表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
だんだら曼荼羅  作者: ユメミズ。
1/1

 記録――二〇二二年三月十五日、妖怪五山別格『南禅』妲己別名玉藻御前、三五秒間の完全顕現の後、見廻組三二五名、御庭番集七名、京都から派遣された陰陽師三一名を殺害、その他四六人に重度の呪いをかける。その後自らを石に封印し活動を停止する。仮称『殺生石』回収の際、作業員二五名が呪殺されたが、江戸城最深部に移動させることに成功。

「ふむ――」

 丁寧にまとめられた分厚い報告書を読み直しながら、男は船の揺れに体を委ねる。高架下を通り抜けた先に見えるのは、この地に五百年近く君臨し続ける江戸城――その地下深くに、十年前、江戸時代が始まって以来最悪の事変を起こした張本人が眠っているのだ。

 『彼女』が男にとって御仏になるか否かは分からない。だが、それでも男は突き進むつもりであるし、そもそももう後戻りはできないところまで来てしまっている。

「待っていろよ、妲己――今度こそお前を手に入れてやる」

 桜が吹雪く清らかな川の上で、男は盃を一息に飲み干してからそう呟き、江戸城を睨む。そんな男を嘲笑うかのように江戸最古の城は高くそびえ、どこまでも男を見下ろしていた。


プロローグ

「ひい、ふう、みい……おいおい、最近の高校生は五万も持ってんのかよ。あんまり財布に大金入れない方がいいぜ、俺みたいなのに取られるぞ?」

 曇天の直下、雨の匂いを運ぶ風に吹かれながら、青年はしわくちゃになったお札を数えると、満足したような笑みを浮かべてポケットに仕舞う。足元には、顔を腫らした下着姿の男と汚れた甚兵衛。

 路地裏から出ると、スーツを着た大人が足早に往来しているのが見える。この時間帯は電車も混んでいるだろうから、タクシーで帰宅した方が良さそうだ。

 繁華街を抜け、開けた道路へ出る。左手で扇いで暑さを誤魔化しながら、青年は首を振り、タクシーを探す。

右肩にかけている長物が、着慣れない制服の上から食い込んでくる。位置をずらすなどして痛みに耐えながらその場に立っていると、三分程経過したところで、一台のタクシーが見える。やっとか、と小さく溜め息を吐きながら、青年は気怠げに左手を上げる。

 これで速度を緩めてくれるのなら空車ということになるが、残念ながらタクシーは一定の速さを保って直進している。もう既に人を乗せているのだろう。

「……ん?」

 未練たらしくタクシーを眺めていると、違和感に気が付く。タクシーの軌道が、緩やかに曲がっている。やがて、青年から見て真正面に車の前面が見えるほどの角度になった時には、動き出すにはもう遅かった。

 全身を叩きつける衝撃。筋肉から骨、内臓にまで届くその一撃は、青年の体を容易に吹き飛ばした。遅れて、背中全体に叩きつける衝撃。背後にある雑居ビルの壁に、背中をぶつけたのだ。

 次に聞こえたのは、大きな破壊音。タクシーが向かいの飲食店に突っ込んだようだ。続けて、ドアが凄い勢いで吹き飛ばされる。そして、黒い人影がゆっくりと、姿を表した。

 三メートル程もある背丈に、細長い肉体。尖った爪を弄びながら、その男は青年を一瞥する。

「あーあー、一人轢いちゃったよ。運チャンさぁ、もっと気を付けて運転してくれよ」

 男はそう言って肩をすくめると、腕を車内に突っ込み、スーツを着た男を引っ張り出す。血だらけの男を眺めると、次の瞬間振りかぶって、風を切る音を鳴らして投げ飛ばした。

通学中、通勤中の人間達は、突然の出来事に驚き動けないでいる。異形の生物が突然目の前に現れれば、誰だってこうなるだろう。だからこそ、『妖怪』は登場の仕方にこだわる。

彼等の反応を見て、男は一瞬満足気な表情を浮かべるが、すぐに神妙、いや怒ったような顔をする。

「この中にィ!彼氏彼女がいる奴はいるか!手ェ上げろォ!嘘吐いたらブチ殺す!」

 複数人の声が入り混じったような不協和音の声で、男はそう叫ぶ。張り詰めた空気の中、状況を理解した何人かは、震える手を上げる。

「多いなァ、多いなァ、何でこんなにいるんだよォ⁉︎これじゃまるで、付き合ってない奴が異常みたいじゃねェか‼︎お前ら全員殺してやるよォ!」

 男はそう言って激昂し、コンクリートの地面を蹴りつける。手を上げなかったら殺され、手を上げたらまた殺されるという無茶苦茶な理論は、その場にいる人々の恐怖をさらに煽り、とうとうパニック状態へとなる。騒がしく慌てふためき、右へ左へと逃げ出す人がいる中、男は一人の女へ目をつける。

「おい、おいおいおいおいおいおいおい!女ァ!テメェ指に何つけてやがる!」

 髪を掻き毟り、右手を振り上げてそう叫ぶ。白を基調としたスーツを着た女性の左手薬指には、シンプルな飾り付けの銀色の指輪。

 男の鋭い目つきに、女性は小さく悲鳴をあげて地面に倒れ込むが、男はそんなことお構い無しに叫び出す。

「結婚指輪だァ⁉︎ふざけやがって、よし決めた今決めた、お前から殺してやる……その目をくり抜いて、ダイヤみたいに指輪にはめて――」

 激昂していた男は、話している途中で唐突に声を途切れされる。そして、次第に傾いていく世界を眺める。何が起きたのか、その場にいる全員が理解出来ないまま、男の首は重い音を立てて地面へぶつかる。

