俺がこの世界で生き抜けるはずがない
「追い込むぞ! 準備しろ!!」
草木が生い茂る森の中を猛然と走る羊を追い立て、仲間がいる方向に誘導する。
「ばぁあ!!」
羊の目前に広がる茂みから大柄の仲間――デビロが両腕を広げながら飛び出した。
「メェエエエ!?」
デビロの大声と巨体にひるんだ羊は一瞬動きを止めた。
「今だヒョウロ!」
彼方から飛んできた矢が羊に突き刺さる。デビロとは別の場所に潜んでいたもう一人の仲間――ヒョウロがその一瞬の隙を見逃さず矢を射ったのだ。
「とどめだあああああ!」
俺はまだ生を諦めていない羊の首筋に短刀を突き刺し、悶える羊を必死に押さえつける。
ついに羊は息絶え、動かなくなった。
「はあ……やった……とったぞ!!」
俺は二人の仲間に歓喜の視線を送る。
「さっすがザンくん! お手柄だね!」
「何言ってんだ。ヒョウロの弓の技術があってこそだ」
「ねえ僕も頑張ったよねえ? 早く食べたいよお」
「デビロ、そういうことはその脂肪を落としてから言え」
共に獲物を討ち取った喜びを仲間と分かち合いつつ、勝利の報酬を解体し始める。
「久しぶりのお肉! 美味しんだよお!!」
今しがた焼きあがった羊の肉にかぶりつくデビロ。肉汁を飛び散らしながら満面の笑みを浮かべている。
「村のみんなも喜んでくれるかなあ」
ヒョウロが肉を少しずつ齧りながら呟いた。
丸々肥えた羊だ。俺たちの小さい村なら十分分配できるだろう。
「ねえ、まだまだあるんだからもうちょっと食べていいよねえ?」
「デビロ、みんなの分もあるんだから我慢しろ。それにそろそろ村に帰らないと……」
「でもさあ! これだけあるんだからちょっとぐらいいいじゃんか!」
「あまり声を荒げんな! もし『奴ら』に勘づかれたら――」
突然、羊を焼いていた焚火が爆発した。
「なん……ッ!?」
「僕のお肉がぁあああ!?」
爆発に巻き込まれた羊の肉が炎上している。広がる煙の奥から二対の瞳が俺たちを見据えていた。
「『奴ら』だ……」
俺たちとは違う醜い異形の存在――『悪鬼』がそこにいた。
「あぁぁああぁああ!? 悪鬼だ!? 悪鬼が出た! 殺される!!!」
ヒョウロは恐怖で腰を抜かし、歯をガチガチと鳴らしている。デビロは悪鬼の出現を認めたくないのか、思考を停止して呆然としていた。
悪鬼は俺たちを殺すために生まれたと言われている。
奴らは俺たちと出会うと必ず殺しにかかってくる。何かを要求してくるわけではない。殺して何かを奪おうとしてくるわけでもない。ただ殺すために殺してくる、そんな存在だ。
俺たちの二倍以上の巨体を持つ悪鬼が二体、距離を詰めてくる。
悪鬼の一体は頭にあたる部分から二本の角が生えており、身体の所々が角ばっていた。そして片腕が異様に長く鋭く尖っていた。何故か大半の悪鬼は左右のどちらかの腕がアンバランスに伸びている。
もう片方の悪鬼も例外にもれず、片腕が長い。しかしその腕は角の悪鬼に比べて捻じれ歪んでおり、先端に球体の石を填め込んでいた。
その捻じれた腕を俺たちに向けると球体の石が輝き始めた。すると俺たちの周辺が次々と爆発し炎上した。
「ゲホッ!? ゴホッ……あいつがこの爆発を起こしているのか……? おいヒョウロ! デビロ! 逃げるぞ!」
悪鬼に背を向け走り出す。周囲が次々と爆発する中、俺たちは必死に逃げ惑う。
「はあっ……はあっ……」
茂みに隠れ、息を整える。俺たちを見失ったのか、悪鬼は手あたり次第に辺りを爆破している。
「*****************~~~~~~!!!!!!」
捻じれ悪鬼はこの世のものとは思えない金切り声を上げる。その声からは明確な殺意と俺たちを絶対に逃がさない執念を感じさせた。
(このままじゃ逃げられない……!)
俺はこの窮地から脱する術を考え始めた。全員で必ず生きて帰る術を。
だが――
「僕が囮になるよ」
そう提案したのはデビロだった。
「お前、何言って……っ」
デビロの右脇腹は赤く焼けただれていた。
「この火傷じゃもう遠くまで逃げられない……君たちだけでも逃げて……」
一人が犠牲になれば逃げ切れるかもしれない。でも諦められるはずがない!
