助手としての初仕事
目まぐるしい夜を過ごした数日後、非日常への片道切符を手にしたはずの橘伊織は如月宅もとい如月霊能事務所で廊下を雑巾がけしていた。
「ちょっとここまだ汚れてるわよ」
「あ、悪い!」
自分の家という事もあるのか今日は髪を下ろしている如月。彼女に従順に従う様子はどこから見ても助手にはとてもじゃないが見えない。ただの下っ端である。
「っていい加減にしろ!」
我慢の限界に達したのか橘が吠える。すでに雑巾がけは三分の二終わった後だが。
「この数日間俺がこの事務所でやった事は掃除と書類整理と和菓子作りだけだぞ! 一体霊能事務所っぽい仕事はいつになったらやるんだよ!?」
「助手の癖にうるさいわね」
「ああ!? こんなのは助手じゃなくて下っ端って言うんだよ!」
どうやら自分がやっている事が下っ端と同等という自覚はあったようだ。橘と如月が一触即発状態になった時、千代が現れた。二人の喧嘩をなだめに来たのだろう。
「伊織様! 今日のイチゴ大福は今まで一番良かったですよ!」
違った。しかも話を逸らすための発言と言う訳でもなくその純粋無垢な微笑みからするに本心からそう言っているのだろう。
「だろ!? 今日のは我ながら会心の出来だったぜ、って言ってもまだまだ千代に教えてもらってばっかりだけどな」
「いえいえ、このペースで行けば来週には全て一人でお任せ出来るかもしれませんよ!」
だがこれで話が逸れるのが橘伊織である。結果として千代のおかげで一触即発状態は解除された。如月はそんな二人の様子を見て、疲れるわと呟き居間に戻っていった。橘と千代が戻ってきたのはそれから1時間後の事であった。彼らが後にした廊下は文句のつけようがないくらい綺麗になっていた。
「で?」
「何よ」
「仕事は無いのか」
千代の淹れたお茶で一服しながら橘は職安所に訪れたかのように振る舞う。やはり橘にとって非日常溢れる霊能事務所の仕事と言うのは譲れないものなのだろう。ジッと如月を睨み返答を待つ。観念したかのように如月はスマホを手にした。
「しょうがないわね……。あんまりやりたくなかったんだけど協会の仕事を引き受けるわ」
「あるんじゃないか! ん、教会?」
首を捻りながらシスターたちが讃美歌を歌う方の漢字を思い浮かべる橘。
「協会よ、陰陽協会。わたしたち霊能力者が仕事を受けるとき大きく分けて三つの受け方があるわ。一つは個人から直接の依頼、一般的にイメージするのはこの方法かもね。二つ目は警察からの依頼、これは警察とコネが無いと難しいわ。そして三つめが陰陽協会からの依頼」
「まず陰陽協会って言うのが良く分からないんだが」
疑問だらけの橘に如月は一つ一つ丁寧に返していく。
「数日前わたしの家が元々陰陽師っていう肩書だったのは説明したでしょ。要するに霊能力者の集団が各地で起こる怪異関連問題の対処や仕事の斡旋、陰陽グッズの販売、給料の支払いなどを行っているって感じね」
「要するにお前ら霊能力者はその協会の管理下にあって色々面倒見てもらってるって事か」
「色々面倒くさいしがらみの代わりにね」
ため息をつきながら答える如月。だが先ほどの「やりたくなかった」と言う意味が良く分からなかったので質問すると回答が返ってきた。
「協会の仕事は手数料で報酬が下がる代わりに条件を満たしている人は誰でも受けられるのよ。仕事に困っている事務所はそれだけが頼りなの。それなのにわたしの様な人気事務所がその仕事を取っちゃったら他の事務所に迷惑が掛かるわ」
「人気……?」
(ここ数日間人っ子一人来なかったのに何を言っているんだろうかこの小娘は)
内心橘はそう思ったが如月がまた怒りそうなので口に出さなった。だが顔には出ていたらしい。如月が言葉を紡ぐ。
