巫女服を着た神主は妖狐で神様
「お主、中々やるではないか! あの結界を通り抜け我の正体を見破るとは……。伊織と言ったか、並ではないな?」
「え、はぁどうも」
結界はともかく、女性の正体を見破ったのは彼女が並では無かったからなのだが、とりあえず流すことにした。
「それであんたは一体何なんだ。化け狐ってやつか?」
「まあそうだな。お主ら人間にも分かりやすく言うと、妖狐と呼ばれるやつだの」
橘は、あまり妖怪の類は詳しくは無かったが、妖狐と呼ばれる妖怪については流石に様々な媒体で人気なので知っていた。狐には神様や妖怪など様々な種類が居て、その中の一つに妖狐と呼ばれる種族がある。
妖狐の中にも更に色々種類があるのだが、それは橘にとってはどうでも良かった。とりあえず人間と同じように、色んな狐が居るという認識さえあればよいと感じていた。
「で、妖狐さんは――」
「なんだヨウコとは!? 我の名は久野〈くの〉だ! 間違えるでない」
妖怪に名前があるとは思わなかったので、便宜上名前を妖狐という体で話を進めようとしたが思いの外お怒りの様だ。
「失礼、久野さんはここで何をしてるんだ?」
「さん、はいらん」
「えっと、久野」
「うむ!」
久野、と言う名前をいたく気に入っているのか、橘が名前を呼ぶと満足そうに笑顔で頷いた。見た目は美人なのに何だか残念な人だな、と橘が思っていると先の質問に答えてくれた。
「我はここで神主をやっておる。まあ、ここで祭られているのは我自身だがな!」
巫女服を着ているのに職業は神主で、実は祭られている神様。橘は頭が混乱しかける。そもそも神っていう事は妖狐じゃないのでは、と思ったが話の腰を折る事になるので黙っていた。
「この町は昔から色々と問題があってな、妖怪たちが跋扈し、陰陽師と呼ばれる人間がそれを退治し逆にやられてを繰り返す非常に危険な土地だったのだ。しばらくして争いはもう止めようと思うてな、ここら辺の妖怪どもにルールを敷いたのだ。陰陽師の連中と停戦協定を結んで、少なくともそれを守る奴は退治をするな、とな」
「じゃあ久野はこの辺のボス妖怪的な立ち位置だったのか?」
「まあそうだの!」
そう言って偉そうに胸を張る久野と言う女性。だが話が本当だったら実際偉いので問題ない。問題があるとすれば、敬語で話す気分になれないほど偉い女性には見えない事だった。
「まあ、守らない奴らは外の土地へ出ていきどうなったかは知らんが、少なくとも我の言う事を聞いてここに残った奴らの面倒は見ないといけないからな」
「じゃあここは妖怪の為の神社って事か」
「まあ人間には人間の神社があるのでな。だが別に参拝したいのならしても良いぞ!」
さぁ、と促されたが橘は遠慮した。そもそも、祭られている神がすぐそこに立って、気さくに話しかけてくるというのはいかがなものだろうか。そしてどちらに手を合わせたら良いのだろうか。色々考えると面倒なので楽な選択をする。代わりに、久野が目に見えて落ち込んだので罪悪感を感じたが。
「というか妖怪のルールってなんだ?」
「簡単に言うと人に迷惑をかけるな、とか人を襲うな、だな」
「はい?」
この女は何を言っているのだろう。最初如月に会った時、妖怪が退治されていたアレは何だと言うのだろうか。
「うむ? 我が守るのはルールを敷いたときにいた連中であって、新たに発生した奴までは面倒見切れん」
「もうちょっと頑張らない?」
下手をすれば死人が出るので何とかしてほしかったが、久野は首を横に振る。
「無理だ。妖怪という連中は、基本的に自然発生していくらでも生まれるのだ、キリが無い。まあ普通の土地なら生まれた瞬間消えていくのが妖怪なのだが、この土地は我らみたいな怪異と呼ばれる連中には過ごしやすい土地だからの。まあ所詮低級妖怪だ。陰陽師、いや、現代風に言うと霊能力者たちに頑張ってもらうしかないな」
そう言って久野はくくっと笑った。何も面白くは無いのだが、妖怪と言うのは少々ずれているのかもしれない。
「陰陽師と言えば、この町の人間に霊能力がある連中が多いのは、昔から伝わる陰陽師たちの血だろうな。お主もそうだろう? 少々血が濃すぎるようだがの」
「いや違うけど」
「そうだろうそう……何!?」
橘は大学を機に家を出て、遠く離れたこの土地までやって来た事を告げると、久野はうなり始めた。
「うむむ……。遠い地の生まれで、我の結界を通り抜ける者がいるのか。少なくとも、最近の陰陽師にすら出来ない芸当なのだがな」
ここでも橘の能力に驚きを持たれているようだが、橘自身には実感が無いので何とも言えなかった。そんな見えないモノよりも気になる事が、橘にはあった。
「さっきの豆腐屋さんで何をしていたんだ?」
すると今までと違い、ふざけた感じではなく表情を曇らす久野。少々空気が変わった。
