフティエリア』という言い方には誤解があるかもしれない。武器を取り出すことは、できるのだ。ただ、街の中でその武器を振るおうとすると、武器を振るう直前に警告ウィンドウが出て、それを無視して誰かや何かを害せば、すぐさま衛兵が飛んでくるという仕組みになっている。
この衛兵が到着するまでの時間が尋常でないくらいに早く、またこの衛兵自体もとんでも無く強いこともあってか、街中で武器を取り出して戦おうとするプレイヤーはだいぶ少なくなった。…それでも、一定数そんな輩が存在するのは……どう言ったらいいものか。
ともあれ、普段なら街中で武器を振り回せば、プレイヤー・NPC問わず衛兵のお縄につくはずである。
しかし、それは衛兵の目が、あるいは通報できる第三者の目が届く範囲でのこと。こんな薄暗い路地裏ではそんなものはない。だから、ナイフを取り出せるのだろうけど。
しかし、それはこちらも同じこと。
そんなふうに考えて、私はインベントリから愛用のハンマーを一本だけ取り出した。
「…ほう?なんのつもりですかな?」
「貴方達こそどう言うつもり?こんな幼気な女の子一人を寄ってたかって追い詰めて…ロリコンですか」
「ふーむ?残念ながら幼女趣味は持ち合わせてはいませんねぇ。……御託はやめにしましょう。我々は、そこの少女の身柄一つ、もしくは命さえ頂ければそれでいいのですよ。アナタ、見たところ旅人でしょう?ばったり出会っただけの少女一人見捨てたところで、明日にはすっかり忘れて、朝食を楽しめる程度のものではないですか?」
「言ってくるね…引く気はない?」
「仕事ですので」
たかがゲーム内のNPC?違う。
彼らは、この電脳の世界の中で、確かに息づいているのだ。そのことは、私がこのEILの世界に来てからの短い期間の中で知った、紛れもない事実だから。
そんなふうに考えることは、私が絶対に許さない。
…さて、どうやら双方ともに引く気はないようだ。
聖水を半分ほど飲み下して、残りを肩の傷に掛けてすっかり元通りになったらしい少女に向けて、少し離れておくように言ってから、改めて黒ローブの影達に向き直る。
片方は、男。片手にはナイフを持っていて、黒いローブも相まって輪郭がわかりづらい。彼自身もゆらゆらと動いて重心の位置を悟らせないようにしているみたいだし、実力の程がわからない。
もう片方の方は、いまだに情報がない。男の持っているものとは違った形の大ぶりの短剣を構えているだけで、先ほどまでの会話でも声を発さなかったしね。ずっと男の後ろに控えているから、おそらくは彼の部下か何かなのだろうけども。
しかし、この状況はだいぶ不利だ。
路地が狭いから、満足に私のハンマーを振り回せない。リンクスキルが使えないリスクも負って立ち回りやすさを取るために取り出したハンマーは一本だけだけど、それでも狭い。そして、後ろに守るべき少女がいるから、基本守り主体になってしまう。
相手の情報がない以上、予測不可能の攻撃でダメージを喰らう懸念があるから、最大HPを削る竜化も使うのは難しいし。
一応、救援の要請は送っておいたけど、果たして来てくれるかどうか。
「……ま、それまでせいぜい足掻きますかね」
うだうだ言うことで状況が改善するわけでもなし。
覚悟を決めて戦うしかないのだ。
とりあえず、《迅雷化》のチャージだけ初めてしまおう。
ハンマーを両手で持って構えた私に、黒ローブの男が走って近づいてきて、時間差でもう一人の黒ローブも走り出す。
(…速い!)
でも、対処は可能!
「《迅雷化》!」
「…む」
チャージを完了して待機状態にしておいた迅雷化のスキルを発動する。一定の場所まで一瞬で移動できるそのスキルでもって自らの位置を少し横にずらして相手の攻撃を躱して、そのままスキルの効果が途切れないうちにカウンターを放つ。
「っらぁ!!」
「ぐ…これは…」
黒ローブの男の方はなんとかナイフを合わせてガードをしたようだ。
しかし、対処すべきはそちらではない。…脇をすり抜けようとしている、もう一人の黒ローブ!
でも、私のハンマーは黒ローブの男の方に叩きつけた状態だから、咄嗟に動かすことは叶わない。…本来ならね。
今は、さっき作ったばかりの重心操作のスキルがある!
ハンマー含めた私の重さを全て、私の体の中心部に移動させる。
これで、動ける!
