守り猫2
守り猫2となっていますが、ひとつの独立した物語です。新しい町に引っ越してきた時の心細い気持ち。慣れた人や物、風景に出会うと懐かしくなります。尚くんと猫のお話。最後におまけのような文章があります。
「お前、一体どうしたんだよ」
情けない顔と声で話す尚君に、目の前の白い猫は上品に、みゃあと鳴きました。
尚くんは小学校六年生、この町に引っ越してきたばかりです。卒業するまでは前の小学校にいたいと言い張り、両親もそのつもりでしたが、尚くんのお父さんの都合で妙な時期に転校生として、新しい小学校に転入することになりました。
尚くんが引っ越してきた家は、築十年ですが定期的にメンテナンスがされているためそれほど古く感じません。尚くんたちのような子供のいる若い夫婦に貸す家で、つい数ヵ月前までは別の親子が住んでいました。
「悪いな。尚」
済まなそうな顔をするお父さんにぷいっとそっぽを向きます。せめて中学からなら良かったのにと思ってもどうしようもありません。荷物を運ぶ手伝いもせず、自分の部屋にも入らずに新しい町へと走り出しました。
(もう、帰りたい)
もとの町と学校と友達の顔がちらちらと浮かびます。涙がでそうになるのをこらえて歩いていると、白い猫がこちらを見ていることに気がつきました。
「ガーネット!」
叫んでしまってから慌てて口元を両手でおおいます。ちろちろとこちらに視線を投げかけるような大人はおらず、尚くんは安心して白い猫に近づきました。白い猫は、にゃんと鳴くと尚くんに背を向けて走り出しました。
「ちょっと待て!何でこんな所にいるんだ!」
尚くんが驚くのも無理ありません。ガーネットは、尚くんが前に住んでいた家の隣に住むおばあさんが飼っていた猫なのですから。
ガーネットの輝く長い白い毛をそれはそれは自慢にしていました。尚くんもたまに触らせてもらったり、学校の友達と一緒におやつをごちそうになったりとずいぶん可愛がってもらったものです。
大好きなおばあちゃん、優しいおばあちゃん。尚くんが引っ越す1ヶ月前に心臓発作で亡くなってしまいました。息子夫婦と身内が慌ててやってきて、ガーネットも引き取られたと聞いています。
「なのに、なんで」
走りながらもしかしたら、よく似た別の猫かもしれないと思いました。それなら、こうやって追いかけるのは無駄というものです。細い路地を走り抜け、ふと立ち止まると尚くん1人きりです。しんと静まりかえって不気味なくらいでした。
「困ったな。ここはどこなんだろう」
途端に心細くなってもと来た道を戻ろうとします。そうすると尚くんの後ろで、にゃんと鳴く声がします。振り返ると前足をそろえて座っている白い猫がいました。
「ガーネット?」
輝くような白い毛並み、上品な立ち姿。我関せずといった態度はちょっとクールで冷たく見えますが、ハートは熱く義理堅い猫なのだと飼い主のおばあちゃんは嬉しそうに話していました。
「お前、一体どうしたんだよ」
走ってくたくたになっていた尚くんは、その場に座り込んでしまいました。ガーネットかもしれない。ガーネットじゃないかもしれない。どちらかわからないけれど、このまま放っておくわけにはいきませんでした。
「お父さんが、猫アレルギーじゃなかったらなぁ」
猫が近寄るとくしゃみがとまらなくなるお父さんに、猫を飼ってほしいと頼むことはできませんでした。
猫はすっくと立ち上がり、尚くんに着いてこいとばかりに振り向いてにゃあと鳴きます。今度はゆっくり歩く猫の後ろを、尚くんもゆっくりついていきました。
路地をいくつか曲がると空き地のような広い場所と、たくさんの猫、それから数人の大人と子供がわいわい何かをやっています。よくよく見てみると、猫に餌をやったり書類のようなものとにらめっこしているようでした。
尚くんがじっと様子を伺っていると、1人の男性が気がついてにっこりと笑いかけました。