「ちょっと待ってくれ……! 今何か方法がないか考えて……え?」
俺を制したのは意外にもビビりなヒョウロだった。
「ザンくん……ここはデビロに任せよ。それに僕らが生き残れば、デビロの命を拾うことができるから」
ああ、そうだ。その手がある。その手しかないことも分かっている。
「デビロくん、首飾りを」
「……うん、お願い……」
デビロは大小様々な部品が不格好に付いた首飾りをヒョウロに渡した。
「…………」
「大丈夫だよぉザン。僕は別に初めてじゃない」
俺の不服そうな顔に気付いたのか、デビロは気遣いの言葉を投げかけてくる。
「僕は君たちを信じてる」
デビロは立ち上がり、背を向けた。その背中からは、絶対に俺たちを生きて返すという意志が感じられた。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
デビロは雄たけびを上げながら悪鬼に突っ込んでいった。俺とヒョウロは反対方向に駆け出した。
複数の爆発音が鳴り響く。俺は一瞬だけ振り返った。視界の端に火だるまになるデビロが見える。
俺は視線を戻し、がむしゃらに走った。ただそれだけしかできない無力さを噛みしめながら。
____________________________________________________________
「はあ……はあ……帰って……来られたか」
俺とヒョウロは村になんとか帰還することができた。森の奥にこっそりと存在している、村とは名ばかりの洞窟に仲間たちが数十人暮らしている。
「じっちゃん!ロウロじっちゃんはいる?」
ヒョウロは洞窟の奥にいる自分の祖父を探していた。彼の祖父はこの村の長老で祭祀を取り仕切っている。
「なんじゃいヒョウロ。騒々しいのう」
「じ、じっちゃん!悪鬼が……悪鬼が出てデビロくんが……」
「なんと……ちゃんと供物は回収したのかえ?」
「うん……これ」
ヒョウロはデビロから受け取った首飾りを長老に手渡した。その首飾りにはデビロの爪や歯が括り付けてある。
長老はその首飾りを祭壇へと運んだ。洞窟の石壁から削り出された祭壇には、俺たちが信仰する神の姿を模した像が鎮座している。
祭壇にデビロの首飾りを捧げると、長老は長々と祈りの言葉を唱え始めた。
すると首飾りを中心に祭壇が青白く燃え上がった。ひとしきり燃え続けた後、炎は段々と小さくなり、見覚えのあるシルエットに形作られていった。
俺たちを逃がすために犠牲になった、デビロの姿に。
「んあ……? 僕……どうなってたのん?」
「デビロくん!! 良かった! 生き返ってくれたああ!!」
これが俺たちの当たり前。自身の肉体の一部を祭壇に捧げ、祭司が儀式を行う。
そうすれば生き返ることができるのだ。
俺たちは死ぬかもしれない状況に陥った時、常に身に着けている首飾りを仲間に託す。自身の歯や爪を括りつけた首飾りが再び己の命を呼び戻すと信じて。
「デビロくん、ありがとうね……。君がいなかったら僕たちは今頃……」
「デビロ……助かったよ。だけど……」
この儀式は確実に成功する訳ではない。デビロが自分を投げうって賭けに出たことに俺は素直に喜べなかった。
俺は思い切って今の本音をデビロに告げようとした。
「デビロ! たとえ生き返る可能性があったとしても……あんな自ら犠牲になるような真似はして欲しくなかっ――」
ぐぅううう~~
空腹を知らせる虫の音がデビロの腹から響き渡る。
「ううぅ~お腹空いたんだなぁ。もっとお肉食べたかったよぉ」
「もうデビロ君ったら。でも生き返ったらお腹減るもんね」
「ふへへ~。今度はもっと大きな羊を狩りに行こう~」
「ほれデビロや。お主の首飾りじゃ。失くすのではないぞ」
村長は祭壇に納めた首飾りをデビロに返す。
「ありがと~村長~。失くしたら作るの面倒なんだよねぇ~」
能天気なデビロに対して責める気持ちが薄れていく。デビロのお陰で俺たちは生きて帰って来られた。あの場で全滅することが最悪の展開だった。
そう自分に言い聞かせるが納得できない自分もいる。そんな胸の内を村長は見抜いたのか、優しい声色で話しかけてきた。
