第23話 【開演】俺が知らない『彼女』の物語【暗転】 1/2
――――ええ、そうよ。私は……紫ノ宮らんむ。
人通りのない小道に立ったまま。
俺は目の前の来夢から、目を離せずにいた。
風になびく、栗毛色のショートボブ。
少し太めの眉に、くりっとした大きな瞳。
その見た目は、間違いなく――野々花来夢なのに。
彼女が湛えている表情は、完全に――紫ノ宮らんむのもの。
「名乗るより前に、気付かれるとは思わなかったわ。私の演技も、まだまだね」
低いトーンで、来夢は淡々と告げた。
そして、普段の来夢とは違う笑みを浮かべる。
「あまり驚いていないのね、遊一。ひょっとして、私が欺かれていただけで、前から気付かれていたのかしら?」
「……そんなわけないだろ。気付かないふりなんて器用なこと、できねーよ」
「そうね。遊一は昔から、すぐに顔に出るものね」
――不思議な感覚だ。
来夢と会話をしてるはずなのに。
喋り方も声の印象も……まるで来夢じゃないみたいに感じる。
「来夢……マジで顔に出さないよな。沖縄公演のとき、紫ノ宮らんむと会っただろ? あのときだって、まったく動じてなかったし」
「驚いてはいたわよ。ゆうなの『弟』が――まさか遊一だなんて、思いもしなかったもの。それでも私が、演技を崩さなかっただけ。イレギュラーが起きようと、涼しい顔で立ち回る――それが役者だから」
「……とんでもないこと言ってるって、分かってる?」
演技に懸ける、圧倒的な情熱と。
どんな不測の事態でも、落ち着き払っていられる冷静さ。
それを聞いて俺は、改めて実感した。
来夢は本当に――紫ノ宮らんむなんだなって。
「つーか……マサが卒倒するぞ? 紫ノ宮らんむが、実は来夢だとか知ったら」
「確かに、そうかもね。雅春の知っている私と、らんむ……まるで違うもの」
俺の軽口に淡々と返すと。
来夢はふっと、目を瞑った。
「――遊一は。野々花来夢が、紫ノ宮らんむを演じていた……そう思っているのよね?」
「……は? そりゃ、そうだろ。なんでそんな、当たり前の質問――」
「違うわ。それだけじゃないのよ――私の『演技』は」
少しだけ強い語調でそう言うと。
来夢は目を開けて、少しだけ寂しそうに……笑ったんだ。
「私が演じていたのは、紫ノ宮らんむだけじゃない。遊一たちの知っている『来夢』。それも私の――『役』のひとつなの」
◆
それでは――野々花来夢という少女のお話を、はじめましょう。
小さい頃の来夢は、歌や踊りが大好きな、どこにでもいる普通の子で。
いつかアイドルになりたい、なんて夢を見て……TVを観ながら、アイドルの真似を繰り返していました。
そんな来夢の家に、変化が訪れたのは――小学校高学年になった頃のこと。
銀行員として、出世街道を歩いていた父が、過労で身体を壊したのです。
それから程なくして、父は仕事を辞めました。
そして父母で話し合い、今の家に引っ越して――喫茶『ライムライト』を経営するようになります。
仕事で命を削るより、昔からの夢を叶えて生きていきたい。それが父母の思いでした。
そんな風に決断した二人のことを……来夢は今でも、尊敬しています。
けれど――世界は、そんなに優しくなくて。
いわゆるエリートだった父の凋落を、親族たちは揶揄しました。
直接的には言わないけれど、陰でひそひそと貶める様子を、来夢は何度も見ました。
そんな風に、人の夢や信念を……馬鹿にして、踏み荒らす人間がいると知って。
来夢はいつしか――自分の心を隠すようになりました。
誰かに夢を語るのはやめよう。
ふわふわと周りに合わせて、笑っていよう。
現実という舞台の上で、『来夢』という仮面をかぶって――演じ続けよう。
そうして生まれた『来夢』という役柄が……遊一たちの知っている、野々花来夢。
来夢の本当の夢――それは「芝居や歌で幸せを届けたい」というものでした。
そして、そんな夢が叶うかもしれない転機が、来夢に訪れます。
『ラブアイドルドリーム! アリスステージ☆』の、らんむ役に――素人だった来夢が、大抜擢されたのです。
それから、元・トップモデル――真伽ケイさんも関わっている、『60Pプロダクション』に所属することになり。
声優・紫ノ宮らんむとして――夢への一歩を、踏み出しました。




