第16話 女子のデリケートな話題で、地雷を踏まないのって無理ゲーすぎない? 2/2
「はぁ……疲れた……」
ジョギングを終えて帰宅した俺は、玄関を入ってすぐの廊下に倒れ込むと、仰向けになってぜぇぜぇと荒い呼吸をする。
全身からは汗が噴き出してるし、脚はめちゃくちゃ痛い。
「ふへぇ……私も、疲れたぁ……」
そんな俺の横に座り込んだ結花は、ぐったりと頭を垂れた。
前髪が汗で額にくっついて、頬は真っ赤に染まっていて。
なんていうか……健康的な色気を感じる。
「いい運動になったけど……熱くなっちゃったね。最初はあんなに、寒かったのに」
「そうだね……まだ心臓あたりがバクバクしてるし、普段の運動不足を実感したよ……」
「あははっ……それにしても、あっついー……」
そう言いつつ、結花はジャージの前側を開けると、白いTシャツを露わにした。
そしてパタパタと手を振って、自分に向けて風を送りはじめる。
あれ……なんだろ? Tシャツの胸元あたりが。
なんだか、ピンク色に見えるような気が――。
「…………っ!」
それが、いわゆる『透けブラ』だと気付いて、俺は大慌てで結花から視線を逸らした。
だけど……吸い寄せられるように、俺の目は再び、結花の胸元へ向いてしまう。
汗でぴったり肌にくっついた、白いTシャツ。
そのせいで、結花のスレンダーな体型が服越しにも分かるほどになってる。
そのくっつき加減は、胸元も同じで――小ぶりだけど綺麗なラインが出ていて。
同時に――その胸を覆ってるピンク色のブラジャーが。
完全に透けて……レースの形までくっきりと、浮き出してしまっている。
「……? 遊くん、どうしたの? そんなにじっと見て……」
「あ、い、いや! なんでもない、なんでもないよ!!」
きょとんとする結花と目が合ったところで、俺は慌てて顔を背けた。
まずいまずい。
いくら許嫁とはいえ――服が汗で透けてる様子をまじまじ見るのは、人として駄目だ。
だけど……何を思ったのか。
結花は俺の頭に、そっと手を添えると――ぐいーっと。
俺の顔が自分の方へ向くように、無理やり動かした。
――汗で透けて見える、艶めかしいボディラインが。
――レース付きのピンク色のブラジャーが。
結花の服の下、そのすべてが……視界いっぱいに飛び込んでくる。
「ちょっ、ゆ、結花!? 何してんの!?」
頭を固定されてるもんだから、俺は慌てて目を閉じて、見ないように配慮する。
なんて、こっちは気を遣ってるってのに……結花はなぜだか嬉しそうな声色で、囁くように言った。
「えへへっ……いいよ? もっと見て? 私の、こと……」
「えっ!? 見て――いいの?」
「……うん。だって遊くん……私のこと、見たかったんでしょ?」
何この、悪魔の囁き。
こんなの、相手が許嫁じゃなかったら、真っ先にハニートラップを疑うわ。引っ掛かったら、黒ずくめの男たちに連行されるんだろ? 知ってる知ってる。
だけど……相手は俺の許嫁、綿苗結花で。
そんな結花が「いいよ」って言ってるんだから……。
――――見て、いいのか?
