第17話 スズのお母さん
「みんな、驚かせてしまってごめんなさい」
センナの家のリビングで、スズが頭を下げる。
リビングのテーブルの上には、成り行きでスズが持ってきてしまった、明治時代の分厚い本が置かれている。
「あの、わたしたちに謝ることはないです。それよりも……」
マイはそう言ったが、その後に続く言葉が出てこない。しかし、スズはきちんと分かっているようだ。
「ありがとう、マイちゃん……。うん、わたしの家の問題よね……」
みんなが無言になる。
「まずは、お茶でも飲みましょう。サナエ先生からお菓子ももらいましたし。マイ、手伝ってくれる? スズ先輩とリンは、お菓子の袋を開けておいて」
センナが台所へ行くのについていく。
センナの家は、マイと同じように新興住宅地にある一軒家だった。
なかなかの広さで、家族で暮らすにはちょうどよいが、さすがに一人だと広すぎるだろう。
「センナ先輩、ご両親が留守にすることが多いって言っていましたけど、さみしくないんですか?」
「うん、昔は寂しかったよ。両親は、海外で仕事をしていて、めったに会えないからね。海外で悪い出来事が起こったってニュースがあると、いつもドキっとするし。でも、100歳を超えた大おじいさんが、面倒を見てくれてるからね。すぐ近くに住んでいて、まだ元気なんだよ。それに」
センナは、食器棚のマグカップを指さした。
「スズ先輩のは、そのマグカップね」
スズ専用のマグカップがある。やはりスズとセンナは気が合うのだろう、とすぐに分かった。たしかに、家に入った時に、スズはセンナの家を熟知しているように、すんなりとリビングに入っていった。
「スズ先輩、よく遊びにくるし、たまに泊まることもあるんだよ……。あまりお父さんとうまくいっていないってことは聞いていたけど、今日の喧嘩を見て、状況がよく分かったよ」
センナは、ふう、と息をついた。
マグカップと湯呑をもって、リビングに行く。
すでに、お菓子の箱が空き、色とりどりのおいしそうなクッキーが並べられている。
マイは、リンの隣に座った。センナは、スズの横に座る。
センナは、スズのマグカップと、みんなの湯呑にお茶を淹れる。
「北海道のお菓子みたい。とってもおいしそう。サナエ先生にはお礼を言わなくちゃね」
スズが、まだ空元気ではあるが、いつものようにふるまおうとしている様子が痛々しい。
スズは、お茶を一口飲んでから、ふう、と息をついて、
「まずは、話を聞いてくれるかしら? 最初に話さないと、おいしくお菓子を食べられないものね」
マイは、静かにスズを見る。リンとセンナもそうしている。
「センナには、少し話したんだけれどね」
スズは、お茶の入ったマグカップを、テーブルの上に置いた。
「夢ってわけではないのだけれど、わたし、将来はお薬を作る仕事をしたいと思っているの」
マイは戸惑った。唐突に将来の仕事についてスズが口にしたからだ。
「わたしのお母さん、珍しい難病に罹っていてね。わたしが小さい頃から、何度も入退院を繰り返していたの。でも、神社を守らないといけないって、とても頑張っていたの。お祭りが近くなると、毎日準備に大忙し。お祭りの日は朝から準備にきてくれる氏子の人たちの食事を用意。お祭りの最中も、お酒を出したり、終わった後の片付けも手伝ったりね。それだけじゃないわ。境内の掃除もしていた。木や花が好きだったから、その手入れもしていたわ。お花のことは、本人は楽しんでいたようだけれど。その花壇も、もうないのよね」
マイは、手入れされていた神社の境内を思い出した。あそこに、花壇もあったことを思うと、素敵だと思った。なくなったのは、なんだか残念だ。
「お医者さんは、この病気は体を冷やしたり、逆に暑すぎてバテたりしたりすると悪化するって言っていたわ。神社って環境的には最悪なのよ。夏は暑いし冬は寒いの。和室ばかりだしね。わたしは、小さいながらも、きちんとした洋室を作ってほしいってたのんだわ。でも、お父さんは、神社は氏子の人のものだから、自分たちが楽をするためには使えないって。お母さんも、お父さんの言う通りだって言うの」
マイは、神社は、とても華やかなところだと思っていた。しかし、現実にはとてもたいへんな境遇なのだと思った。