 まるで竹を斬ったかのように滑らかな切り口から、黒ずんだ霧が噴き出す。男の首から下の部分は、体を痙攣させて倒れ込んだところで、男は、自身が首を斬られたことをようやく理解した。

「見掛け倒しだな。お前より、御山にいる奴等の方が何倍も強かったよ」

 目を見開く男の隣を、細長い足が通過する。所々破れている制服を着た、一人の青年。左手には、綺麗な装飾の施された、黒塗りの鞘を持っている。

 青年は、男に目もくれず、真っ直ぐに歩く。その先にいるのは、白いスーツを着た女性。彼女のすぐ側まで着くと、膝を折り曲げて優しい声音で話しかける。

「大丈夫?怪我はしてない?」

 狐の毛のように美しい金色の髪を揺らしながら、青年はその白い顔で微笑む。吸い込まれるような青い瞳で見つめるその姿は、西洋の絵画のような雰囲気を感じさせる。

「は、はい……大丈夫です……」

 喉から搾り出すように女性がそう答えると、青年は眩しいほどの笑顔を浮かべ、大きく頷く。

「それなら良かった!君みたいな綺麗な人が傷付くなんて、決してあってはならないからね」

 周囲の人間などまるでいないかのように、青年は爽やかな声でキザな台詞を言う。本来なら痛々しいのであろうが、この青年が言う分には、まるでそんな空気は感じさせない。

「そんなわけで、今からちょっとお茶でもどう?きっと心が疲れてしまっているだろうし、仕事を休んでもバチは当たらな――」

 青年が話している途中で、ガチャン、という音が聞こえる。女性の手へ伸ばそうとしていた右手首には、冷たい鉄の輪っか。

 おそるおそる振り向くと、青年の背後には複数人の男達。だんだら模様の着物を浅葱色に染めている。奇抜な服装だが、だからこそその正体はすぐに分かった。

「眞選組だ。銃刀法違反につき、お前を逮捕する」


 眞選組屯所浅草本部、その地下には取調室がある。完全な防音設備で出入りする道も一つしかないことから、そこに入ったものは皆、自白するまで閉じ込められるという噂だ。

 青年は青白い蛍光灯の下で、コンクリートが剥き出しの壁に囲まれながら、椅子に括り付けられている。室内に設置されている時計の長針が二周程したところで、ようやく事態が進展する。

 分厚い扉が開くと、入ってきたのは男女二人。女の方は背が高く、黒髪を肩で切り揃えている。もう一人はサッパリとした髪型の男。年齢は三十手前だろうか。胸板が厚く、服の上から見てもかなり鍛えられた体であることが分かる。そして最も目を引くところは――男に左腕がないというところだ。

「ごめんごめん、待たせちゃったな。色々手続きしててさ」

 男は軽快な様子でそう言うと、青年の目の前に設置されているパイプ椅子に座る。

「じゃあ改めて……俺は近藤勇気。眞選組のアタマ張ってるモンだ。んで、こっちが土方美歳。副長サマだ。あぁ、キミは名乗らなくていいぞ、素性はこちらで調べさせてもらった」

 近藤は早口でそう言うと、右手に持つカルテをヒラヒラとさせる。二時間程度の時間で個人情報を調べられるのだから、流石国家組織といったところか。

「なぁちょっといいか?」

 会話の途切れ目を見つけ、青年はそう切り出す。

「銃刀法違反で捕まったにしては、拘束が厳重じゃね?」

 青年の腕には手錠、そして椅子の足と腕を繋ぐ手錠が左右で二個、体をチェーンで巻き付けていて、極め付けには胡散臭いお札を何枚も貼られ、そのうち一枚は額に貼られている。

「似合ってるぞ」

「キョンシーになりたい訳じゃないんだ、そんなこと言われても嬉しくねぇ」

 親指を立てる近藤に、青年は苦々しい顔で答える。顔の前にお札があるせいで、先程から墨汁の匂いがキツい。早いところ解放されたいという欲求を抑えながら、青年は溜め息を吐く。

青年が息を吐く度にお札がヒラヒラと舞う。その様子を見た近藤はやれやれといった調子で肩をすくめると、右手を伸ばして青年の額に貼り付けられた紙切れをベリッと引き剥がす。

「ちょっと何を――」

「もういいだろ、こんなモン気休めにもならないさ。じゃ、後は任せたぜミサちゃん」

 剥がしたお札を丸めながら、近藤は土方の肩を叩く。整った顔が明らかに歪んだのを見るに、面倒なことを押し付けられたのだろうと沖田は予測する。こんな状況で何が始まるのか、一抹の不安を抱きながら彼女の口が開くのを待つ。

「『妲己』を知っているな?」

 唐突な質問に青年は言葉を詰まらせるが、青年は当然その人物を知っている。

「別名玉藻御前だ。10年前、彼女は見廻組や陰陽師など計七百名による奇襲で封印されたが、後日、彼女には隠し子がいることが判明した。沖田勝倫との子供である沖田総司郎――つまり、お前だ」

 土方は腕を後ろで組み、見下ろすように冷ややかな目を向けてそう語る。青年――沖田は、頭を軽く振って前髪を左に流す。

「妲己の強さは、その美貌にあった。それは多くの男、時には女をたぶらかし、時には国を傾けさせるに至る程のものだ。やがて、長寿により生み出された底無しの魔力は彼女一人で国を滅ぼせるものにまで膨れ上がったのだが――その魔力は、息子であるお前が継承したのではないか、という話が挙がっている。確証は無いが、仮にそれが本当であった場合、お前を野放しにしておくわけにはいかないし、かといって殺すのも危険だ」

 抑揚のない声で語られるその内容を、沖田もまた無表情で受け止める。実のところ、土方が話していることは大体合っているのだが、変に突っ掛かれば、何が起きるか分からない。あえて黙ることで、相手に情報を与えないようにしているのだ。