俺の中の理性と本能が戦って……割と早々に、理性がKO負けした。
そして俺は、ゆっくりと目を開ける。
結花の透けた身体が、視界いっぱいに広がる。
「えへへっ。やっぱり運動してよかったなぁ……有酸素運動って、速攻痩せ効果があるんだねっ! だって遊くん、私のスタイルが良くなって――めろめろになったんでしょ?」
「…………うん?」
「よーし、それじゃあ遊くん! 痩せた私のスタイルに、めろめろになるがよいー」
そう言って、右腕を頭の後ろに当てると。
ちょっと照れ気味なドヤ顔をしながら、結花は――グラビアみたいなポーズを決めた。
そんな体勢を取れば、当然だけど胸元がより強調されるから……『透けブラ』の状況はさらに悪化して。
もう服なんて、あってないようなもんだ。
「はい、ゆーくんっ! さっきまでより、痩せた私を見た、感想をどーぞっ!」
「え……あ、んと……ピ、ピンク?」
「……ピンク?」
動揺してつい口走っちゃった俺の言葉に、結花は怪訝な表情を浮かべて。
俺の方に向けていた視線を――ゆっくりと自分の身体へと、落とした。
――――そして。
「うきゃああああ!? す、透けてるー!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい! 結花が見ていいって言ったから、俺の中の悪魔が!!」
平謝りする俺の前で、結花は両腕で胸元を隠すと。
頬を真っ赤に染めて、唇を尖らせて――上目遣いに言った。
「……ごめんね。不意打ちだと心の準備ができなくって……恥ずかしいから。えっと、見たいって思ってくれたのは……ちょびっと嬉しいんだけど、ね?」
「嬉しい……の?」
「そんなの、聞き直さないでよ……えっち」
そして結花は、「えへへっ」とはにかむように笑うと。
囁くように、言った。
「大好きな遊くんだもん。魅力を感じてくれたんなら――嬉しいに決まってるじゃんよ」
◆
そんなこんなで――俺は汗だくになってた身体をタオルで拭いて、部屋着に着替えると、リビングのソファに腰掛けた。
なんだか思った以上に、脚がパンパンになってるな……。
ちなみに結花は、先にシャワーを浴びに行ってる。
――ジョギングに、即効性があるのかは知らないけど。
少しでも結花にとって、満足いく結果が出てたらいいなって思う。
昨日と一昨日みたいに、ひどく思い悩んでる結花の姿なんて……見てられないから。
「……ひぃぃぃぃ……もう、おしまいだよぉぉぉ……」
か細い悲鳴が聞こえたかと思うと――ガチャッとリビングのドアが開いて。
部屋着姿になった結花が、ばたりとその場に倒れ込んだ。
「ゆ、結花!? だ、大丈夫?」
「大丈夫じゃないでーす……どうも、全然体重の減らなかった、ぽっちゃり結花ちゃんでーす、こんにちはー……」
「とんでもない自虐だな!? だから全然、ぽっちゃりじゃないから、落ち着いて!?」
絶望してる結花をフォローしつつ――俺はさすがに、おかしくない? って思う。
だって、あんなにジョギングしたんだよ?
さすがにまったく減らないってのはおかしくないか?
ひょっとして、体重計に問題があるんじゃあ……。
というわけで――絶望に打ちひしがれてる結花を連れて、俺は脱衣所に移動した。
そこにあるのは、件の体重計。
「ちなみに結花、前に比べてどれくらい増えてたの?」
「……はいはい、二キロですよーだ。二キロ! 女子高生が、二キロ増量!!」
騒がしい結花は、ひとまずスルーして。
取りあえず俺も、その体重計に乗ってみる。
針がぐらぐらと揺れて、指した先の体重は…………。
「……うん。俺も前に計ったときから、二キロ増えてるな」
「いやぁぁぁぁ……ってことは、私の用意する食事がよくなかったってこと? こんなんじゃ、とても遊くんのお嫁さんになんて、なれないよぉぉぉ……」
「違う違う。そうじゃなくって――体重計がずれてんじゃないのって、言いたいの!」
「……へ?」
体重計から降りると、針の調整ができないかなと思い、ひっくり返してみる。
すると――そこには、なんかノートの切れ端みたいなメモが貼り付けられていた。
『どう? ダイエットを名目に、子作り運動に発展するのを、期待してるし』
――またこいつの仕業か!!
「けけけっ」と小悪魔みたいに笑う那由の姿を幻視して、俺は深くため息を吐いた。
「……変だとは思ってたんだよな。文化祭の後、なんのいたずらも仕掛けず、帰ってったから。あの愚妹が、なんもしないわけがないんだよな……ってわけで、結花。今回のダイエット騒動は、那由が体重計に細工を仕掛けたからで――」
「……遊くん。ちょっと、電話してきていいかな?」
――――その後。
電話口で、修羅のような勢いの結花に怒られた那由は。
涙声で「ごめんなさい、もうしません」を連呼することになったのだった。
まぁ……完全にあいつの、自業自得だけど。