「お主がこの村に来てから儂らは飢えずに済んでおる……お主は儂らの希望なんじゃ」
「でも俺は……デビロを死なせてしまった」
「案ずるんではない。たとえまた悪鬼に出ても、誰か一人でも生きて帰ってくれば儂が生き返らせてみせるぞ」
「村長……」
俺はこの村出身ではない。村長は自分の村が食糧難で困窮しているのにも関わらず、俺を受け入れてくれた。
「俺……もっと頑張ります! もっと頑張ってこの村を豊かにします! この俺を救ってくれたこの村に恩返ししたいから……」
俺はこの村にたどり着いた時のことを思い出す。
雨が降りしきる寒い夜、俺は体中傷だらけで死ぬ一歩手前だった。今にも意識を失いそうだったが、歩みを止めることはなかった。止めたら最後、再び悪鬼の魔の手に落ちると思ったからだ。
俺の出身の村は悪鬼に滅ぼされた。そこから生き延び、命からがらここにたどり着いた俺をこの村の住人は温かく向かい入れてくれた。外に出るのを怖がり、立ち直るまで食べ物を与えてくれた。この人たちに報いたい……だから――
「誰にも犠牲になってほしくないんです……」
目に涙を溜めながら懇願する。無茶な願いだと分かっていながらも。
「ふむ……ザンよ」
村長は俺の背中をさすり、慰めるように語り掛ける。
「儂らが生きるこの世界は儂らにとって厳しいものかもしれん。時にはもう戻らぬ者もおる。じゃが、それらは犠牲ではない。全て『明日に続く道しるべ』になるのじゃ。」
村長の言葉からは長い刻を生きてきた重みが感じられた。きっと何人とも別れを経験したのだろう。
「ザン……儂はお主がこれほどにもこの村が好きなってくれて嬉しい。この村は儂の誇りなんじゃ」
村長は俺の背中から手を放し、真剣な表情で向き合い直す。
「どうか儂の村を守っておくれ」
心からの嘆願だった。俺はその気持ちに応えるように己を奮い立たせる。
「もちろんです!」
洞窟中に俺の大声が反響する。村中の住人が俺の方を見ているが、不思議と羞恥心はなかった。彼らは俺の誇りでもある。そう気づいた瞬間だったからだ。
「ふぉっふぉっふぉ! いい気合じゃ。元気がなければ儂のご飯を取ってきてもらえんからのお」
村長が冗談交じりに微笑む。いつも自分よりも他人の食糧を優先しているくせに。
「ザンよ、余り気負いするな。たとえ命を落としても、この祭壇と儂さえいれば何度でも生き返らしてやるからのお」
ああ、なんと頼もしいのだろう。俺はこの村のためなら全てを懸けられる。
こんな世界でも生き抜ける。そう思ったのに。
バゴォン!!!!!!!
突如、祭壇が爆発し砕け散った。
「なっ……!?」
次々と周辺が爆発する。爆発で吹っ飛び、炎で身体が燃える住人たち。炎の明かりで暗闇にいた存在が明らかになる。
「悪鬼……!?」
俺たちを襲い、デビロを焼いた捻じれた腕を持つ悪鬼がそこにいた。
「逃げろ! 逃げるんじゃあ!!」
長老が呼びかけ、生きている皆を誘導する。パニックに陥りつつも住人たちは洞窟の奥に避難する。
「長老も早くこっちへ!」
俺は長老の手を取り、共に避難しようとした。長老の手を引っ張るが、長老の脚はその場から動かない。ただ、身体が脚を置き去りにした。
長老の身体がずれていた。
「…………え?」
長老の背後にいた二本の角を持つ悪鬼が長老の脚を切断したのだ。
角悪鬼は鋭く長い右腕で再び長老に斬りかかろうとしていた
「て……てめぇ! 村長から離れろ!」
俺は角悪鬼に跳びかかった。だが、長い腕とは逆の腕で殴られ、あっさりと吹っ飛ばされた。
「ザン……逃げ……るん……じゃ…………」
角悪鬼の腕が振るい降ろされ、村長の首が飛んだ。あれだけ頼もしかった村長が死んだ。
悪鬼は全てを壊していく。俺たちはただ静かに暮らしたいだけなのに……こんな森の奥の洞窟でこっそりと暮らしているのに……
何でここが悪鬼にバレたんだ……ついさっき襲われた悪鬼に…………ああ、なんて馬鹿なんだ俺は!
後をつけられたに決まっているじゃないか!
わざと逃がされたんだ! 皆が住んでいるこの村の場所を探し出すために!