「そんな時に、この病気を治す薬が発明されて、外国では処方が開始されたと発表されたの。もちろん、わたしは、すぐにでもお母さんが外国で治療を受けてもらえるように頼んだわ。でも、渡航費とか治療代とか、とても高かったの。それに、その年は、今日見てもらったあのお神輿、お祭りの渡御の最中に商店街の塀にぶつかって、こわた年でもあったの。その塀の弁償とお神輿の修理で、1千万円もかかることになったのよ……。他人の塀は直してあげないといけないのは分かるけれど、お神輿に1千万円よ……。やっぱりお父さんは、お金は氏子が第一だっていうの。お母さんも、自分よりも神輿の修理が大事だって……」
1千万円なんて、マイには想像も使いない金額だった。
スズは、愛想笑いを浮かべて、またマグカップのお茶を口に含んだ。
「わたしは、子どもながらに一生懸命、安くできる方法がないか調べたわ。すると、安い木材や、安い金メッキ、それに合成漆を使えば、とっても安く修理することができるってことが分かったの。だけど、お父さんもお母さんも、これは昔の人たちが一生懸命守ってきたものだから、元の通りに直さないといけないって言い張ってね……」
また、スズはマグカップを持った。今度は、マグカップが震えている。怒りと悲しみの感情が沸いてきているのがわかった。こんなスズを見るのは、はじめてだ。
「何が元の通りよね。この前の入学式の日の地震でまた壊れてるし。それに、元の通りっていいながら、本当に最初は金ピカじゃなくて、極彩色の色調の神輿だったのよ!」
スズの語気が荒くなった。
そこまで言うと、センナが、スズの手に、そっと自分の手を置いた。
スズははっとしてセンナを見て、マイとリンを交互に見た。
「えーと、ごめんなさい。ちょっと気持ちが昂っちゃった……」
「あの、スズ先輩、無理に話さなくていいです。わたしもリンちゃんも、気にしませんから」
確かに、何があったのかは気になる。しかし、こんなに辛そうなスズを、もう見たくない。
「ううん、マイちゃん、ありがとう。リンちゃんも、ありがとう。だけど、もう少しだけ、付き合ってくれるかしら」
まだ、表情硬いが、少し笑顔を向けてくれたスズを見て、マイとリンはうなずいた。
「お神輿の修理はうまくいったわ。でも、それから、お母さんの症状は日に日に悪くなった。でも、入院すると治療費がかさむからって、病院に行くのも渋って。具合が悪くても、お母さんは一生懸命働いていた。そして、冬が来たわ。災害級の雪が続いた期間があったの。わたしとお母さんは、毎日境内で雪かきをしたわ。そんなある日、雪かきをしているとね、わたしの隣にいたお母さんが突然倒れたの……。とっても驚いたわ。人が病気で倒れた時って、ドラマのように静かじゃないの。痙攣が起きて倒れてね。全身がビクンビクンと波打っていた……。わたしは別の場所の雪かきをしていたお父さんを大声で呼んだわ。すぐにお父さんが救急車を呼んだけれど、その日は大雪で、救急車の到着が大幅に遅れるって言われて……。すぐに神社の車を出そうとしたけれど、雪にタイヤを取られて、境内から出られなくて。その間にも、お母さんはビクンビクン全身が、そう、ホラー映画で撮り憑かれた人のシーンがあるでしょ。あんな感じで動いて。顔は真っ青で、白目を剥いて……」
マイは、あまりのことに、話を聞いているだけで、苦しくなった。でも、一番辛いのはスズだ。ここで話を止めるわけにはいかない。隣のリンを見ると、同じ思いのようだが、真剣にスズの目を見ている。
「ようやく救急車が来た時には、お母さんの痙攣は止まっていた。うん、亡くなっていたのよ……。でも、救急隊はお母さんを救急車に乗せた。わたしとお父さんも乗ったわ。心電図をとりつけると、反応はなかった。横一直線で、線は動かないの。だけれど救急隊は、電気ショックを始めたわ……。何度か電気ショックをしては、酸素マスクを強引に取り付けて。しばらくして酸素マスクをはずしては、また電気ショックをして……。そのたびに、お母さんの体は跳ね上がる。さっきの痙攣の時みたいにね。わたしは、もうこれ以上お母さんを苦しませないで。もう死んでいるわって叫んだわ。でも、大人は子どもの意見なんて、誰も聞いてくれなかった……。病院に着いたのは、救急車が神社に到着してから、さらに一時間もかかったわ。大雪で、タイヤをとられて身動きのできなくなった車があちこちにあったから、進めなかったのよ。救急車が進めなくなると、救急隊の人がすぐに道に降りて、スコップで動けなくなった車のタイヤの周りの雪をどかしていたわ。スコップが足りなかったから、お父さんなんて、雪に突っ伏して、自分の手で搔き出していた。お父さんは、とてもあせっていたわ。だけど、わたしは、もう動かなくなったお母さんの前に座って、そんなお父さんを見て、今さら何をあせっているんだろうって思って見ていた。もうこれだけ時間が経つと、冷静になっちゃうのよ。いまさら生き返らせることをできないお母さんを病院に運ぶために、何をあせっているのかなって。お父さんを、わたしはあざ笑うように見ていたわ……。」
