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彼女の生き様

作者: 柴いぬ

 これは亡き親友の生き様を描いた物語です。


彼女と初めて出会ったのは高校生の時でした。

同じクラスでいつもニコニコと明るい笑顔をふりまく彼女と友達になるまでに時間はかからなかった。


彼女はその明るい笑顔で気がつけば周りにたくさん人が集まっているのをよく見ていた。


中には彼女の性格をいじる事で盛り上がっている人もいて、そんなイジりを怒るわけでもなく彼女なりに笑顔で受け流していた。


 彼女はいつも“ありがとう”と言う言葉をよく使う。

例えばそれは友達に対してだけでなく、全く見ず知らずの工事現場で誘導するおじさんであったり、エレベーターで行き先のボタンを押してくれた子どもであったり、どんな相手であっても自然とその“ありがとう”が口から出ているのだ。


困った人がいれば、彼女ができうる最大限の努力で寄り添うのだ。


そんな彼女だが、自分の本心を見せるのが唯一苦手なんだと私は気づいていた。


彼女とはまだまだ親友と呼べるような関係ではなく、仲のいい友達の1人であって私達の間に深い絆が出来上がるのはまだまだ先の話だった。


 高校を卒業してお互い就職してからはしばらく社会にもまれながらの日々を過ごしていた。


彼女も私と同じように、仕事をする上で乗り越えなければいけない試練や人間関係に悩む事も少しづつ増えていた。


私が彼女にグチを話せば、彼女は私を否定する事はせず私の気持ちに寄り添ってくれる。


だが彼女が私に少しグチれば、白黒ハッキリせずにはいられない性格の私は彼女の至らない部分を指摘し、その上で解決策を考えて彼女の今の悩みを少しでも楽になれるように伝えていた。


しばらくして私は結婚し3人の子どもの母親になっていた。


彼女は未婚で一人暮らしをしていたが、いつかあなたも母親になるのだからと育児をどんどん手伝ってもらっていた。苦手な料理を教えた時は内心、料理が得意な旦那さんを選ぶ方が早いのではないかと思うこともしばしばあった。


