第3話 【最後の】俺たちには昔、母親がいたんだ【真実】 1/2
「むにゅ……遊くーん……」
「ぐぇ」
自宅のリビングで、カーペットにあぐらをかいていたら――後ろから突然、結花が首元に絡みついてきた。
起動したばかりのノートパソコンから顔を上げて、振り返ると。
そこには、ソファの上から俺にしな垂れ掛かり、うたた寝している結花の姿が。
寝ちゃったのか……まだ夜の九時だってのに。
まぁ仕方ないか。今日は本当に、色んなことがあったしな。
――もしも私が、スキャンダルで炎上しちゃったときは……お披露目イベントへの参加を、辞退させてください。
その言葉を聞いて、鉢川さんは泣き崩れた。
来夢は、完全に『紫ノ宮らんむ』に表情を切り替え、何も言わず結花を見ていた。
そして六条社長は――深々と頭を下げて。
「和泉。他の演者や、ファンのことを思う君の気持ちは、理解したよ。だが、その上で言わせてほしい――もう少し時間をくれ。『60Pプロダクション』としてはギリギリまで、最善を尽くしたい」
「ふにゅう……遊くんの、においー……」
――事務所での一幕を思い返していたら。
うたた寝結花が、俺の耳元に顔を近づけてきた。
そして、可愛いウィスパーボイスで。
「……はぅ……んっ……遊くん、すき……んにゅ……ちゅき。ちゅー……愛してる……」
「うぅぅぅ……っ!?」
鼓膜を通じて、全神経がビリビリッと痺れるのを感じた。
割と本気で、死ぬかと思ったんだけど。
寝ながら命を狙ってくるとか、さすがは結花。もはやアサシンだわ。
ってなわけで。
自分の身を守るため、結花の身体をソファの上に戻してから。
俺はノートパソコンに向き直り、ZUUMアプリを起動した。
『兄さん、遅すぎじゃね? 一万年と二千年は待ったんだけど、マジで』
通話開始の一発目から、刺々しい言葉が放たれた。
俺はげんなりした気持ちになりつつ、それに応える。
「いきなり攻撃的だな、お前は。RPGでエンカウントしたモンスターか」
『は? 人をモンスター呼ばわりとか、どんな教育を受けてきたわけ? 一万二千年も待たされた割には、相当優しくしてる方っしょ』
「素朴な疑問だけど。一万二千年経ったんならお前、もうおばあちゃんじゃない?」
『うわっ、女の子に年齢の話とか……やば。兄さん、デリカシーはどこに落としてきたの? トイレ?』
ああ言えば、こう言う。
さすがは毒舌に定評のある、我が愚妹・佐方那由――の、ショートヘアバージョン。
ちなみに、ロングヘアのウィッグをかぶって、Tシャツ&ジージャンから可愛い服に着替えた場合……那由は、だだ甘な妹にモードチェンジする。
ツンとデレが両極すぎる、ツンデレの変異種。それが那由だ。
『で? 兄さん……さっきのRINE、なに?』
「いや。書いてあったとおりのことしか、俺にも分かんねーよ」
那由には、ついさっきRINEで、ここ数日の出来事を伝えた。
結花の先輩声優・紫ノ宮らんむが、野々花来夢だったこと。
暴露系MeTuber『カマガミ』によって、和泉ゆうなのスキャンダルが握られてしまったこと。
そして――『60Pプロダクション』で遭遇した真伽ケイが、俺たちの母親だったってことを。
『はぁ……ま、いいや。とりま、こいつを吐かせりゃいいんでしょ?』
『えっと……父親を椅子に縛りつけた上に、こいつ呼ばわりするのは、人道的にどうなのかなぁ?』
那由の隣には、椅子にぐるぐる巻きにされた、俺の親父――佐方兼浩の姿があった。
そんな哀れな姿の親父を見て、俺は強い口調で言う。
「那由、何してんだよ……縛りつけるだけじゃ、全然足りないだろ! 目隠しをして、手足を拘束して、喋る以外なんにもできない身体にしないと!!」
『おっけ、兄さん! 尋問じゃなく、拷問ってことね!!』
『待って!? どうして僕に罰を与えるときだけ、仲良し兄妹になるの!?』
そりゃ、日頃の行いのせいに決まってんだろ。
何も知らないふりして、結花が俺の推しの声優だって、最初から把握してたりとか。
何も考えてないふりして、俺と結花の結婚話が進んでいくよう、お義父さんに働き掛けてたりとか。
俺たちの結婚の裏側で、常に暗躍し続けてきた存在――それが親父だろ?
