10. 寝た子をおこす③
よろしくお願いします。
リコはがばりと顔をあげた。
痛みも吹っ飛び、涙をいっぱいに貯めた目をまん丸に見開いて固まった。
その間にも見えない「何か」は好き放題に続ける。
「間抜け面だな。」
「大丈夫かしら?」
「そんなことより。」
「ほら早く。」
「お前。」
「そうだこいつだ。」
「このこどもが。」
「なんとまあ。」
「ダメだよ。」
「あいつが呼んだ。」
「コワイヨ。ダメ。」
「起こせ。」
「いかん。」
「呼ばれたんだ。」
数多の声と動物らしき物の様々な嘶き、耳障りな金属音で混沌としている中、何が何だか分からないリコはかぱりと口を開けたまま、宙を見ていた。
その瞳には無人の古本屋の様子のほかに、誰も、何も、映らない。
なおも声は続く。
「・・・なあ?」
「仕方がない。」
「お前達?」
「ダメだダメだ。」
「おい。」
「こんな小さいのに。」
「こら!」
「運命だ。」
「聞け!!」
「可哀相に。」
突如、みしみしと家鳴りのような音とともに書架が揺れ始め、そこいら中に大小の青白い火花がばちばちと散る。
こわい!!
リコは必死で体をを縮こめ両手で耳を塞いでぎゅっと目を閉じた。
すると辺りに雷のような声がずどんと響いた。
「お前ら!!ちと黙らんか!!」
「うわぁっ!」
悲鳴を上げ、さらにびくりと身を竦ませ固まった。
そのまま暫く。
気付くと「声」と「音」が止んでいた。
怯えたリコの様子に気付いたらしい、
「・・・おい、大丈夫か?ちいさいの。」
幾分優しい声が降ってきた。
黒い魔導書、という伝承がある。
大昔から、御伽話のように語られるその本は実在した。
とある国の辺境にあったグレイヴェルという一族の、一人の男が作り出した物だった。
遡ること数百年前。
在にあり魔導を極めるべく探究し続けたその男は、更なる魔力、更なる術を追い求め、狂気に走った。
そして遂に禁忌の外法を用い、残酷な儀式をもってして数々の魔方陣を刻んだ「魔導書」を完成させた。
主の血と肉と魂を代償に望みを叶える書物。未来のグレイヴェルの血統を、子孫の魂をも引き換えに、途方も無い力を得る。
それだけなら未だしも、創り出されたそれは、ひどく人の血を好んだ。
望むと望まざるとに関わらず、当主となる者に受け継がれ、離れることはかなわない。
グレイヴェルの血筋に代々引き継がれる呪いとも呼べる遺産。
血を、狂気を、死を呼び込む「黒の書」。
正当な持ち主の魔力を喰らい、それは獣の姿をとる。
途方も無い力を得、一族は繁栄を極めるかと思いきや。
代々の継承者は様々な道を辿った。
ある者は欲望のままに力を揮い富と権力を手に、思うがまま殺戮を繰り返し、ある者は傀儡として国家間の争いに身を投じ、ある者はその遺産を怖れ忌み嫌い封じようと手を尽くした。
運命を狂わされ、己が血を呪い自ら命を絶った者もいた。
五百年程前、一夜にして民諸共消え去ったと言い伝わる国、サイハの滅亡の影にもその書が関わっていたことは誰も知らない。
力を使わず血を流す事もなく平穏に過ごした時代も、もちろんあった。
しかしその力を欲する時の権力者に追われ、見せしめに一族を血祭りに上げられ一度に数を減らしたグレイヴェルは、時と共にひっそりとその姿を消した。
黒い魔導書の伝説を残して。
今から二百年ほど前の話である。
魔道書を手にした者は死した後、その亡骸は残らない。
「本」に全て呑み込まれてしまうからだ。
故に、彼らの「柩」とも呼ばれていた。
そこには、肉体も魂も取り込まれた当主代々の真名が刻まれているという。
漆黒の表紙に刻まれた複雑な陣は正当な持ち主只一人しか受け入れず、開くことすら叶わない。
だが、血を求めるその声は、近付く者の精神を蝕み狂わせる。
触れた者に呪いをまき散らし、死を招く。
「呼べ。
グレイヴェルの血を継ぐ者。
何を欲す。
その血肉と魂とを引き換えに。
求めよ。
数多の悲鳴と怨嗟と絶望を贄に。
わたしはグレイヴェルの柩。
黒き盟約の書。」
©️2018秋雪
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