くそっ! ちくしょう!! 俺が皆を殺したようなものじゃないか!!
自分の愚かさに、情けなさに涙がこぼれる。俺は滲んだ瞳で角悪鬼を睨みつけた。
「あああああああああああああああああああ!!!!!!」
殺してやる!! お前たちがいるからいけないんだ!! この世界からいなくなれ!!!!
俺は狩猟用の短刀を取り出し、渾身の力を込めて角悪鬼に突撃する。角悪鬼はすでに俺に向けて腕を振り上げていた。こんな短い刀じゃ角悪鬼のリーチの長さに敵わない。
だが、それでもいい。首を切り落とされても、命を絶たれようとも、奴らに一矢報いたかった。
「ダメだザンくん!!」
横から飛び出したヒョウロに突き飛ばされる
斬り飛ばされるはずだった俺の首の代わりにヒョウロの背中が斬られ、深紅の血が飛び散る。
「ぐぅううああ!!」
「ヒョウロ!? お前……どうして……」
「うわあああ! こっちだ! こっちを見ろおぉ!!」
遠くからデビロが角悪鬼に向かって石や雑貨を手あたり次第に投げていた。だが、そのさらに奥からもう一体の悪鬼がデビロに捻じれた腕を向けているのに、デビロは気づいていない。
「デビロ走れぇえええ!!!!!」
瞬間、デビロがいた地面が盛り上がり、大爆発が起こった。
「デビロぉおおおお!!!!!」
「うわあああああ!! ぐへっ!? ごへっ!」
デビロは爆風で吹き飛ばされ、その巨体をバウンドさせながら転がってきた。
「デビロ……良かった…………悪鬼は!?」
爆風で巻き上がった砂煙が充満し、悪鬼たちの姿を確認できない。この機に乗じて悪鬼に不意打ちを仕掛けられるだろうか……。そう思惑していたが、負傷して息が荒いヒョウロに止められる。
「……今のうちに……はあ……はあ……逃げるんだよ……奴らと戦っちゃいけない……」
「でも……奴らは村長を……!」
「ッ……それでも戦っちゃダメだ! 奴らに敵うはずないんだから!!!」
「ぐっ…………」
何も言い返せなかった。力も速さも奴らとは比べ物にならない。物を爆発させるような現象を引き出す力も俺たちは持っていない。生き返る術も今はもう……。
「ねえ……ザン……逃げようよぉ」
デビロが今にも泣きそうな目で訴えかけてくる。デビロはさっき死んだばかりなのだ。もうあんな思いをさせたくない。
それに今しかない。捻じれ悪鬼の爆風で発生した砂煙で悪鬼たちの目をくらませている今しか。
「……逃げよう」
俺たちはヒョウロを担ぎ、その場を去った。洞窟の奥にある緊急用の出口に最後の希望を託して。
_________________________________________
「そんな…………」
洞窟の出口には先に避難した住人たちが慌てふためいていた。ここに留まっていてはいずれ悪鬼に追いつかれてしまうというのに。
出口の先に広がる森は普段と変わり果てた姿になっていた。
出口を取り囲むように木々が燃えていたのだ。
「ここまでするのかよ……」
ここからの脱出は不可能。だからと言って戻れば先ほどの悪鬼が待ち受けている。
生存は絶望的だ。何か解決策がないかと怒号を浴びせあいながら口論をする住人。その迫力に恐怖し泣きじゃくる子供たち。すでに何もかも諦めて、うずくまっている者もいる。
(どうする……どうすれば俺たちは助かるんだ……!)