「行かせるか!」
「…」
男の方から外したハンマーを、今度は横をすり抜けようとしていた黒ローブに振るう。インパクトの瞬間に重心を戻されたハンマーが、唸り声を上げて空をきった。
無言で避けてから距離をとったそいつと、なぜか同時に距離をとった男の方。
「……ふむ。雷神の手厚い加護を受けている旅人、ですか」
「《スタンザップ》!」
「そんな低レベルの魔法が効きますか。…しかし、どう処理したものでしょうか。困りましたね」
何かボソボソと呟いているようだが、そうやって時間を潰してくれるのなら好都合だ。
こちらからは仕掛けず、様子を見ることにする。しかし、そんなボーナスタイムは長く続かなかった。
「…ふむ、ここはひとつ、遊んでみるとしましょうか……。怒れる黒き神よ、」
「……?」
「その荒々しき力を持って、我らの行く道を助けたまえ…『ブラック・エンチャント』」
何を…?
そんなふうに疑問を持つ暇もなく、目の前の二人の黒ローブがかき消えた。
(どこから来る?……上、と、下!)
「ぐぅ……!?」
重っ!?
なんで。さっきまでは、速いは速かったけど耐え切れる程度の重さの攻撃だったのに。…黒き神、なんて言ってたね。大神関連の魔術はそんなに強力なのか?
初撃は凌いだけれど、後が続かない!
相手は二人だし、一撃一撃が重くなって、速さも残り続けているから、だんだんと押されて…
「…穏やかなる白の神よ!その暖かき御身を持って彼の者を守りたまえ!『ホワイト・エンチャント』!」
後ろから少女の声が響くと共に、体がぐんと軽くなった。
いまだ押され気味だけど、守りに全神経を集中すれば持ち堪えられる程度だ!
「全く…まだ幼いとはいえ、聖女の魔法はやはり強力ですね」
…聖女。やっぱり、彼女が。
いや、それは後だ。今は持ち堪えることだけ…!
そうしてなんとか崩されずに防御に徹していた私の元へ、ようやっと援軍の足音が聞こえてきた。
「アーツ…《烈派斬》!」
「む…」
黒ローブの背後から襲いかかってきた飛ぶ斬撃に注意が向いて、私への攻撃が途切れた。
今がチャンス!
「アーツ…《パイルバンカー》!!」
仰々しいネーミングに反して、発動速度が早くて強力なノックバックと少量の刺突属性ダメージを付与するだけの鎚術のアーツを放つ。
それをモロに食らったらしい男の方が弾き飛ばされ、同時にもう一人の方も攻撃を中断して一度引き下がった。
「…来てくれるかはダメ元だったんだけど、ありがとうございます」
「俺も、昨日フレ交換をしたばかりの君から急に救援要請が、しかも街の中から飛んできて少し驚いたぞ。ツヴァイの街を出る前で良かった」
数人の衛兵…いや、普通の衛兵ではない、おそらく聖騎士であろう住人数名を連れてきたのは、昨日知り合ったばかりの青年、ジェイド。
銀色に輝く鎧と片手剣が、今はとても頼もしい。
「ジェイドさん、その方達は?」
「ああ、街中で慌ただしくしていたのでな。もしやと思って声をかけてみれば、数人をこちらに割いてくれた」
彼にフレンド機能の救援要請を送ったのは、この黒ローブ達に出会ってすぐだった。つまり、いなくなった聖女を探していた聖騎士達と偶然にも出会って、連れてくることができた、ということだろうか。
救援要請は、フレンドである旅人に自身の位置情報と簡潔なメール文を送ることができる機能。私がどこにいるかは私自身では確認ができなかったから、位置情報がきちんと機能するかは未知数だったけれど。
なんとかなったようで何よりだ。
「…ふむ。面倒なことになりましたね」
「……黒神教の教徒だな?大人しく来てもらおうか」
「しかも聖騎士まで…これは、ここまででしょうか」
白神教の聖騎士が黒ローブ達を取り囲むように位置した。
小さな聖女ちゃんは二人の聖騎士が近くに控えていたから、私もその近くまで下がる。
ふむ、と顎に手を当てる黒ローブの男は、しかしまだ余裕がありそうに見える。
「仕方ありません。我々はここらで退散させていただきます」
「させると思っているのか?」
「いえまぁ、思ってはいませんが、止められるものなら」
そう言った男は、一つの箱状のアイテムを取り出した。
「それは…!」
「もう遅いですよ…《トランスポート》」
「待てっ…く…」
聖騎士の一人が慌てて切り掛かるも、一足早く黒ローブ達は姿を消してしまった。
彼らが使ったものは、おそらくレーティアさんが龍骸山脈から脱出する際に使った転移アイテムと同じものか、それに類するものだろう。
聖女を狙うだけあって、相当に準備が良かったようだった。
「逃げられたものは仕方ありません…それよりも、ニナ様。聖女ちゃんをお守りいただきありがとうございました」
「貴女は…シルヴィエさん?」