バトルマンガだったら、完全にラスボスのポジションだからな? ちょっと四肢を拘束されるくらい、自業自得だと思うぜ。
『まったくもぉ……こんなことしなくたって、母さんのことだったら、ちゃんと説明するつもりだよ?』
那由に後ろ手を掴まれた体勢のまま、親父がぼやく。
「今までちゃんと説明しなかったから、こうなってんだろ」
『……そうだね。今まで話してなかったのは事実だから、言い訳のしようもないか。だけどまさか、遊一と母さんがバッタリ会うなんてね――声優業界っていうのは、思った以上に狭いんだなぁ』
『なに、その口ぶり? じゃあ、やっぱり父さん――真伽ケイって奴が、母さんだって知ってたわけ!?』
親父の手首を掴んだまま、那由が声を荒らげる。
そんな那由と、俺のことを交互に見てから――親父は。
いつになく哀しそうに、言ったんだ。
『ごめんね、今まで黙ってて。これから、ちゃんと話すよ。遊一と那由の母さん――京子のことを』
◆
――――親父と出逢う以前から、母さんはモデルの仕事をしていたらしい。
佐方京子。旧姓、新戸京子。
彼女はその本名とは別に、『真伽ケイ』という名前を持っていた。
黒く艶やかなロングヘアを翻し、見る者すべてを魅了するモデル――それが真伽ケイ。
けれど、彼女の魅力は、決して天性の容姿によるものだけじゃない。
カメラやファンの前ではいつだって、真伽ケイは笑顔を絶やさなかった。
魅力的な写真が撮れるまで、何度でもリテイクを願い出て、妥協を許さなかった。
天性の容姿と、圧倒的な努力と、並々ならぬ情熱。
それらすべてを持ち合わせていたからこそ、真伽ケイはトップモデルに到達し。
そして、いつしか――『純白のアリス』という二つ名で、呼ばれるようになった。
…………らしい。
「らしい」ってのは、俺も那由も今日まで、その事実をまるで知らなかったからだ。
それくらい、親父も母さんも……家ではモデル業のことなんて、おくびにも出さなかった。母さんが写ってる雑誌の一冊すら、俺たちは見た覚えがない。
その上、俺も那由も、モデル界隈に興味を持つタイプじゃなかったからな。
まさか母さんが、元・トップモデルだなんて――夢にも思わなかったよ、本当に。
――那由が生まれた頃、母さんは完全にモデル業を引退したらしい。
那由が小学校に上がった後は、昔の関係者の紹介で、ときどきファッションデザインの仕事を手伝ったりはしてたけど。
華やかな芸能界からは、随分と離れた場所にいたんだそうだ。
そんな母さんに転機が訪れたのは――俺が中一、那由が小四の頃。
かつて真伽ケイのマネージャーを務めていた六条麗香が、ファッションモデル・アイドル・声優などの様々な部署で経験を積んだ上で、独立を決意したときだった。
――――新たに声優事務所を立ち上げるつもりなんだ。
――――もしよかったら、京子の力を貸してほしい。
久しぶりに顔を合わせた六条麗香から、そう告げられて。
母さんは大いに悩んで、親父にも相談したんだそうだ。
「わたしはモデルの頃――みんなに笑顔を届けようって、頑張ってきたわ。そうしたらね、ファンの人も、スタッフの人も、たくさん笑顔になってくれて……嬉しかったの。それを見てわたしは、いっぱい幸せだった。しかも、引退した後は……言うまでもないわよね。もっともっと、かけがえのない幸せを――遊一と那由が、運んできてくれたわ」
そして母さんは、悩んで悩んで。
最後にそんな話を、親父にしたらしい。
「だから、今度は『つなぐ』番。わたしが笑顔を届けるんじゃなくって――笑顔を届ける力を、後進に伝えたい。バトンをつないでいきたいんだ、麗香と一緒に」
――――それが、母さんの選んだ答えだった。