どうにか火を消す方法はないのか……。辺りを見回すと、一か八か火を飛び越えようとした者らしき焼死体が転がっている。その死体からまるで「死に方だけは自分で選べ」と言われてる気さえした。
もう何もかも終わったのだ。
「まだ終わりじゃないよ」
ヒョウロはまだ諦めていなかった。おもむろに自分の首飾りを取り、皆に提案した。
「首飾りを地面に埋めて隠すんだ。そうすれば別の村の住人が見つけて、僕たちを生き返らせてくれるはずだ」
ほとぼりが冷めた後、悪鬼の被害に合わなかった村の住人が偶然首飾りを見つけ、生き返りの儀式をしてくれる。そんな何年、何十年先にもなるか分からない賭けに出ようというのだ。
皆は次々と自分の首飾りを埋めていった。もうそれに縋るしかないかのように。
「さあ、ザンくんの首飾りも」
ヒョウロは俺の爪や歯を括った首飾りも埋めようと、手を差し出す。だが俺はそれを拒んだ。
「ザンくん? 何してるの、悪鬼はすぐそこまで来てるんだよ」
俺はこの方法が上手くいかないとは思わない。だがそんな極々低い可能性に頼るのはもう嫌だったのだ。
「俺……前の村を悪鬼に襲われて、なんとか生き延びてこの村にたどり着いたって言ってただろ? あれ、嘘なんだ」
はっと息をのむヒョウロとデビロ。どうしてそんな嘘をついたのか、何故今それを打ち明けるのか、分からないといった表情だった。
「いや……違う……嘘じゃない…………本当のことを言ってなかったんだ……」
俺はもうあの記憶を思い出したくなかった。奴らに対する恐怖と憎しみでどうにかなりそうだったから。
「俺の村は悪鬼に襲われ、何人も仲間が殺された。……でもそれだけじゃない。追い詰められ降伏した俺たちは、悪鬼によって捕らわれたんだ」
「……悪鬼が僕たちを殺さず、生きたまま捕まえてきたの?」
「ああ……今みたいに自分の首飾りを隠し、他の村の誰かに見つけてくれることを願っていたそんな時だった。身体を縛られどこかに連れていかれたんだ」
俺は過去の出来事のあらましを伝えた。手足を拘束され、何人もの悪鬼が俺たちを物色していた。腕を切られ、腹を掻っ捌かれた奴もいた。まるで殺さないように気をつけながら、丁寧に、丁寧に痛めつけれていった。何日も俺の仲間の悲鳴が途絶えることがなかった。ただ少しずつ悲鳴の数は少なくなっていくんだ。それで仲間が耐えきれず息絶えていくのを知る。
そこは地獄だった。
その時の記憶は曖昧だが、何度も気を失う内に別の場所に移されていた。そこは死臭で溢れかえるゴミ溜めだった。何人もの仲間の死体が転がっていた。悪鬼に死んだと勘違いされたのか、俺はそこから這い出てこの村にたどり着いたんだ。
「…………」
俺の昔話を聞いた二人は絶句していた。無理もない。悪鬼のさらなる残虐性を知ったのだから。
「もし、首飾りを隠して生き返る方法を選ぶなら、決して悪鬼の前に出るな。死以上の苦しみを味わうことになる」
「……ザンくんはどうするの?」
「俺は……」
俺は村長の言葉を思い出す。
「俺は『明日に続く道しるべ』になる」
決して自暴自棄になったわけではない。生きるのを諦めたわけではない。
「悪鬼を殺す」
俺は二人の静止を聞かず、洞窟の奥へと駆け出した。まだ殺戮を続けているだろう悪鬼の元へ。
悪鬼は災害のようなものだ。遭遇したら逃げるしかない。だが奴らは意志がある、知恵がある、俺たちと同じ生き物のはずだ。なら殺せる。そう信じるしかなかった。いつかは立ち向かわなきゃいけなかったんだ。ただ、それが今だったというだけだ。
俺たちと悪鬼との力には絶対的な差がある。俺たちの攻撃なんか奴らには届かない。だからこそ、そこに勝機がある。
祭壇があった場所まで戻ってきた。爆風で巻き上げられた砂煙はとうに消え、捻じれた腕を持つ悪鬼が仲間の死体を念入りに燃やしていた。
(一人……? いや好都合だ……!)
捻じれ悪鬼に気付かれないように背後から息を殺し接近する。俺の気配は捻じれ悪鬼の炎の音でかき消される。このまま近づけば、この短刀で喉を引き裂くことができるはず。
だがこの程度で悪鬼を殺せれば、俺たちは悪鬼など恐れない。
悪鬼は背後に目があるかのように俺の存在に気づき勢いよく振り返った。醜悪な顔がさらに歪み、恐怖を煽ってくる。
「***************~~~~~~~~!!!!!!」
悪鬼が吠え、その捻じれた腕を俺に向ける。このままだと俺は破壊された祭壇のように爆発四散するだろう。
しかし、俺はそれを狙っていた。悪鬼が放つ爆発は範囲が広く、強大だ。ここまで接近すればその爆発に悪鬼自身が巻き込まれるはず。
それに気づいただろう悪鬼は一瞬、攻撃を躊躇する。その隙を突いて一撃で屠る。これが俺の狙いだった。
だが、悪鬼はそのまま爆発を放ってきた。自分が巻き込まれるのを厭わずに。
「ごッッッあッ!?」
爆風で身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
(くそッッ!! 自爆するなんて……悪鬼の頭を過信しすぎたか!)