「そこで、幕府はお前を国の戦力に加えることにした。具体的に言うと、眞選組への入隊を条件に、お前の命を保障するんだ」

 ――眞選組。この江戸の治安を守る二大警備組織の一つ。凶悪事件やテロの対処、妖怪退治等を処理している実戦部隊だ。世間では『チンピラの集まり』などと呼ぶ人もいるが、ほとんどの人間は眞選組に反対的な意見は持っていないし、むしろ正義のヒーローとして親しまれている。

「仕事か……俺今までマトモに働いたことねぇけどいいの?」

 パイプ椅子を前後に揺らしながら、沖田はそう尋ねると、土方は静かに頷く。未経験歓迎を謳う職場は大抵ロクでもないという噂を思い出したが、本当なのだろうか。

 不意に、鉄でできた黒い扉が音を軋ませて開く。全員の視線がそこへ向いたと同時に室内へ入ってきたのは、藍色の甚兵衛を着た初老の男。

「よぉ、暇だから来ちゃったよ。話はどこまで進んでる?」

 初老の男が口を開くと、室内にアルコールの匂いが一気に充満する。土方に至っては「酒くさ」と声を漏らしている。

「今日は休みだったからなぁ、朝から飲み歩いてたよ。いやまったく、官僚にまで上り詰めると時間に融通が効いて楽だね」

「松ちゃん、来るなら来るって先に行ってくれよ。お茶の一つや二つ準備したってのに」

 松ちゃん、と呼ばれた男は、近藤に軽く手を振ってから、次に沖田の前に立つ。すると、懐へ手を伸ばし、一枚の紙を取り出して卓上に放り投げる。見たところ名刺のようで、漢字がびっしりと書かれている。

「江戸……マモ……ヒラ?」

 上質な紙で作られたのか、見た目に柔らかさを感じる名刺から目を離し、目の前に立つ男を見つめる。

「江戸幕府守護職長官、松平容磨って書いてある。まぁ要は、眞選組と見廻組を総括する人ってコト」

 守護職長官――幕府直属の警備組織である二つを監督する役職だ。松平容磨はその初代総裁である。

「よいしょ……眞選組に誘われるなんて、中々あることじゃないぜ。悪いことは言わないから、入った方がいいんじゃねぇかなぁ」

 松平は名刺を沖田の胸ポケットに忍ばせると、今度はテーブルに腰掛ける。

「眞選組入ンのは別にいいんだけど、月給はどんなもんなんだ?額によってはやる気が変わるんだけど」

 少しこわばった声音で沖田が言うと、松平は傍からひっそりと二本指を出す。

「二十万?」

「二百万だ」

 現実離れした金額に、沖田は思わず変な声を漏らす。二百万――今の沖田の生活水準なら5年は生活できる額を、一月で獲得出来るということか。

「……その話乗った。眞選組入ってやるよ。そんだけ金貰えんなら、超働くぜ!」

 そう宣言しながら立ちあがろうとするが、沖田の足はパイプ椅子に括り付けられている為、姿勢を崩してテーブルに突っ伏す。ガシャン、という大きな音を立てながらも、沖田は顔を上げて口角を上げて見せる。

「話が分かる奴は嫌いじゃないぜ、そして従順な奴は俺ぁ大好きだ」

 松平は満足そうな顔を浮かべて沖田の肩を叩くが、ただし、と強調して付け加える。

「お上はお前のことを殺したがってる。それをなんとか説得して、眞選組で引き取る許可を得たんだ。だからよ、仕事でデカいミスしたら即クビ飛ぶと思え。まぁお前なら期待に応えてくれると思うけどな。――そんな訳で、コイツの教育係は土方、君に任せる」

「はぁ?嫌ですよ。私ガキ嫌いです」

「まぁまぁそう言わずにさ。事務仕事は俺がやっておくから、二週間だけやらない?この組で古株のお前なら色々教えられるだろ?」

 細い眉を最大限ひそめる土方を、近藤が諭すようにそう答える。数十秒間の押し問答の末、先に折れたのは土方だった。

「絶対に!二週間だけですからね!それ以降はやりませんから!」

 整った顔をひん曲げてそう叫ぶ土方からは、心の底から面倒臭いと思っているというのが伝わってくる。しかしそれに気付きつつも、沖田は煽るような笑みを浮かべた。

「よろしくな、土方先輩」


 眞選組屯所浅草本部は、浅草駅のすぐ隣に位置している。元々は、千代田区にある見廻組屯所本部に隣接させる予定だったのだが、戦力を分散させた方がいい、と松平が発言したことにより急遽浅草に腰を据えることになったのだ。

 浅草は駅付近から離れてしまえば、人の往来はそこまで多くない。静かな下町の空気をいっぱいに吸ってから、松平は側に止めてある車に乗り込む。

「おかえり。随分早かったね」

 運転席にいる男は、助手席に向かってそう言った。

「あぁうん、まぁ別にそんな時間かかる用事でもねぇし。いやそれにしても、やっぱり土方くんの反応は面白いね。ちょっかいのかけ甲斐がある」

「あんまり変なことしないでくださいよ。副長、松平長官と会った日はずっとイライラしてるんですから。あと酒臭いんで窓開けますねー」

 後部座席に座っている女が、困ったような笑みを浮かべながら窓を開ける。車内の空気が一気に換気されるのを感じながら、松平は口を開く。

「で、妲己の息子についてだが……あれは本物だな。表に出ちゃいないが、『中』にドス黒い妖力がパンパンに入ってやがる」

「そうか。なら計画は手筈通り変わり無いね。舞台は既に整えてある。あとはそっち次第だよ」

「こっちも種は蒔いておいた。まぁ、多分成功すると思うよ」

 そう言って頭の後ろで手を組みながら松平は大きな溜め息を吐く。数秒の沈黙の後、再び声を上げる。

「当初の話、忘れてないよね?俺達はあれが成功すりゃ、その時点で契約終了だ。その後お前等が何をしようがこっちの知ったこっちゃない」

 松平は運転席に座る男を一瞥してから、バックミラーへ目を向ける。窓から吹く風を浴びている女の隣に座る、天狗のお面をつけた男。松平の視線には気が付いているのだろうが、それを無視して外の景色へ目を向けている。

