第8話 俺の許嫁が、過去の自分にさよならをしたんだ 2/2
「はぁ……死ぬほど疲れた……」
ようやく騒ぎが落ち着いたところで。
俺は結花の部屋に移動して、深々とため息を吐き出した。
「……遊くん。ごめんね?」
トーンダウンした結花は、殊勝な声でそう言うと。
運んできた掛け布団で口元を隠しつつ、上目遣いに俺の顔を覗き込んできた。
「……そうやって可愛い顔したら、許してもらえると思ってるんでしょ?」
「……うにゅ」
わざと意地悪なことを言ってみる。
すると結花は、布団を頭からかぶって、その場にしゃがみ込んだ。
その結果……びろんと広がった掛け布団の真ん中だけが盛り上がってる、スラ○ムみたいな状態の出来上がり。
「結花ちゃんは、反省しすぎて溶けちゃいました。でろーん」
「これ、溶けた設定なの? っていうか、溶けたのに喋ってるじゃん結花」
「これは結花ちゃんの生前の魂が、遊くんの心に語りかけているのです。結花ちゃんはごめんなさいのあまり、溶けてしまったんです……遊くん、ごめんね? 許してー。仲良く寝たいよー。でろーん」
ずるいでしょ、その甘え方。
そんな子どもみたいに甘えられたら、許すしか選択肢なくなるじゃん。別に最初から、怒ってなかったけど。
さすが結花……婚約生活が長くなって、もはや甘えのスペシャリストと化してる。
「いいよ。俺の方も、ムキにさせちゃってごめんね」
「……やった! 私も、いーよっ!! ででーん。結花ちゃん、ふっかーつ!」
バッと布団を剥いだ結花は、めちゃくちゃ嬉しそうに笑いながら――俺の胸に向かって、思いっきり飛び込んできた。
「……ふへ。遊くん、いいにおいー……好きー」
「もぉ……そうやってると、眠くなっちゃうよ結花? ほら、先に布団敷いちゃおうよ」
それから俺と結花は、二人で布団を敷いた。
結花が「二人で布団をくっつけて寝たい」と言って譲らなかったので、二人が並んで寝られるような配置で。
そうして寝る準備が終わったところで、俺はふと……結花の部屋を見回した。
畳敷きの結花の部屋には、ほとんど荷物がない。
大半のものはきっと、うちに持ってきてるからなんだろうけど。
唯一置いてあるのは、部屋の奥にある三段ラック。
そこに、数年前の少女マンガ雑誌といくつかのCD、それから学校のアルバムが残されている。
「ちょっと、遊くんっ! あんまり部屋を、じろじろ見ないでってば!!」
そう声を上げたかと思うと。
結花は後ろから、俺の目を塞いできた。
「もぉ! ほとんど遊くんのおうちに持っていっちゃってるから、散らかってはないけど……一応、乙女の部屋なんですー」
「乙女は見られて恥ずかしいものがなくても、目を塞いでくるもんなの?」
「何もなくっても、見られたら恥ずかしいのが乙女心なの、もー……遊くんの、ばーか」
ぼやくようにそう言って、結花はギュッと、俺の背中に身体を寄せてきた。
「……遊くん、あったかーい。ふへっ……気持ちいいなー、遊くーん……」
ちょっとちょっと。目を塞いだまま、ふへふへしないでくれる?
っていうか、そんなに密着されたら、なんか背中に柔らかいものが当たっちゃうから。正月早々、悶々とした気持ちになっちゃうから。
「――ねぇ、遊くん。寝る前にね、一人だけ電話しておきたい人がいるんだけど……いいかな?」
ふっと、そう囁いて。
結花は俺の目元から手を離し、こちらの顔をひょいっと覗き込んできた。
……なんでわざわざ、そんなこと確認するんだろう?
