4. 猫と、僕とおじいちゃんの攻防
木の根元にちょこんと座り、うきうきと本を開こうとしていたリコは、ふと顔をあげた。
「・・・?」
────なんだろう?
今いる中庭は、祖父の店と自宅の間にある。
家の勝手口から店の裏口までリコの足でぴったり30歩。ちなみに祖父は18歩だった。
祖父には、
「お前足短ぇなぁ。」
と鼻で笑われカチンときたので、たまに記録更新のため数えて歩く。
敷地の両側は漆喰で塗られた塀により隣接する建物と隔てられていて、長年の劣化で所々禿げた白い漆喰とはみ出した煉瓦の明るい茶色で大分まだらになっている。
塀の上は、近所の猫たちの通り道になっている。
家の窓から、かち合わせた猫がうなりあうのがしょっちゅう見える。お互いどうぞと譲り合えばケンカしなくてすむのに、とリコはいつも考えていた。
実は猫が大好きだ。生き物は何でも好きだが、かわいい鳴き声の柔らかくってふわふわであったかい、猫がいちばんだ。
この界隈に住んでいる猫という猫を秘かに網羅している程。
もちろん、人懐つこくて触れさせてくれる猫は殆どが顔馴染みだったりする。
(余談ではあるが、横丁に暮らしている猫の獣人さんもだいたい把握済みである。)
いつか自分の猫が飼えたらなぁと思っている。
とある夜、リコの就寝前のこと。
晩酌をしている祖父がほろ酔いで機嫌の良いところを見計らい、初めて猫が飼いたいとねだったときには、
「あいつら我が物顔で勝手にどこにでも入りこみやがって、人の寝床はとりやがる、所構わず爪を研ぐ。にゃあにゃあにゃあにゃあうるせぇし。飼い主の言うことは一っつも聞きやしねぇ。引っ掻くわ毛は飛ぶわ、始末に負えねぇんだぞ。」
───妙に具体的な事例をあげて反対してきた。
「ん?おじいちゃんねこ飼ったことあるの?」
「大昔な」
「ずるい!なにそれ、おじいちゃんだけ、ずるいー!!」
僕だってねこ欲しい!一緒に寝たい!ふかふかモフモフしたい!遊びたい!
「ずるかねぇよ──今はガキ一匹で充分だ。ほれ、さっさと寝ろ。」
しっしっ、と寝床へ追い立てようとした。
話を聞く気もないらしい。
「がきじゃなくてねこ!」
リコも引いてなるものかと食い下がる。
それから猫がどんなに可愛いか、どんなに猫が好きなのかを懸命に語るリコに、
「俺ぁな、猫より若くて可愛いおねえちゃんが好きなんだ!」
真面目な顔できっぱりと、ろくでもない発言をした。
夕刻には帰ってしまうマーチャがもし居たなら、箒でひっ叩かれていただろう。
リコは可愛いおねえちゃんよりも可愛い猫のほうが好きだ。
「ちがうってば!おねえちゃんじゃなくてねこ!」
「猫耳のおねえちゃんもいいねぇ。」
顎髭をさすりニタニタしている。
・・・リコの頭に横丁入口、煙突掃除屋のミリさんが浮かんだ。サバトラの猫獣人で気っ風のよい美人さんである。
いやいや、そうじゃない、と頭を振り、
「もう!ちゃんと聞いてよ!!」
「おう。真面目に聞いてんだろ。若いおねぇちゃんならいつでも大歓迎だぞ。」
と話にならなかった。
それから祖父はさらに酔っぱらってしまい、猫っぽい性格の女の人と犬っぽい性格の女の人どちらがいいか、などとリコにはよくわからない講釈をたれはじめ、話がうやむやになってしまった。
しばらくして次にねだったときには、やっぱりまたのらりくらりと躱されてしまったが、その後すぐにリコの寝台の上に、1冊の本が置かれていた。
子供向けのようだ。
題名は、
“猫にまつわるでんせつとこわいはなし”
「・・・・・」
半目になった。
幼いリコにもさすがに意図が透けてみえる。
・・・・おじいちゃん・・・・。
なんともいえない表情でその濃い紫色の滑らかな表紙の本を手に取った。
それはもちろん祖父の店の品である。只の読み物であるはずがない。油断していた。
───ンナァォオオォ──ゥ!!!