「スズ先輩……」
スズの手を握ったまま、センナがつぶやいた。
「でも、当時の正直なわたしの気持ちよ……。死亡時刻は、病院についてからの時刻だったわ。もう、お母さんは、とっくに亡くなっていたのにね……」
スズが、一度浅い呼吸をする。
「お母さんの初七日の日よ、テレビをつけていたら、ニュースで、日本でも、この珍しい難病を治す薬が、承認されるって言っていたの……。しかも、この薬を使えば、この難病は劇的に改善するんですって……。無理をしなければ、あの冬に大雪さえこなければ、雪かきさえさせなければ、お母さんは難なく助かったの。お母さんは、この難病で亡くなった、最後の日本人になったってわけ……。笑っちゃうわよね……」
スズは、不気味な笑みを浮かべていた。いつも笑顔の素敵なスズのこんな表情、今は見たくなかった。
センナが、「ぜんぜん笑えませんよ」と言って、スズを抱きしめた。
スズは、一度大きく深呼吸して、センナを離した。
マイは、スズが泣いてしまうかと思った。だけれど、スズは泣いていなかった。
「ありがとうセンナ。そういうわけでね、わたしは神社なんて継ぎたくないの。神社の娘だって隠しているのも、この子が跡取りになる、なんて既成事実を作られたら困るから。もちろん、最低限の仕事はしてるわよ。お祭りの日に浦安の舞を舞ったり、お正月にお守りを売ったりとかね。でも、将来は薬を作る人になりたい。難病を治す薬をね。お母さんみたいな悲しい人、作りたくないもの……」
マイは、将来の夢などは、希望に満ちたものだと思っていた。しかし、こんなに壮絶な理由から、将来の目標が生まれることもあるのだと驚いた。
「それに、正直言うとね、きちんと意見を聞いてもらえる立場にならないと思っているの。だから、生徒会長にもなったわ。生徒会長になるとね、やっぱり先生たちも、きちんと話を聞いてくれるのよ。多少の無理も通るわ……打算的だけれど。うん、でも、なりふりなんて構っていられない。わたしは、そう思っているの」
あらためて、スズはすごいし、よく考えていると思った。そして、なんだか、そんなことを裏で考えていると思うと、モヤモヤした気持ちになった。
あの、オカルトを見ると、目を輝かせるのも、裏の顔があるのだろうか。
マイは思い切って、自分の疑問をぶつけてみる。
「スズ先輩、オカルト研究部に入ったのも、何か理由があるんですか?」
するとスズは、ニコリと笑って、
「それは、正直趣味なのよ。昔から、オカルトって好きだったから。中学校では、何か体育系の部活で活躍したら、内申点もよくなるかな、なんて考えていたの。でも、入学式の日に、オカルト研究部がチラシを配っていてね。もうここしかない! って思っちゃったのよ」
「そういうところがスズ先輩らしいですね」
ふう、とセンナが息を吐いた。
「それを聞いて安心しました」
リンも、溜め込んだ息を吐く。
「みんな、ごめんなさい。話を聞くだけでも嫌だったでしょう。気持ちを切り替えられるか分からないけれど、まずはお菓子でも食べましょう。夕飯の準備もしないといけないわね」
しばらく、スズの話を聞いて、なんとも言えない気持ちではあったが、みんなで夕飯を作っていると、だんだんとそちらに気が取られて、またいつもの賑やかなオカルト研究部の状態になった。
スズとセンナは、料理が上手だった。リンも、ある程度の料理はできるらしい。マイはというと、いつもお手伝いや台所に立つことはあるが、それでもみんなよりもうまくはできなかった。
「マイだって、十分上手だよ」
リンが言ってくれるが、もっと料理をうまくできるようにならないと、と思った。
夕飯の後に、それぞれのクラスの話などをしていると、夜も更けてしまった。