威力は祭壇を破壊した時よりも抑え目だったのか、体の表面がただれる程度で済んだ。
手の感覚は残っている。意識も保っている。早くあの悪鬼に止めを刺さなければ!
辺りを見回すと、ぼやけた視界の端に自分の爆風で吹っ飛んだ悪鬼がゆったりと起き上がるのが見えた。
そして悪鬼は捻じれた腕を真っすぐ俺に向けていた。
(終わった……)
俺と悪鬼の間には十分に距離がある。もう一度爆発に巻き込むことはできないだろう。
(ちくしょう……! 俺は何も為せないのかよ……ッ!!)
悪鬼の捻じれた腕の先に埋め込んである石が輝く。俺の目の前の空間が歪みだした。これが爆発の前兆だと直感するがもう遅かった。
「ばぁぁああああ!!」
捻じれ悪鬼の間近の岩陰からデビロが大声を上げながら飛び出してきた。
「*************ッッッ!!!!!!????」
完全に不意を突かれた捻じれ悪鬼は絶叫を上げ、腕をデビロに向ける。だがその腕はデビロに定まらなかった。
捻じれ悪鬼の脚にヒョウロが放った矢が深々と刺さったからだ。
「ザンくん! 今だ!!!」
ヒョウロの呼びかけに我に返った俺は捻じれ悪鬼目掛けて駆け出す。
「うぉおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
狙いは喉元。そこに刃を差し込まれて生きられる生物はいない。
捻じれ悪鬼は走り寄ってくる俺にその捻じれた腕を再び向けようとするが、デビロが全身で掴みかかり動きを阻害する。
「やれぇえええザンんんんん!!!!」
もう一方的に殺されるだけの俺たちはいなかった。これは狩りだ。生きるための狩りなんだ。
「とどめだぁぁああああああ!!!」
捻じれ悪鬼の喉元に短刀を突き刺す。暴れる悪鬼をデビロと押さえつける。悪鬼の体液が飛び散り、身体中を濡らした。
「****************************~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
悪鬼のこの世のものとは思えない断末魔が洞窟に響く。程なくして抵抗する力が抜けていき動かなくなった。悪鬼は死んだのだ。
「……やった……やったぁああ!! やったぞ俺たち!!! 悪鬼に勝ったんだ!!」
俺たちは悪鬼の体液でまみれた身体を拭くのも忘れて、喜びを分かち合う。悪鬼に勝って生き残る。こんな途方もない理想を実現したのだ。
「ギリギリだったけど生きてるぅ。うぅ、お腹減ったんだよぉ」
「弓矢の練習しといて良かった……。僕たちのチームワークの勝利だね!」
「デビロ……ヒョウロ……ありがとう……! こんな俺を助けてくれて……」
よく見るとデビロとヒョウロは首飾りを掛けていた。首飾りを隠して生き返る方法よりも、悪鬼を殺して生き残る方に賭けてくれたのだ。
「ありがとう……本当に……お前たちがいてくれたからこそ悪鬼に勝てたんだ」
自然と大粒の涙が溢れてくる。俺一人じゃ確実に殺されていた。
「ザンくんが悪鬼に立ち向かうと決めたから、僕たちにも勇気が湧いてきたんだよ」
「ザンがいなけりゃ羊が取れないからねぇ」
ぐぅうう、と緊張感のないデビロのお腹が鳴る。こっちまで気が抜けて頬が緩みそうになる。だがこの和みかけた空気を塗りつぶすかのような威圧に襲われた。
それは捻じれ悪鬼と共にいた悪鬼だった。
その悪鬼は捻じれ悪鬼よりも巨体で身体が角ばっており、邪悪な二本の角が生えていた。
特に目立つ鋭く長い右腕は、今まで殺戮を行っていたことが分かる証――仲間たちの鮮血で濡れていた。
洞窟の奥から現れた角悪鬼は捻じれ悪鬼の死体を一瞥すると、こちらに向かってゆっくりと、だが確実に一歩一歩踏みしめて近づいてきた。洞窟内に響く重厚な足音からは明確な殺意が感じられる。
「正面から相対するのは分が悪い……。一度退いてまた同じように不意打ちを仕掛けるぞ!」
角悪鬼から目を逸らさずに背後にいるデビロとヒョウロに呼びかける。しかし、彼らは動こうとしなかった。不審に思った俺は振り返ってやっと違和感に気付いた。
死んだはずの捻じれ悪鬼の腕の先に埋め込まれている石が輝き始めたのだ。
石の輝きが段々と強まると同時に、俺たちの目の前の空間が歪んでいく。爆発の前兆だ。
(何で……悪鬼は殺したはずじゃ……!)