彼女はいつも1人では寂しいからと毎週のように我が家へ遊びに来ていた。


いつものように私の手料理は最高だと褒め、子どもと遊び、子どもにイジられながらも楽しそうにする彼女は友達と呼ぶよりも、もう私達の家族の一員と化していた。


そんな幸せな彼女の日々を地獄へ突き落とす出来事が起こってしまう。



 彼女は乳癌に侵されていた。 



動揺して医者の話もほとんど聞いていない。

いや、聞いてはいるのだが記憶として残せない。


手術で自分の身体にメスを入れる事にかなり不安な様子の彼女は、私に側にいてほしいと話す。


私は彼女が得意な“寄り添う”という事が私にもしっかりできるのか考えたが、彼女の不安を取り除く事ができるのは私なのだと自分を奮い立たせる。


術後に彼女が発した第一声が私の名前だった事が今後の私を勇気づけた。


しばらく抗がん剤の副作用に苦しめられる日々だったが、必ず治ると信じて彼女はそこから11年もの長い年月を、彼女は闘い続けることになったのだ。


オシャレな彼女はいつも明るく目立つ服を選ぶ。

髪色も明るくまるで海外のファッション雑誌にでてきそうなほど彼女は可愛かった。


そんな彼女の楽しみさえ病魔は容赦なく奪っていく。


ほとんどの髪の毛が抜け落ち、副作用で顔が浮腫む時でも外出する時はオシャレを忘れない。


何度も苦しい治療を乗り越えた先に、再発という更に辛い現実を突きつけられる度に彼女は何度も逃げ出したくなったはずだろう。


しかし彼女はどんな時もまわりを明るくする事を忘れない。

なぜならそれが彼女の自然体なのだから。


私はそんな彼女とこれからも笑って一緒におばあちゃんになっていけると信じていたし、私も彼女も決して諦める事はしなかった。



 しかしそんな彼女の努力もむなしく、病魔は彼女の身体を限界までボロボロにしてしまったのだ。


大晦日のピッタリ12時を回ったタイミングで彼女に新年の挨拶をLINEで送ったが既読にならない。


それから4日後ようやく彼女から連絡があった。

年末に緊急入院していたのだ。

彼女が発する言葉に私の思考回路が拒否をする。


「もう使える抗がん剤がないらしい」


「もう家に帰れないらしい」


「治療をやめて緩和病棟へ移ることになった」と。


そう話す彼女と私は、とうとうその時がきてしまった、これ以上生き続ける事を諦めないといけないんだとそうわかって、二人で号泣するしかなかった。


たくさん泣いて、そして私の中で何かのスイッチが切り替わる。涙はもう今日で終わりにするんだと私は決心する。


それからは彼女の残された日々と彼女の終末をいかに彼女の望むようにできるかが私の目標となった。


緩和病棟へ移るまでは彼女と面会が叶わなかったが彼女は毎日私に電話をかけてきた。


弱音を見せない彼女だったが会えない事が余計に彼女を不安にさせたのだ。


「いつもありがとう」


「一番の親友だからね」


長く話すと息が苦しいからとそれだけ言って電話を切る。

そして1分後にまた同じ内容で電話をかけてくるのだった。


私はいつも通り笑って彼女の気持ちに答える。


 緩和病棟へ移ってからは毎日会いに行くことが許された。

久しぶりに会えた彼女は私の娘の手を離さない。

人前で泣くことなどなかった娘がポロポロと涙を落とす。

彼女の事が大好きなたくさんの友人が、彼女を励まそうと駆けつけてきてくれた。

その頃の彼女はかなり遅れてやってきた赤ちゃん返りのような様子で、それがとてもとても可愛いく、私の心をとても心地よくさせた。



緩和病棟転院後の最初の数日は全身に広がった痛みに苦しむ事もあったが、彼女は決して弱音を吐くことはしなかった。


彼女が喜ぶ事を毎日考えていた。

マッサージが大好きな彼女の為に毎日彼女の足を温め、丁寧にマッサージをした。

その時だけは痛みから解放されていると勝手に期待して私は毎日の日課にする。


次第に意識が混濁するようになっていったが、私は彼女の終末を彼女らしく彼女の期待に添えるように、そして彼女が寂しがらないように耳元でずっと話しかけるのだった。


「大丈夫。これからもずっと一緒だよ」


「ずっと繋がってる」


「1人じゃないよ」


「また必ず生まれ変わってまた必ず見つけるから、また必ず親友になろうね」


そう語りかけると彼女はコクンと頷くのだった。



緩和病棟へ転院してからわずか1週間程で彼女はこの世を去った。


あの日の決心がなければ、私の心は空っぽになっていたことだろう。 


しかし私はもう気づいていた。

空っぽになってしまうというのは自分本意な考えでしかなく、彼女の為には1ミリにもならないのだと。


彼女の気持ちに寄り添う事で私の心も温かい感情で埋め尽くす事ができるのだと。


そんな気持ちになれたのは彼女の深い優しさと病魔に負けまいと最後まで闘い抜いた彼女の生き様を見てきたからだ。



 彼女はとても穏やかで、安らかな顔をしていた。


そんな彼女を見て、私はしっかりと彼女を送ることができたと自信を持って言えるのだ。


ようやく彼女の親友になれたと思えたんだ。



心からありがとう。 



またね。

読んでいただきありがとうございました。私は全く文才もないただの主婦ですが、親友の生きた証を残す為に小説を書き始めました。彼女の生き様は私の人生を震わせる出来事であり、前向きに生きる為の道しるべとなりました。読んでいただいた方が少しでも、誰か大切な人を亡くす悲しさや寂しさを埋めるきっかけになれたらと思います。

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