「勿論忘れてなんかいない。そっちこそしっかり仕事こなしてくれよ?――沖田総司郎の暗殺。これ無くして、私の目標は達成出来ない。良い結果が返ってくることを期待しておくよ」

 軽薄そうな笑みを浮かべる男は、鍵を回してエンジンをふかす。重々しい駆動音が周囲の音を掻き消しながら、黒塗りの車は走り出す。松平がふと見上げると、空はまるで蓋をされたかのようにぶ厚い雲で覆われていた。


「教育係、辞めます!」

 九月二十六日の早朝、局長室に足を鳴らして現れたのは、ひどく殺気立っている土方だ。

「キッチリ二週間だな……そんなに嫌だったか?」

「コイツ目を離した隙にナンパするしカツアゲするし万引きするし喧嘩するんですよ!一般常識がないどころの話じゃない!いくらウチといえどここまでヤバい奴引き取るなんて無理です!解雇しましょう!」

 そう言いながら指を差した先には、照れ臭そうな顔を浮かべて頭を掻いている沖田の姿がある。

「今まではそれで生計立ててたからさぁ、ついやっちゃったよ」

 沖田がわざとらしい笑い声を上げて頭をこつん、と叩くと、土方は目に見えて怒ったような顔を見せ、沖田の頭を思い切り引っ叩く。

「そうか……まぁ約束だったしな、教育係は今日までで良いよ」

 近藤は右肘を机の上に乗せ、大きく頷きながらそう答える。土方は今度は目に見えて嬉しそうな顔を浮かべガッツポーズをした後、ついでのように沖田をもう一度引っ叩く。

「となると、次は誰に教育係を任せようか……もう少ししたら沖田の配属先もそろそろ決めないとだし、考えること多いな」

「まるで人を問題児みたいに……たらい回しされる人の気持ちにもなってくださいよ」

「お前に文句言われる筋合いはない」

 溜め息交じりにそう呟くと、ようやく落ち着きを取り戻した土方の耳は、局長室に近付いてくる足音の存在を捉える。

「失礼します!」

 数秒後、勢いよく扉を開け現れたのは、栗色の長髪を後頭部で一本にまとめた、落ち着いた雰囲気のある女性。シワもなくきっちりと整えられた隊服を羽織る彼女は、微笑を浮かべて沖田を見つめる。

「今日は朝から色々騒がしいな。で、どうしたんだ山南?」

 山南敬夏――眞選組設立当初からの古参であり、一番隊隊長である。隊士としての実力も隊長としての指揮能力もバランス良く、皆からの信頼は厚い。しかし彼女には一点、かなりの癖がある。

「その子の面倒、私、もとい一番隊が引き受けます!」

 山南を除いた三人は、ぎょっとした目つきで彼女を見る。沖田は単に驚いた目で、土方は信じられないという目で、そして近藤は少し安堵したような目で。

「一番隊か。沖田を引き取ってくれるのは構わない、いやむしろありがたいんだが……いいのか?お前の隊、イロモノしかいないけど」

「私の趣味なので気にしないでください!それに今日の私の仕事は割と楽な部類ですし、沖田くんを仕事に慣れさせるという意味でも任せてほしいんです」

 ハキハキとしたその話し方には、しっかりとした意志を感じ取れる。気を遣ってではなく、本当に沖田を隊に引き入れたいのだろう

「面倒なのは一つにまとめちゃった方が楽だし、いいわよ。山南に任せるわ」

 土方は少し上ずった声で、早口でそう語る。沖田から解放されるという喜びが隠し切れていない。

 沖田は土方と山南の顔を交互に見て、目を瞬かせる。いつの間にか話が終わってしまっていた。

 山南の姿を改めて見やる。歳は二十六、七くらいだろうか。背はそこまで高くない。大人っぽい雰囲気があるが、顔にはどこか幼さもある。

 不意に、彼女が沖田の方へ目を向ける。じっと見ていることに気が付かれたかと沖田は動揺するが、次に山南は柔らかな笑みを向けてくる。

 ――可愛いし優しそうだから、まぁいいか。

 心中でそう思いながら、沖田は一人、小さく頷いた。


 黒塗りの車の座席は、公園のベンチとは比べ物にならない程柔らかく、座っているだけで寝てしまいそうになる。仄かな眠気と戦っていると、不意に沖田の肩が突かれる。

「あの、沖田くんってなんであんなに副長に嫌われてるんですか?」

 不思議そうな面持ちでそう尋ねてきたのは、隣に座っている女性――眞選組一番隊隊長、山南敬夏だ。

「まぁナンパとかカツアゲとかしたからかなぁ……」

「ダメじゃないですか、職務中にそんなことしたら」

「次は非番の時にやるよ」

「……言い方が悪かったですね。職務中の時も非番の時もやっちゃダメです。国家組織が犯罪なんてしたら、全体の信用が落ちちゃうんですよ?」

 山南は、今度は困ったような顔を浮かべる。反応が可愛いからいじり甲斐があるなと内心思いながら、沖田ははいはい、と雑に返事をする。

「沖田くんって、今までどうやって生きてきたんですか?家とかないですよね?」

 改まったような態度で山南はそう言うと、沖田を横目で見る。

「あー……昔はヤクザんところで雑用やってたよ。でも俺が十四歳の時に組が解散しちゃってさ、そっからは日雇いの用心棒やったりカツアゲしたり盗んだりして日銭は稼いでた……あ、あと金持ちの女の家に居候とかしたよ。俺イケメンだからさ、口説くの簡単なんだよね」