捻じれ悪鬼はぴくりとも動かない。傍から見ても確実に死んでいるのが分かる。
(イタチの最後っ屁ってやつかよぉおおお!!!)
輝きの勢いが増し、今にも爆発が起きようとしたその瞬間――
「ザン!!!! ヒョウロ!!!!」
デビロが俺とヒョウロを勢いよく突き飛ばした。
「デビ……っ!?」
光が一瞬でデビロを覆い隠し、轟音が響き渡る。デビロだったモノが辺り一面に飛び散った。
「デビロぉおおおおおおおおおおおお!!!」
デビロを消し去った爆発で舞い上がった砂煙は、再び洞窟内の視界を狭める。
(…………この時しかない!!!)
デビロの死を悲しんでいる暇はない。視界が悪い今、角悪鬼を倒せるチャンスはこの時だけだ。デビロが救ってくれた命と、作ってくれたチャンスを無駄にはしない!
「ヒョウロ! 今しかない! もう一体の悪鬼をやるぞ!」
ヒョウロに呼びかけるが返事がない。何か嫌な予感がし、恐る恐るヒョウロの方を見る。
ヒョウロの胸からは長い棒状の物が飛び出ていた。
その棒は角悪鬼とは別の悪鬼の腕に繋がっていた。角悪鬼よりは細く小さいが、その右腕はより長く鋭かった。
ヒョウロは棒が突き刺さったまま持ち上げられ、雑に放り投げられる。地面を転がるヒョウロに、もう命は感じられなかった。
「ヒョウロぉぉおおおおおおおお!!!!!」
俺は手元の短刀を握り直し、棒悪鬼に跳びかかろうとした。しかし、その脚は一歩も動くことができなかった。
背後に角悪鬼が立っていた。
背中から感じる悪鬼独特の殺気が俺の全身をこわばらせる。
前面にヒョウロを殺した棒悪鬼、背面に俺の仲間たちを殺しつくした角悪鬼。完全に詰みだった。
それでも、俺は諦めきれなかった。
背後から迫る角悪鬼の気配に全神経を研ぎ澄ませる。一歩ずつ近づいてくる足音は、死へのカウントダウンに思えた。
だが、そこに唯一の勝ち筋がある。それに全てを懸けよう。
俺は角悪鬼が近づいてくるさ中、これまでの人生を思い返した。
自分が生まれた村で初めて狩りを成功させたこと。突然やって来た悪鬼に村を滅ぼされ、自分は捕まり死以上の地獄を味わったこと。この村に来てこんな俺を受け入れてくれたこと。
今までの全てが力になると感じられた。短刀を握る手が熱く滾ってくる。
その鋭く長い腕が届く位置まで近づいた角悪鬼は立ち止まった。俺を殺す腕が振り上げられる。
「ここだ!!!!!!!」
勢いよく振り返り角悪鬼の懐に潜り込む。そして脚を切り裂き、膝を付けさせる。そして一呼吸さえも付かさない間に奴の喉に短刀を突き立てる。
これが俺が思い浮かべる勝利の流れだった。
そんな空想は振り向いた瞬間、短刀を持つ腕を角悪鬼に切り落とされるという結末で簡単に砕け散った。
「がッ……あああああああ!!!」
俺は切られた腕の傷口をもう一方の腕で抑えつける。その程度で流れ出る血が止められるはずもなく、血が身体を、地面を赤く染め上げる。
止血に躍起になっていると、首に強烈な圧迫感が生じた。角悪鬼が鋭く長い方ではない腕で俺の首を掴み持ち上げたのだ。
「くっ……ぅう……」
くそっくそっくそッッッ!!! 死ぬのか俺は!!! こんな奴に俺は……!!!