突然不気味な声が部屋に木霊した。
「ぅわあっ!!!」
思わず本を放り投げ横っ飛びして、服の胸元をギュッと握りしめた。
やはり魔術が付与されているその本は、読み進めると要所要所で臨場感たっぷりの効果音や振動、気味のわるい猫の鳴き声の出る仕様になっていた。しかも放置していると微妙にカサコソ動き回る。
ドキドキする胸を押さえながら、心の中で悪態をついた。
もう!おじいちゃんめ!
悔しいのでリコは、負けるものかと本を読み切ることにした。怖いので昼間、必ず誰かのいるところで。
時折びくりと肩をすくませて、本気で怖がるその様子を祖父は、
「ほぉう。」
と煙管をふかしながらにやにや見ていた。
意地の悪い爺さんである。
かわいい(はず)の孫へのこの仕打ちをある日店番に来ていたナルーカ青年──ナー兄さんとリコは呼んでいる──に言いつけると、やっぱりリカムさんだなぁ、と苦笑しながら言っていた。
昔似たようなことをされたらしい。
おじいちゃんて、昔からあんななのか・・・。
孫としては、恥ずかしくて申し訳なくて複雑な心境であった。
その後、食卓に置かれていた本の唐突な鳴き声(?)に飛び上がって驚き、盛大に皿を割ってしまったナーチャに、リコがちらりと本の経緯を告げ口すると、
「まったく、旦那さんはいい年してやることが大人げない、ひねくれて根性悪い、趣味が悪い、坊ちゃんが可哀相。」
だのとけっこうひどい言われようで祖父はマーチャから叱られていた。
おじいちゃんて、やとい主なんだよね・・・?
「俺ァ何にもしてねぇ!!」
「其処にいるだけで坊ちゃんに悪影響です!」
普段の素行が非常に悪いので、ここぞとばかりに責められていた。
「はぁ?存在まで否定されてんの!?」
祖父はやり込められて少ししょんぼりしていた。
へい、ざまみろおじいちゃん!
マーチャの背後に隠れてこっそりうふふと笑い、溜飲を下げるリコだった。
いつも優しいマーチャは怒らせると怖い。祖父も敵わないのだ。
おかげでそのはた迷惑で怖い本は、説教を食らいぶつくさと文句をたれる祖父によってすぐ店の棚に戻された。
あんな本買う人いるのかな・・・。
内容はとても面白かったのだが。
年月を経て尻尾が二股、三つ叉にどんどん増えてゆく妖猫や、真っ黒い大きな猫のような獣の姿にかわる魔導書の伝説、綺麗な娘に化け旅人をたぶらかし食べてしまう魔猫など、興味深い話が沢山あった。
こんな祖父はへそ曲がりだし我が儘だ。否というときには一言でバッサリと切り捨てられてしまう。
話しぶりからして、猫を心底嫌がっている訳ではないらしい。
案外強く押せばいけるかもしれない────なんてたくらんでいるのだ。
今はこっそりと、小遣いで家の中にネコの小物を増やしているリコであった。
────話は戻る。
横丁の外れでしかも裏通りに面するこの辺りは普段からわりとひっそりしている。
ご近所のおかみさんたちが挨拶を交わす大きな声が時折聞こえるぐらいのものだ。
なのだが───なにやらキイキイがやがや騒がしい音がする。しかもすぐ近くで。
リコはきょろきょろ辺りを見回した。
何かが───いつもと違った。
©️2018秋雪
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