「そろそろお風呂に入って寝ないとね。マイとリン、先に入ってくるといいよ。わたしとスズ先輩とで布団敷いて置くから」
お風呂場で、今日の疲れを流す。
「それにしても、驚いたよね」
先に湯船につかっていたリンが言う。
「うん、スズ先輩にあんなことがあったなんてね」
「商店街と神社って、深いつながりがあるから、宮司さんのことは知っていたけど、わたし、スズ先輩のことは知らなかった。やっぱり、神社の娘だってこと、相当念入りに隠してたんだね」
「ねえ、リンちゃん。わたし、よく分からないんだけれど、家って継がないといけないのかな。スズ先輩は神社の一人娘だし、リンちゃんも、おもちゃ屋さんの一人娘でしょ?」
「うーん、どうなんだろう。私は言われたことないなぁ。でも、最近の商店街は、中央町にできたデパートにお客さん取られて、廃業してる店も多いからね。家のこどもがみんな、会社員とか公務員になっているお店も多いし。どうなっちゃうのかな。でも、神社は、ちょっと違うよね……。スズ先輩、たいへんそうだし、かわいそうだよね……」
そこまで言って、二人は言葉に詰まった。
マイは、髪のシャンプーを洗い流して、リンの入っている湯舟に入った。
「リンちゃんは、おもちゃ屋さんを継ぐの?」
「まだ分からないよ。でも、嫌でもないかな。ごめん、わたし、入部の時もそうだけど、優柔不断だからさ」
リンが、ポリポリと頬をかく。
「リンちゃんは、じっくりと考えて行動しているんだよ。優柔不断なんかじゃないよ」
「ありがとう。でも、スズ先輩は、時間もあんまりなさそうだよね」
スズのことが、心配になってくる。
「お風呂、さきにいただきました」
パジャマに着替えたマイとリンがリビングにやってくると、
「シーっ」
と、センナが、人差し指を口の前に出している。
見ると、スズが、神社から持ってきてしまった、明治時代の分厚い本を広げたまま、テーブルの上に突っ伏して寝てしまっている。
「スズ先輩、さっきまでこの本を読んでいたんだけど、途中で寝ちゃったんだ。生徒会の仕事や、お父さんとのことで、とっても疲れているんだよ」
リビングには、スズの座っているソファーの近くに、布団が敷かれていた。
「二人とも、手伝ってくれる」
マイとリンは、声を出さずに頷いて、センナと一緒に、スズを布団に移した。
「うーん、犯罪はいけませんよ~、ムニャムニャ」
スズは、よく分からない寝言を言っている。
みんなは、クスっと笑った。
「じゃあ、二人の分の布団は隣の部屋に敷いてあるから先に寝ていて。私はお風呂に入って寝るよ」
スズは、熟睡モードになっている。
ふと、マイはテーブルの上に開かれたままの、明治時代の分厚い本が気になって、のぞいてみた。リンも、横からのぞき込む。
「墨で書いてあるね。上に日付が書いてあって、何行か書いてあるけど、にょろにょろの字で、ところどころしか分からないよ」
「あっ、ここは分かるよ。北海道って書いてある。集治監って書いてあるのも分かるね。何のことかな? 炭礦だって。石炭を掘るところだよね」
「看守って書いてある。あ、ここには脱獄って書いてあるよ。刑務所のことかな? 教誨師ってなんだろう? 西洋坊主なんて書いてある……。辨慶號って何のことかな? あの義経と弁慶のこと?」
なかなか興味深くて、見入ってしまう。
どうやら、明治時代に刑務所に収監されていた人の日記らしいことが分かった。それも、北海道のどこかの刑務所のようだ。
「あっ、富詩木って地名が出てきた。でも、その前後がよく読めない」
「すごいリンちゃん、良く見つけられたね。でも、破れているし、にょろにょろの字も難しくて、よめないね」
そんなことを話していると、「二人とも~」
後ろからセンナが呼びかけたので驚いた。
センナは、いつもはキュッと結んでいる髪をおろしていた。なんだか、いつもと違って新鮮だ。だけれども、
「楽しいのは結構だけれど、もう夜遅いぞ。それに、ちょっと声が大きいかも」
マイはハッとして、スズを見た。
でも、スズは、やはり熟睡して、寝息を立てている。
「もう寝ようか」
リビングの電気を消して、三人で隣の部屋に寝る。
なんだか、友達や先輩と寝るのは、いつもと違ってワクワクする。ちょっとワクワクしすぎて眠れないかな、などと考えていたが、眠気はすぐにやってきた。