普段だって二原さんたちと、普通に電話してるってのに。
「全然大丈夫だけど……誰にかけるの? 二原さん? それとも声優関係とか?」
なんとなく、違うんだろうなと思いつつ、聞いてみる。
そんな俺のことをじっと見つめたまま――結花は穏やかに、微笑んだ。
「ありがと、遊くん。私が電話したいのはね……中学のときの、友達なんだ」
「…………え?」
予想外すぎる相手だったもんだから、俺は思わず変な声を出してしまった。
だって、結花にとっての中学の友達って。
とても楽しく電話できる相手なんかじゃ、ないはずだから。
――文化祭の少し前に、結花から聞いた昔の話。
中二の頃までの結花は、オタクトークで明るく盛り上がるタイプの女子で。
いつも数人の仲良しメンバーと一緒に、平凡な毎日を過ごしていた。
だけどある日を境に……「なんとなく気に食わない」なんて理由で、他のグループの女子が嫌がらせをしてくるようになって。
最終的には仲の良かった友達も、巻き込まれないようにと、離れていって。
そんな日々に疲れた結花は、中二の冬にプツッと糸が切れてしまい。
しばらくの間――家に引き籠もることになったんだ。
「…………平気なの? 結花」
そんな過去を知ってるからこそ、俺は堪らず尋ねてしまう。
だけど結花は、普段と変わらない穏やかな笑顔のままで。
「うん。今の私なら、もう……大丈夫だよ」
そして結花は、電話をかける。
その相手は、かつて――一番の友達だったという女の子。
『……もしもし? 結花ちゃん?』
静まり返った室内に、電話口の向こうの声が、かすかに聞こえてきた。
「もしもし。久しぶり、咲良ちゃん」
『……うん。久しぶり……元気に、してた? 関東の高校に通ってるって、聞いてたけど……』
「うん、そうなんだよー。地元を出て、上京してね? すっごく、元気にしてるよっ!」
結花が弾むような声でそう言うと、相手の彼女が……上擦ったような声で応える。
『……そっか。元気に、してるんだね。結花ちゃん……』
「うんっ! 仲良しの友達もできたし、学校もすっごく楽しいんだ。それにね、実は……彼氏もできたの! えへへ……意外でしょ、咲良ちゃん? こんな私に、彼氏なんて」
『……そんなこと、ないよ。だって結花ちゃんは……昔っから、とっても優しくて……』
言い掛けて、言葉が途切れる。
しばらくして、電話の向こうから――泣きじゃくる声が、聞こえてきた。
『ごめんなさい……結花ちゃん、ごめんね……っ! ずっと謝りたかった……結花ちゃんが辛いとき、わたしは……自分がいじめられるのが怖くて……逃げ出して……っ!!』
何度も何度も、呼吸を乱しながら、彼女は言葉を続ける。
『……今さら謝るのも、卑怯だよね。結花ちゃんに許される資格なんか、わたしにはない……結花ちゃんを裏切った、わたしには……』
「――うん。咲良ちゃんならきっと、そうやって自分を責めてるんだろうなって思ってた。だから……どうしても、電話したかったんだ」
結花もまた、声を震わせながら。
それでも電話の向こうの友達に向かって――必死に言葉を紡ぐ。
「今まで私も、勇気が出なくって……連絡できなかった。ごめんね、遅くなっちゃって」
『……なんで、結花ちゃんが謝るの? 結花ちゃんは、何も悪くないよ……悪いのは、いじめてたあいつらと、逃げ出したわたしたちで……っ!!』
「私ね? 今でも……咲良ちゃんのことが好き。一緒に楽しくお喋りしてた、あの頃のみんなが――今でも、大好きなんだ」
ぽたぽたと、結花の足もとに涙の雫が零れ落ちていく。
だけど結花は、満開の笑みを浮かべたまま――言ったんだ。
「私は元気にしてるから。いっぱいいっぱい、幸せにしてるから……ね? もう、自分を責めないで? 咲良ちゃんたちが、幸せな毎日を過ごせるようにって、本気で願ってるから――だから、ね? …………一緒に、笑お?」
◆
「――ありがとう、遊くん。電話が終わるまで、待っててくれて」
電気を消して布団の中に潜り込むと……結花は照れくさそうに、頬を掻いた。
そんないつもどおりの結花が、なんだか妙に愛おしくなって。
「ふぁ!?」
「お疲れさま、結花」
気が付いたら俺は、結花のことを――強く抱き締めていた。
結花は「えっとえっとぉ……」なんて言いつつ、しばらく手足をバタバタとさせてたけど……最終的にはギュッと、俺のことを抱き返してくる。
「……遊くん。今日はこうやって、ぎゅーってして寝てもいーい?」
「うん、いいよ――結花、頑張ったね」
俺が頭を撫でると、結花はくすぐったそうに笑う。
そして、俺の胸元に顔を埋めて。
「――文化祭のときにね? 中学の頃にいっぱい作れたはずの思い出は、教室に置きっぱなしでいいやって……これからは、今をいっぱい楽しもうって、そう思ったんだ」
「うん」
「だけどね? 修学旅行も、インストアライブも、クリスマスも……なんでもない毎日も。いっぱい楽しくって、いっぱい幸せだなって思えたら――ちゃんと挨拶したいなって。そんな気持ちが、湧いてきたの」
「中学の友達に?」
「うんっ。辛いことがたくさんあったのは、本当だけど――咲良ちゃんたちと笑ってた頃の楽しい思い出だって、嘘じゃないから。だから、私は元気だよって。心配しないでねって……ばいばいって。ちゃんと、言いたかったんだ。独りよがりかもだけど」
顔を埋めている結花の表情は、見えないけど。
なんとなく、泣きそうな顔をしてる気がしたから……俺はそのまま、結花の頭を撫で続けた。
「……ん。遊くん、大好き……」
過去の自分にさよならして。
かつての友達にも笑顔でいてほしいと願って、エールを送った結花の姿は。
比喩じゃなくって、間違いなく――天使そのものだったから。
だから今日はこうして、俺の腕の中で羽休めしてくれたらなって。
――――心の底から、そう思ったんだ。