「ゴールデンウイークみたいな楽しい時にそんな依頼来ると思う? 普通の人は幽霊騒ぎなんかしないで今頃旅行とか遊び倒したりとかしているわよ。どっかの誰かさんと違って」
「その誘いをキャンセルしてここに来てたのに雑用ばっかだから文句を言ったんだよ。友達がいるんでね、どっかの誰かさんと違って」
事務所に来るようになったのはここ数日のことではあったが如月はその間ずっとここにいた。恐らく友達がいないのではないか、橘はそう結論付けていた。
「……この仕事が良いかしらね」
「話剃らすの下手だなお前。――まあいいやそれでどんな内容なんだ?」
それ以上踏み込むと本当に傷つきそうな気配がしたので橘は留まった。橘も心を許せる一番の友達、いわゆる親友がいたことは人生で一度も無い。だが橘本人もそういう存在を望んだことは無いので現状特に親友がいないことについて問題視していない。そういう訳で如月に友人がいようがいまいが些細なことだった。
「数か月前廃屋でホームレスが幽霊を見たそうね。ほら、詳細よ」
そう言って如月はスマホを手渡す。何らかのアプリの画面に依頼内容の詳細が書かれていた。
「霊能力者がスマホとか最新機器の類を弄るなよ」
「どんな偏見よ」
確かに橘の言う事にも一理ある。何となく霊能力者の類にはアナログであってほしいものではある。だが実際は特殊なアプリを利用して依頼を引き受けることが可能であったり霊能道具の通販を行っているなど、物凄くデジタル化が進んでいた。何とも情緒が無い。
「ホームレスが廃屋に住みついて約一週間くらいは何ともなかったが、とある夜目が覚めると枕元に幽霊が立っていた、か。可哀想にせっかくホームレスから卒業出来たのに」
「最初何も起きなかったのは幽霊と波長が合ってなくて見えていなかっただけでしょうね。ところがその廃屋で無意識とはいえ一緒に過ごしているうちに波長が合ってきてご対面したんでしょう」
「で、何でこの仕事を選んだんだ?」
他にも良さそうな仕事は山ほどあるのにそんな中から何故これを選んだのか。橘の力も恐らく役に立たなそうな簡単な依頼に思えたが如月には考えがあるようだ。
「あなた幽霊が苦手って言ってたじゃない?」
「苦手じゃない奴は少ないがな。まあ俺の場合は視えないのに本当はそこにいるっていうのが何だか気味が悪いっていうか、そんな感じだけど」
「だから幽霊関係の仕事をこなしていくうちに慣れていくんじゃないかと思って。この仕事はFランクの仕事で幽霊も一体だけ、危険性もかなり低そうだしね」
何かゲームのクエストみたいだ、と橘は思ったが如月なりに自分のことを考えてくれているようだったので余計なことは言わずに従う事にした。どの道雇用主が決めたことに逆らう権利はないのだ。それに幽霊に慣れる事が出来たのならここでの仕事を100%楽しめる。いつ行くのかを如月に尋ねると今晩には出発するとのことなので橘は座布団を枕に横になった。
「じゃあ俺寝るから。夜になったら起こして」
「舐めてるの?」
如月が何か言っていたが聞こえないふりをして橘は目を瞑る。幽霊は恐いがそれでも霊能事務所の初仕事、逸る気持ちを何とか抑え気が付けば眠りについていた。
「ふわぁ、よく寝たぜ……」
「他人の家でよくあれだけ爆睡出来るわね……。じゃあ千代行ってくるわ」
「二人ともお気をつけ下さい」
千代に見送られ目的地に向かう二人。気が付けば如月は木刀を入れた竹刀袋を持ち室内着から制服に着替え髪もポニーテールに結んでいた。
「なあ如月、何でお前制服なの?」
夜中だというのに。警察に見つかったら即通報ものである。
「これが私の勝負服だからよ。霊的な加護も与えてあるし」
万全よ、と無い胸を張る少女に少々不安を覚えつつも警官に出会わなければそれで良い、どうか来ないことを祈りながら歩いていると前から青い見慣れた制服に身を包んだ二人の男が歩いて来た。橘の胸が高鳴る。どこからどう見ても警官だ。上手い言い訳を考えようとするが何も思いつかない。