 軽い調子でそう語る沖田は、自分の顔を指差し口角を上げる。妲己譲りの金髪碧眼で白い肌、オマケに高身長といったまるで西洋の人形のようなその姿は、多くの女性を虜にする。

「口説くって……未成年がそんなことしたら売春になっちゃいますよ。それに他にも軽犯罪を犯していますし。――ヤクザの下にいたってことは、もしかして殺しとかしました?」

「いや、そういうのは組長が許してくんなかったよ。子供にやらせるもんじゃないってさ。俺、結構強いんだけどなぁ」

 頭の後ろで手を組む沖田の肉体は、病的とまではいかないがかなり細く、筋肉があるようには見えない。眞選組の中にはわざと体重を軽くして身軽な動きを可能にしている隊士もいるが、その場合は刀も細く軽い物である必要がある。対して沖田の刀は一般的な得物に見える。

 新たに生まれた疑問を山南が口にしようとした瞬間、体が後ろに引っ張られる。車が停車したのだ。

「ん、もう着いたんですね――」

 沖田と山南が到着した場所は、高等学校二校に挟まれている、両国のとある神社だ。ちょっとした公園程の広さのある拝殿前の広場には既に制服を着た人々が集まっている。

「にしても馬鹿だよなぁこいつら。悪ノリで都市伝説試すとか、今時小学生でもやんねぇぞ」

 沖田は刀を左腰に差しながら、呆れた口調で溜め息を吐く。

 ――都市伝説。その中でも心霊系のモノは、大抵は実際に起きた出来事である。そして大抵は既に眞選組や見廻組が解決しているのだが、中には尻尾が掴めないモノや、突如として広まり対応が追いつかないモノもあったりする。

 両国の高校生数人は、『トイレの花子さん』を実践し、呼び出す事に成功した。その際、『何して遊ぶ?』と聞かれ、彼等は『かくれんぼ』と答えた。その後、校内に花子さんが隠れ、彼等はそれを見つけ、そして今度は花子さんが彼等を見つける、という流れになったらしいのだが、花子さんはどういう訳か彼等の教室に隠れた。当然他の生徒に見つかってしまい、今度は花子さんが彼等を見つけるターンとなる。それからはクラスの生徒が毎夜毎夜一人ずつ殺され、生徒達を恐怖に陥れている。要は、『トイレの花子さん』を試した生徒のクラスメイト全員が呪われた、という事だ。

「高校生は……まぁそういう時期ですし、悪い事したくなっちゃうんじゃないですかね。仕方ない、とは言いませんが、私は一概に責めたりは出来ないです」

「優しいねぇ山南センパイ」

 そんなやりとりをしながら拝殿へ近付いていくと、生徒達の視線が沖田達へ向く。皆一様に恐怖と不安と安堵が入り混じった顔を浮かべている。

「い、敬夏ちゃん!来てくれたんだ!ヤバいめっちゃ安心してきた!」

 やけにスカートの短い女子生徒が、砂利道の上を小走りでこちらへ走り、山南へ抱き付く。他の生徒も山南を見た途端、表情に希望が灯る。

 そういえば、山南は民衆からかなり信頼されている、と近藤が言っていた気がする。ちょっとした悩みも真剣に聞きアドバイスをしたり、子供達の遊び相手をしたりと、分け隔てないその優しさは眞選組の野蛮なイメージを覆したという。一方土方は愛想は悪いが、単純に強い為人々から頼られているそうだ。

「いいなぁ俺もチヤホヤされたいなぁ」

 山南を横目に、沖田は渇望した声でそう呟く。そこでようやく沖田の存在に気が付いたのか、女子生徒は二人の顔を交互に見やる。

「カレシ?」

「部下です」

 一瞬の隙も無く山南はそう答える。

「えー、めっちゃイケメン~……ねぇSNS交換しない?」

「俺スマホ持ってないんだよね。何か用事あったら眞選組に電話してよ、『沖田』っていえば通じるからさ」

「組織の電話番号なんですから、出会い目的で使わないでください」

 山南はげんなりした顔を浮かべると、急かすように女子生徒の背中を押す。彼女は沖田を未練がましく見つめながら、集団の輪に戻っていった。

「案外元気そうだな」

「最近の子は強かですね……というより危機感が欠如しているんでしょうか」

「まぁ後者だろうな……あっ」

 生徒達が列を作るのを見守りながらそう話していると、その中にいるジャージ姿の男子に目が止まる。見覚えのある顔に、集団の中で一人だけ制服ではない、というのが沖田の脳を刺激し、記憶を呼び覚ます。彼は二週間前、沖田が制服と財布の金をカツアゲした相手である。

 ここで顔を見られたら面倒な事になりそうだし、かといって山南にその事を話したらそれはそれで面倒な事になりそうだから、沖田は足音を殺して山南の後ろに隠れる。

 怪訝な顔を向ける山南に沖田はぎこちない笑みで返していると、不意に学生達が静かになる。彼等へ目を向けると、拝殿の中から一人の男が姿を見せていた。服装はザ・神主といったものだが、一枚の布が顔全体を覆い隠している。布の中央には、弓道でよく使われる霞的のようなものが朱色で描かれている。

 その場の空気が厳粛なものになったのを感じたその時、神主が右手を上げる。細長い棒に四角形の白い紙が複数個垂れ下がったものを掲げ、それを左右に振りながら、何かを唱え始める。