「ふむ……。まあ大した話ではないのだがな。さっき居た店主、あれの父親が弱っているので、心配になって見に行っておったのだ」
「その人と何かあったのか?」
「まあ、の」
久野は階段に腰掛け、言おうか迷っているようだった。橘は話したくないならそれでいい、と言ったが久野は別に構わん、と言って話し始めた。
「昔、栄吉という小僧がおってな。我が狐の姿で歩いていた時、何やら空腹で倒れていたからの。気まぐれで食料を与えたのだが、それ以来気になって小僧の様子を遠くから見ておったのだ。栄吉は我を見つける度に笑顔で手を振ってな、アイツにとっての宝物をよく我に寄こしたものだ。我にとっては要らないものだったがの」
そう話す久野の顔は、まるで母親が子供の小さいころを話す時の様な慈愛に満ちていた。言葉では要らない、と言っていてもそんなことは無かったのだろう。
「それにしても人間の成長速度は速すぎるな。一個の人間に注目したことが無かったのだが、会う度に大きくなっていく栄吉を見て改めて感じたぞ。外見では良く分からないから、毎回匂いを嗅いで判別していた、懐かしいな」
妖怪の寿命が何年かは分からないが、先ほどの陰陽師たちの話からすると、少なくとも久野は千年以上の時を過ごしていることになる。千年生きる妖怪にとって百年生きるかどうかという人間の成長、老いというものはあっという間に感じるのかもしれない。
「ある日、いつものように奴の様子を見に行くと、とても嬉しそうにしておってな、聞き耳を立てていると自分の店を出すことが決まったらしい。だが再び奴に会いに行くと店は閑古鳥が鳴いておった。その時の奴の顔は、空腹で涙を流していた小僧の時と全く同じ顔をしておった。仕様が無いので我も看板狐として人間どもに愛想を振りまいて大変だったな。奴から油揚げをもらう事になったのはそれからだ」
「なんで、そこまでその人の為に?」
何となく妖怪と言うのは人間を襲ったり、そうでなくても自分勝手な生き方をするというイメージが橘にはあったが、少なくとも目の前の久野と言う女性は、一個の人間の為に相当骨を折っている。一体なぜだろうか。久野は雨空を眺めながら答えた。
「――そうだな、なぜだろうな。お主ら人間という生き物が、脆くて儚くて眩しいからかの」
それは橘の問いに対する答えとしては満足のいく回答では無かったが、感覚として久野はこの上なく自身の気持ちを伝えようとしていた。
「それから店が軌道に乗って、我も看板狐を止めて今までの様な、たまに様子を見に行く関係に戻った。そして奴は良い人を見つけて子宝に恵まれて、そして今に至る。まさか、あの小僧が年老いて死ぬとはな……」
「会わないのか?」
二人がそれほどの関係と言うのならば、死ぬ前に会いたいものだろう。だが久野は鼻で笑う。
「会ってどうすると言うのだ。もう奴が死ぬのは確実だというのに、何と声を掛けたらいいのだ?」
「別に話したくないなら話さなくてもいいじゃん」
「何も言わずただ看取れと? 嫌だ。それに、最後に会うべきなのは我ではなく奴の家族だ。我が行くと色々迷惑をかけるかもしれん」
久野は色々と言い訳をして会いに行こうとしないが、本心では会いたいのだろう。ただ勇気が出ないだけだ。昔から面倒を見てきた人間の死に際に立つと言うのは、橘の想像以上に辛いもののようだ。だが。
「別に俺はどうでもいいんだけどさ、絶対後悔するぞお前」
「……何だと」
橘は久野を見据えて言った。橘のあまりにも断定的な言葉に、久野は戸惑いながらも言葉を発する。
「お主に何が分かる! 我だって色々考えた。だがいくら考えても会って良かった、という結果になるとは思えんのだ!」
「会わない方が良い未来が待っているのか?」
「それは……」
そこまで言われて久野は口ごもった。どちらを選んでもきっと後悔することになる、だから一番無難で、誰にも迷惑を掛けないであろう選択肢を取ったのだろう。栄吉と言うお爺さんや、その家族が、久野と言う存在が死に際に立ち会う事をもしかしたら望んでいないかもしれない、そんな言い訳を考えて。
「久野はどうしたい?」
「我は……」
「他人がどう思っているなんてどうでもいいんだ。久野が、久野自身がどうしたいんだ? 会って後悔するのか、会わないで後悔するのか、どっちを選ぶか。それだけだ」
そこまで言うと久野はまた黙った。今度は下を向いて色々と考えを巡らせているようだった。これ以上はあとは久野の問題だろう、そう思って橘はこの神社を後にすることに決めた。最後に一言だけ残して。
「どうでもいいけど、豆腐屋さんの家族には狐が見舞いに来るって言っておくから」
「な!? お主!」
後ろで久野がギャアギャア騒いでいたが、橘は後ろを振り返る事無く去っていく。久野が迷っていようがどうしようが、橘は橘のしたいようにする、と決めていた。どっかの刑事も自己中は悪くないと言ってたし。