「終わった……」
そう呟くが警官は如月に敬礼をしてそのまま通り過ぎて行った。
「何で?」
「こう見えてもわたしは警官の間では有名だからね。わたしの顔を知らなくてもこの制服を着ていて竹刀袋を肩に提げている女子高生は特別だから補導とか通報とかしないように徹底されているらしいわ」
「無駄に高鳴った俺の心臓返してほしい」
頭に疑問符を浮かべながらも先を歩いてく少女とそれについていく橘。数日前のあの日の再来の様だったがあの日と違って空は曇っていてよく見えない。それが橘には何だか不思議だった。
目的の廃屋に到着し、そのまま奥に突き進む如月と彼女を追う橘。途中十数体の幽霊に囲まれて橘が恐怖のあまり和洋折衷の祈りを捧げる事もあったがそれ以外は特に問題は無かった。
「おい話が違うじゃねえか! 幽霊は一体だけとかほざいてたのはどこの女子高生だ!?」
年下に置いてかれそうになり半泣きで走ってきた橘に対して如月は首を傾げる。
「そうね、橘の言う通り何かおかしいのわ。霊はうじゃうじゃいるし、空気も濁ってる……。霊たちも一番濁っている所に行きたいんでしょうけど終着点が分からなくて途方に暮れている感じね」
「何でも良いから全員成仏させて帰ろうぜ?」
そう橘は急かすが如月は首を振る。如月曰く相手の許可なく除霊を行うのは最後の手段らしい。できるだけ成仏の条件を満たすよう最善を尽くし相手の合意を得て最後に気持ち良く逝かせるというのが死者に対しての礼儀であり霊能力者たちのルールのようだ。無論危害を加えてくる悪霊などは話が別だが。
「……それは後回しね。一応目撃証言があった洋室までは行ってみるとするわ。ここからは私から離れないで」
何もない空間、いや恐らく霊と会話をしたであろう如月は何かに気が付いたらしい。さっきまとは打って変わって橘のみを案じる素振りを見せる。
そうしてホームレスが幽霊を視たという洋室まに到着した二人。すると如月が何もない方向を見つめ何やら呟く。どうやら幽霊と会話をしているようでしばらく話をした後手をかざし気合を入れる。いわゆる除霊と言う奴だろうか。
「……除霊したのか?」
「ええ。どうやらさっきの霊はこの廃屋に住み着いていたようね。それがいつの頃からか廃屋の様子がおかしくなって誰かに伝えたかったけど何故かここから出る事も出来ない」
「それで不法侵入したホームレスに伝えようとしたってわけか……幽霊の行動の裏側にはちゃんとした理由があるんだな」
「当たり前。元々は人間なのよ」
「さっきの霊は条件無しで除霊に応えたのか?」
「いえ、お世話になったこの廃屋の様子がおかしいのを元に戻してと言われて引き受けたら成仏に応じてくれたわ」
何となく橘は幽霊に対して親近感がわいてきた。自分では視る事が出来ず映画などのフィクションが唯一の情報源だったのでかなり偏った幽霊像を持っていたが実際は自分たちと変わりが無い。無論ホラー映画に出てくるような悪霊も存在するようだがそれでも一括りにするには少し乱暴だ。実際の幽霊の思考回路や感情を知ることによって橘は幽霊に対しての恐怖心が薄らいだ。ただ疑問が一つ浮かぶ。
「何でさっき途方に暮れていた奴らは除霊しなかったんだ?」
「この廃屋で一番空気が濁った所に案内してくれ、と言われたから。空気や環境が悪いことを好む霊は悪霊の成りかけの確率が高い、下手に断って感情を激化させると一斉に襲ってくるかもしれないから曖昧に濁して先に進んだのよ」
「俺、悪霊の成りかけに囲まれてたのかよ……!」
そしてそんな状態のまま放っておいたのかこの女は、そう橘はいきり立ったが、
「ごめんなさい。まさか成りかけとは思わなくて」
あの如月に素直に頭を下げられてしまってはこれ以上怒る事も出来ない。そういう訳で怒りの矛先に迷いつつも生産的な会話を試みる。