 ――何言ってるか全然分かんねぇな。

 心の中でそう呟きながら、沖田はポケットに手を突っ込む。眞選組の隊服は上下が分かれていて、裾の長い甚兵衛のようになっている為かなり動きやすい。

「そういえばよぉ」

 周囲を見渡しながら、沖田は口を開く。神社の周りには木が沢山生えていて、葉は緑色から黄色に衣替えしようとしている。そろそろ紅葉の季節だからか。しかし気になっているのはそこではない。

「なんで俺と山南以外の隊士はいないんだ?一番隊の奴等はどうした?」

 広い境内には、沖田と山南、四十人程の生徒達、三、四人の教員、そして神主だけだ。今回の任務は、生徒達の監視、そしてお祓い中に花子さんが現れた際は退治する、というものであり、二人だけで倒せる相手なら、ここまで大々的な問題にならない気がするのだ。

「そうですね、まぁ――あんまり多すぎても困りますから」

 山南はどこか含みのある言い方をする。怪しげなその雰囲気に沖田は眉を顰めるが、特に言及することもなく視線を外す。

 見上げると、視界に入ってきたのは、雲一つない青々とした空。秋空は澄み渡っていて美しい。それに加え、お経と鳥の囀りが音を奏でている。

 沖田は、生まれてこの方宗教に縁はないのだが、お経は不思議と心に沁みる。いや沖田には妖怪の血が流れているから、実際心に沁みている、というよりお祓いをされている感覚、と形容するのが正しいか。

 不意に、お経がスローペースになる。一切の休憩なく続いたが、とうとう読み終わるのだろう。

「一切衆生不倶戴天厭離穢土――輪廻反転」

 神主がお経を読み終えた次の瞬間沖田が聞いたのは、自身の骨が軋む音であった。百メートル上空から象が落ちてきたかのような衝撃が、身体全体を襲う。急な展開に理解が追いつく間もなく、沖田はひたすら耐え――数秒後、まるで夢であったかのようにあっさりとその重さは消えた。

 声を上げるのもままならないまま左を見ると、山南も同様に地面へうずくまっているが、押し潰されてはいなさそうだ。

ほっと一息を吐きながら、周囲を見渡す。先程までとは打って変わり、空は赤く染まり、風の流れも止まっている。鳥居の先はじっと見ていると吸い込まれてしまいそうな程の黒を浮かべている。

しかし、それらの印象を軽く吹き飛ばす程の衝撃が、再び沖田を襲う。

「……なんだ、あの血溜まり……」

 沖田の視線の先は、先程まで生徒達が立っていた場所に向けられている。そこには、空よりも赤く、鳥居の先よりも黒々とした液体が、大きな池を作っていた。そしてそれは、肉片を撒き散らしながら本殿へと跡を残している。

 状況が整理出来ていないまま呆然としていると、本殿の木製の扉が少し空いているのに気が付く。中は見えないが、気を抜いたら腰が抜けてしまいそうな程の威圧感が空間を支配している。

「……来る」

 不意に、山南がそう呟く。沖田は彼女は目をやり、その言葉の真意を確かめようと口を開くが、声が出るよりも先に異音が耳に届く。

 重々しい、悲鳴にも似た音を上げて本殿の扉が開かれると共に、手が震え出すのを感じる。開けてはならないものが空いてしまっている、関わってはいけないものに、今から関わろうとしているという事を本能的に感じ取り、体が拒否反応を起こしている。

 十秒程かけて開かれた本殿の中は漆黒で満たされている。そして一瞬の間を開けて、暗闇から人影――いや、異形の生命体が現れた。

 人の形をしているのか、と言われると疑問が浮かぶが、少なくとも五体はある。小柄だが右半身が異様に肥大していて、年寄りのようにシワだらけの顔に笑みを浮かべている。右手には二メートル程ありそうな無骨な長剣を持ち、それを引きずってゆっくりと歩いている。

「キモいなー……」

 そんな言葉が自然と沖田の口を衝く。見ているだけで顔が歪んでしまうような異形だが、反面歩き方は実に優雅で、不思議と神々しさを感じる。そのあべこべさがより奇妙さを引き立てているのだろう。

「で、どうする?事情聴取でもする?話通じるかは分からんけどさ」

「そんなの決まってます。アイツを殺すんですよ!」

彼女は苛立った声で即答すると、右手を手を柄に添えながら姿勢を低くして、クラウチングスタートのような姿勢を取る。臨戦体制の山南を横目に、沖田は少し動揺しながら口を開く。

「……なんでキレてんの?」

心の底から不思議だという風に沖田は尋ねると、山南は驚いたような表情を一瞬浮かべて沖田を見る。しかしすぐに納得したような顔に変わり、溜め息混じりに話し始める。

「……アイツの正体は『神』です。本殿から現れるのを見たでしょう?何故そうしたいのかは分かりませんが、先程の神主が、生徒達を生贄にして召喚したんでしょうね。つまり、アイツは彼女等を――まだ若く、未来ある子供達を殺したということになります。怒って当然でしょう!」

 神――この世界を創造した万物の頂点。そんなものは人間が作り出した幻想に過ぎないと思っていたが、まさか本当に存在していたのか、という衝撃が沖田を襲う。しかも、あそこまで奇妙な見た目をしているのは意外、というより幻滅する。確かに神々しさはあるにしろ、言うなればクリーチャーのような外見はとても神に似つかわしいとは思えない。