聖騎士達の間から姿を現したのは、こちらも昨日に知り合った白神教のシスターの女性、シルヴィエさんだった。
「はい。聖女様は、我らが道標なれば、本来ならば我らがお守りするのが道理…しかし、今回は不甲斐ないことに奴らに聖女様を拐かされかけ、貴女様方の手を煩わせてしまいました。この責任は、如何様にも」
「いえいえ、私もたまたま助けることができただけなので、そんなに丁重に謝られるほどでは…」
「俺も、友人である彼女から救援を受けて向かっただけだ。感謝される義理はない」
会ったのは昨日が初めてだけどね。
「……ふふ。流石は雷神様のご寵愛を受けし方と、そのご友人でございますね。しかし、昨日から目をつけていたとはいえ、少々お人好しが過ぎるかと」
「襲われている女の子がいたら助けるのが普通でしょう……って、なんで雷神様のことを」
その問いには応えず、シルヴィエさんは一拍置いてから言葉を続けた。
「しかし、お礼をしないわけには参りませんので。どうぞ、我らと共に参ってください」
そんな彼女の誘いを受けて、私とジェイドさんは再び宗教区画を訪れることになった。
◆ ◆ ◆
場所は、龍骸山脈のふもと。
山から吹き下ろす冷気によって気温はごく低いが、まだ植物がなくなるほどというわけでもないその場所に、ぽつんと光の輪のようなものが現れた。
次第に色を変えたその光の輪は、ある瞬間限界を迎えるようにパッと消えて、代わりにその場に二つの人影を残した。
パサリと被っていたフードを脱いで、自分達にかけていた認識阻害の魔法を解除する。
露になった彼らの頭部には、魔族であることを示す曲がった角が生えていた。
「全く、雷神の寵児に聖騎士まで来られてはやっていられませんね……貴女もそうは思いませんか?」
「…そうですね、グローツ様」
「全く、愛想がありませんね。…しかし、我々が任務を失敗したということは……」
黒づくめの男——グローツが呟くとともに、彼らを囲むようにこれまた黒ローブの集団が姿を現した。
「……」
「…はぁ、全く。うちも随分と、窮屈な組織になったものですねぇ。あの気味の悪い巫女と、あれにもらったこのナイフも…というか、これについてはもう要りませんね。どうせこれから追われる身ですし、捨ててしまいましょうか」
からりと黒いモヤを放つナイフを捨てて、腰から取り出したるは、隣に立つ少し高い女性の声を発した黒ローブの人影の持つそれと同じデザインのもの。
抜き放ってから、グローツは先ほどまでのことについて想いを馳せる。
……聖女のことについては、あの雷神の寵児を含めた『旅人』とやらが、しっかり支えながら守り続けるのだろう。そうなると、黒神教が白神教を切り崩すには難しくなっていきそうだ。
白神教自体は腐敗しかかっているし、個人的にも嫌いだ。しかしどうやら、あのお人好しの少女には自分は結構な好印象を抱いているようだった。
雷神の寵児。ひいては、七柱の神々の寵児。最近になってどこからか現れた、主神たちとの強いつながりを持つ旅人とかいう者達の中で、一際強い加護を受けているもの。
確かに、不思議な魅力のある少女だったが。
…まぁ、これからどうなるかは、自分には関係のないことだ。
「これからどうなさいますか、グローツ様」
「無論、我々がこのまま斃される道理はありません。逃げますよ、ベラ」
「かしこまりました」
合図はなく、しかし一糸の乱れもなく襲いかかってきた黒づくめの彼らに対し、その男女は揃いのナイフを振り切って応戦したのだった。
・tips
・黒神教の二人について
男性の方はグローツさん、女性の方はベラさん。ベラさんの方については仁菜ちゃんは女性という情報を知りません。彼らにも色々と複雑な事情がある模様。グローツさんは黒神教の神父さんで、ベラちゃんは黒神教お抱えのとある組織の人だったらしい。グローツさんに拾われて以来一緒に任務をこなすようになった。ちなみに聖女暗殺or誘拐の任務中は本気を出していない。実は黒神教に結構嫌気がさしていたりした。とはいえ、任務は任務ということで、ほどほどに手を抜いていたらタイムリミットが来ちゃったっていうお話。
・黒神教について
黒神教には、聖女ではなく、『巫女』と呼ばれる女の子がいっちゃん上にいるらしい。
黒神教自体、白神教よりも後に、それに対抗するように作られた組織で、最初はどうやら普通に黒と混沌の神を信仰しているだけだった。こちらも時代を経るにつれて白神教との敵対姿勢を露にしていったそうな。
・黒いモヤについてpart2
やっぱりなんかの呪いの類らしい。
ちなみにプレイヤー達の間でもちらほら確認される事例が出てきているらしい。主に、モンスターが纏っているという形で。