妖怪との交流
長い梅雨がそろそろ明けるのか、晴れ間が珍しく無くなってきた頃のこと。橘は、この前会った狐の妖怪である、久野の住まう神社にお邪魔していた。神社は相変わらずどこか寂しい感じではあったが、掃除は行き届いているようで久野が神主としての仕事をこなしている表れに感じる。
以前の様に参道を歩いていると、巫女服を着た金髪の女性がせっせと掃除に勤しんでいた。彼女は橘の存在に気が付くと、驚いて掃除を中断して駆け寄ってくる。
「伊織! 何しに来たのだ!?」
「お前、この前俺の油揚げ奪っていっただろ。一言文句を言いに来ようと思ってな」
「馬鹿者、遅いわ! もう来ないと思っておったぞ。とりあえず中に入って待っておれ! 全くもう困った奴だ」
そう文句を言いながら前を歩く久野は、不思議と嬉しそうだった。どうやら油揚げを盗んだのは橘をここに招き入れるためでもあったようだ。
「で、何で今頃なのだ?」
久野がお茶とお菓子を用意しながら橘に聞く。神主で妖怪で神様という、偉大らしい久野にそんな事をしてもらって良いのだろうか、と一瞬思ったが既に無礼なことは散々やった後で今更である。橘は遠慮せず頂いた。
「雨降ってただろ最近」
「そんな理由だと!? 全く、最近の人間は根性が足りん」
昭和のオッサンの様な良いようだな、と橘は思ったが、そもそもこの妖怪は恐らく千年前くらいから生きているのだ。そりゃあそんな事も言ってしまうだろう。
「とりあえず油揚げの代金寄こせ」
「なんと! お主がそんな奴だとは見込み違いだったかの」
橘は豆腐屋さんからサービスで追加の油揚げを手に入れていたため、正直代金などどうでも良かったが、よよよ、と余りにもわざとらしい泣き真似をする久野を見て、本当に金を要求してやろうかと言う気分になる。
「まあでも、お主には感謝しておるからな。ありがとう」
「どうも」
自分は大したことをしていなかったので、まさか頭を下げられるとは思わず少々面食らう。だがその心の機敏を読まれたようで、久野は悪戯っぽく笑った。どうやら向こうの方が一枚上手の様だ。
「すまんすまん怒るな。金に困ってるのならば少しならやるぞ? ほれ」
「ゴールドじゃんこれ! 受け取れるか!」
金の塊を渡され慌てて返す橘。それを見て久野は少々不満顔だ。
「我の気持ちを受け取れんのか」
「重たいわ」
「全く謙虚な奴だな」
正直言うと欲しかったが、多分こんなもの持ってたら通報されるのが落ちだ。名残惜しい気持ちを振り払い、橘はお茶に集中する。千代のお茶も美味しかったが、ここのお茶も中々味わい深い。
「そうすると、お主は何をしにこの神社に来たのだ?」
油揚げの代金を取り立てに来たと思い込んでいたのか、久野は首を傾げる。
「取り合えず文句を言いに来たんだ。他人のモノを勝手に取るなと」
「心配せんでも、もうせん」
やはりあの行為は橘を誘うためだけに行われただったようだ。橘は安堵し、もう一つの本音を告げる。
「それと、せっかく妖怪と知り合えたから関係性を終わらせるのは惜しいと思ってな」
そう言って久野を見ると、目を丸くしてワナワナと震えた後思いっきり抱き着いて来た。橘が混乱していると、
「全くもう困った奴だ! そこまでお主が言うのなら我もお主と交流するのは、やぶさかではない!」
「おい馬鹿、お茶、危ない!」
しばらく激しい抱擁を受けることになった。お茶は零れた。
程なく久野から解放され、獣臭くなってないか橘は自分の匂いを確かめようとしたが、久野にストップをかけられる。
「お主にはデリカシーと言う言葉は無いのか!」
「よくそんな言葉知ってたな。いや、獣臭くなってないか確かめようと思って」
「なっとらんわ、馬鹿者!」
妙な所で恥ずかしがるな、と橘は不思議に思ったが、自分が女心を分かっていないだけで、相当マズイことをしでかしたのかもしれないと思いそれ以上はやめた。
(そうだ、あとで如月に聞いてみよう)
とりあえず女心は分かっていないようだ。
「じゃあそろそろ俺は帰るわ」
そう言って橘が立ち上がると、久野は驚いた顔をする。
「え? も、もう帰るのか? まだ日は暮れておらぬぞ!」
どうやら寂しがっているようだ。豆腐屋のお爺さんとの話を聞く限り、久野はもしかしたらずっと人と交流を図りたかったのかもしれない。
「いや、晩御飯作らないといけないから」
だが橘の意志は固かった。今日はネットで見つけた美味しい餃子の作り方に挑戦する気満々で、頭の中にレシピを入れていた。どうやらまだ一人暮らしを始めたとき特有の、自炊に対するやる気という火が消えていないようだ。
「晩御飯か! だったら家で!」
食べて行けばいいじゃないか、と続くかに思えたが久野は顔を曇らせた。
「食器も何もかも一人分しかない……」
長らくお客というものが訪ねる事が無かったのだろう、久野は肩を落としてこの世の終わりの様な顔をする。流石にこのまま帰る事が出来るほど、橘の心は乾いていなかったので適当な慰めの言葉を放つ。
「まあ、またそのうち来るからさ」
「な!? わ、分かった!」
きっと犬なら尻尾が千切れるのでは、と思うくらい喜んで頷く久野。そして何かを思い出したかのような顔をして、
「そうだ伊織、次来るときは事前に連絡をよこせ! 晩御飯の準備とかあるからの!」
「いや連絡ってお前。スマホとか持ってんの?」
「馬鹿にするな! 伊達に現代を生きては無いわ!」
そう言って奥から本当にスマホを持ってきた。どういった過程を経て手に入れたかは非常に気になる所ではあるが、橘には晩御飯の準備が待っている。とりあえずメッセージアプリの交換だけしてさっさと帰ろうとしたが、久野はやり方が分からない様だった。しょうがないので久野のスマホを手伝う事にする橘。登録されている友達の数がゼロ人だったのは、見なかったことにした。
「これで良しっと」
「どれどれ……。おお……!」
どうやら連絡先に一人名前が表示されたのが相当嬉しかったようで、久野はスマホを夢中で眺めていた。その隙に橘はお暇し、久野が気付いたときにはもう結界の外だった。