角悪鬼は自身の頭と同じくらいの高さまで俺を持ち上げ、俺の顔を覗き込んでいた。まるで何かを確認するかのように。
俺は思い出した。忘れようと押し込めていた記憶が蘇ったのだ。
こいつは…………俺の村を襲った悪鬼と同一だった。
ちくしょう! ちくしょう!!! 何でこんな奴に俺の故郷を二度も奪われなきゃいけないんだ!! 俺たちが何をしたってんだ!!!!! 許さない……絶対に許さ――
腹部に異物がゆっくりと入ってくる感触が全身に伝った。その異物はそのまま進み自身の背中を突き破った。角悪鬼の鋭く長い腕が俺の腹を貫通したのだ。
力が入らない。命が抜けていく。死がすぐ目の前まで迫ってきていた。
だがまだ心までは死んでいない。せめてこいつだけには一矢報いたい、その気持ちが再び力を取り戻してくれる。
俺は自分の首飾りに手をかけた。この首飾りは自身の抜けた歯や剥いだ爪を括りつけてある。
俺はその中で一番鋭い爪を手に取り、角悪鬼の喉元目掛けて突き刺した。
「うぉおおおおおおあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
口から血反吐を吐き、腹部に刺さった腕がさらに深く突き刺さろうとも構わなかった。
届け! 届け! 届けぇえええ!!! こいつの命までぇぇえええええ!!!!!
俺は角悪鬼の喉に刺さった爪を振り上げた。その勢いのまま角悪鬼の頭部は跳ね上がり、宙を舞う。角悪鬼の頭部が空中で一回転、二回転と回る様を眺めていると、白くモヤに包まれるように視界がかすれていった。全身の感覚はもうなく、身体が冷たくなっていくのが分かった。
俺は悟った、命はここで尽きたのだと。
ただ心は穏やかに、そして達成感で満ちていた。
ああ……やった……やってやったぞ……俺たちは悪鬼に勝てるんだよ…………みんな……こんな世界でも生きていけるんだ…………なあ……俺って……明日に続く……道しるべに……なれた…………の………………か…………………………な……………………………………
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「…………ふう、危なかった」
全身を鎧で身を包んだ男が先ほど跳ね飛ばされた両角の兜を拾う。
「旦那ぁ、珍しいっすね。そんなヘマするなんて」
槍を携え、軽めの装備でまとめている細身の男は茶化すかのように鎧の男に軽口を叩く。
「ああ、油断してしまった。死に際の生物が一番危険だと言うのにな」
血で濡れた長剣を拭いながら鎧の男はぼやいた。
そんな彼に細身の男は調子を崩さずに飄々と労わった。
「しょうがないっすよ。だって今回の依頼はただの――
ゴブリン退治っすもん。雑魚にいちいち気を張っていたらもちませんよ」
鎧の男は今しがた殺したゴブリンを一瞥する。腕を斬り飛ばし、腹を長剣で突き刺した跡がある。
「ただまあ、ここ最近、羊の被害が多かったから羊飼いのおっちゃんたちが喜ぶと思うっすけどね」
ゴブリン退治の依頼が冒険者ギルドに舞い込み、それをこの男たちが受注した。数が多いと踏んでいたため、巣を見つけた後、大勢で殲滅する予定だった。
「つーか、魔法使いの嬢ちゃんはどうします? 一人でゴブリンの巣に突っ込んだ挙句、勝手に爆死するとか。冒険者の風上にも置けないっすよね」
「責任は止められなかった俺にもある。それに彼女はゴブリンに故郷を襲われ、強い憎しみを抱いているんだ。大目に見てくれないか」
「まあ旦那が言うならいいっすけどね。あーあ、教会に行って生き返らせなきゃ」
死者の復活の代金を依頼の報酬から差し引かなければならないため、細身の男はぶつくさと文句を言っている。
鎧の男は自分が殺したゴブリンの顔をもう一度覗き込んだ。まるで自分の記憶を確かめるかのように。
「旦那、さっきも戦闘中にそのゴブリンを持ち上げてまで、顔を見てましたけど、何かあるんです?」
「……いや、どこかで見たような気がしてな」
「ぶはっ、何の冗談すか? あんたが遭遇したゴブリンは全部殺してるんっすよね? もしくはゴブリンは捕獲して隔離所に送るってパターンっすよ? そこだとゴブリンは研究という名目で、実験や拷問をされて生きて出てくる奴なんていないって聞くっすよ」
ゴブリンは害獣指定にされている。見つけ次第殺し、できれば巣を捜索し、一網打尽にする。捕獲するのも効率よくゴブリンを殺す研究のためだ。
そして、ゴブリンの絶滅は時間の問題とされている。
「同じ奴と遭遇するなんてナイナイ。それともこいつらも俺たちみたいに教会で生き返るとでも言うんですかい?」
「さあな。……だが」
「脆弱なゴブリンがこの世界で生き抜けるはずがないだろう」
-完-
初投稿作品です。
良かったら感想を頂けると幸いです。
長期連載作品を投稿予定なので、今後ともよろしくお願いいたします。