「でもなんで神だって分かんだよ」

「勘です」

「はぁ?」

「どちらにせよアイツを殺さなければ事態は収まりません。やるしかないんですよ」

「ちょ、まだ明確な答えもらってないぞ!戦わなきゃいけないのは分かったけど、なんでそんな感情的になってんだよ。死んだのはただの他人だぜ?」

 足に力を込める山南を引き留めて、沖田は再び尋ねる。

「……目の前で死ぬべきでない人が殺された。怒る理由はそれだけで十分ですよ」

言葉を言い終わるや否や彼女は動き出す。地面を蹴り数秒で異形の懐に潜り込んだ山南は、体を捻りながら抜刀し斬りつけ――そしてそれを向こう方の剣で受け止められる。

「……お、おぉ……」

 しかし、山南の攻撃はそこで止まらなかった。刀を滑らせて再び間合いを取り、間髪入れずに斬撃を浴びせる。絶え間ないその猛攻は、見ているだけで息が詰まる。普段――といっても出会って半日も経っていないが――の雰囲気とは打って変わって恐ろしく、その一撃一撃には怒りが乗せられている。

 沖田はしばらく呆然としていたが、ふと我に帰り彼女の言葉を脳内で反芻する。何故他人の為に本気になれるのか、何故既に死んだ人のことを想い戦えるのか。それらがモチベーションになる理由が、沖田にはピンときていない。

 昔、御山の天狗に教わったことを思い出す。人間と妖怪の思考回路は根本的に違っており、両者が理解し合い歩み寄る世界など訪れることはない、そう彼は言っていた。つまり山南を突き動かしている感情は人間特有のものであり、それが理解出来ない沖田は妖怪寄りの思考回路なのだろう。遺伝子が母である妲己に依っているのか。

 山南の言動は理解に苦しむし、誰かの為に戦うなど愚かで傲慢だとさえ思う。だが――

「なんか……かっけぇな……!」

 ――山南のその後ろ姿を眺めながら、沖田は拳を握り締めてそう呟いた。他者の為に本気で怒り、本気で戦うというのは、まるでヒーローのようだ。沖田は以前ヤクザの下で働いていた時よくテレビを見せてもらったのだが、その時見ていたアニメの主人公と山南が重なる。大勢の人を救い、皆から感謝され賞賛され崇められる存在。山南は一般人からしてみれば、ヒーローのようなモノのはずだ。

 ――俺もそうなりたい。褒められたいし、認められたい。沢山の人に囲まれてチヤホヤされたい。

 左腰に差している刀の柄を掴み、抜刀しながら走り出す。当時憧れていたヒーローの影を追うように、山南の側へ走り寄りその勢いのまま、異形の神に刀をぶつける。気配を消さずに近付いたせいか事前に気付かれ、異形の神は山南を弾き飛ばし沖田の刀を受け止め、そしてそれも弾き飛ばして少し後ろへ下がる。

「先輩!」

 沖田は腹から声を出して、山南にそう呼びかける。

「俺もさァ!先輩みたいになったら人気者になれるかなァ!」

 山南は困惑の色を浮かべ、数秒かけて沖田の言葉を理解する。

「……はい!」

 同様に声を張り上げて山南はそう宣言する。実際は、山南のように振る舞えば人気者になれるか、と言われた時自信を持って頷くことが出来てしまう程の自信は彼女には無い。だがここで言い切らなければ、沖田のやる気が削がれる可能性がある。少々顔が熱くなるが、歯を食い縛って山南はそう叫ぶことにした。

 彼女の予想通り、沖田のやる気はその言葉によって爆発した。左足先に力を込め、滑るように走り出す、というよりも低空で跳ぶ。地面を一回蹴り、銃弾のように突き進む沖田は、一瞬で『神』に接近し――無造作に振られた長剣によって、簡単に薙ぎ払われた。

「なっ……」

 予想だにしていない展開に、山南は思わず絶句する。あれだけ息巻いておきながら一発で沈むことなど有り得るのか。本殿まで吹き飛ばされた沖田の姿は、舞い上がる白煙のせいで見えない。

 ジャリ、という音が固まった時間を溶かす。山南は視線を『神』に戻し、右手に握る刀を強く握る。ただ突っ込むだけでは今みたいに返り討ちに遭う可能性かあるから、慎重に行くべきだと判断し、相手の手札を探るために動きに注視する。

 コツン、と『神』の小さな頭に小さな何かが当たり、地面へ落ちる。その場にいる二人は同時に地面に転がるモノを見るが、底に落ちていたのは小さな石ころであった。次にその石が飛んできた場所へ目をやると、先程沖田が吹き飛ばされた場所から飛ばされたようだ。白煙は薄くなってきたが、まだ鮮明には見えない。山南は沖田の姿を確認しようと目を凝らす。

「こっちだよバーカ」

 そんな声が聞こえると同時に、雷霆が落ちたかのような轟音が空間に響く。山南は驚いて隣を見ると、つい先程まで立っていた『神』の姿はなく、代わりに沖田がポケットに手を入れながら直立していた。そしてその先には、社務所が白煙を上げて崩壊している。

「え、無傷……?」

 山南は再び絶句しながら、目を見開く。沖田が着ている服は多少汚れているが、肉体には全く傷を残していない。現に涼しい顔をして、彼は白煙を見つめている。

「まぁ簡単に言うと――当たってない」

「……?」

 飄々とした雰囲気の沖田に、山南は疑問を浮かべる。

「ウチの母は過保護でね。死ぬ間際に俺に呪いをかけたんだよ。詳しいことはよく分からねぇけど……俺の半径一メートルの範囲にいる人間へ向けられた『俺に当たった場合即死する威力の攻撃』は全て『無効化』されるんだ。だからアイツの攻撃も、本来当たれば即死だったから『無効化』されたんだろうな」