「で、どうすんのあの成りかけども」
「強制的に除霊してくるわ。ああなったら手遅れだから」
そう言って来た道を戻っていく如月。結局一人にするのかよ、と橘は思ったが先ほどと比べ霊に対しての恐怖心が薄まったおかげで特に問題は無かった。如月が戻って来るまで暇なので面白いものが無いか辺りを見回すと新聞記事があった。どうやら件のホームレスが持ち込んだものだろう。少しめくって読んでみると最近になってこの町、土御門市で妙な事件が多発しているらしい。行方不明者が何人も出てたり幽霊や化け物を見たという情報もいくつか出ているようだ。昔流行ったであろう都市伝説の類の情報もある。
「この辺物騒だったんだな」
「何の話よ?」
「ひっ!?」
いつの間にか戻ってきたらしい如月に背後から声を掛けられ思わず悲鳴が漏れ出る。幽霊に対しての恐怖心が薄まったとは言っても、やはり暗闇の中急に背後から声を掛けられるのは恐怖でしかない。
「ごめんなさい驚かせたかしら」
「見たら分かるだろうが。除霊は終わったのか?」
「ええ、帰りましょうか。本当はあの悪霊の成りかけ達が惹かれた濁りを探したいのだけど」
如月は除霊や妖怪退治などの攻撃的な霊能力には優れているが探知能力や回復など攻撃以外の能力には自信が無いらしい。初めて如月と会った時に貼っていた結界も高い霊能グッズを使っていたと話していた。とはいえ橘には不思議だった。
「こんなあからさまに怪しい扉を開けずに帰るのか?」
そうどこからどう見てもその先があの成りかけどもの目的地、それくらい怪しい扉を放置するなんて。だが如月はポカンとした顔をする。
「扉? どこにあるのよ」
「あ? だからすぐそこの扉」
「……壁でしょ?」
話にならないので橘は実際にノブを握り扉を開けて見せる。扉の奥には地下への階段が続いていた。すると如月があっけに取られた表情で、
「嘘。信じられないわ……」
そう呟いた。本当に扉を開けてみるまで如月の眼にはただの壁があるようにしか見えなかったようだ。探知系能力に自信が無いと言ってもそれはあくまで攻撃能力と比べての話。一般的な霊能力者と比べるとそれでも十分高い素養を備えている。それなのにそんな如月が認識することすらできない扉がそこにあり、それを橘が視認し解除したというのは恐るべきものであった。かなりレベルの高い結界を張ったものがいてそれを解いた橘、この二つの事象に如月は驚いたのだろう。
「まあ、とりあえず行ってみようぜ」
「……待ちなさい!」
如月の驚愕をよそに先が気になり入ろうとする橘を如月が必死な形相で止める。
「どう考えてもこの先は危ないわ。あなたは先に帰っ――いやここで待っていて。私が奥から逃げろと言ったらすぐ逃げるように。わかったわね」
「現場ではお前の指示が最優先。理解してるよ」
実を言うと橘はここで帰る事は少しもったいなく感じたがこの如月の必死な表情を見て否定など出来なかった。相当ヤバいのだろう。だがそんなところにこんな小さい女の子を一人残すことは情けなく感じた。それでも橘が向かったところで足手まといにしかならないのだろう。
「じゃあね」
「……またな」
何となく如月のその言葉は二度と会えない時に使う気がして不安になり橘は再会を願う言葉に変えた。そんな橘の心の機敏を感じ取ったのか如月は、
「そんな顔しなくていいわよ、どうせすぐ戻ってくるんだから。……またね」
そう言って奥の闇に消えていった。しばらくの間階段を下りていく足音が聞こえていたがやがて聞こえなくなり静寂が訪れた。辺りを照らすは懐中電灯の光のみのこの状況では時間の進みが遅く感じる。
「ま、本当にヤバいことなんてそうそうないさ」
そう自分に言い聞かせる橘。だがそんな橘の願いも虚しく少女の悲鳴が響き渡った。
2022/1/9改訂