「君も猫が欲しいのかい?」
きょとんとしてから思い切り首を横に振ります。男性のそばにいた女の子が不思議そうに尚くんを見ているので、少し恥ずかしくなりました。
「僕、猫を追いかけてきたんです。白い毛の…」
男性と女の子は顔を見合わせてから、きょろきょろとまわりを見て、困ったように笑いました。
「君のお探しの猫は、どこかに行ってしまったみたいだね」
尚くんも探してみましたが、黒や灰色、クリーム色の猫はいましたが白い毛並みの猫は一匹もいませんでした。
「私たちはね、近所の野良猫や迷い猫を保護して里親を探したり、面倒を見たりするボランティア団体なんだよ」
いつの間にか隣で大柄なおばさんがにっと笑って立っていたので、尚くんは飛び上がらんばかりに驚きました。
「ん?君はどこの子だい?」
この辺の猫と子供なら全員把握しているのにとじっと尚くんの顔を見ます。
「あのっ。今日引っ越して来たばかりの北山尚です」
へどもどしながら頭を下げると、おばさんは体格の良い体をゆすって笑いました。
「そうかい、そうかい。それじゃあわからないのも無理ないね」
「転校生なの?」
男性のそばにいた女の子が興味津々、尚くんをのぞきこんできます。
「うん。もうすぐ園見小学校の6年生になるんだよ」
尚くんの話を聞いて女の子は顔を輝かせました。
「私、園見小学校の6年生」
藤山菜々ですと自己紹介する女の子にほっとしたように笑います。するとそばにいた数人の男の子が寄ってきて、尚くんに笑います。
「俺も園見小学校の6年生」
「俺も俺も!」
その後は藤山菜々も交えて猫の話で盛り上がりました。みんなボランティアの手伝いをしていると言い、尚くんも一緒にやろうと誘ってくれました。新しい町に来て落ち込んでいた尚くんは一体どこにいってしまったのでしょう。
すっかり嬉しくなってしまった尚くんは、家に帰ってからお母さんとお父さんに早速報告をしました。家を出ていった尚くんを心配していた2人は新しい友達ができたことを喜び、引っ越しのさなかに出ていってしまったことを少しだけ怒りました。
尚くんはごめんなさいと謝りましたが、頭の中は新しい友達と猫のことでいっぱいです。ガーネットによく似た猫を見かけて追いかけたおかげだと笑いました。
「でもさ、どこに行っちゃったのかわからなくなっちゃったんだ。」
目立つ猫なのにと呟いて、おばあちゃんが可愛がっていた猫は元気だろうかと話したら、お父さんとお母さんは顔を見合わせました。深刻そうな顔つきに、尚くんはひやりとしたものに、背中を撫でられたような気がしました。
「どうしたの?」
お母さんが口を開きかけましたが、お父さんが先に尚くんに話しかけました。
「尚。お前が落ち込むから、もう少ししてから話そうと思ってたんだけどな」
「うん」
「ガーネットは確かに息子さん夫婦が引き取ったんだが、おばあちゃんの後を追うようにすぐに死んでしまったんだ」
「嘘」
尚くんはそう言ったきり、黙り込んでしまいました。町で見た白い猫を思い浮かべます。尚くんは町で見た猫がガーネットだとしか思えなくなりました。
それ以来、尚くんは白い猫を見かけることはありませんでした。新しい学校でできた友達と猫を保護するボランティアに精を出すようになります。
『尚くん、引っ越すんだってねぇ』
寂しくなるねと縁側で笑うおばあさんに、白い猫がにゃんと鳴きます。
『新しい友達ができると良いねぇ』
ぽかぽかとしたお日様の光がおばあさんと白い猫に降り注ぎます。
板の間に白い猫の影がのびています。黒々とした影はしっぽの先までくっきりと見えます。影のしっぽの先がふたつに分かれていることに、おばあさんは少しも気がつきませんでした。
猫は昔から不思議な生き物だなと思います。猫との不思議なお話を楽しんでもらえたら嬉しいです。守り猫3も考えています。