 沖田の母である妖怪の女神『妲己』による呪い――この場合は加護に近いが――によるものならば、その常識外れな効果も納得はいく。

「詳しいことはまた後で話そうぜ、とにかく今は『神』とかいう奴を殺すのが優先だ。先輩、俺が先行するから合わせてくれ」

 沖田は早口でそう言うや否や、崩壊した社務所へ向けて粉塵を上げて走り出す。それに合わせたかのようなタイミングで『神』も瓦礫を吹き飛ばしながら姿を現し、沖田と真正面から対峙する。

 走りながら沖田は姿勢をかがめて、地面に手を滑らせて小石を数個手に取り、そのうちの一個を人差し指の上に乗せ、親指で弾いて『神』に向かって飛ばす。弾丸のような速度で飛ぶ小石を『神』は長剣で容易く真っ二つにすると、その動作のまま静止し、直進してくる沖田に向かって振り下ろす。

 柔らかな金髪の頂点から長剣は斬り込まれ、豆腐を切るかのような滑らかさで沖田は真っ二つに割れ――ポン、という軽快な音と共に煙が吹き、沖田の体が小石に変化した。

「オラァァァァ!」

 『神』の背中側から雄叫びが上がる。目を見開いた沖田が刀を振り上げて、『神』に向かって突進している。

 『神』は穏やかな表情を崩さずに長剣を横に振り、沖田を難なく斬り伏せ――先程と同じく、軽快な音と共に白煙が上がり、その中からは真っ二つになった小石が現れた。

 今度は足音が本殿側から聞こえる。『神』は素早く姿勢を変え迎え打とうとするが、音が一つではないことに気がつく。全方位から、砂利を踏みつける音が鳴っている。

 沖田と山南が同時に攻撃してきた、という訳ではない。『神』を囲んでいる者は皆一様に沖田の顔を浮かべている。

「『分身の術』だ!どれが本物か当ててみなァ!」

 ――陰陽道。人体に宿る妖力を使い、奇蹟を起こす人智を超えた道。江戸を一日中探し回っても、これを体得している者と出会うことはほぼ有り得ないだろう。そして沖田は、その数少ない陰陽道に通じている者の一人である。

 『神』は眉間に皺を寄せ、右手に握る長剣を構えると、一心不乱に振り回し始める。大勢の沖田達はその人力プロペラに突進し、次々に吹き飛ばされ小石へ変化する。

 やがて最後の一人が小石へと変化して、一瞬の静寂が訪れる。あの沖田の軍勢の中に本物はいなかったようだ。

「うおおおおお!」

 聞いた声の雄叫びが再び『神』の耳に届く。あれだけ大勢の身代わり――式神を突っ込ませたのだから、それに合わせて攻撃してくるのは予想出来る。だが沖田の姿は周囲を見渡しても全く見えない。

 直感なのか、それとも合理的な理由を介してなのかは分からないが、『神』は不意に頭上を見上げる。赤く染まった天上には、着実に地面へ迫っている沖田がいた。

 『神』はまたしても表情を変えず、その件を振り上げ、落下してくる沖田へ刃の向きを合わせる。空中ということもあり身動きの取れない沖田は、重力に任せてそのまま串刺しになり――白い煙を上げた。

「……!」

 『神』の表情が一瞬強張る。異形が掲げる長剣に突き刺さっていたのは、先程同様の小石ではなく、巨大な木の板であった。

 沖田が使用している『分身の術』は、無機物に妖力を込め式神として使役することにより成立する術だ。しかしその無機物自体に制限は無く、また質量があればある程強固で動かしやすい式神と成る。その特性を利用し沖田は木の板――先程倒壊した社務所の屋根の一部を使って式神を作成し、空へ飛ばしたのだ。

 屋根の重量自体は、『神』にとってはそこまでの障害ではない。だが、先端に異物が突き刺さった長剣は使い辛いことこの上ないはずだ。

 木の板でできた式神が長剣に突き刺さるのと同時に、北と南の方角から二つの人影が現れる。十メートルほどの距離を前のめりで突き進み、『神』との距離を詰める。

 沖田は足を止めることなく、地面とほぼ並行になるように体を傾け、軽やかに地面を蹴る。低い姿勢のまま宙に浮くその姿は燕のように美しいが、沖田はその状態で留まらずに体の重心を右に傾けつつ刀を肩の位置まで持ち上げる。右側の空気抵抗が大きくなり、沖田の体は時計回りに回転し始め、その勢いのまま『神』へ向かって直進していく。

 ――巖流、五番――

「――跳車!」

 絞り出すような声で沖田はそう吠える。かつて御山で学んだ『流』――その五番目の型である。跳躍した体を風車のように回転させ、その勢いで相手を斬り裂く技である。

 沖田の攻撃は山南と程同時であったようで、両者はすれ違いざまに『神』を斬り抜いた。完璧な連携だ。しかし――二人合わせて斬ることができた幅は、一センチにも満たない。

「……あの状態で避けたのかよ……」

 沖田は引き攣った表情で、冷や汗を浮かべる。体を捻って斬られる面積を最小限に留める、と口で言うのは簡単だが実際にそれをやってのけるのは至難の業だ。

 僅かに切り裂いた腹部からは、少量の血が垂れている。刃が通じることを確認できたのは暁光だが、同じ手はもう使えないだろう。また新しい攻撃を考えなければならないが――

「……は?」

 沖田は目を見開いて、目の前の光景を呆然と眺める。『神』の腹部から垂れる血の量は次第に増えていき、数秒後には決壊したかのように鮮血が吹き出した。

 空気が抜けた風船のように姿勢を低くして膝をついた『神』は、微笑みを崩さずに沖田を見つめる。だがその表情には、先程までの奇妙さは抜けている。

「――気を付けろ」

 皺だらけの口元が僅かに五回動く。消え入るような声が風に運ばれて沖田の耳へ届く頃には、『神』は力尽きたかのように前へ倒れ込んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